距離感
俺に限った話じゃない。アンナは即座に順応して見せたが……通常、国家元首と話す機会など一般市民には存在しえない。
本人は本当に何の気なしに、それこそ世間話でもするつもりで話しかけたのだとしても、相手はその裏に「何かがあるのではないか」と疑う。そして――実際には何も無い。「だからこそ」精神は摩耗する。
王と呼ばれるような存在が、ただの人間に話しかけるようなことなどありえない。何か目論見と計画があってこそだ。少なからずそういう常識を備えている人間は、「何かがある」と確信して応対する。何も無いというのに。そして備え続け、精神と体力とを削り続ける。
彼女はそういう、「相手がどう思うか」というところまで理解できていない。だからこそ、安易に一般人と接触もできる。そして多分俺と同じように胃を痛める人が頻出するだろう。
それを指摘できた人などは、いるはずがない。そんなことを口にしようものなら、最悪物理的に首が飛ぶ。
ただ……そうしたエフェリネの行動が間違っているわけではない。一般人であれば。
本当になんというか、致命的に立場が悪い……いや、立場が良すぎただけだ。
一つ、覚悟を決めよう。
「……嫌ではありませんが、問題がいくつもあります」
「問題……ですか?」
「はい。率直に申し上げますが、貴女はご自身の立場というものを理解しておられません」
「え……?」
自覚が無かったのか――いや。あるいは、自覚していると、そう思い込んでいたのか。
呆然と、自分のこれまでの行動を振り返るように視線が下に落ちる。
「ちょっと、リョーマ……」
「静かにしててくれ」
咎めるような視線がアンナから向けられる。しかし、ここで退くことは彼女のためにはならない。
「貴女は王で、自分は庶民です。立場を隠されていたとしても、その事実は一切変わりません。そのため自分は、貴女と接する際には自分の命の危険を常に感じております」
「い、命の危険って……そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありません」
元の世界でも存在した刑法だ。ほとんどの国ではその文言が削除されているとのことだが、こちらの世界は国の力が恐ろしく強い。大陸をたった三国で治めている関係上、その君主の権力と重要性は元の世界よりも遥かに大きい。
安易に侮辱しようものなら他国もナメてかかって大丈夫だと見做すだろうし、傷つけられようものなら国が大混乱に陥る。
勿論、情報統制は敷かれるだろうが……だとしても噂というものは思った以上の速度で蔓延していくだろう。となると、そうした側に課せられる罪もまたそれ相応のものでなくてはならない。
「意図したものであるにせよ無いにせよ、一度でもエフェリネ様を侮辱し、あるいは傷つけて……許されてしまえば、『同じことをしてもよい』という風潮が生まれます。前例を作ることが許されない以上、そのようなことをした者には重罰が科せられるべきでしょう」
「そのような下劣なことを全ての人が考えるとは思えません」
以前俺に見せた――「王」という存在の放つ威圧感を僅かに身に纏いながら、エフェリネははっきりとそう告げる。
気圧されたのか、アンナが一瞬、身じろぎした。
「確かに、全ての人がそう考えるわけではないでしょう。しかし、そうでない者はいます」
だが。
俺はその存在を知っている。
他人を食い物にして平気な顔で笑う人間を知っている。
自分ひとりが肥え太るそのためだけに、多くの人間を破滅へと追い込む人間を知っている。
――だからこそ俺は、言葉にしなければならない。
「それを良しとする者が、その手段を好む悪が、この世には確実に存在します」
「それは」
「俺はその悪に食い物にされた」
唖然とした様子で、アンナとエフェリネは目を見開いた。
……そうか。アンナには言っていなかったな。いや、元々そんなつもりも無かった。
聞かせるようなことでもないし、俺の出自に疑問を持たれたくもない。だが――説明するにはこれが一番わかりやすい。
もっとも、脚色くらいは加えなければマズいだろうが。
「……失礼。自分の父と母は、詐欺師に財産を奪われて死にました」
「な……」
強烈な衝撃を受けたようだった。他方、アンナもまた同じく。
……もっとも、こうは言ったが俺の本当の境遇はまた違う。とはいえ、別れたも死んだも俺にとってはそう変わらない。詐欺師に財産を奪われたというのも事実だ。
だからこそ、真に迫ったことを告げられる。
「だからこそ、これは事実としてお考えください。あなたが隙を見せたならば、その隙を突き、食い破らんとする者がいるのだと」
「……いるの、ですか」
「います」
法律の隙を突いて悪事を行う者もいる。
法律をまるで無視して悪事を行う者もいる。
悪とはそういうものだ。悪意とはそういうことだ。
どれだけ綺麗ごとを吐こうとも、どれだけ高潔な人間がいようとも、それを踏み躙ることを快楽と捉える者は、必ず存在する。
性善説も性悪説も知ったことではないが、誰しも教育と境遇次第では悪と成り得る。
俺は――どうしてもその悪を赦せない。
「……ですが」
神妙な顔つきでいる俺を見かねてか、エフェリネが改めて切り出した。
「その悪意に恐れ、何も行動を起こさないままでいることは、屈することと同義です」
それは、元の世界でも通る道理でもあった。
脅しに屈することは――という話も、何度となく聞いたことがある。一度圧力に屈したなら、二度、三度と同じことが起きる可能性が高い。要求も徐々に大きくなっていくだろう。
「私は何があろうとも悪に屈することはありませんし、その思惑にも乗りません」
「……危害を加えに来る者がいるやもしれません」
「それに関しては全く問題ありません」
「何故です?」
「――――私、人類最強ですから」
唇に指を当てて、自身が「一番」であることを軽く誇示しながら――彼女は、そんなことをのたまった。
「は……?」
思わず、妙な声が漏れる。
確かに、霊王という存在は人類最高峰の精霊術師だという話を聞いた。だが、最強……? そんなことがあり得るのだろうか?
戦いにおいて重要なのは、単純な力だけではなく技術や経験、間の取り方、周囲の環境や発想力、状況把握能力など総合的な能力だ。それは、通常の魔族と比較しても強大な力を持つはずの俺がやりこめられ、死にかけたことを考えればよく分かる。
「どういうことです?」
「そのままの意味です。霊王とは即ち最強の精霊術師を示す言葉。流石に体術ではその道の専門家に劣りますが、私はその気になれば一晩で一つの都市を消滅させる程度のことは造作もありません」
ああ――――うん。今、もう一つ気付いた。
この子はだいぶアホだ。
それに加えて、今言ったことは――全て真実だ。やろうと思えば何も障害とせずにそれができる。自ら考え、動く大量破壊兵器と言い換えてもいいかもしれない。
つまりは――――この子自身が、武力による「抑止力」とも言うべき存在だ。
「やるつもりはありませんが」
と、一応……俺たちを怖がらせないようにか、そんな注釈を付け加える。
その危険性については理解できる。魔法と精霊術はその出力の方法によって区分けされるものだからだ。同じことをしようと思えば、できないわけではない。相応の修練と経験を積む必要はあるだろうが。
……それはそれとしてアンナは何もピンと来るものが無いのだろう。先程から首を傾げてばかりだ。
「そもそもですね…………少し傲慢なことを言っても構いませんか?」
「どうぞ」
「私が最高権力者です。不敬かどうかは、私が決めます」
店の中の喧騒に紛れ……しかし、確かに俺にだけは届くように、凛とした声が響く。
「霊王の名において、あなたたちの命と権利を保障します……必ず」
「――――――……」
僅かに、沈黙が場を支配した。
周囲の喧騒だけが耳を通り抜けていく。その一方で、俺は引き攣りかける頬を抑えることに精一杯になっていた。
(――――話の流れとはいえ、これ、マズくないか……?)
今、確実にエフェリネは俺の「命と権利を保障する」と言った。俺の、命と、権利をだ。
魔族であるはずの俺の、権利と命を保障すると言ったのだ。本来なら、不倶戴天の敵であるはずの霊王が。
いや、本人は全く意図した発言じゃないだろうが、これならば魔族の立ち位置も……いや、うん。うん? やっぱりマズいな。
公的な発言じゃないとはいえ、霊王が魔族を擁護するような発言をしていたということが公表されればエフェリネの権威が失墜する可能性がある。
確か、ギオレン霊王国は魔族討伐の急先鋒として名を上げた国のはずだ。エフェリネがどう思っているかは別にしても、国民としては魔族の存在を許せないという者の方が多いだろう。これが原因でクーデターでも起きかねない。場合によっては擁護派も現れるかもしれない。いずれにしても、事態は混迷を極めることだろう。下手をすると俺が何かの魔法で操ったという見方もされかねない。
まあそもそも、俺が魔族だと知ったらエフェリネ自身もどうするか分かったもんじゃないが。
「ありがとうございます」
内心で戦々恐々としながら、俺はそんな礼を言って返した。
そんな俺の胸中も露知らずといった表情で、エフェリネは続ける。
「なので敬語も遠慮も禁止です!」
「結局そこですか」
「そういう話でしたから。私、気兼ねなくお喋りしたりできるお友達が欲しいので」
まあ、確かにちょっと真剣な方向に話は逸れたが、結局のところ要点はそこだ。
国家元首であるエフェリネが安易に友達を作るのは、本人以上に周囲の危険性を考えると推奨できない。それが率直な感想だ。しかし、そのエフェリネが――国のトップであり最強の精霊術師が安全を保障してくれるというのなら、彼女の「友人」となった者に関しては、それなりに大丈夫だろう。
「その『お友達』が、エフェリネ様を疎んじる勢力に狙われたり、ということは?」
「ありうるかもしれません。そこで、お二人にはこちらを」
言いつつ、懐から何か取り出して差し出してくるエフェリネ。
小さな……こちらの世界ではあまり見慣れない、華美な装飾の施されたアクセサリだ。透き通った結晶の内部では、どことなく見慣れた淡い光が複雑な文様を描いていて――――。
「ぶほっ!?」
「わ、綺麗な……ねえリョーマ何コレ?」
「魔石ですよ。悪意を持って近づいて来た人をこらしめるための術式が込められています」
「いやいやいやいや何考えてるんです貴女は!?」
ふざけている。いや、ふざけているだけならまだいい方だ。この人は本気でこれを俺たちに譲り渡そうとしている!
魔石の重要性については理解している。この世界は魔石文明と呼んでいいほどに、生活の一部に魔石が組み込まれているのだから。
風呂を沸かすにも魔石一つで十分だし、火を起こすにも魔石。他にも車の動力や通信、照明……何をするにも魔石が入用になる。そのため、生活必需品と言える魔石は比較的安価に――それでもいいお値段はするが――購入はできる。購入した後も、術師が魔力を込め続ければ魔石が劣化するまでは使うことができるという。
その一方で、こういった……なんというか、決して生活に必要ではないものは高額になる傾向がある。嗜好品……ともまた違うが、向きとしては似たようなものだろうか。どちらかと言うとこれは防犯グッズ的な一面の方が強いけども。
「大丈夫です。この私が作ったものですから威力にかけては自信があります!」
「……具体的には」
「象の一匹や二匹はわけもなく昏倒させられますよ!」
「それ人間だと死にませんかね」
「ねえ、これ狩りに使えないかな」
「使うな!」
クソッ、案の定こういうオチか!
あからさまなくらい普通の人間じゃ死ぬやつじゃないか。象って!
こっちの世界にもいるんだなぁと思いはするが、それじゃあ致死性を実証しているだけじゃないか!
「だ……大丈夫ですよ。一週間や二週間くらい寝込んでもそのくらい」
「脳に重大な後遺症でも残ってませんかそれ」
「悪意を持って接する方が悪いんです!」
「開き直らないでください」
不貞腐れたように、エフェリネが軽く頬を膨らませる。同意はできるが、積極的に肯定していいわけでもないだろう。
まあ――それでアンナの身が守られるんなら、願ったり叶ったりだけど。
守るとは言ったが、四六時中俺がそばにいるわけじゃない。時にはそれができない時もあるだろう。場合によってはこの魔石がアンナの身を守ってくれるかもしれない。そうなるような状況に身を置くことが無いに越したことは無いが。




