いいえ私はただの一般人です
「……馬鹿じゃねえの!?」
いや、馬鹿だ。馬鹿以外の何物でもない。
ミリアムの話では、空を飛ぶというのは魔力を著しく消費することになるため、「生態として」それができるような者以外はやるべきではないという話だった。
となれば、航空手段として簡単だと思われるのは「飛ぶ」よりも「跳ぶ」。噴射炎を使った姿勢維持や……あるいは――――目的地に向かって吹っ飛ぶこと。
そりゃあ、継続して魔力を使い続ける必要が無いんだからその方が楽だし、魔力消費も少ない。精霊術を使うには集中力が必要になるし、多分その方がいい、はずだ。
だがそれは、角度、速度、そして着地の衝撃への備え――全てを精密に計算して初めてなし得る絶技だ。着地先に人がいれば恐ろしく危険だし、少し着地を誤れば、着地先どころか自分自身の命だって危ない。
……普通考えたってやらねえだろ!?
「何、何なに!? なんなの!?」
状況が理解できていないらしいアンナが、俺の腕の中で混乱した様子で辺りを見回す……って、なんだかこんなことが前にもあったぞ!?
いや、まあ……あの時だって今だって、それだけ混乱するに足る出来事が起きているわけだが。あの時は半魔族となった犬に襲われて、今はギオレン霊王国の国家元首と遭遇……なんて、自分の頭がどうにかしてしまったのかとでも思ってしまうことだろう。
「……はぁー……」
軽く、一息ついて考える。
今日、ここに飛来して来たエフェリネは、以前に見た祭服を着用していない。平服とでも表現するべきだろうか。ごく一般的な、外出用と思しき格好をしている。
俺個人は祭服の印象が強かったので、服装を見て一瞬誰だか分からなくなってしまったが……こうして服装を変えてみると、それなりに普通の少女に見えるのだから不思議だ。とはいえ、やはりその容姿のこともあって人目を惹くことには変わりないだろう。
あと、つばの広い帽子や伊達眼鏡のこともあって、どうしても芸能人が変装してるような印象を受けてしまう。実際に有名人――という安易な表現を用いるのが憚られるくらいの超有名人・……というか、国家元首だが。
しかし、その国家元首の体は大丈夫なのだろうか。今の一瞬で肉片になっていたりしないだろうか――という心配をよそに、エフェリネはまるで何事も無かったかのようにひょいと立ち上がって見せた。
「と、っと……あ、どうもこんにちは」
「……ど、どうも」
「こんにちは……」
穏やかに語り掛けてくるエフェリネに、驚きを隠しきれない俺とアンナ。この王様どうしてくれようか、などという考えすらよぎってくる。
と、そこで俺の存在に気付いたのか、あ、と小さく声を上げて、エフェリネはにんまりと笑みを浮かべた。
「リョーマさん! リョーマさんですよね! お久しぶりです! エフェリネです!」
「はい……お久しぶりですエフェリネ様……」
胃がキリキリと痛みを訴え始めた。
どうしよう。この子は俺の胃壁を破壊するためだけに来たのだと言われたら信じてしまいそうだ。
……そんなことを考えているとは露知らず。エフェリネは俺の返答が気に入らなかったのか、少し頬を膨らました。
「もう、前にも『どうぞ呼び捨てに』って言ったじゃないですか。『エフェリネ』と、はいどうぞ!」
「無茶を仰らないでくださいエフェリネ様」
俺を不敬罪で殺す気か。
「……エフェリネ様……って」
「おっとそれ以上言葉にするのは禁じます! 私はただのエフェリネであってどこかの国の女王ではありませんので悪しからず!」
「強引すぎませんか」
「ねーリョーマ、違うって」
「お前もうちょっと人を疑うことを知ろうな?」
素直に受け取るものじゃないだろうこの発言は。どう考えたって「そういうことにしておく」的な暗黙の了解だろうが。
「こんなところで何をしているんです、エフェリネ様。ここ、スニギットですよ……?」
「知っています。視察のために参りましたので」
「はあ。視察……?」
「ご存じありませんでしたか? 数日前からそのように報道しているものかと思いましたが……」
思わず、アンナと顔を見合わせる。
そういえば、考えてみれば今日は妙に人の通りが多かった。なるほど、その原因がエフェリネだとするなら辻褄は合う。
……いや、合うけども。
「何でお前が知らないんだよ」
「だって普段お知らせとか見ないし……新聞見たって面白くないし……」
「……気持ちは分かるけどさ」
「なるほど素晴らしい。是非お友達になりましょう」
何でそんな純朴な子を騙すような語り口なんだろう。
もしかしてこの子に友達が少ない理由はこれではなかろうか。
「ど、どうしようリョーマ!? 霊王様とお友達にって……」
「この方会う人会う人にそれ言ってるっぽいぞ。エフェリネ様もご自重なさってください」
「そんな尻軽みたいに言わないでください! 私だってこれはと思う人くらいは選びます!」
その割には目の前にいた人間を適当に見繕ったようにしか見えないのはどういうことでしょうか。
……まあ、理屈としては通らなくもない。同じ境遇(だと思っている)俺にはそれほど悪印象は無いだろうし、それと一緒に行動している女の子となれば申し分ないと言えるだろう。
軽く咳ばらいをし、エフェリネはこちらへと向き直る。
「……ともかくです。正直に言ってもっとお話していたいのですが……流石にここでは人目につきます」
「ド派手な登場でしたからね」
「私個人としてももっと地味な方がマルティナに見つからず……コホン。ともかく、少し場所を移しましょう」
「どこへ?」
「できれば美味しいものが食べられる場所がいいです」
……と、まあそんな感じで。
元々の俺たちの目的は特に変化の無いまま、もう一人を加えて――しかし、国家元首を場末の食堂に案内して、果たして機嫌を損ねないかという緊張感の中――俺たち三人は、町はずれの方へと歩みを進めていった。
* * *
「なるほど。うん、なるほど! いいですねこの安っぽいお肉の肉っぽい感じ!」
「お店の人がものすごい表情でこちらを見ているのでそういうこと言うのおやめください」
それから数分後、俺たち三人は街のはずれに位置する……普段見る酒場よりもいくらか大きい程度の大衆食堂に来訪していた。
店の印象としては、まあ、普通。街中で適当に見回せば一軒や二軒はあるだろうという程度の、本当にごく普通の、一般的、庶民的な食堂だ。
アンナの前には鶏肉のコンフィとスープ、エフェリネの前にはハンバーグ……と思しきものが既に配膳されている。
……そりゃあ、当然だがエフェリネが普段口にしているようなものとは何段もランクが落ちる。のだが、その一方で俺たちには手を出し辛い値段でもある。それを安っぽいと言うか安っぽいと。
と、そんなことを考えていた俺を他所に、アンナはエフェリネの前の更に盛りつけられた肉を口に運――。
「お前はお前で何してんだよ!?」
「んー? んんん……でも確かにこれちょっと安いところのお肉だよ」
「ですよね!」
「おい馬鹿店の人がめっちゃこっち見てんだよつーかエフェリネ様の肉食ってんじゃねえよ!」
何をしているんだこの猟師!
何をしているんだこの霊王!
ちくしょう、また胃が痛くなってきた! 俺にいったいどうしろというのだ!!
「『様』はやめてください。あと、お肉を食べるのも一向に構いません。私、友達同士で食べ物をシェアしたりしてみたかったので!」
「……そうですか」
目頭と胃が熱くなってきた。
いや……実を言えば俺もそういうのはしたことないんだけど。
それはそれとして自重してください。いや本当に。
「じゃあこっちもどうぞー」
「あ、じゃあいただきます!」
「…………」
胃が痛い。本当に痛い。
頼むからエフェリネ様は自分の立場を自覚してくれ。
頼むからアンナはエフェリネ様の地位を考えてくれ。
いくらなんでもこんなことがバレたら側近のマルティナさんのみならず他の……確か、衛士だったか近衛……いや、従士か。他の従士や執務官に至るまでにも吊し上げられかねない。そうなった時に果たして俺の素性がバレずにいられるのかという問題も含めて、この先のことが何一つ読めなくなってくる。
最悪だ。いや、既にその段階もだいぶ通り越しているが。エフェリネ様がこの街に来た理由次第にもなるが、逃げる準備だけはしておかないとマズいかもしれない。普通に死にかねない。
「ん……? そういえばリョーマ何頼んだの?」
「水」
「だけ?」
「だけ」
いや――無理だろう。
どう考えても無茶だ。
「お金なら出すからいいと言ってますのに」
「だからダメなんですよ!?」
折半ということなら分かる。だが、全額出すなんて言われて遠慮なく頼むなんてこと、できるわけがない。
相手は国家元首だぞ。国家元首に「奢るから頼んでいい」なんて言われても、普通ビビッて手が出ないものだろう。
元々俺は重傷者だ。まだ内臓に負担がかかっちゃいけないということにすれば十分言い訳にはなる。
けどアンナは何ちゃっかり普通に頼んじゃってるんだよ!? もうちょっと後先と世間体を考えろよ!?
「店員さん! こちらの方に羊肉のシチューと濃厚マッシュポテトをお願いします」
「は!?」
と、心配する俺を他所に、エフェリネは店員に注文を投げる。
店員は店員で、俺の悩みなど知ったことではないだろう。かしこまりました――と一言告げ、厨房へと伝達に向かって行った。
「エフェリネ様、自分は今日まで入院しておりましたので、あまり重いものは……」
「入院!?」
「ん? リョーマっておととい普通に食べてなかった?」
「おい」
何バラしてんのこの子は!!
「いや、だから俺はそこまで食欲は……」
「嘘だぁ。先生も言ってたよ。栄養失調になりかけてたのを取り戻すくらい食べてるって」
「い、いや、だから……」
「……お嫌でしたか?」
と。
互いに言い合っている最中、ぽつり――と、エフェリネが小さく言葉を漏らした。
怖がっているような、寂しそうな、そんな声だ。僅かに笑みを見せてはいるが、それはどちらかと言うと諦念のそれに近い。
途端に、エフェリネの態度のおおよそすべてが、腑に落ちた。
――――この子は、致命的に他人との距離感が測れないのだ。




