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空より来てしまったもの

「……気持ち悪ィ」

「……あのさ、さっきからどうしたの? 大丈夫? 吐きそう?」

「いや、ごめん。そういう意味の気持ち悪いっていうんじゃないんだ」



 それから数分。

 唐突に途絶えた視線とミリアムの追跡は、俺の心に謎の不可解さと底気味の悪さを残していた。


 何でミリアムからの追跡が途絶えたのだろう。さっきの視線の主がミリアムでないのなら一体誰が俺のことを見てたのだろう。色々と考えるべきことはあるが、どれもこれも答えが浮かばない。 

 ミリアムが俺たちのことをつけてくること、それ自体はまあ分からないでもないのだ。心配性のケもあるし、俺が下手を打たないかと不安になったのだろう。


 しかし、もう一つの視線の意味が分からない。誰が? 何のために? どこから?


 推定はできる。あの術師の関係者だ。あの当日に重傷で病院に運び込まれた、というあたりで符号が一致したのだろうと考えれば辻褄は合う。だが、だとするならまず俺を殺しに来るものなんじゃあないのか? 街中ではそんなことをするわけにはいかない――なんて綺麗ごとを言うような連中のようには見えないし。


 もしかして、ミリアムが俺の追跡をやめたのはそういった連中とでも戦いに行ったのか? 魔法も使えないのに……?



「……うう、ん……」

「リョーマ?」

「ん……うん、ちょっと待ってくれ」



 思わず、呻き声が漏れ出る。


 もしかして俺、想像があらぬ方向に向かってないか? そもそも視線の主が術師の関係者であるってところから間違えていないか?

 そもそも、こんな風に悩んでいることすら術中だったりしないだろうか。わざと意味深なことをして悩ませて、ドツボにハメるというのは割とありふれた策略だ。いや、あるいはそれすらも――?



「リョーマー!」

「うおっ!? な、何だ……?」

「さっきから何なの、そんなにずーっと悩みこんで! ほったらかしにするのやめてよ!」

「い、いや、俺にもその――色々あって」

「うっさいバカ! せっかくおばあちゃんから二人で何かおいしいもの食べてきなさいねってお金貰ってきたのに、もうあげないかんね!」

「ちょっ……ちょちょちょ! いや、ごめん! ホントごめんなさい!!」



 ……言われて、ようやくアンナを置いてけぼりにしていたことに気付いた。


 金に釣られたようでなんだか情けないが、実際金のこととなると反応せざるを得ないのでこの対応も間違ったものとは言い辛かった。

 いや、でも……申し訳ないことには変わりないか。あまり自分の考えに没頭しすぎていても、フリーダさんの厚意を無駄にしてしまう。


 アンナに対しても真摯に向き合えていないわけだし、本当――ダメだな、俺は。



「……ごめん。あれ以来、もしかすると誰か襲ってくるんじゃないかって、ずっと不安になってて」



 可能性を論じればきりが無いが、俺が怪我をした原因が原因だ。街中で油断していると、唐突に後ろからグサリ――なんてことが無いとは限らない。

 無力な一般人(アンナ)と一緒にいる以上、俺じゃなくてアンナの方を狙ってくることだってあるかもしれない。



「考えすぎだよ」



 困ったようにはにかみながら、アンナはそんなことを言って返した。


 考えすぎ――そうかもしれない。そういえば、数日前にもミリアムに全く同じことを言われていた。



「……でもさ、俺はともかくアンナになにかあったらって思うと、気が気じゃないんだ」



 そういうと、アンナは少しだけ頬を赤くして。



「じゃあ、もしそうなったらあの時みたいにまた守ってよ」



 何の不安も無いという風に、そんなことを言ってのけた。


 信頼が重い。

 期待されると辛い。

 ――けれど、それでもなんとなく、少しだけ肩の荷が降りたような気がした。



「それじゃあ、そうさせてもらうよ」



 一言告げて、笑いかける。


 ありがとう――と、思ってはいても、言葉にはできない。そもそも、アンナも礼を言われたくて言ったわけじゃないだろう。

 それに、俺自身も正面からこんなことを言うのはやはり気恥ずかしい。



「ふふん。ちゃんと守ってよね」

「ああ、勿論――――」



 と。そんな折に、不意にイタズラっけが湧いた。



「……アンネリーゼお嬢様」

「ちょっ」



 言うと、即座にアンナの顔が真っ赤に染まった。


 アンナの本名はアンネリーゼといったはずだ。自分のことをアンナと呼ばせているのは、長い上に仰々しい名前が自分に似つかわしくないと思っているからだという。

 実際、ちょっと……名前だけ聞くと、どこのお嬢様だと聞きたくなるほどだとも思う。



「やめっ、やめてよぉ!」

「はははは、お嬢様っぽいじゃん、名前も……今日は格好もだけど」



 アンナは普段、もうちょっと落ち着いた……森の中での活動を主眼に置いた若葉色の服を着ている。しかし、今日は街に出るためにか、もうちょっとゆったりとした、見栄えを重視した余所行きの服装をしていた。

 多分、フリーダさんが勧めたのだろう。でないと、見舞いの時でも山を歩く時の格好をしていたアンナが、こんな服を着てくるとは思えない。



「昔から何かってそうやってからかわれてたからやめてほしいんだけど!」

「いいじゃないか。エスコートいたしましょうか?」

「もーおー! あたしそういうのほんっと嫌いなの!」

「俺は綺麗な響きだと思うぞアンネリーゼ」

「うぐっ……そんなこと言って……!」



 今一瞬揺らいだろお前。



「そんなに嫌がること無いだろ。自分の名前だぞ」

「嫌なものは嫌なの! だって、みんな……っていうか、おじいちゃんの友達もお嬢ちゃんお嬢ちゃんとか言ってくるし、こっちにいた頃も何かって笑われて……」

「あー……そういうことも、そっか……あるな」



 ハンスさんの友達の場合は、可愛がっているだけだとは思うが……そうか、アンナに同年代の友達が少ない原因はそれか。

 あっちの世界でも、名前でからかわれるというのはよく聞く話だ。からかった当人が何とも思っていなくとも、からかわれた側はずっと根に持ち続けている――というのも、また同じく。


 アンナも名前のことでからかわれたことが嫌だったのだと思えば、確かにこの反応も頷ける。



「……でも俺、アンネリーゼって名前、好きだぞ」

「…………あ、ありがと」



 再び顔を赤くするアンナ。


 さっきはもっと……耳まで真っ赤にしていたのだが、今は頬が僅かに朱に染まる程度だ。興奮と照れの違いと言ったところか。確かに、さっきの俺の発言はちょっと無神経だった。怒っても無理は無い。



「……で、ど、どうするの? 今日、なんか人多いけど……」

「何か食べたいところだけど……アンナも何で今日こんなに人が多いのか、分からないのか?」

「ん、うん……知らない」



 まあ、アンナが情報誌なんかを読まないタイプなのは見れば分かるとして……だとするならこの喧噪の理由は何だろう。有名人が来たとか、そういった事情だろうか。

 こちらの世界の音楽や芸能の事情についてはよく知らないが、もしかすると若者に大人気……とかいうアイドルなんかがいるのかもしれない。特に興味は無いが。



「ま……別に物珍しいから見に行くって感じでもないしな。人の流れはあっちの方だから……ちょっと外れた方でどこか食事できるところとか知らないか?」

「んー……どうだろ。あたしも家に顔出すくらいだし、こっちはあんまり来た事無いし……歩きながら見ていかない?」

「そっか。じゃあ、適当に――――」



 と。

 その瞬間、空から音が聞こえた。



「…………!!」

「……?」

「どしたの、リョーマ?」

「いや、何か……」



 風切り音に近いだろうか。ヒィィィン……という甲高い音が確かに聞こえてくる。


 それと同時に、何か……女の子が叫ぶような音が……。



「……さー……!!」



 今、もう一度何かが聞こえた。


 確かに、音ではなく「声」だった。しかし異質だ。屋内から聞こえてくるのならもっとくぐもった声にとして聞こえてくるはずだし、この周辺にいる人の発した声ならもっと鮮明(クリア)に聞こえるはずだ。



「……何か言ったか?」

「ううん」



 音はどんどん大きくなっていく。同時に、声もまた。

 徐々に鮮明に、あるいは明確になっていくその声を、俺はどこかで聞き覚えがあるような気がして――――。



「……いてくださー……!!」

「んー……あ」



 ――――思い出した。


 二か月ほど前。確か、ギオレン……というか、フリゲイユ学術都市の方で一度聞いた声だ。

 記憶を掘り返せば掘り返すほどあまり良い思い出は無いが、確かにそこで胃を痛める思いをしながら聞いていた声がある。



「どいてくださぁぁーい!!」



 一際明確な声が聞こえたその瞬間、俺はアンナの手を引いて一足飛びに横に駆け抜けた。



「ひゃあ!?」



 二つの悲鳴を聞きながら、さて俺は一体どうするべきかを考える。


 この声の主は、少なくとも俺にとっては友好的で、魔族にとっては(・・・・・・・)敵対的な人物のはずだ。

 そして何より、特に理由なく自由を求めて勝手な行動をすることがままある困った人物で――彼女を取り巻く人々にとっても、そして、かつて一度は巻き込まれかけた俺にとっても、間違いなく厄介な少女だと言えよう。


 銀の髪に、白磁の如き肌。その実年齢を一切読むことのできない童顔と矮躯。


 ――――エフェリネ・フルーネフェルト。


 ギオレン霊王国の「霊王」が、再び俺の前に姿を現した。


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