空より来るもの
ところで、精霊術を使って治療したと思われる関係上、今回の入院期間に関しては思ったよりも遥かに短く設定されている。
先日、先生と会って直接話せたことも功を奏しただろうか。退院後はクラインの診療所で経過を見るということで話もまとまり、目を覚ましてから十日後――つまり、今日退院するということで決着がついていた。
もっとも、一番大きいのは金銭的な問題のような気がするが……今は置いておこう。先生も厚意から医療費を負担してくれているが、必ずしも懐が暖かいわけではないはずだ。俺の申し出にしたって、実は渡りに船だと思って請けたという可能性ももある。実際はどうだか知らないが。
ともあれ。
退院するにあたって、流石に迎えの一人もいないとマズいだろう――ということで、今日はミリアムとアンナの二人が来て一緒に家に戻る、という話だった、はずなのだが。
「……何で二人きりになってんの俺たち?」
「こっちが聞きたいんだけど!」
どういう訳か、俺とアンナはライヒの広場に二人きりでいた。
ミリアムは先生と何やら二人で話していたところ、何やら意味不明なイイ笑顔で席を外してそのまま戻ってこず――その後、個人的な買い物に行って来るので、ミリアムの動向は気にしなくてもいいという旨の伝言を預かった。何ならそのまま先に帰っても構わないとも。
正直に言って、意味が分からなかった。何か企んでいるのは目に見えているが、だからと言ってそれが何かまでは理解できない。何考えてるんだアイツ。何考えてるんだ先生。
「もしかしてミリアムさん本格的にあたしのこと嫌い?」
「いや、そんなこと無いと思うけど……」
ミリアムの態度が徐々に軟化してきているのは知っている。人間に対しても――それこそ、アンナに対しても。
嫌いかどうかと聞かれれば、「好きではない」と曖昧に濁して答えることだろうが……それ自体も時間の問題じゃないだろうか。少なくとも、「人間」と十把一絡げにして嫌うということは無いはずだ。まあ、人混みが嫌いだということはあるかもしれないが。
当然ながら、クラインと比べてライヒの街は人が多い。その人口の総数までは知れないが、今、この広場で適当に見渡していても、人の姿が途切れるということは無い。病院の周辺でも似たようなものだったし、市場に行けばもっと多いことだろう。
……あれ? じゃあ何で買い物に行くなんて言ってたんだろう。つまりそれって、別に人混みも特に苦手というわけじゃないってことでもあるよな。
今日は、普段と比べるとだいぶ人の往来が激しい。ずっと入院してた関係上……というか、そもそも春先に列車を使ってフリゲイユ学術都市に行って以来、ずっとライヒには来ていなかったが……あの時よりもずっと騒がしい。
それが嫌だというなら嫌だと言えばそれでいいんだが……だとして別行動を取る理由にはならないだろう。
「……何でだろうな。分からん」
「リョーマが分からないならあたしも分からないよ……」
「いや……お互い女の子なんだから俺よりアンナの方が分かるもんじゃないのか……?」
そりゃあ、ミリアムは女の「子」なんて歳はとっくに超えているが。
ミリアムによれば魔族の精神年齢は大抵、外見に比例するという話らしいし、案外あれで精神的には十代相当なのかもしれない。
……いやそりゃ無いな。あれでティーンエイジャーなんてそれこそ笑い話だ。絶対に言葉にはしないけど。
ミリアムのやつ、派手な外見の割に妙に落ち着きがあって冷静だし面倒見も良いし――実は精神的には先生と同年代だなんて言っても、特に違和感は無――――。
「ッ!?」
不意に視線を感じた。
マズい。こんなふざけたこと考えてたのが気取られたか。というかアイツ、まさか俺たちのこと監視するために一度離れて行ったんじゃないだろうな!
確信を持ってここに来るまでの道……その先の病院の屋上を見やる――と。
「……あれ?」
確かに、ミリアムは病院の屋上にいた。
いたのだが、その視線は俺たちの方には向けられていない。どこか遠い、空の方へと向けられている。
「どしたの?」
「あ、いや……」
不思議そうにこちらを覗き込むアンナ。しかし、俺の方はそれに応えられるだけのものは何も無い。
結局、ミリアムが何をしているのか、したいのか――何一つ分からないまま、俺たちはその場を後にした。
* * *
他方、病院の屋上で一人佇んでいたミリアムは、その視界にあるものを捉えていた。ほんの一瞬の間に雲間から覗いた、巨大な建造物だ。
瞬きほどの間隙だ。あるいは、七十年前の人魔戦役を経験したからこそ見えた幻覚だったのではないかと、ミリアム自身が訝しむほどだった。
しかし、幸か不幸か――それを幻覚と解釈しようにも、そこから発せられる莫大な魔力がそれを許さなかった。一瞬の間に捉えたその外観も、全てがミリアムの記憶と合致してしまっていた。
――――天王の居城。
かつての戦役の折、光の大精霊の加護を受けた代行者によって滅ぼされた三人の「王」の一人、天王。彼が滅びた以上、その魔力によって浮かんでいた「天空城塞」は、その機能を喪失して墜落する、そのはずだった。
ミリアム自身も、恐らくは引きこもっている間にも墜落しているものだと高をくくっていた。魔族にとってはほんの僅かな時間だと嘯いてはみても、七十年というのは長い時間であることに変わりないはずだ。それでもなお、墜ちてくるような様子は無い。
「……ありえませんよね……?」
不意に――彼女自身も気付かないうちに、疑問の声が漏れる。
普段の彼女からは想像もできないような、弱々しい声だ。リョーマやレーネが聞けば、不調を心配するほどに。
だが、この場にいない彼らから声がかかるようなことは無い。代わりに、ミリアムの口が再び開いた。
「――いや。私が生きている以上……ありえないことじゃないか」
自分で発した疑問に自分で応えるように。
先程までの弱弱しい声とは打って変わって、どこか冷淡さすら感じられるほどの声音で呟く。
再び上空を見据えるも、そこに「城塞」は既に無い。雲間が途切れたその瞬間に、偶然、隠蔽が解けてしまっただけなのだろう。
だとするならば、あの天空城塞は何らかの意思のもと運用されていると考えられる。
「…………」
それを感じ取って穏やかでいられるほど、ミリアムも気が長い方ではなかった。
アーサイズには航空機というものが存在していない。それは、超大陸に三つの国が存在するだけという――リョーマに言わせてみれば「手抜き」じみた――構造故に、空路を開拓する必要が無かったためだ。
優秀な精霊術師が一人いれば、荒れ地であれ山道であれ、平らに均して線路を敷設できるのだ。既に超音速で航行する列車が完成している以上、その路線を拡げるだけで交通の便は整うだろう。
結果として、人間は空に目を向けることはしなくなる。
そして――もしも、万が一天王の手勢が生き残っていたとするならば。彼らが空にその勢力を移し、雌伏の時を過ごしているのだとするならば。
「……接触を持ちたいところなんですが」
三人の「王」は滅びたが、その手勢が生き残っている可能性は低くない。陸地で生きる冥王の軍勢は、その性質上空に居を移すこともできず、海に潜るようなこともできなかったため、駆逐され絶滅に瀕したが……彼らには、有力な逃げ場がある。
だが、空は果てしなく、海はひどく広大だ。通信用の魔石を作ったとしても、相互の魔力――周波数を一致させることで機能する関係上、適当に発信しても意味は無い。それどころか、全く違う場所に声が送られてしまって自分たちが魔族だと露見する恐れすらあった。
かと言って、空を飛ぶなどということが安易にできようはずもない。では、どうするべきか――?
思考が流れるままに、時間も流れていく。
「しかし、やけに人が多いですね……」
眼下では、街路に溢れかえるほどの人間がひしめきあっている。その行き先は、街の中央部――行政府に近い辺りになる。リョーマたちのいるであろう広場とは、正反対の方向にあたる。
ミリアムはリョーマたちと比べれば比較的、情勢には聡い。とはいえここ数日中はリョーマの見舞いと、家に残してきた面々の面倒を見るのに手いっぱいだったこともあり、情報収集が滞っていた。実際、今日この日の喧騒の理由も何も分かっていない。
仕方がない、とミリアムはそれとなく屋上から降りることができる場所を探し、歩き出す。
――リョーマたちの動向を追うという本来の目的も忘れたままで。




