魔獣の行方
「人工冬眠?」
「はい」
数時間ほどして。
昼前頃になって病室に訪れたミリアムは、あの動物たちをどうしたか――という問いかけに、そんな答えでもって返した。
人工冬眠、あるいは冷凍睡眠――SFなどで頻繁に語られる超技術だ。実現の可能性は今は論じるべきではないとして、その手法は大きく「冬眠」と「凍結」の二つに分けられる。冬眠に関しては、動物の行う「冬眠」を模した形で、栄養を貯め込んだ状態で強制的に眠らせて、生命活動を遅らせることで延命を図る方法。もう一つが、文字通り体を「凍結」させることで保存する方法となる。ミリアムの語調からすると、恐らくは前者の方法を用いたのだろう。
「オスヴァルトが術式を組み、体温を下げて強制的に冬眠状態にさせました。眠らせているだけなので、あくまで緊急の措置になりますが……」
「いや、十分だよ。退院までに冬眠はもつかな?」
「冬眠自体はもつかもしれませんが……その前に動物の方が衰弱死してしまうかと」
「そこはシビアなのかよ」
そりゃあ、無理やり冬眠させているわけで、食いだめをしているわけでもないのだからそうなってもおかしいことは無いけど。
割とどうでもいいところでファジーなんだし、こういう微妙なところはもうちょっと物理法則を無視してもいいんじゃないかなぁと、正直思う。
「……でも、だからって起こすわけにはいかないな……」
「最悪、ここまでの努力が水の泡になってしまいますからね」
あの動物たちが狂暴化しているのは精霊術師にそう命令されたからではなく、魔力が体に馴染みきらないことで激痛が生じているためだ。
それをなんとかしないうちに起こしてしまえば、当然また暴れ出してしまうことだろうと思う。そうなれば、一匹や二匹くらいは取り逃がしてしまって……大惨事が起きてしまうかもしれない。
「正直に申し上げてもいいですか?」
ふと、遠慮がちにミリアムが申し出た。
「言ってくれ」
「……あの動物たちを生かしておくことは、我々の損失になるかと思います。早いうちに始末するのが良いのでは?」
言い辛そうに――しかし、考えとしては至極当然なことを口にするミリアム。申し訳なさそうにしているのは、俺が乗り気になれないことだと理解しているからか、「始末」することになる動物たちのことを憐れんでのことか。
その気持ちはよく分かる。というか、そういうことはまず俺が考えるべきでもあった。
今、うちにいるのは七人。もし、精霊術師の実験台にされていた動物たちもみんな魔族化するとなると、ここに更に三十人近くが加わることになる。
一気に五倍近くだ。それに伴って食費も生活費も跳ね上がることだろうし、不安に思ってもしょうがないとさえ思う。
「いや、だめだ」
「何故です?」
取り立てて問い詰める風でも無く淡々と……俺の返答を予測していたように質問を投げるミリアム。
というか実際予測していたのだろう。俺の考えは分かりやすい方らしいし。
「ネリー達のためだ」
「というのは?」
「ネリーも、リースベットも、アンブロシウスも、元は今眠らされている動物と同じで、あの術師に実験台にされていた動物だったんだ。同じ境遇の動物が『邪魔だから』って理由で殺されたりなんかしたら、自分もそうなるんじゃないかって不安になるんじゃないかな」
「考えすぎでは?」
――すぐさまバッサリと切って落とされた。
流石だ。俺の心が病院生活で弱っているのも含めて色々と心にクる。考えすぎなのも確かだし、俺自身不安症のケもあるという自覚はある。
けど、流石にここで退くわけにはいかない。
「考えすぎなくらい考えるのも、俺の仕事の一つだろ。リスクは発生するより前に摘み取らなきゃいけないもんだ」
「人数を増やすこと自体がリスクですが」
「はい」
いかん、論破されかけている。
いや、うん、俺も無茶苦茶言ってることは分かってる。だからこそミリアムにはもうちょっと手加減してほしい。
無理か。そりゃそうだ。綺麗ごとを貫き通すことで仲間からの信頼を得られたとしても、それでは生き死にに関わるというのなら、言葉を選ぶなんてしないだろう。
むしろ、こうして忌憚ない意見を出してくれるのはありがたい。俺としてもミリアムの諫言は現実を見るのに役立つ。ミリアムとしても、俺がどういう方針を取りたいかを明言した方が良いだろう。でないと、現実と理想との妥協点を見出すこともできやしない。
「はっきり申し上げますが、我々にはお金がありません。食料もです。畑で採れる作物の量も決して多くありません」
「そうだな。しかも収入は三人が暮らしていけるって程度だし、そもそも俺はしばらく働くに働けない」
かなり絶望的だ。エンゲル係数が増大するってレベルじゃあない。
「ですので、もし彼らを生かすと言うのなら、原始的な方法に立ち返りましょう」
「原始的」
「狩りや採集をして自給自足です」
「……おう」
そうか……そうなるよなぁ。
でも、最適解といえば最適解だと思う。実際、俺は他に方法が思い浮かばない。
俺たちなら別に武器は必要ないし、特に苦労することなく狩りもできるとは思う。調味料くらいなら買うことのできる金はあるし、野草を摘んで適切に調理すればそれなりに食べられる程度の食事にはなるだろう。
「とはいえ、この近辺ですとクラインの猟師の縄張りでもありますから、重々注意しなければいけませんが……」
「………………」
確か、一日あたり人間が必要とするカロリーはおよそ二千前後。そこから算出――というのは流石にできないから大雑把に一日当たり一キロの食料が必要になると仮定して、三十人増えることになるから……誤差も含めて毎日約四十キロの食料が必要になる。一年の日数は三百六十五日で変わらないから……だいたい一年あたり食料が十五トン必要になると考えられる、か?
「常識的な量じゃあ、賄いきれないな」
「そうですね。熊の一匹や二匹ではどうにも……」
「……グレートタスクベアならどうだ?」
「え? ……あ」
数日前に見た巨体を思い出す。だいたい六メートル前後の化け物熊――グレートタスクベア。
六メートルという巨体だけあって、その体積は相当のものだった。俺の記憶が正しければ、ヒグマの体重はおよそ二百から三百キロ。その三倍の体長となれば体重も三倍じゃあ済まないだろう。腕も三本あったということを鑑みれば、一匹仕留めれば相当な量の肉が獲れることになる。それこそ、クラインの人たちの食事をしばらく賄いきったように。
それだけじゃない。クラインの猟師の中に、こんな化け物をわざわざ狙う人はいないだろう。となれば狩猟の際にお互いが邪魔になるということも、狩場が被るということもそうは無いはずだ。
「確か、旧冥王領でまだ生息してるみたいなこと、言ってたよな。魔族の保存食だとも」
「え、ええ。多分、繁殖もしていると思いますが。何せ数十年と経っていますし……」
どう見てもあれは生態系の頂点に位置する生物だ。外敵なんて、そうそういないだろう。繁殖も悠々とできることだろうし……数が増えすぎたからこそ、クラインの方にも出てきているとも考えられる。
「よし、じゃあ旧冥王領の方にグレートタスクベアを狩りに行こう。その道中で食べられる山菜や野生の果物なんかを見つけたら採取する。それでどうだ?」
「分かりま……いえ待ってください。あの辺りには毒性の強いリンゴがありましたよね。さすがにあれはマズいのでは……」
「味自体は良かったぞ」
「そういうこと聞いてるんじゃないですよ頭どうにかしてるんですか貴方は」
「ひでぇ」
「他の皆がお腹を壊したらどうするんです」
いや、でも味自体は本当に悪くなかった。高級なリンゴ――というのは食べたことが無いが、あれは溢れるほどの蜜と柔らかめの食感、酸味も少なく食べやすかった。
もっとも、食べたその後は腹を下したし、普通の人間にとっては少量でも死に至るらしいが。
「それに、そもそもその毒リンゴ以外だと、毒かどうかも分からないキノコくらいしか無いじゃないですか。タスクベアを狩ることができなかった場合のリスクが大きいのでは?」
「別に全員揃って行くわけじゃないだろ。二、三人……場合によっては一人でもいい」
「……あ」
盲点だった、と言いたげにミリアムは顔を俯けた。見れば、僅かに頬に朱の色が差している。
俺に指摘されたのがそんなに恥ずかしいか。時々そういうことくらいあると思うし、そこまで恥ずかしがることは無いんじゃないだろうか。それとも俺はそこまで考えが回らない男だとでも思われているのだろうか。
かもしれない。
「それに、毒リンゴだろうが毒キノコだろうが――――毒を抜けば食える」
「それにどれだけ労力がかかると!?」
「日本人の食に対する執念をナメるな……! どれだけ労力がかかろうとできるものは『やる』モンなんだよ……!」
「何があなたをそうまでさせるんです……?」
実例はコンニャク芋やフグだろうか。加工するにも多大な手間がかかるが、加工さえしてしまえばあとは食える。やりようによっては毒キノコだって食べられるのだ。
加工方法も少しは知っている。ベニテングダケなら塩漬けにする、脳ミソのような見た目のアミガサダケなら、茹でて茹でて茹で汁を捨てて……を数回繰り返すという方法で毒性を抜くことができる。
「……ともかく、その方向で」
話を切り替えようとするも、ミリアムの顔は相変わらず紅潮している。
「そこまで恥ずかしがることないんじゃないか……?」
「いえ……――ああ、いえ。すみません」
「言いたいことがあるなら言ってくれよ」
「普段指摘する側に回っているだけに、いざ指摘され返されると……」
思われてた。
ちくしょう。




