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交戦

「――――」



 背後を振り向くことなく、背中の「感触」に向けて手を伸ばす。

 普通の人間なら反応すらできない程度の速度。それを。


 ――――しかし、「それ」は当然に回避してのけた。



「――――……」

「ッ」



 振り返るその瞬間に、背後に砂埃と残光が散るのが見えた。

 回避運動。いや、こちらに姿を捉えられないようにするための高速機動――――移動先は――いや。推測するその更に二手先を読め。


 相手は一切の躊躇無く、一見すると人間にしか見えない俺に向かって刃を突き立てたのだ。殺す気で、口を封じる気で、敵対的意思をもって。

 想定はしていた。この洞窟にあるものが見られたくないものならば、どうにも「後ろ暗いもの」ならば、近づいた者の口を封じることを第一に狙うかもしれないということは。


 しかし、想定してはいてもそうあってほしくはなかった。確かに、口を封じるならその方が早い。しかし、人間は理性と知性によって発展した生物だ。殺せなかった時に起こり得るデメリットを鑑みれば、この行動はあまりに短慮に過ぎる。


 いや――あるいは、確実に仕留めきれる自信があったのか。精霊術を用いれば、刃が刺さり切った後……気絶まで持ち込めば、焼却処分も難しくない。

 ならば、先程刃物が刺さり切らなかったことで思考に間隙(かんげき)が生まれたのだろう。回避し、俺の視界から消え失せたのは態勢を整えるためか。



「――――」



 あまりに唐突な出来事に過ぎて、何が起きたか理解していなかったのだろう。唖然とした様子でこちらを見ているネリーとアンブロシウスを、振り向いたそのまま視線で制する。


 ああ、唐突にも程がある。いくらなんでもここで仕掛けてくるなど非常識だ。それは相手がそれだけの自信を持っていたからという意味でもあり――ならば、今ここでこちらの戦力の全部を見せてやるべきではない。


 今この場において、ネリーとアンブロシウスの存在は文字通りの万能札(ワイルドカード)。あらゆる事象に対応できる、からこそ、その一挙手一投足には注意を払わなければならない。

 注意させず。警戒させず。二人により有効に動いてもらうには――今この場には俺とヤツしかいないと、そう認識させ続けることが肝要だ。



「――――どこだ?」



 砂埃と残光――魔力に特有の光が舞っていたことを見るに、身体強化の術式を用いたのは間違いない。


 どれだけ身体能力が引き上げられているかは定かでないが、俺と同等にまで引き上げられているとするとマズい。相手は恐らく術式の扱いに長けた精霊術師だ。俺は未だ、魔法の扱いも覚束(おぼつか)ない。どうしてもその点でこちらの方が後れを取るだろう。



「なら……」



 姿を捉えられないなら、別の方法で「視る」だけのこと。

 オスヴァルトの気配を感じ取った時と同じだ。魔力の流れを視ることで、周囲の状況を確かめる。

 精霊術を使って肉体を強化したとき、魔力が体に滞留する。この状態のまま移動すれば、周囲の空間の魔力が僅かに変動する。


 その流れの変化を見れば、恐らくはその先に術師がいる――――。



「!」



 ――――捉えた。


 岩壁の中ほど、ごく僅かな突起にしがみつくようにして、こちらの様子を窺う一人の男がいる。

 短めの茶髪に、どこか苦悩を感じさせる彫の深い顔立ち。服装に大きな特徴は無く、印象にも残りづらい。外見から察するに、歳の頃は三十歳前後と言ったところだろうか。青年とするには僅かに老いが見え始めているし、壮年とするにはいささか若すぎる。


 面倒な相手だ、と思う。


 もっと若く、経験が足りない若者ならば正面から突っ込んでいくだけでも圧倒できるだろう。逆に、もっと老いていれば体力勝負に持ち込める。しかし、あの男はその中間――体力的な衰えもそうは無く、技術に脂が乗り始めた頃合いだ。真っ向から行ってもいなされるだけだろうし、搦め手を使おうにも相手の方が間違いなく上手だ。



「おい」



 一言、男に向かって投げかける。


 俺がヤツの姿を捉えていることなど、既に承知の上だろう。だからこそ(・・・・・)言っておくべきことがある。



「そっちが殺す気で来たんだ――――俺もその気(・・・)で行かせてもらう」



 次の瞬間、轟音と共に俺の右足は、岩壁を蹴り砕いていた。



「な――――」

「ち……ッ!」



 目測が外れた。いや、違う。躱された。

 一瞬の踏み込みのその予備動作を見切って、この男は僅かに位置をズラしていた。



「せぇッ!」 

「くっ……!」



 蹴りぬいたその恰好から反転するように、身を翻して回し蹴りを放つが、これも当たらない。

 速度それ自体は尋常じゃないほどのもののはずだが、こうも当たらないのは予備動作の問題か、それとも俺自身の拙さの問題か。


 いずれにせよ、空を切った左足は再び岩壁を蹴り抜く結果となり――――岩壁に亀裂が走った。



「ぬ……!?」

「見たな」



 一瞬。背後から聞こえた音に、それが致命的と理解していても男は意識を向けざるを得なかった。

 この岩壁に何を隠しているかは知らないが、それを「知られたくない」からこそ、背後から忍び寄って俺を殺そうとすらしていたのだ。下手に破壊されれば――たとえ崩落するにしても――場合によってはその中身が露呈しかねない。となれば、どうしても意識は向いてしまうはずだった。

 事実、目論見の通りに男は一瞬そちらに気を逸らしてしまった。


 左手に術式を展開。更に、振り上げた右腕を――勢いよく、男の頭蓋に振り下ろす。



「おおおおッ!!」

「ガッ――――――!?」



 左手で壁を叩くようにして術式を張りつけながら、勢いのままに、頭を掴んでそのまま地面に叩きつける。


 俺が起動した術式は、言うなれば修復のための術式だ。

 俺としても岩壁を崩すことそれ自体は本意ではない。あくまでこの男の気を逸らすことができればそれでいいのだ。隠蔽の面から見ても、今ここで本当に崩してしまうのは避けたいところだった。


 岩壁に走る亀裂が、時間が撒き戻るように癒合し、消えていく。その一方で――――。



「ぎァッ!」

「ッ!」



 男から飛び出す反撃に、思わず頭を掴む手が離れた。

 逆手に持った短刀(ナイフ)を突き立てようとしてくる、言うなればそれだけの必死の抵抗。

 だが、それをこそ危ういと俺の脳が警鐘を鳴らす。染み付いた経験のようなものだ。いつかどこかで(・・・・・・・)あったかもしれない恐怖が、俺を衝き動かしている。


 しまった――と、後悔する暇は無かった。



「ツァッ!」



 順手にナイフを持ち替え、一閃――目を抉り取らんとして一撃を放ってくる。

 一切の躊躇も、容赦も無い一撃。その刃を――――。



「――――……」

「な……」



 ――――掴み取り、動きを止める。


 めき、と金属が押しつぶされる音がした。やはり、この程度の得物では血すら出ない。皮膚が多少傷ついたかもしれないが――その程度だ。


 そして、驚愕によって僅かに思考に隙間が生まれた、この瞬間ならば……!



「だぁッ!」

「ッ……!!」



 横薙ぎに拳を振るう。しかし――それさえも、この男は身を屈めて躱して見せる。


――――くそ……ッ!


 やはり、そうだ。この男は|戦い慣れている。

 こちらの挙動を見るだけで二手三手先を読むことのできる洞察力といい、攻撃の躊躇の無さといい……どう考えても素人の――まともな人間のそれではない。


 ただやりにくい相手だというだけじゃない。どうしようもなく経験の差がありすぎる……!



「――――貴様、人間ではないな(・・・・・・・)?」



 そして唐突に。

 男は、そんな一言を投げ掛けた。

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