山林調査
幸中の不幸というか、画竜点睛を欠くというか。
リースベットと、彼女が使役した蜂たちの情報収集能力と伝達速度は、あちらの世界でインターネットに幾度となく触れてきた俺でさえ舌を巻くほどだったのだが、唯一、正確性にだけは難があったと言わざるを得ない。
というのも、リースベットのもたらした情報というのは、あくまで例の術師がいるであろう場所の方角と、大雑把な外観――その程度のものしか無かったからだ。
……それでも十分に役立っていることには間違いないのだが。これまで、手がかりすら掴めなかった相手をようやく補足できたのだ。大金星と言ってもいい。
そもそも、レーネやネリーに頼んでにおいを辿ってもらえばよかったのでは――という思いもある。確かに二人に追ってもらった方が正確な情報を得られるのだが、一方で追いかけるべきにおいが全く分からないこともあって、情報を「追いかける」という段階にすら入れなかったというのが実際のところだ。
さて、その程度の大雑把な情報であっても、全く手がかりが無い時と比べれば雲泥の差と言える。大まかにでも潜伏場所が分かっていれば「虱潰しに探す」という極めて原始的な――しかし、ある程度有効な手法も取れるし、魔族の脚力でならより高い効率で捜索ができるだろう。なら、こちらのことを気取られて逃げられてしまわないうちに探し出して身柄を確保するべきだ。
と。考えてさっそく行動を始めた、そのはずだったのだが。
「ネリー! あんまり前に出すぎるんじゃない!」
「急がなきゃにげられるだろ!」
――――少し、人選を誤ったかもしれない。
鬱蒼と木々の生い茂る森の中、以前と比べればまだ環境に優しく――しかし、人間の出せる限界を遥かに超えた速度で、ネリーが俺の遥か前方を疾駆する。
この事件の発端であり、更に言うなら俺たちの見つけた第一の「被害者」であるネリーが奮起するというのは、まあ、分かる。身を裂くほどの激痛を味わったというのだから、その報復のためと思えばごく自然なことだとも言えよう。
……ただ。
「焦りすぎだ」
アンブロシウスが俺の背後でぼそりと呟く。その一言が、ネリーの精神状態をそのまま物語っていた。
ここに至るまでまるで足跡を残してこなかった術師だ。逃がしてしまえばまた同じように捕捉できるか分からないし、こちらの存在を認知していないであろう今ならより身柄を確保するにも易い。急ぐのも当然だし、焦ることにも理解はできる。
ただ、焦りすぎというのは基本、逆効果だ。俺が迷惑を被ること自体はそれほど気にすることじゃないが、アンブロシウスや……場合によってはネリー自身すらも危険に晒しかねない。
しかし、だからと言って落ち着けと言って落ち着いてくれるほど素直じゃないのは知っているし――――。
「……レーネを連れてきた方が良かったかな」
「致し方あるまい。こと感情に関しては、どうにかしようと思ってどうにかなるものでもない」
「それは――そうなんだけどさ」
正直なことを言えば、俺は元々、術師の捜索の時にはレーネを連れてくるつもりでいた。
というのも――理想はともかくとしても、現状の俺の力では、一般的な術師でもまともに相手にすれば取り逃がしてしまう可能性が非常に高い。そうなった場合、もう一度リースベットの力を借りても再度見つけられない可能性は大いにあり得る。なら、今度はより正確に居所を調べるために、隠れてにおいを覚えてもらうという保険をかけたかったからだ。
……で、結果。その話を聞きつけたネリーに強く押しきら――――希望されて、無理を押してでも連れてきたのだが……。
「ああ、もう……」
獣耳と尻尾を隠すためにありあわせの布を縫い合わせてネリーに外套を作ってやっていたのだが……走る速度のせいか、あるいはネリー自身の無頓着さのせいか、フードは外れているし尻尾も飛び出してしまっている。隠蔽どころか逆に目立っている始末だ。
ボロ布を適当に縫い付けたような出来だから、着心地が悪いのも確かだろうが……。
「ちゃんと隠せ」
「うわっぶ!」
速度を上げ、一足でネリーの横に並びつつ、改めてフードを被せる。
こういう時のことを考えて、多少大きさにも余裕を持って作ってあるが……元々、ネリー自身服を着ることが好きではないのだろう。
……なんだか「服を着るのが好きじゃない」って、変な意味に捉えることもできるな。いや、この場合はアレだ。犬が服を着るのを嫌がるとかそういうニュアンスなんだが。
「ちゃんと着ろよ。何のためのものだと思ってるんだ」
「いいだろ、ベツに。どーせオレは遠くから見てるだけなんだ。どうせなら、アンブロシウスにきせたらいいじゃないか」
「着られると思うか」
そのままネリーはアンブロシウスを一瞥した。
すぐさま表情が複雑そうなものに移り変わった。
「ゴメン」
「………………」
あの巨体に加えて、全身お覆うのは鋭角的な外殻だ。当然、ボロ布で作った外套なんて着せようものなら、見る間にズタズタに引き裂かれてしまうだろう。
それを鑑みると、ネリーが着るしか無いというのは自明だった。
「でも、どうせここでしとめるんだろ」
「そうなる可能性は高いな」
「なら……」
隠す必要は無い。戦えば勝つ――とでも言いたいのだろう。こちらに向けられる表情は、どこか不満げだ。
「――――でも、戦いになんてならない方がいいんだよ」
「何で?」
「死ぬかもしれないから、かな」
俺の言うことに疑問を抱いたのか、僅かにネリーは首を傾げた。
「オレたちの方が、きっと強いぞ」
……まあ、ネリーが指摘するとすればそこだろう。
間違いなく、今の魔族は人間よりも遥かに強い。既存のあらゆる生物の中でも、肉体の頑強さは有数……というか、ほとんど比肩する者は無いだろう。
ただ、それでも死にはする。
間違いなく。
「かもな。でも、人間はそれを一度絶滅させてる」
「……でも、ムカシのことだろ」
「今でもそれができるだけの力があるんだよ。精霊術ってのは、魔法とほとんど同じことができる。それこそ、俺たちを殺すのには充分だ」
こちらも相手を害することができるし、あちらもこちらを害することができる――――殺すことができる。過去に起きた戦争で魔族が絶滅に追いやられてしまったことを考えると、その事実が周知されているのは大前提と言ってもいい。
その時代から三世代は進んだ現在となっては、精霊術もより洗練されているはずだ。平和な時代にも、平和な時代だからこそ必要になる抑止力というものがある。
実戦経験が無いことそれ自体は大した問題ではない。むしろ、加減を知らないという意味ではより過激だ。迂闊に手を出すことが憚られるほどに。
今回、あまり戦いたくないと言っている理由もそこだ。まともにやりあえば、それが肉体的なものか否かに関わらず、被害が出ないわけがない。
「結局、戦えばどっちもただじゃすまなくなるんだ。直接戦うことになるヤツだけじゃなく、その周りも巻き込んで――殺される可能性だってある」
「そうなるのは、イヤなのか?」
「嫌に決まってるだろ。魔族も、村にいる人たちも、俺にとっては皆大切なんだ」
誰一人、欠けてほしくないと。俺はそう思っている。
それでもいつかはそういう日が来るのだろうとは思う。村には高齢の方が多いし、正直なところ、そうなる日も遠くないような気はする。けれど、その原因はあくまで自然なものであってほしい。まともじゃない死に方をもう一度見ることになるなんて、真っ平御免だ。
「だから戦いになることはできれば避けたい」
「だが、そうなる可能性は高いぞ」
「分かってる。だからそうなった時には容赦しない。他のタイミングは無い。必ず、今、ここで決着を付ける――」
頷くアンブロシウスの、その甲殻の下に覗く目からは強い意志が感じられた。
アンブロシウスもまた、喪った同胞のため――あるいは、自身のため。本人の意思に関わらず、同朋に手をかけることになってしまったリースベットのためを思っているのだろう。
……だろう。けど。
「と、いいなぁ……」
「……何故そこで弱気になる」
「こんなこと言っておいて失敗したらカッコ悪いし」
「…………」
「…………」
二人して失望するような眼で俺を見るな。
俺だってそうしたいという思いはあるけど、あまり無責任なことを言ってしまって後々面倒を引き起こすハメになるのは勘弁願いたい。
「本当に殺したりしたら、後で絶対に良くないことが起きるだろうし……」
「お前はそういう男だな、やはり」
「どういう意味だそれ」
「……フ」
「意味ありげに笑わずに言葉にしてくれないか」
そういうところがあるよな、この男は。
古き良き伊達男というか、大人の立場から見守るというか――いや。でも、百年も二百年も生きる虫なんて稀な存在だ。普通に考えれば、長くて十年か二十年。どう考えても俺より長く生きてるわけじゃないんだが。
……うん、まあ。実年齢と精神年齢は常に比例するわけじゃないというところだろう。どんなに歳を重ねても子供のような人はいるし、逆に、年若くとも老成したような性格をしているような者もいる。アンブロシウスの「騎士」という性質を鑑みれば、特におかしなことでもない。
「――――ん」
不意に、何かに気付いたようにネリーが前方に向き直った。
「おい、何かにおいがする」
「どんな?」
「食い物。なんか、すっぱいような……ヘンなかんじだ」
「どこにある?」
「まっすぐ。すぐ先」
アンブロシウスと視線を交わす。
当たり、の可能性は高い。酸っぱい臭い――となると、酸味の強い果実か、ないしは腐敗した食品。
前者であればこの付近で食事を行ったということだ。後者なら、この近くにいたという事実を裏付ける証拠にはなる。歯形を見ればある程度人間が食べたかどうかも判別できるはずだ。
となれば……。
「二人とも、待っててくれ。俺が指示するまで、絶対に来ないように」
「うむ」
「……わかった」
アンブロシウスが納得の上で頷いているのに対し、ネリーは言葉とは裏腹に、あからさまなほど不満げだ。
……頼むから、今はもうちょっと自重してくれ。
「いいか、絶対に来るんじゃないぞ。来るなら術師が大勢いた時と、半魔族が大量にいた時だけだ」
「……相手の数が多い時だけ、加勢しろということだな」
「そういうこと。どうしても劣勢になったら、その時はまあ――――」
相手の数も半魔族の存在も確認できていない今は、できるだけ戦力は温存しておきたい。
杞憂ということもあるかもしれないが、実際に杞憂ならそれに越したことも無いし――何より、最悪の場合、情報を持ち帰れなければ話にもならない。
「まあいいや。死んだらその時だ。情報を持ち帰ってくれ」
「……あまり物騒なことを言うのはやめろ」
「万が一だよ。もしもの備えはいくつあってもいい」
押し黙るアンブロシウスが思うことは、一体何なのか。推察はできないが、あまりこちらの言動を好ましいと思っていないことは確かだろう。
命を粗末にしているように聞こえたのかもしれない。というわけではないつもりなのだが――他にどう言葉を選べばいいかも分からなかったし、仕方がないとしておこう。
「……さて」
周囲の気配を確認しながら、二人を残して前へ進んでいく。
日中……から夜間にかけての仕事のこともあって、俺自身、山の中にはそれほど詳しくない。ただ、地形を考えると推測できるようなことはある。
例えば、これから向かう場所には山肌の大きく露出した岩壁がある。俺が知る限り、そういった場所には深さや狭さに関わらず、何らかの形でできた洞窟があることが多い。
以前、ミリアムからレミュールという洞窟に住む大蛇の話を聞いた。大陸沿岸部にしか生息していないという話だったが、しかし、普通の人間ならその存在を耳にすれば、まず洞窟を見れば警戒してしまうはずだ。近寄りもしなくなるかもしれない。
元々、人間は暗闇に自ら近づくことを好まない生き物だということもある。潜伏場所にはうってつけだろう。
「…………」
それほど長く時間はかからず、洞窟は見つかった。
洞窟――というか、一、二メートル前後のごく小さな亀裂だ。
とはいえ、見た目だけでは判断できない。精霊術を用いれば、俺がそうしたように、外観をを偽装しておくことは容易だからだ。
と。そうしていうるちにふと、視界の端に石とも虫とも違う固形の物体が映った。
「種?」
植物の種子だ。
近づいてみると、なんとなしに柑橘系の匂いを感じるような気がする。ネリーの言っていたにおいというのは、これだろうか。
「――――いや」
なるほど、「変な臭い」というのは――この洞窟の中から漂ってくる、異様な獣臭か。
犬や猫の発する、あの特有のにおいを更に煮詰めたような異常な臭気。そこに、糞尿や……血の臭いまでもが混じって僅かに漂ってくる。
正直、吐き気がしそうだ。
普通、洞窟の中からそんな臭いが漂ってくることなどありえない。そうなると、恐らくあの中で何らかの実験をしていたということなのだろうが――――。
「さて」
そうなると――押し入るか、一度様子を確かめるか。
押し入れば敵対的な感情を植え付けることになるだろうが、少なくとも状況証拠だけじゃない、もっと確実に「何かしでかしている」という物証は手に入る。
偶然を装って接触するという手もある。ただ、こちらの場合はしらばっくれられる可能性が高いし、こちらの存在を晒すことにもなってしまう。ただ、ハナから敵対的感情をもって接触するよりはマシというか、少なくともいきなり攻撃されるようなことは無い。はず。
外壁を切り崩してというのは流石に論外だ。と、すると……。
「ん――――ん?」
思考を巡らすその刹那、硬質で鋭利な「何か」が背中に強く押し当てられたような感触があった。
これは。この感じは……いや、よく分からな――――いや今こんなところで自己欺瞞してどうする。理解しているはずだ。
押し当てられたそれが刃物だと。
俺を殺そうとして押し付け、押し込んでいるのだと。




