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嘘が嫌いな嘘つき男

「――――『精霊術師』の、リョーマといいます」



 隣のミリアムが目を剥いた。


 じゃあお前、他に何か妙案があるなら言ってみろ。


 ――――精霊術師。


 その存在については、この数日間のうちにミリアムから聞いていた。

 精霊術師と、精霊。そして、魔法。


 魔法とは、読んで字のごとく……元の世界で認識するそれに近い。体内に持つ魔力を用いて、現象を引き起こす技術のことだ。

 これは、保持する魔力の少ない人間にはできないことだという。膨大な魔力を持ち、その魔力によって身体能力が著しく向上している魔族にのみ可能な芸当だ、とも。


 そして、精霊とは人間に手を貸す存在であり、魔族の不倶戴天の敵であるということをミリアムは話していた。

 通常、人間は体内に魔力を殆ど持たない。だから大気中の魔力を用いて、彼らの力を引き出すことで魔法と同じ現象を起こすのだ、と。


 公的に、魔族というのは既に存在しない、しかし同時に人間の敵ではあるという複雑な存在だ。しかしその名を出すことは、今後の活動に差し障るので控えなければならない。だが、この身体能力や魔法の存在を隠して生活するのはいささか不便だ。そうなると、隠れ蓑にするに精霊術師という存在はうってつけと言える。


 勿論、嘘をつくことになってしまうのは心苦しい。心苦しいが、馬鹿正直に真実を話したところで信じてもらえるはずは無いし、最悪、軍隊などが出張って来る可能性がある。話をスムーズに進めるためには、多少の嘘も仕方がない。


 ともかく、少女は……こちらの名前に対してか、それとも素性に関してか。僅かに眉をひそめつつ、追及まではしてこなかった。



「そちらは?」

「あ、りょ、猟師のアンネリーゼ・レッツェル。……です。呼び辛かったら『アンナ』で……」

「……術師のミリアムです」



 意地でも精霊という単語を口にしないつもりか。それでミリアムの気が済むなら構わないが。


 ともあれ。


 猟師という職が一個の職業として成立しているにも関わらず、使用している得物が弓……という原始的なそれであるあたり、文化レベルは中世~近世よりも多少前。銃器が一般に普及していない程度の文化程度だと考えられるだろうか。

 しかし、かと言って元の世界よりも劣った文化程度だと考えるのは早計だろう。機械文明ではなくもっと別の、それこそ精霊術による魔法文明が発展している可能性は高い。一見して不便にしか見えないアナログな物品の数々も、魔法の力によって何らかの強化・改造が施されているかもしれない。



「それで、アンナさん。ここには……その、獲物の解体にでも?」

「あ、うん……ん、はい」

「……やり辛かったら、普通に話しても構いませんよ」

「いやぁ……相手が丁寧に話してくれてるのに、こっちは普通に話すのって、なんかヤダなっていうか……あ、です」



 成程、律儀というか丁寧というか……活発なようだが、真面目な性格ではあるようだ。正直に言えば、もっと……山を駆け回っている腕白な子供のような性格を想像していたものだが。



「じゃあ、こっち普通に話させてもらうよ、アンナさん。俺も、正直……堅い口調って疲れるからさ」

「あ、うん……ありがとう。あと、『さん』はいらないよ。あたしも、普通に話させてもらうしね」



 どうやら、僅かばかりにでも緊張は解けたようだ。ほっとした様子でアンナは胸を撫で下ろした。



「……どうするんです、リョーマ様」

「……どうって」



 ふと、アンナに聞こえないようミリアムが耳打ちしてくる。

 恐らくは、アンナに関して「どう」対応するのか――という話なのだろうが。



「普通に会話するだけだよ」

「人間とですか」



 不意に、背が冷えるのを感じた。


 背後から投げかけられる視線はミリアムのものだろう。じっとりとした、しかし氷のようなそれは、今の俺を凍てつかせるのには幾分も力不足は無い。

 気持ちは分かる。自分の仲間が皆殺しにされたのだ。恨まない方が――怒りを覚えない方がどうかしている。

 ここでアンナを殺害することも簡単だろう。しかし、それでは魔族の復興など夢のまた夢だ。人間と同じように、魔族も腹は減る。これから先数を増やしていこうと言うのなら、食料はどうあっても必要になってくるはずだ。地下に潜伏しているだけではままならない。


 だから、外に出る必要が出てくる。外に出たなら、どうやっても他者と関わらなければならない。

 通常と隔絶した身体能力と膨大な魔力を保有している魔族でも、知識が無ければ食物かそうでないかの判別はつかないし、たとえ分かっていても「増やす」方法が無ければ生活は立ち行かない。

 略奪を続けて行っても、いずれは奪う資源が枯渇して共倒れだ。ならば、人間との交流は、何があっても必要なことだ、と俺は思う。平和ボケしたもと日本人の俺にはそれ以外に思い浮かばないという理由もあるが。


 少なくとも、森の中で行き倒れかけていた俺たちが二人だけで魔族を復興させるのは無理だ。

 一方、ミリアムの冷めきった視線には気づいていないのだろう。アンナは何の気ない様子で背後の頭陀袋を開いて見せた。



「それは?」

「猪と兎。血は抜いてきたんだけど、ここで内臓を処理しようかなって」

「………………」

「よっし」



 乾き、固まり切った血溜まりの中央に獲物を置き、腰に備え付けてあったナイフを取り出した。

 あ、ダメだ――――と思った時には、もう遅い。


 猪の腹を掻っ捌き、アンナはその内臓を引きずり出した。



「ごめんちょっと」

「外へ」

「?」



 きょとんとしているアンナを他所に、揃って室外に出て行った俺とミリアムは――――それはそれは盛大に、吐いた。



「何アレ」

「じりまぜん」



 酸っぱい。

 胃液しか出ねえ。



「……そうか。猟師だもんな。忘れてた」

「猟師ってやつは皆あんなことができるもんなんですか」

「たぶん……」



 日本での知識ではあるが、屠畜業に関わっている人間ならできて当たり前だ……とは思う。猟師の話を聞く限りでは、同じく。解体も業務の一つなのだから、できて当たり前なのだろう。



「というかあんな光景、ミリアムの方が慣れてるもんじゃないのかよ」

「いやあそこまでは無理ですよ無理です。たとえ戦場でも内臓引きずり出す必要なんてありませんから」



 そりゃそうだ。威嚇のためでもなければそんなことをする必要なんてどこにも無い。

 切腹して掻き出した腸を大名に投げつけたとか、そういう逸話を聞いたことはあるにはあるが……。



「リョーマ様。先程の話になりますが」

「……ん?」



 先程の話、と言うと、アンナについて「どう」するかという話か。



「どうもこうも、俺は良い機会だと思ってる。あの子を通じてこの周辺の村落と接触を持ちたい」

「…………」



 憮然とした表情で俺を見据えるミリアム。やはり、先程の話についても決着を付ける必要があるか。



「ミリアム。どうしてもって言うなら、『利用する』くらいに思った方がいい」

「利用、ですか」



 恐らく、ミリアムは人間と協力関係を結ぶと、今の段階では口が裂けても言えまい。それを否定はすまい。


 だから、考え方を変えてもらう。「協力」ではなく、「利用」と。



「利用だよ。俺たちには、無いものが多すぎる」



 知識も無い。住居も無い。食料も無ければ金も無い。俺は魔法を使えない。

 ならば寄る辺が要る。生きることも当然として、ひいては、魔族の再生のため。



「補うために利用するんだ」

「……そうですね。今は、そのように」



 この先、ミリアムの持つ悪感情が人間に対して悪い影響を及ぼす可能性はある。

 ……とはいえ、だとして、俺がその感情を僅かでも除くことができるものだろうか。

 根はあまりに深い。掘り起こすにも……流石に、ミリアム自身のことを抵抗なく話してくれるようになるまでは、どうにもこうにも手は出せないか。


 腕で口元の吐瀉物を拭う。



「よし」

「はい」



 そうしているうちに、廃屋から聞こえてくる水音が聞こえなくなった。

 腹の内容物が本当の意味で無くなったが、そろそろ戻ろう。



「ごめん、アンナ。俺たち、ああいうのにちょっと慣れてなくって……」

「あ、そうだったんだ。ごめんね、いきなりこんなの見せて」



 と、おどけて見せるアンナの右腕は、猪の腹に手を突っ込んだせいか血だらけで、掻き回して飛び散ったせいだろうか。頬にもべったりと血液が付着していた。


 こわい。



「え、ええ、まったくですよ……」



 ミリアムの顔も、心なしか引き攣っている。口調は先程と変わらず強めだが覇気が無い。流石に、この光景には圧倒されてしまうのか。



「ところで、リョーマたちは何でこんなところに? 精霊術師なんでしょ」

「ん? うん、まあ……なんだけど」



 さて。どう言い訳をしたものか。


 正式に精霊術の学校というものが存在し、あるいは精霊術師を志す者は皆そこを卒業している――というような背景があるなら……いや。そういう背景が無いにしても、迂闊なことは言えない理由がある。


 俺たちは、そもそもの精霊術師という存在の価値を知らない。

 魔法と異なり、肉体の保有魔力が少なくとも扱うことのできる精霊術……とは言うが、どれだけの人間がそれを習い、体得しているのかがいまいちわからない。かつて魔族を滅ぼした戦争の折に使われていたという話が事実なら、戦時でもある程度は習得できる程度には簡単なはずだ。アンナの反応を鑑みるに野に下っている者も少なくはあるまい。



「山育ちなんだ」



 盛大に嘘をついた。


 ミリアムの表情が呆れとも不安ともつかないような微妙な表情になっている。俺も不安だ。自分の推測に確信が持てないのにこんなことを言ってしまっていいのか、と。しかし他に何を言えと言うのだろう。教育機関があるとしてもその教育機関に関する知識なんて一つも無いし、となると、捏造するなら「独学である程度の術を学んだ精霊術師」という身分くらいしか思い浮かばなかった。



「父と母が死んで、それ以来独学で書物を読みながら……それにも限界を感じて、降りてきたんだけど。世間のことも何にも知らないし。さあどうしよう……って思ったところで、アンナと会ったってこと」

「あ、そうなんだ……それは……なんていうか……んん」



 胸中で僅かに握りこぶしを作る。

 やはり、こちらの人間もあちらの人間と倫理観は変わりない。


 経験則から知っていた。肉親が死んで……などと聞かされても、反応を返しづらい。それ以上追及することは(はばか)られることだろう。多少こちらの言動に粗があったとしても、その疑問を解消しようとするには至らないはず。

 ……他方、ミリアムはドン引きしたような様子でこちらを見つめていた。俺の意図に気付いたらしい。


 やめろ。そんな目で俺を見るな。



「……リョーマのことは何となく分かったけど、ミリアム……さんは?」

「私はリョーマ様の従者です」

「……あ、そう」



 冷たく言い放つミリアムの言葉に、今度はアンナが引き攣った笑みを見せた。


 当然だ。俺だって引く。理由の如何はともかくとしても、妙に露出度の高い、自分と同じくらいの年頃の女を従者として侍らせているなどと。成金の貴族的露悪趣味と取られても何一つ言い訳はできない。俺だってこの光景を見ればそう思う。

 しかし、どうも何かアンナの抱いている感情は少し違うものが混じっているようだ。物珍しさ……もあるが、何か、理解の及ばないものを見ているかのような。



「……もしかして、リョーマって元お金持ち?」

「かもね」



 笑みを作って見せる。勿論嘘だが。


 いや、一応は世界を繋ぎ止めるための「王」という役割にあるのだから、お金持ち――というか、権威はあってもいいのではないだろうか。

 ここに来る前にいた城。あれだけの大きな城に住まう王、となるとやはり、相応に金もあったはず。なら金持ちだ。


 ……そういうことにした。多分、アンナが妙に訝しげにしていたのもそのあたりが原因だろう。



「へ、へぇー……」



 関心したように、あるいは引き気味に頷くアンナを他所に、考えを巡らせる。


 とりあえず、この話の中でアンナにはいくつかの印象を与えることには成功した。一つに精霊術師。一つに、両親を亡くした元金持ちの世間知らずで山育ち。勿論、安心はできないが、この情報から魔族に関して行き付くことはまずない、はずだ。


 と。

 そうした折に、腹の音が鳴った。



「…………」

「…………」

「…………」



 二人が揃って俺を見つめる。こほんと咳払いして、一言。



「……アンナ。食事を……恵んでくれないかな」

「……そんなに、お腹すいた?」

「三日ほど、ロクなものを食べてない」



 アンナの表情が、憐憫の一色に染まった。



「食べなよ……」



 差し出してきたのは、ポケットに入っていたと思しき燻製肉だ。

 猪や兎の肉は……流石に無理だろう。捌いたばかりの肉は食べるのに適さない。猟師でかつ、これまでに様々な獲物を捌いてきた経験があるであろうアンナにとっては既知の事柄だろう。だからこそ、こうして既に調理済みのものを差し出してくれる。


 涙が出てきそうだった。

 たとえそれが哀れみに由来する行動だったとしても。



「住むところは……?」

「ありません……」

「……住みなよ」



 掃除のためであろう布切れを差し出しながら、アンナは目頭を押さえた。


 俺も涙が出た。

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