アドルトナント
――――それから。
ミリアムとレーネには魔族化したアドルトナントを山小屋に運び込むよう頼み、俺自身は一度山を下りてクラインへと向かうことになった。
主な理由としては――ハンスさんに報告を行うことと、畑に作り出した丸天井を解体することだろう。勿論、他の畑の被害状況を確認する意図もあったが、そちらに関してはあくまでおまけのようなものだった。
……というか、まっすぐレッツェル家に向かうと他の家の畑を見ることが無いというのが実情なんだけども。
結局のところ、アドルトナントが半魔族になって暴走したせいだとか……そういった事情に関して明かすわけにはいかない。確かにそれが事実ではあるのだが、無力な人々を守るべき立場にある精霊術師が新たに魔族を作り出す研究をしているかもしれない――なんて話をするわけにもいかないだろう。だいいちに、そもそも信じてもらえる保証が無いし。
ハンスさんには、「深夜、虫の群れがやって来た」ということと……なんとか対処できたという二点の事実だけを伝えることで話を終えた。原因を取り除いたということを伝えていないのは、そもそも件の術師を放置していては、第二、第三のアドルトナントが現れてもおかしくないからだ。
アンナはそもそも起き出してこなかったので、挨拶もお礼もできていない。それに関しては残念だが、今は仕方がないと思って諦めることにした。
さて。
そもそもアドルトナントに対して、俺たちはこれを魔族化して対処したわけだが……そうなると、新たに問題が発生する。
つまりは――――あの山小屋に、新たな住人が住み着く、ということだ。
「…………」
あくる日の朝。俺とミリアムとオスヴァルトの三人は、ある二人の人物と相対していた。
なお、レーネとネリーの二人は、昨日の夜更かしのせいでまだ眠っている。
一人は、全身を隙間無く甲冑で覆った偉丈夫だ。数メートルほど離れて向き合っているにも関わらず、なお見上げなければならないほどに背が高い。全体的な体格の良さや腰に佩いた――どこから持って来たのかよく分からないが――長大な剣も併せ、「戦士」という印象を受ける男だった。
もう一人は、その男の半分ほどの背丈の女の子だった。元の生活で栄養不足だったレーネでも百三十センチほどの身長があるが……それよりなお小さい。だいたい、百二十センチ強と言ったところか。髪と瞳は、エメラルドを思わせる綺麗な翠に染まっている。全体的に華奢な体格で、触れれば折れてしまいそうな儚さを感じるほど――ではあるのだが、女の子が浮かべている表情からは、由来の知れない謎の自信が窺える。
一方、異質なのは――――その手足。
それぞれ、肘と膝から先が変色――いや、変質している。
黒曜石のように重厚な色味を帯びた、外骨格。指先に見える爪を始め、一見するだけではそういう――鋭角を主体とした意匠の籠手や具足のようにも見える。しかしながら、実際のところそれは彼女の体から生えているものだ。文字通り、肉体の一部と言っていいだろう。
よく見れば、女の子の隣に立つ男の鎧もまた、それと同じ材質のもの――つまりは、彼自身の持つ外骨格であることが見て取れた。
「王よ、彼らが……」
「……ああ」
彼らが――――「虫の王」アドルトナントの魔族化個体だ。
……男の方は比較的「虫」の面影を残しているものの、幸いなことに、日本で言う特撮ヒーロー系というか……あまり直接的に「生物」を前面に出していない外見になっている。大きさはかなりのものだが、これでもし有機的な外見をしていたら、気の弱いレーネは泣き出していたかもしれない。
閑話休題。
さて。それにしてもいったいどうしたものだろうか。かれこれ数分、向き合ったはいいものの、一向に話を切り出してこない。
やっぱり、俺から何か言い出した方が良かっただろうか。しかし、大丈夫か――なんて、見ればわかることを今更聞くのはいかがなものかと思うし……やあ、調子はどう? ……なんて、流石に胡散臭い。君たちを助けた者だが――――いや、恩着せがましいにもほどがある。
先程から、アドルトナントの二人は互いに目くばせしながら何らかの意思疎通を図っているようだ。
やっぱり、ここは一応の責任者として話を切り出すのが一番良いのだろう。
……何でこう、平時の方が勇気や思い切りが必要になることが多いのだろうか。
軽く深呼吸し、意を決する。
「――――話せるかな?」
結局――というか。ほぼほぼ、ネリーの時とそう変わらない一言。芸が無いと言えばその通りだが、相手が元々は人間でなかったことを考えると、このくらいしか切り出せる一言は思い浮かばなかった。
問いかけると同時、僅かな驚きの色が女王に浮かび――次の瞬間には、笑みに転じていた。
「うむ。その一言を待ちわびていた。まさか、言語によるコミュニケーションというものを喪失してしまったのかと疑ってしまったではないか」
「……それは、失礼しました」
尊大に――そして、流暢に。投げ返される言葉からは、確かな知能を感じられた。
ネリーともまた異なり、その口ぶりからは既に与えられた知識を反芻し、消化しつくしたというようなフシがある。もしかすると、ネリーが人間の知識や道徳・倫理に対して理解が欠如していたのは眠っている時にたたき起こしてしまったからかもしれない。、睡眠というのはその日あった出来事や記憶を整理する作用があるというし……だとすると申し訳ないことをしてしまった。今更何ができるということも無いわけだが。
「良い良い。許す! 余は寛大故な、その程度のこと気にはせぬ!」
何だこのすごくわかりやすく王様らしい口調は。
というか一人称「余」って――アレか。俺が術式によって受け渡された知識の中から、適切……というか、文字通り「王」に相応しいと思える口調を選んで使ってるのか、これ!
似合って……ないわけじゃないけど、それはそれとして何だか妙に責任を感じる……!
「リョーマ様、何故そんな渋い顔を……」
「訊くな」
不可抗力……不可抗力? よくは分からないが、とにかくわざとやっているわけじゃない。ないんだ。
なのに胃が痛くなってくるのは、単に俺が些細なことを気にしすぎているだけだろうか。
「さて、自己紹介と参ろうぞ。余こそは『虫の王』アドルトナントが姫である! 名は未だ無いゆえな、名乗ることはできん。そこは許すがよい」
と、女王――いや、彼女自身の言葉をそのまま用いるなら「姫」とするべきか――は、胸に軽く手を置いたままそう宣った。
……というか、やっぱり元が野生動物だけあって、名前は持っていないのか。
「それと、おい!」
「…………」
続いて、男の方がずいと身を乗り出してきた。
本人からすればほんの一歩――しかし、そのほんの一歩で恐ろしいほどの圧迫感を覚えてしまう。
それは彼自身も理解していることだろう。しかし、その本来の役割が女王の近衛であることを考えれば致し方の無いことだ。女王を守り、敵を排除する。それこそが彼の役割だ。ならば、どのような相手に対してであれ威圧することそのものに意味がある。
……本人がそれを望んでいるか否かは別にして。
「……姫と俺の命を助けてくれたこと、礼を言う。同じくアドルトナント――姫の『騎士』だ。名はまだ無い。以後、よろしく頼む」
「あ、ああ。よろしく」
「見ての通り堅苦しい男でな。面白味には欠けるが実力は頼りにはなるゆえ容赦せよ!」
丁寧に頭を下げた「騎士」の男――その差し出された手を握り返す。
流石に、全身を外骨格で覆っているおかげで握られる手も堅い。しかし、それを承知している彼の手に込められた力は、ごくごく優しいものだ。
姫の言う通り堅苦しくはあるが、同時に「騎士」を自称するだけのことはあるのだろう。
ところでその堅苦しいって物理的な意味でもか。もしかして。
「まあ、その頼りになる騎士を食い殺しかけたのも余だがな。ハハハ!」
「笑えねえよ」
この子はこの子で豪快だな!
「ええと、ともかく……あー、と。俺、いや自分は――」
「良い、楽にせよ。恩人に従属を強いる気は無い。堅苦しい言葉遣いはせぬよう頼むぞ!」
姫はそんな風に申し出て、パッと明るい笑顔を見せた。
「……いいのか?」
「構わぬ。そこな側女に既に聞いておるが――」
「そばッ……!?」
ミリアムが目を見開く。
……そばめ? ってどういう意味だ……?
「貴公は魔族の王であろう? 余は万虫の王であるが、また魔族の一人でもある。であるなら、貴公の旗下に入るのが道理よな」
「それは嬉しい……けど、俺は別に、強制までするつもりは……」
「……姫の方から『自分も仲間に入れてくれ』と言うのが恥ずかしいということだ。意図を汲んでやってくれないか」
と、横から騎士が注釈を入れる。
……なるほど。「既に自分は配下である」ということにして、面倒な手続きその他を省くと同時に自分の自尊心も傷つけない、と。少なからず理解はできるが――うん。それ、言っていいのか?
「理解しておるなら黙っておらぬかたわけ!」
「失礼した」
……実はこの騎士、空気を読むスキルが低かったりするのだろうか。
いや、見たところこれは逆だな。俺が姫の言葉の真意を理解できていないことを察した上で、あえて言っているようだ。
「すまない、気を遣ってもらって……」
「気にするな」
こちらの礼に対し、騎士は軽く手を挙げて応えた。
なんというか……涼やかでいて、冷静な男だ。外見は少しばかり威圧的だが、それ以上に紳士的だ。
「あの、側女とは」
「む? 違うのか? 違うようだな。なるほど、勘違いだ。許すがよい!」
「……ミリアム、そばめって」
「どうかお気になさらず!」
……どうも、ミリアムは先程の姫の言葉を気にしていたらしい。
俺もちょっと言葉の意味に付いて問いただしたいところだったが、流石にこの様子じゃあ聞いてくれないだろう。
何でこの言葉を使ったのか理解できない――という雰囲気と併せて、僅かに赤面しているあたりそういう意味もあるみたいではあるが。
「王よ。側女とは即ち妾――側室のことを意味する言葉ですぞ」
「あー……そりゃあ、否定するな」
生憎と、そういう雰囲気になったことは欠片も無い。
アンナにも疑われはしたが――本当に、びっくりするくらい何もない。単に俺がミリアムに性的興奮を催さないだけとも言う。
いや、しかし……自分のことながら、何でだ? 俺がこんなことを言うのもなんだが、ミリアムはかなりの美人だ。いくら心理的に距離が近しいと言っても、だからって興奮しないってことはありえないし……。
「……何か?」
ミリアムの方を見てみる。
全く反応しない。
――もしや、この歳で枯れた?
いやいや、そんな馬鹿な。曲がりなりにも十八歳だぞ。そりゃあまあ、俺にだって多少人と比べておかしなところはある――本当に多少かどうかはともかく――けども、だからって普通の人とそうそう感性が変わるわけでもないし、最近でも少しくらい……少し……くらい……。
「何も無い」
「はあ…………?」
つい呟いてしまった独り言を、問いかけに対する返答と解釈したのだろう。ミリアムは少しだけ首を傾げたのちに、姫たちの方へ向き直った。
何もない――というか、正しくは「何かあってはいけない」か。ミリアムを除けばレーネとネリーという、はっきりそういう対象に見てはいけないこの環境……ムッツリだのなんだのと散々に言われてはいるが、もしや俺、そっちの欲が減退してる?
……魔力というものは、精神・思考を基として様々な作用を起こすものだ。そうならないよう自分自身に言い聞かせ続けていたことで、体内の魔力が俺自身の欲――脳神経にも作用しているとすれば……?
ダメだ。これ以上考えると怖い。
というか俺はこの状況下で何を考えているんだ。いや、急に姫がミリアムのことを側女とか言い出したからだ。もっと言えば、オスヴァルトがその意味について補足したせいでもある。大元の元を辿れば、俺がそこからアホなことを連想し始めたせいだが。
「ともかく……俺たちのことは、ミリアムから聞いてるってことでいいんだよな?」
「うむ、その女がミリアム。そっちの男がオスヴァルト、それと、貴公が冥王」
「名前で呼んでくれないかな?」
「うむ、断る。なにせ呼び辛い!」
何度も何度も聞いてはいるが、やっぱり日本語の名前は言語化し辛いらしい。
名前自体はともかく……名字と併せて、こちらの命名法則に合わせたものを考えた方がいいだろうか、やっぱり。別に名字に未練があるわけでもないし……。
「ところで冥王。一つ聞きたいことがあるのだが」
「何だ?」
「うむ。余の住居はどこだ?」
「………………」
背後に立つ二人の方に視線を向ける。
オスヴァルトもミリアムも、だいたい同じことを考えていたらしい。揃って頷きながら、再び姫の方へと向き直り。
「「「今から作る」」」
――――そういうことになった。




