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蟲の王

「レーネ。臭いは辿れるな?」

「え? あ、は、はいっ!」

「ミリアム、この状況を正しく理解しているのはお前だけだ。説明を頼む」

「しょ、承知しました!」



 呆けた様子の二人に檄を飛ばすように、言葉を放つ。


 あの蜂も、何らかの元凶のせいで(いびつ)な行動を取らされている……ある種の被害者だ。エゴだと理解はしているが、できることなら殺すことなく終わらせたい。


 確かに、駆除すれば話は早い。しかし、そうした場合――例えば、この件の元凶となる者を「こちら」に引き込むことになる場合、説得に難儀する可能性があるだろう。養蜂場の蜂を利用しているのだとすれば、後々になって問題になることもありうる。


 ごくごく微小な可能性でしかないが、いずれにしても看過できることじゃない。ここまで、オスヴァルトに関してもネリーに関しても割合上手くいっているが、次も必ず上手くいくとは限らない。なら、成功の確率を上げるためには何でもするべきだ。



「あ、あっちの方ですっ!」



 と、レーネが山の方を指差す。


 流石に特定が早い。フリゲイユの時もそうだったが、ただ感覚が鋭いというだけではないような……何か、他の要因があるような気さえしてくる。


 ……その内聞いてみるか。と、それに関してはともかくとして。

 他の家の畑に関しては、今はどうしようもない。道中で見つけることができたらその都度壁でも作って行けばいいか――いや、後々の処理が面倒だ。土の「壁」を作っている場面を見られるのもマズい。こういう時に余計なことをしたら、後々必ず誤解を受けて禍根を残してしまう。

 今は一刻も早くこの問題を解決しなければならない。結果的にはそれが、被害を減らすことに繋がるはずだ。



「こういう時の判断力と躊躇の無さは恐ろしいですね……」

「考え無しなだけだ。それよりミリアム、説明!」

「あ。し、失礼しました!」



 レーネが山の方に向かって走り出すのに合わせて、ミリアムと共に追走する。


 全力――とはいかない。あくまで全力を出して走ることができるのは、森に入ってからだ。それまでは、村の人間に見られる可能性がある。



「リョーマ様は、『虫の王』と呼ばれるものがいることを知っていますか?」

「いや。どういう生物だ?」

「正式には『アドルトナント』と呼ばれる昆虫です。一匹の女王に対し、複数の『近衛兵』が存在し――この数匹程度の群れで行動する昆虫です」

「……数匹?」

「ええ。それしか必要ない(・・・・)のです」



 意味が分からない。


 普通、蟻や蜂のように、一匹の女王を頂点とするような虫類というのは、無数の兵隊を生み出すことで一つの群れが成り立つはずだ。

 子育て、食料調達、巣作り……そのいずれも欠かすことはできないだろうし、それを行うにはやはり、数が必要になるものだが……。



「女王はほんの数センチ程度……」

「数センチ…………センチ?」

「あ、はい。前大戦時に代行者からメートル法が伝わって……今は関係無いので省きますが」



 ……やっぱ何かにつけて説明するの好きだろ、ミリアム。



「……ともかく、その程度の大きさです。それに対して、『近衛』はそれより多少大きい程度……とはいえ、十数センチほどもある巨体を誇ります」

「確かに、相当大き……いや待ってくれ。そのサイズ差でどうやって…………は、繁殖を」

「その程度の言葉に恥ずかしがってどうするんです……」

「いや、は、繁殖……とか、お前……」

「頭の中桃色ですかあなたは」



 それ、こっちでも似たような表現になるのか。

 というかこのセリフ午前中に言ってたな俺。


 ……いや、恥ずかしくないか?

 臆面も無く言い切れることじゃないんじゃないか。こういうの。



「簡単な話です。生殖管が小さいというだけですよ」

「小さいのか」

「ええ」



 そうか。

 ……そうか。



「……その話はともかくとしてですね。アドルトナントが虫の王などと呼ばれるのは、フェロモンを操ることで他の虫を思い通りに操ることができるからです」

「フェロモンを……って……いや、やろうと思えばできるのか……?」



 言うなればフェロモンとは化学物質だ。その難易度はともかくとしても、体内で化学物質を調合して放出することができるなら、それも非現実的なことじゃない、か……?


 ……いや、単にアーサイズ原産のトンデモ生物だって可能性の方が遥かに高いだろうけど。



「実際できていますから。ともかく、このフェロモンはそう強いものではありません。せいぜい、通りかかった蜂や蟻を数匹ほど操って、自分のための餌を取ってきてもらう――あるいは、そのまま捕食する。それだけ(・・)なのです。」

「……てーと……何だ。自分から移動する護衛付きの食虫植物みたいなものか」

「そんなものです。妙な表現ですが」



 一気にショボく感じてきたな。

 普通に狩りを行う一方、獲物を誘引して捕食することもできる――という二重の策、なのだろう。近衛兵の存在は、何らかの要因によって狩りを苦手とする女王を護衛するためのものだろう。あるいは、フェロモンを発する分泌腺が体積の殆どを占めているからこそ、このような生態を取っているのかもしれない。


 いやまあ、学術的には稀有だったり、興味深い存在だったりするんだろうけど、こう……そういう生物だと理解すると同時、どうにもスケールを狭めて見てしまう。多分、その全容を窺い知ることのできないような存在に対して感じられる、得も言われぬ恐怖感が失われてしまうためだろう。



「他の虫を、その習性も生態も無視して操る――など、普通は不可能です。ですが、このアドルトナントが半魔族になっているとするなら、話は変わります」

「……なるほど。ネリーの時と同じか」



 つまりは、暴走。中途半端な魔族化の術式を用いることによる、拒絶反応。

 ネリーの時と同じ――ならば、対処法は分かりやすい。



「くじょ、した方がいいんじゃないですか?」



 先行するレーネがそんなことを問いかけてくる。

 確かに、駆除した方が楽には違いない――今、この場においては、だが。



「いえ、アドルトナントは魔族化するべきです。なぜなら――――」

「ああ、養蜂ができるようになるからな……!」

「精霊術師を見つける目に――――えっ」

「えっ」

「えっ」



 えっ。



「食糧問題を解決する糸口とかじゃないのか? 完全に魔族になれば、本当に虫を操ることもできるだろうし……養蜂を始めて、蜂蜜を……と思ったんだけど、俺」

「私はその虫を使って、森の中のどこかに隠れているだろう精霊術師を探し当てるべきかと思っていたのですが……」

「え、えとっ、えっと……ど、どっちもできるん、ですよねっ?」

「……た、多分」

「で、できます……ね、ええ。はい……」



 どっちも重要なことには変わりない。

 変わりないんだが――――うん。駄目だ。精霊術師のことが抜け落ちていたことが、思わず顔を覆ってしまうほど恥ずかしい。

 隣で走るミリアムも、俺とは逆に食料問題が頭から抜けていたことを恥じているのか、同様に自身の顔を手で覆っていた。


 ……何してるんだろう、俺たち。



「そ、そろそろ近いですっ!」



 そんな俺たちを現実に引き戻すように、続けてレーネが言葉を発した。

 そうだ。今はこんなことで頭を抱えている場合じゃない。



「ミリアム、例の昆虫がいるとしたらどこだ?」

「普通なら草の間……時には洞窟や岩陰にも隠れていますが……」

「……つまり、特定できないんだな?」

「そうとも言います」



 どうもこうもねえな!!

 実質、しらみつぶしに探していかなきゃいけないってことか……。


 状況を考えれば仕方がないとはいえ、辛いことには変わりない。こうなると、レーネが頼りになってくるわけだが……。



「……すまない。分かるか、レーネ」

「はいっ、みえます!」

「そうか、見え……見える?」

「見えるって何ですか!?」



 ちょっと待て。何でミリアムも把握してないんだ。どういうことだこの状況。



「え、えっと、においがみえるんです。ちょっと集中したら、そこに……なんていうか、もや? みたいに……」

「みえ……って」



 においが視える(・・・)――――途轍もないことを簡単なことの風に言うなこの子は!


 いや、別にその、そういう才能がある……あるいは、魔族化の際にそういう才能を獲得したというのなら分からないでもない。それでも十分すごいけども。

 つまりあれか、ここに来るまで、例えるなら糸を手繰るようにして例の虫の臭いを追ってくることができた……ということなのか。


 しかし、そういうことなら……。



「においの大元がどこにいるかも、分かるか?」

「はいっ、まかせてください!」



 頼もしい返事だ。実際、この状況ではレーネが一番頼もしい。

 俺たちが役立たずとも言う。



「こっちかな……」



 草葉を掻き分けて進むレーネ。それに追随していくと、その道中、見慣れぬものが目に入った。

 虫の――(はね)部分の外殻、だろうか? 他に例えようがないというのが実際のところだが、それにしてはいやに光沢がある。

 コガネムシともまた違う……とはいえ、色合いは似ている風ではある。深緑に、虹色を挿したような不思議な色味だ。


 しかし、それにしても大きすぎる。もしや、と思ってミリアムの方に視線を向けると、俺の想像を肯定するように頷いた。



「オスの――近衛と呼ばれる方のアドルトナントですね。これは……」

「……死んでるな」



 見れば、周囲にはいくつかの虫の部位(パーツ)が転がっている。他の部位に関しては、先程の翅の部位に見られた輝きは見られない。例えるなら……一般的に写真で見るヘラクレスオオカブトのように、前翅だけに色が付いているということだろう。


 脚部、頭部――いずれに関してもその中身は空っぽで、何者かに食い殺されたのは明らかだった。

 分からないのは、なぜ殺されたのかだ。鳥や他の野生動物などもいることだし、ありえないと一概に否定する気は無いが……もしそうなら殻を丸ごと残しているなんてそうはありえない。持ち去っているか丸ごと食っているかというのが普通だ。

 なら他の虫に、というのもおかしな話だ。その大きさや頭部に備えている頑強な角を見るに、並大抵の相手が打倒しうる生物ではない。


 となれば――――。



「ひっ」



 小さな悲鳴が聞こえた。と同時に、レーネの腕を引っ張り、俺の後ろに下げる。

 何がいるかなど、既に分かっていた。しかし、それを実際に目にするのは――やはり、精神的にキツいものがある。



「……っ」



 先程の「近衛」とよく似た意匠の――しかし、明らかにそちらよりも小さな体躯の虫が、草葉の影に隠れていた。


 いや……果たして、それは「隠れて」いたのか。確信を持って違うとは言い切れない。

 ただ――食事(・・)をしていたという事実だけは、見て取れる。


 ――――(みどり)色の甲殻を持つ、同朋を。


 背筋が冷える。共食いをするような生物が絶対にいないとは言えない。しかし、こうして間近でそれ(・・)を見るとなると――底冷えするような、生物としての根源に根差すような恐怖に見舞われる。


 ああ、くそ。吐き気がする。

 どうやらこちらには気づいていないらしい。不意を討ってこのまま魔族化の術式を打ち込むか?

 食われている方は――――。



「!」



 僅かに視線を傾けると、近衛のアドルトナントの翅が僅かに動いた。

 そして、脚、角――死後の反射というわけではない。確かに、動いている。

 なら――――狙いは二匹(・・)だ。



「ッ」

「ああ、また……」



 背後でミリアムがボヤいているが、気にせずそのまま右手の親指の肉を噛み千切った。

 どうせネリーの時に広い範囲で怪我をしているんだ。今更指先に一つ傷が増えたところでどうということはない。診療所の先生には多少怪しまれるかもしれないが……野良作業中の怪我とでも言っておけば問題も無いだろう。


 レーネが目を背けているのは……申し訳ないこととしておこう。よくよく考えれば、自傷行為(これ)も決してまともな行為じゃあない。レーネの時は意識が無かったし、オスヴァルトの時はもうちょっとスマートにやれたが……今は致し方ない。顔を寄せ合って観察しているような現状、(カリゴランテ)を現出したとき、下手をすると二人を切りつけかねないからだ。


 優先順位を整理する。まずは今すぐ死にかねない捕食されている近衛。次いで、女王。半魔族化していることを鑑みるに、強い抵抗が予測される。ならば――――。



「ミリアム、術式用意」

「了か――――――!?」



 言葉と共にミリアムに右手を差し出し、同時に左手で女王をわしづかみにして身動きを封じる。

 胴体の微妙な柔らかさが気色悪い。しかし、今はこの女王の動きを止めなければ、術式の起動もままならない。


 ……ままならないんだが、どうも俺の突飛な行動に対して、ミリアムがドン引きしているような気がする。

 いや、気がするどころじゃあない。普通にドン引きしている。



「よくそんなに躊躇なく触れますね……!?」

「俺だって何も好き好んで触ってるわけじゃないんだけど」



 そうするしかない状況だから、そうしているだけだ。必要が無いなら是非とも遠慮したい。



「毒とか気になされないんですか……?」

「別に。大した問題でもない」



 炎症や水ぶくれ程度なら大したことは無い。ヤドクガエルだかキロネックスだかと同程度の毒でも持っているなら話は別だが、それならそれで血清くらいはどこかにあるだろう。

 死ぬかもしれないのは……まあ怖いが、後を引き継げる相手がいるなら、大した問題ではない。


 ……と、特に気負った様子の無い俺に何らかの不安を覚えたのだろうか。ミリアムは露骨に怪訝な表情をして見せた。



「頭のネジが外れてるんですかあなたは」

「一回死んだしな。実際外れてるかも」

「私の傷跡を抉るような真似はおやめいただけませんか」



 この様子ならあと二、三回くらいはイジれそうだ。いや、イジる必要は無いんだが。

 しかし、それはそれとしてアドルトナントの女王に齧られ続けている左手の指が痛い。半魔族になっているせいで、的確にダメージを与えられるだけの能力を手にしている……。


 とはいえ、そもそものサイズ差もあるし……互いに身体的な能力が強化されているという点においては、条件は同じだ。普通の人間が、普通の虫に噛まれた程度にしか痛みはない。



「……できました。どうぞ」

「ああ」



 右腕を死にかけている近衛の方へ掲げ、その中心へと血液を落とす。

 未熟な俺とは違い、長年魔法に慣れ親しんできたミリアムの精緻な術式だ。肉体の再構成も問題なく行われるだろうし、そうなれば確実に傷も治る。それまでに数十秒から数分――。



「これで……」



 少なくとも片方の命は繋ぎ止めた。あとは――この女王。


 ネリーの例に倣えば、体内の魔力を身体に馴染ませる(・・・・・)ことができるなら、俺一人の力でも十分に「補正」することはできる。

 右腕に集めた魔力を収束し、中空に術式を描く。ミリアムのそれよりも遥かに大きい――ネリーの時と同じ、威圧感すら与えかねないほどの魔力の光。


 しかし、あの時とは違って抵抗はごく僅かなものだ。叩きつけるように術式を開放するような必要も無い。



「……ひと段落かな」



 ゆっくり、押し当てるようにして術式をアドルトナントへと染み込ませていく。


 ――――そして。


 光が、迸った。

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