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氾濫する群

「ところでリョーマ様それ少しいただけませんか?」



 と。複雑な感情を抱える中、ミリアムがそんなことを問いかけてきた。


 こいつ、空気読んでるのか読んでないのかどっちだ。

 この感じだとあれか、逆に空気読んでるからこそこんなこと言い出してるのか。



「やだよ。俺が貰ったんだぞ」

「時々子供みたいなこと仰いますね……」

「まだ子供だよ。それに、フリーダさんから貰った方があるだろ」



 十八歳を少し超えたばかりでは「大人」の範疇には入らないだろう。その程度の自覚はある。

 少なからず、責任を負わなければならない立場ではあるが……今はそういう場面でもないし。気にすることも無いだろう。


 残った一欠けらを飲み込み、視線を畑の方に戻す。



「……ホラ。その……同じ食卓に着いている時に他人が食べているものを食べたくなるということって、ありますよね?」

「悪いけど俺は無い」



 というか、経験したことが無い。


 続けて言うと、ミリアムは露骨に怪訝な顔をして見せた。



「一人でメシ食うことが殆どだったし」



 思い返してみても、誰かと食事を共にしたことはそれほど無い。ともすると、こちらに来てから……ミリアムやレーネたちと一緒に食事をした回数の方が多いのではないかとも感じるほどだ。

 我ながら何となく虚しい話だが、現代人なんてそんなものだ。多分。いや、俺の出自が特殊なのかもしれないが、近年食の多様化が激しくなってきているとは言われているし、個食だとか孤食だとかいう言葉も作られている。なら珍しいことでもないはずだ。うん。


 ともかく、両親と一緒に――なんてのはそもそも俺には無理難題に近しいし、友達もいないし。偶然一緒の席に座ることはあっても、寮の食事なんていうのは基本、全員が同じものを食べるようになっているし。人が食べているものを美味しそうに感じる――というのは、少し理解しがたい。



「……複雑な家庭環境というお話でしたか」

「複雑でもないさ。あっちじゃありふれてるよ」

「悲しくなるのであまりそういうことを言わないでください。こっちでも無いとは言い切れませんし……」



 元の世界では、なんというか――その。汚泥のようなドロドロした人間関係が標準的(デフォルト)だったというか……そういうものが目につくことが非情に多かった。ドラマとか小説とか……目につく現実でさえ。だから、こちらの世界のことを必要以上に美化しているような自覚はある。元の世界に無数の問題があるのと同じように、こちらの世界にも問題があるはずなのだ。単に、俺がそれを目にしていないだけで。

 というかそもそも魔族と人間との戦争の原因が、疑心暗鬼と偏見と差別感情、ひいては恐怖なのだし……その辺、あちらの世界でも戦争や紛争の原因になっているんじゃあないか。なら、こっちでだって同じような問題があって当然だ。


 軽く溜息をつく。


 本当――こういうことは、考えたくもない。



「……しかし、御母堂はともかくとしても、御父上に関しては食卓を共にすることくらいあったのでは……?」

「父さんと――――?」



 あれ?

 最後に父さんと食卓を囲んだのって、いつだったっけ……?


 ダメだ、思い出せない。そんな経験があった、ような気はする。しかし、そんな気がしているだけで確証が何一つ無い。多分、本当に小さい頃はそういうこともあったと思う。では、最後は……いつのことだ……?



「ごめん、思い出せない」

「……すみません、妙なことをお聞きして」

「いいよ、別に」



 思い返してみるに――こういう時、過去を思い出せないという原因というのは多分、ロクなことじゃない。


 だいたいが、思い出せないのではなく思い出したくない(・・・・)。事象に対して紐づけされた記憶が悪いものであればあるほど、その傾向は強い。

 忌避感と言うか、拒絶反応というか。そうまで思うところがあるのなら、もう思い出すべきじゃないだろう。



「……ん、ん……」

「あ」



 と、そんなやりとりの中、唐突にレーネが目を覚ました。


 俺たちの声が耳障りだっただろうか。それとも、パンの匂いにつられでもしたか――そう考えていたところで。



「……くさい」

「えっ」



 そんな一言が、レーネの口から飛び出した。


 くさい。

 臭い。


 ――何が!? 俺か!? それとも毛布!?



「リョーマ様のことではないと思いますよ」



 内心パニックになっていることを悟られたか、落ち着いた口調で(たしな)められると、ようやく冷静さが戻ってきた。


 そりゃそうだ。いつもはそんなことを言われていないのに、今になって急に言われるなんてことは普通は無い。



「れ、レーネ。どうしたんだ、臭いって」

「あ、リョーマさま……あの、あのっ、あっちの方からその……すっごく、青くさいにおいがしませんか?」



 青臭い……って。


 俺も大概青臭い食品は……訂正。青臭い食品や山菜やその辺に生えている草なんかを口にしたことはあるが、それにしたって遥か遠くにいてなお感じるほどのものは知らない。

 こちらの世界にはあるのかもしれないが……いや、あるいは。



「ミリアム。これ、さっき言ってた……」

「はい。思ったよりも早く来てくれて助かりましたが……さて、()どう(・・)来るか」

「ちょっと待て」



 ――ちょっと待て。

 いや本当に待ってくれ。



「何が来るかも分かってなかったのか!?」

「いえ……あ、いえ。分かってませんでしたね、確かに」

「え? えぇっ!?」



 驚きを隠しきれない俺とレーネを尻目に、ミリアムは考え込むように口元に手を当てた。


 ……い、いや。ミリアムのことだ。流石に何も考えていないなんてことは無いはず。結論ありきで行動していたから、その途中経過が見えていなかったということはあるかもしれないが。



「……虫が来るんですよ。多分」

「多分っつったか」



 虫かどうかさえ分かってないってことじゃないか。

 どうやって収拾を付けるんだ、これ。



「だ……大丈夫です。重要なのはこの臭いだけですから!」

「臭いだけ――……ああ、そういう……いや待て馬鹿」

「何です?」

「この臭いを辿ってもらおうっていう話なんだろうけど、レーネの負担が大きすぎるだろ」

「しかし、それ以外に方法が無いのも事実では?」



 閉口せざるを得なかった。


 いや……まあ、実際その通りだ。俺もミリアムもレーネやネリーほど鼻が利かないし、ミリアムは魔法を使いたくても滅多なことで使えない体質。俺は魔法の扱いが下手だし、オスヴァルトはそもそもこの場にいない。


 理解はしているんだ。年齢を考えると、どうしても割り切りづらいだけで。

 レーネくらいの歳の頃の俺の思い出にロクなものがないから、というのもあるかもしれない。


 ……どっちにしろ、身内びいきが過ぎるというだけの話か。



「りょ、リョーマさま。わたしはだいじょうぶ、ですっ」

「本当か……? い、いや。レーネがいいならいいんだけど……」



 さっきから随分と鼻がキツそうだ。

 刺激が強いせいだろうか。眼尻にうっすらと涙が浮かんでいる。


 ――――と。



「――――!」



 徐々に、山の方からけたたましい音が聞こえ始める。


 音……うん。あくまで「音」だ。決して「声」ではない。

 ブ、ブ、ブ――――と、規則正しく発せられる、短く鋭い音。日本人であるなら……いや、ある程度人間生活を送ってきたならば、否応なしに忌避感を想起させられる羽音(・・)……!!



「蜂だァ――――!?」

「ハチ!? こんな時間にハチですか!?」



 いや。時間もそうだが――おかしい。蜂の食性は……種類ごとにそれぞれ違うが、例えばスズメバチなら肉食、ミツバチなら文字通り蜜を集めるはずだ。作物を食い荒らすなんてこと、聞いたことが無い!



「あぁ……なるほど、そういう……」

「そういうってどういうことだよ!?」



 訳知り顔でミリアムが頷いているが、俺もレーネも何が何なのか分かっていない。


 それよりも――問題はこの状況だ。無数の蜂が、既に畑の数百メートル手前まで迫ってきている。ミリアムのあの様子を見るに、この蜂の大群が畑の作物に被害を与えたものと見て間違いはない。



「ああ、もう!」

「え……リョーマ様!?」



 畑の目前まで、一足飛びに駆け抜ける。


 蜂の大群の速度――狂犬(ネリー)には及ばない。動きの機敏さ、力強さそれ自体は普通の虫と同じだ。つまり、あれは半魔族ではない。

 だが、今朝俺が見た畑の被害を考えれば、あの大群を放置することはできない。



「成功しろよ……!」



 恐らく、重要なのはあの蜂に付着した「におい」だ。だからこそ、ミリアムは来襲する虫が「何」かということを知らなかった。

 例の臭いさえ辿ることができれば、この件の原因に辿り着く。それは間違いない。レーネがこれを覚えてしまった今なら、あの蜂は用済みだ。


 右腕に魔力を収束する。思い起こすのは、オスヴァルトが山小屋に来た当日に行使した、「土」に作用する魔法。


 この骨身に刻み込まれた先代冥王の記憶――膨大な術式の知識を喚起し、適切な文様と構文を術式に編み込んでいく。

 至極難易度の低い、どうということのない……ただ、地面を隆起させたり、形状を整える、その程度のごく単純(シンプル)な魔法だ。


 だからこそ、俺でも咄嗟に扱うことができる――――!



「でぇッ!」



 励起した術式が現象を引き起こす。


 畑の周囲の土が隆起し、作物を守り包み込むように――周囲を囲い、壁を、あるいは天井を形作る。

 土でできた丸天井(ドーム)。即興で作り上げたにしては、思ったよりもよくできていた。とはいえ、ほんの二、三センチも無いほどの厚さの壁だ。強度も低く、指で付けば崩れかねないほどに脆い。


 ――――それでも、蜂の突進程度なら何の問題も無かった。


 目標を見失った蜂の大群が、散り散りに飛び去って行く。数匹ほどは土のドームに激突したようだが、意に介さずそのまま別方向へと飛んでいった。


 ……これならば、しばらくは問題ないだろう。

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