フラッシュバック
「まあ、その辺りは私にも考えがあります。成功するかどうかは、正直に言って賭けですが」
「賭けかよ。もしかしてレーネを連れてきたのもそれに関係があるのか?」
「ええ、まあ」
そんなところだろうとは思ったが、なるほど。そういう理屈か。
ミリアムの様子を見る限り、絶対の自信があるという風でもないようだから、本当に運次第なんだろうが……そうなると、俺も俄然畑の見張りにやる気が出てくる。いや、元々やる気が無かったわけじゃないが。ないんだが。……それはそれとして明確な目的が無いとモチベーションも低いというか。報酬が出ることを差し引いても、術師の捜索を優先したかったのもある。
しかし、同時に二つを取れるならそれに越したことは無い。二兎を追う者は――とも言うが、実際に同時に二つの目標を追いかけているわけではない。あくまで順序立てて一つ一つ問題を解決していこうという話なのだから。
……屁理屈だと言われればその通りである。
「となると、レーネが起きてないとマズいか……?」
「いえ、大丈夫でしょう。私の考えが間違っていないなら、その時が来ればどうしても目を覚ましてしまうはずですから」
「しまうって」
となると、聴覚や嗅覚や……睡眠中にも関わらず、それに気付かざるを得ないような強烈な「何か」が起きるかもしれないということか。
もうレーネもあれこれ呟くのをやめて、安らかな寝息を立てている。これをもう一度起こしてしまうのも酷な話だが……それ以上に問題もある。
「……村の人たちは大丈夫なのか、それ」
「睡眠中の住民が起きてしまわないかという話ですか?」
「まあ。それに、怪我したりしないかって話でもある」
「大丈夫でしょう。我々なら起きてしまう程度の音というだけですし、リョーマ様の話を聞く限り、あくまで狙いは植物のようですから」
実際、村の中で被害が出たというのも作物に限った話だと聞く。虫の中には肉食のものもいるが、そういった虫の被害を受けることが無いというのであればまだ喜ばしいことだ。いずれは、もしかするとそういった虫類が暴れ始める可能性もあるにはあるが。
「なら、問題は……いつ現れるか、か」
「はい……場合によっては、今日は活動しないということもありえますから」
「それに、他の場所に現れてるかもしれないか……」
クラインは小さな村だが、それでも畑は複数個所に渡って点在している。常にレッツェル家の畑から近い位置に他の家の畑があるわけでもない。
虫類は、どれだけ大きくなっても数十センチ程度のものだ。オスヴァルトの見たコバエなら数ミリも無い。仮に半魔族になっている虫が暴走しているのだとすれば、その程度の小ささなのに超高速で動き回るなどという、悪夢のような光景が繰り広げられることになる。
――――どう戦う。
いや、そもそも戦う必要があるのか? だいいち、戦えるのか? 相手はごくごく小さな虫だ。叩けば潰せるかもしれないが、捉えるのは間違いなく苦労する。斧を使って、かつ一時的に魔力保護を切り、強引に風を巻き起こして――いや、ダメだ。作物どころか家まで巻き込みかねない。
なら、魔法はどうだろう。無理か。元の素養が低すぎる。ちょっとばかり気温を下げたところで虫の活動が停滞するわけもない。それ以外にできることというのも……探せばあるかもしれないが、俺にできることなんてたかが知れている。術式の構築速度も大したことはないし、そもそも俺が構築する程度の術式で何ができるか……。
完全に思考の渦にはまり込んでしまい、沈黙が場を支配する。しかし、直面した問題への対処方法を考えておかなければどうしようもない。
徐々に眉間にしわが寄っていく――と、そんなタイミングで、玄関が開く音が聞こえた。
「……?」
「ああ、リョーマちゃん。遅くまでご苦労様」
「フリーダさん」
見れば、フリーダさんが毛布と……何か、食べ物らしきものを載せた皿を手に持って外に出てきていた。
差し入れ……だろうか。そこまで重いものでもないとはいえ、あまりフリーダさん一人に任せるのも悪い。
……と、思っていても、今はレーネに寄りかかられているおかげで動きづらい。ミリアムに助けを求めるように視線を送ると、溜息をつきながら立ち上がってフリーダさんに声をかけた。
「手伝いますが」
「いいよいいよ、疲れてるんでしょう。こんな時間までごめんねぇ」
「いえ、そんなことは」
なくもないが、大した問題じゃない。辛いとするなら、腕の痛みの方がよっぽどキツい。俺にも意地はあるし、口にはしないが。
「はい、お夜食だよ。簡単なものだけど、良かったらお食べよ」
「すみません、ありがとうございます」
「眠いなら寝ててもいいんだよ。おじいちゃんも無理を言ってるのは分かってるからねぇ……」
言いつつ、眠っているレーネに毛布をかけてやるフリーダさん。
フードを取ってしまったり、場合によっては獣耳に気付いてしまうのではないかとヒヤヒヤしてしまったが、そうはならずに安心した。
「無理を言っていると、分かっていらっしゃるのですか」
いつもならここで「無理を言っていると分かっているのにやらせるのか」とでも皮肉混じりに言ってしまいそうなところだが……相手がご老体のフリーダさんだからか、食事を提供してくれているからか、ミリアムにしては珍しく穏やかな口調だ。
「リョーマちゃんだってやらなくちゃいけないことがたくさんあるでしょうし。それで夜まで働いてもらうのも悪いものねぇ」
「ええ、まあ……」
と、視線をこちらに向けてくるミリアム。
いや、しかし、アレだ。ここで肯定するのも非常に心苦しいし、かと言って「全然そんなことないッスよ大丈夫大丈夫」なんて言おうものなら、あちらもそういうものと認識してどんどん仕事が舞い込んでくる。無駄に忙しいこの時期にそれは避けたい。だから、曖昧に返事して愛想笑いして流した方が、面倒が無くていい。
「ミリアムちゃんもありがとうねぇ。ご苦労様」
「い、いえ、私は……」
珍しく、照れたような様子でわたわたと顔の前で手を振る。
それがミリアムに似つかわしいかどうかとか、色々と思うところはあるが……何よりお前、歳いくつだ。
……その思考も読まれてしまったのだろうか。頭に手刀が飛んできたが、自業自得と思って受け入れよう。
「ああ、それと、リョーマちゃん。これ、アンナが作ってくれたんだよ」
「アンナが……? 作った……?」
見れば、皿に盛られているものとは別に、紙に一つ、白パンが包まれていた。
……これを? あのアンナが?
――――え?
「ははは、ご冗談を」
「気持ちは分かるけどねぇ……リョーマちゃんが作ってくれって言った、って言ってたよあの子は」
「え? ――――あ」
言ったわ俺。
確かに言った。グレートタスクベアの死体を見つける直前、山菜採ってる時に……。
「で、でもあいつ、その時はっきり『ヤダ』って」
「そうかい、そうかい。まあそういうこともあるねぇ」
あるのか。
女の子は気まぐれと言うが、あいつもあれでその例に漏れなかったのか。
「何だか、お礼にって言ってたけど。何か知ってるかい?」
「お礼――――」
「ああ、なるほど」
俺よりも先に、得心いったように軽く手を叩くミリアム。何だ、お礼って――と、頭の中で反芻したところでようやく気付いた。
――狂犬から守ったことの礼か!
「ああ……そういうことか。余計な気使わなくてもいいのに……」
「何か分かったのかい?」
「はい……って言っても、些細なことなんですけど。アンナはもう寝てますか?」
「ちょっと前まで起きてたけど、流石にもう寝ちゃったのよ。ごめんねぇ」
「いえ、いいんです。起きたら、礼を言っていたと伝えてください」
「はいはい。うふふ」
と、意味深な笑みを残して、フリーダさんは家の中へと戻って行った。
何なのだあの笑みは。そりゃあ、普段から朗らかで笑みを絶やさない人ではあるけども、それにしたってあれは普段のそれと趣が違いすぎる。
見れば、微妙な表情でミリアムがこちらを見ていた。
「何だよ」
「いえ。仲良くなさっているようで、と」
「仲よ……いや。そりゃあ、お前。同年代ってクラインにそういないし……一番最初に会ったんだし、そりゃあ、仲良く、くらいはなるって……」
なるさ。うん。なる。多分。
そもそも、村に来た時からずっと……今が夏に差し掛かる目前だから、おおよそ二か月強……くらい、交流を続けていることになるわけだし。友人と言っても、多分差し支えないと思う。
不意打ちのような質問につい緊張してしまい、喉が渇く。フリーダさんの持ってきてくれた水に手をかけて、口に含み。
「別に懇ろになっても構いませんよ」
「ゴハッ!!」
思い切り噴き出した。
「おっと。リョーマ様、行儀がなっていませんよ」
「お前がいきなりとんでもないこと言い出すからだろ……!?」
レーネが起き出してしまわないよう、声をひそめたままに言葉を放つ。
こいつ、いきなり何を言い出すんだ……!?
「ねんごろ……って、要するにだ、男女の恋人関係とか、そういう……アレだろ……?」
「ええ、その男女の恋人関係のアレです」
「無茶だろ」
冷静に。しかし、率直な一言を返す。
からかわれたのか、それとも本気なのかは分からないが……ミリアムの言葉で熱くなった頭も、既に冷えた。
――――ああ、無茶も甚だしい。
「どうしても、俺たちの素性が問題になる」
「その素性ですが――いずれ明かしていくことが、リョーマ様の目的でしょう?」
「……ああ」
いずれは、そう――いずれは、だ。
人間と魔族との融和。言葉にすれば簡単だが、実現するには困難を極める。
はっきり言って、絵空事も甚だしい。夢想、空想にも等しい妄言だ。それと理解しながら、目標として掲げることもいかがなものかと思うが――ともあれ。そんなこと、今現在においては不可能と言う他無い。
だから、それはあくまで「最終目標」と据えるべきだと、考える。
今が人魔戦役から七十年ほど。それによって負った被害を忘れるには、まだ短すぎる。
せめてあと三十年――場合によってはもっと。最低でもそれだけの期間は待ちに徹したい。人々の記憶から「魔族」という存在がただの記録に成り下がったその時、初めて交渉のテーブルに着くことができるのではないだろうか。
少なくとも今この時において未だ、魔族は紛れもなく人類の敵だ。
「時期尚早だ。バレれば必ず拒絶される。流石に、それに耐えられるほど心が強いわけじゃない」
「いえ、私は時期尚早とは思いませんが」
「……は?」
「業腹ですが、アンナさんに限っては、恐らく大丈夫です」
馬鹿な、と胸中で悪態をつく。
アンナに限っては大丈夫――そんなことはありえない。確かに親しい方だが、それとこれとは話が別だ。確かに、アンナの裏表がなく、明朗な性格には好感を覚える。嫌いにはなれない。俺の方は、確かに友人だと思っている。
だが、信用には値しない。
裏表がないということは、隠し事が苦手ということでもある。こちらの素性を喋れば、きっと間違いなくアンナは喋る。
その真実に対し、どのような感情を抱いたとしても――絶対的に信の置ける人物、例えばハンスさんに判断を仰ぐため、事情を明かすということもあり得る。そうなれば、全てが破綻しかねない。
どうしてもミリアムの言葉が理解できず、問いかける。
「どうしてそんな結論に……?」
「長年生きてきた経験でしょうか。これでも無駄に歳だけは重ねてきていますので」
さっきのことと言い、お前は年齢のことについて言及されたいのかされたくないのかどっちなんだ。
まさか、自分から言い出すのは構わないが、人から指摘されるとキレるという面倒くさいアレか。
いや、年齢を重ねてきているということは間違いないだろうが。
……けど。
「無理だ。そりゃあ、経験則って言うなら精度は高いんだろうさ。けど、絶対じゃない」
「レーネといいオスヴァルトといいネリーといい、毎度毎度賭けに近いことをしていて今更何を仰るんです」
「それは……どれも込み入った事情があるだろ」
命を救うためだとか。魂を鎮めるためだとか。情報を得るためだとか。三人が三人とも、何かしらの理由があった。賭けに出る価値があった。
アンナに関しては――――何も無い。
ただの俺の感情だ。それに賭けるべきものは、何も無い。俺の心の安寧にどれほどの価値があるというんだ。
「今は賭ける理由が無い。それに……」
「それに? 何です?」
「……拒絶されたら、俺、多分しばらく立ち直れない」
「可愛いというか女々しい理由ですね」
ほっとけ。
でも、事実なんだ。そもそも、俺にとってアンナは……なんというか、久しぶりにできた友達だ。父さんが死ぬより前だから……ええと。だいたい七年か八年……小学校の頃だろうか。その頃から友人と呼べるような間柄の相手というのも、そうはいなかったわけだし。
……というか、今になってみてあの子の気持ちが分かるようになってきた気がする。対等な立場に立って話せる友人というのは、本当に大事だ。下手をすると心が折れかねない。
ミリアムといいレーネといいオスヴァルトといい、自分の立場を下に置いて俺を立ててくれている。ネリーなんかは気にせずにずかずかと言いたいことを言ってくるが、それにしたって「友人」と言うにはいささか不足がある。
そんなわけで、俺はアンナに真実を打ち明ける勇気が無い。
女々しいし、情けないことも理解している。
「……そうだな」
ため息交じりに頷きながら、包み紙を開いてパンを口に運ぶ。
見た目は、いわゆる白パンだ。生地は全体的にもちもちとして柔らかい。これと言った特徴は無いが、噛んでいくうちに自然な……なんというか、優しい甘みを感じる。
「ん」
食べ進めていくうちに、パンに包み込まれた具材に行き当たる。
この特有のにおいは……猪肉だろうか。味から察するに、トマトと一緒に煮込まれたものがそのまま、チーズと一緒に包み込まれている。
なんとなく、ピザまんを連想させる組み合わせだ。もっとも、味はだいぶ違う。甘味よりも酸味と塩気の方が強く感じるのは、ケチャップを使っておらず、トマトそのものから煮だしたソースだからだろう。肉も大きめに切り分けられているし……「猪肉のトマト煮」という料理をパンで包んだ、という表現がしっくりくるだろうか。
「……美味いな」
無意識に、言葉が出た。
久しぶりにちゃんとした料理を食べたというのもあるが、なんとなく、胸の奥が暖かくなるような気持ちになる。
多分、家庭料理というのはこういうものなのだろう。俺にはどうしようもなく覚えが無いが――だからこそ、どこか心に刺さる。
もしかすると、もう少し巡りあわせが良ければ、母は俺を捨てることも無く、父も死なず、俺はあんな遺――――――――――――。
「リョーマ様?」
――――不意に、声が聞こえた。
ぷつりと途絶えた意識が、急速に回復されていくような感覚がある。
隣を見れば、心配そうにミリアムが俺の顔を覗き込んでいた。
何か、問題でもあったのだろうか。
「……どうした?」
「どうした、はこちらの台詞です。さっきから遠くを見て黙り込んで……何かあったんですか?」
「あ、いや……」
今、何かを思い出しかけた。
ほんの些細な思考を契機に、まるで汚泥に呑まれるかのような感覚と共に――何かが、俺の記憶の底から這い出てきたように感じる。
早鐘を打つ鼓動が鬱陶しい。俺は一体、何を思い出そうとしている……?
「……何でもないんだ」
額に伝う冷や汗を拭いつつ、パンを口に運ぶ。
――――先程のようなフラッシュバックは、もう、感じることは無かった。




