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布石

 レーネとネリーがひと悶着あってから、数日が経った。

 あの騒動以来、二人の間にこれといった(いさか)いも無く平穏無事に――しかし、ネリーを半魔族にしたという精霊術師が見つかることもなく。

 ごくごく自然に、安穏と過ぎていくように見える日々の中で、俺たちは、普通の人間には感じられないであろうかすかな緊張を感じていた。 


 ――――しかし、である。



「……ひでぇなぁ」

「……ひどいですね」



 この日、俺はいつものようにハンスさんと一緒に、作物の様子を見るために畑に出ていた。

 いつも通り、日銭を稼ぐための農作業の手伝い。何のことは無い――雑草を抜いて、虫がついていないかを確かめる……その程度の単純作業だったはずなのだが、今日は少しばかり様子が違った。 



「これ……何がここまで食ったんでしょう」

「イナゴ、バッタ……それから毛虫と言ったところだろうがの……」



 ――大規模な虫害である。


 葉が食われるとか、茎にアブラムシが付いているとか、そういうことはままあることだ。実際、俺の仕事というのはそういった虫害の予防、及び対処が多い。例えば、酒を薄めた水をアブラムシに吹き付けるとか、青虫を手で払うとか――そういった、地味だが重要な作業だ。だが、今回はワケが違った。


 異常なほど広範囲に渡って虫食いがあるのに、虫の姿が無い。

 他の家の畑でも似たような害に見舞われているらしく、クラインの中を歩いているとあちこちから悲鳴と落胆の溜息が聞こえていた。しかし、虫の姿は無い。


 大規模な蝗害(こうがい)と言うのであれば、当然、空を飛んでいくイナゴの群れを観測できるはずだ。しかし、そんなものを見たという話はどこからも聞こえてこない。


 異様だ。


 先日、オスヴァルトから「精霊術師が虫を術式の実験台にして半魔族にしているかもしれない」という話を聞いてからというもの、ことあるごとに訝しんでしまうクセが付いてしまったのも確かだが、それでも異様だ。農業に携わって長いはずのハンスさんがこうも首を傾げているあたり、異常事態には間違いないが――。



「流石に四六時中見張ってるわけにもいきませんしね」

「いかんのかね?」



 と、視線をこちらに寄越すハンスさん。


 ははぁん。これはあれだな? 俺にやらせる気だな?

 はははマジ勘弁してください。



「いや流石にちょっと夜中まで見張るのは難し――――」

「あれ? リョーマ夜中でも目ぇ見えてるって言ってなかった?」

「おま」



 ――――と。断ろうと思って言葉を投げ掛けた、その瞬間。横を通りかかったアンナがそんなことを述べた。


 こいつ、最悪のタイミングで注釈を突っ込みやがって!


 そりゃあ、事実ではある。夜中でも、多少の光源さえあれば……それこそ月明り程度でも十分に見える。見えるが……だからと言って現状では承服しかねる。(くだん)の術師を捜索するには、夜中に動くのが一番効率が良いからだ。

 ここのところ、オスヴァルトといいネリーといい、徐々に我が家の住人が増えている現状、日中は働きに出ていないと食費が賄えない。夕方からはダミアンさんの酒場で料理を教わりながら給仕……はっきり言って、暇が無い。


 体力自体はこれまでより遥かに増強されているから、多少の徹夜も苦ではないが……それにしたって、何の痛苦も感じないわけじゃあない。完徹が三日も続けば眠気で意識が飛びそうにもなるし、ブッ続けで作業をしていれば疲労の一つも感じる。近頃は明確な脅威を認識せざるを得ない状況でもあるし――魔法の訓練も続けていかなくてはならない。

 ……このままではいずれ破綻が生じるだろうことは想像に難くない。だが、適任がいない以上仕方がない。今は土台を確かにするべき時期だし、俺はあくまで次代のつなぎ(・・・)だ。多少無理を押してでも、今は行動せざるを得ない。


 のだが。のだが――この状況では、どうするべきなんだろう。

 虫の行動それ自体に意味があるなら、夜の時間を費やしてでも観察し、確認するべきだ。しかし、何の意味も無いのであれば……。



「リョーマ君、どうかね?」

「すみません、ちょっとウチに戻って相談してからにさせてください。流石に、俺一人じゃ判断が難しいので……」

「それならしょうがないのう。しかしリョーマ君、何なら昼は休んで、夜に来てもいいんだがのう」

「そこも含めて考えさせてください。すみません。今日中には結論出してまた来ますから」



 本当に申し訳なく思う。


 思うが、それとこれとはまた別問題だ。例の精霊術師の存在は、クラインそれ自体の存亡に関わる。半魔族の手によってであれ、精霊術師自身の意志によってであれ……どちらにしても、危険が近い場所にあるということには何ら変わりない。しかし、日常的な業務もこなす必要がある。となると……ちょっと、今の俺では判断が難しいし、手が足りない。

 なら、俺よりも長く生きているミリアムやオスヴァルトに意見を求めるべきだろう。あの二人なら、少なからず建設的な意見を提示してくれるだろうし。



「えー。リョーマ、夜に何か用事でもあるの?」

「……何だよその含みがある言い方」

「ううん、いや、ほら――――夜中えっちなことしてたりするんじゃって」

「脳味噌ピンクかお前」



 その発想に行きつくことがビックリだよ。いや、健全な青少年としてはそうなってもおかしくないんだろうけども。


 赤面しながらそんなこと言われるとこっちまで恥ずかしくなってきそうだよ。

 あとどう考えてもバレるよ。ちょっとした物音だけで気付くんだから皆。



「そ、そこまで言わなくったっていいじゃん! リョーマだってそういうこと考えないわけじゃないくせに!」

「だからって四六時中考えてねえよ」



 ミリアムに考えを読まれてムッツリスケベと貶される程度のことは考えてるが、流石にTPOくらいは弁える。


 そもそも、そんなことを言いだすアンナの方がちょっと……なのではないだろうかとも思わなくもないが、それを口にすると流石に手が飛んできそうだからやめておこう。



「俺にだって色々用事があるんだよ。メシとか、金勘定とか」

「急に世知辛い話やめてよ」



 でも事実で現実だ。見向きをしないというわけにはいかない。



「ともかく、ハンスさん。今日は一旦帰って話をつけてきます」

「あい分かった。まあ、無理はしないようになぁ。まだ手も治っておらんのだから」

「はい、ありがとうございます」



 唇を尖らせて拗ねるような様子を見せるアンナを尻目に、俺はハンスさんに頭を下げて一旦家に戻ることとなった。


 ……ちょっと可愛いなとか思ってしまったのは秘密だ。




 * * *




 そんなこんなで数時間後。レッツェル家の畑の全域が見渡せる軒下で、俺とミリアムとレーネの三人が揃って座っていた。


 ウッドデッキ、というよりは縁側に近いだろうか。和風の建築様式と洋風の建築様式が混在しているようでどこか落ち着かないが、これも特色と捉えておこう。

 対外的に、山小屋(うち)には俺とミリアムとレーネの三人しかいないということになっている。夜中に女の子二人をあの家に置いていくとなると、流石に体裁が悪い。


 なお、術師の捜索に関してはオスヴァルトとネリーに頼んである。オスヴァルトは魔力の揺らぎの感知、ネリーはにおいで追跡――という配置にしてはいるが、正直なところ、そこまで成果を上げられることを期待してはいない。


 ……というか、期待できないと言った方が正しいだろうか。顔も名前も目的も分からず、つい先日までその痕跡すら辿れず……その気(・・・)になって本気で隠れられると、探し当てるのは至難だ。となると、どうにもこうにも。


 さて、そもそも畑を見張るのに三人も人員は必要無い。そもそも、体裁が悪いというのもあくまで俺の個人的な感情の問題だ。レーネの頭頂部の狼耳が露出するだけで俺たちの素性がバレる危険性が高くなるし、正直に言うと二人を連れてくる必要は無い。

 必要は無いが――どうも、ミリアムには何か思うところがあるらしい。

 この仕事について来ることを申し出たのはミリアムだ。レーネも一緒に、と申し出たのもミリアムだった。はっきり言ってしまうと、今回の件に関して俺はほぼノータッチだ。曰く、確証さえ取れればそれでいい、という。

 意味は分からないが、ミリアムのことだ。何か考えがあるに違いない。


 ――――が。



「暇ですね」

「ああ」

「何もありませんね……」



 しょうがないと言えばしょうがないんだが。

 致命的なまでに暇だった。



「虫の一匹くらい……まあ、通りかかりはするけどな」

「特に作物に危害を加えるようなこともありませんね……」

「ふわ……ううん。虫さんも、ねむいんじゃないかなって……」



 だいたい、今の時間が深夜を回るより少し前。流石に十歳の身にはキツいのだろう、そろそろレーネも船をこぎ始めている。

 かくいう俺も眠くないわけではないが、まあ、そこは歳の差と言うべきか。徹夜も何回か経験しているし、今のところ苦は無い。



「眠たかったら寝ててもいいぞ、レーネ」

「ううん……うーん……いえ、ねむくないです……だいじょうぶ……」



 言いつつ、少しずつこちらに寄りかかってくるレーネ。

 普段、十時を少し回る頃には眠っていることだし、流石に十二時も目前となると限界に近いか。


 うわごとのように繰り返す「眠くない」という言葉にしても、単に眠気を誤魔化すための方法だろう。俺にも覚えがある。効果があったことは一度も無いが。



「……ネリーとオスヴァルトは順調でしょうか」



 不意に、ミリアムがそんなことを呟いた。

 見れば、いつもより僅かに瞼が下がってきている。流石のミリアムでも、ここ最近の忙しさでは疲れが出ても仕方がないか。となると、こうして切り出してきたのは眠気覚ましのつもりでもあるだろう。



「順調、とは言いづらいだろうな。魔力の痕跡くらいは見つけられるだろうけど、あくまでそれは『痕跡』――そこにいた(・・)という証拠でしかない。移動されたら探しようがない」

「一応、そこでネリーがにおい(・・・)を辿るということになっているのでは?」

「あくまで次善策だよ。そもそも辿るべき臭いが分からないんだ。すぐにどうこうなるとは思ってない」



 手がかりにしても、ネリーが普通の犬だった時に見た――曖昧な記憶、ただそれだけだ。


 臭いを特定するにはいささかおぼろげに過ぎる。万一特定できたとして、ネリーが独断専行してしまわないかどうか……。



「何か決定的な証拠でもあればまた違うんだけどな」

「そうですね。食事の跡でも出てくれば……」

「もっと単純に……いや、やめておこう」



 排泄物のどうのと――たぶん、一番わかりやすく証拠になりうるものだということは理解しているが、あえて口に出すことはしたくないし、できれば証拠品とはしたくない。それを検分する役割を負うのは俺やオスヴァルトやミリアムになるだろうし、仮に臭いを辿るということになると、ネリーにそのお鉢が回ってくる。が、いくらなんでも女の子には流石にさせられない。


 ミリアムは察しも良いし、きっと言わずとも分かるだろう。証拠に、今も苦笑いを浮かべている。



「問題は、術師の方が気付いているかどうか……」

「気付いてはいないでしょう。であれば、もっと直接的な手段に出て追跡者を排除しにかかるはずです」

「……だな」



 俺が相手の立場になっても、多分同じことが言える。


 こっそりやるか、堂々と殺しに来るかの違いこそあれ、問題を解決するには敵対者を排除するのが一番手っ取り早い。死体は獣にでも食わせれば処理も容易いだろう。例えば、豚やハイエナは動物の骨までも噛み砕いて食べることができるという。そうしなくとも最悪、焼いて砕けば骨くらいは誤魔化せるだろう。


 そういった短絡的な手段を講じてこないのは、例の術師が俺たちの存在を認識していないからだ。「何者かがいる」ということくらいは把握しているだろうが、それが誰か、何を目的としているかまでは関知していないだろう。そもそも追跡者がいることに気づいておらず、自分の目的のみに邁進しているという可能性もあるが……そうなればしめたものだ。捜索に集中できる。


 もっとも、そうなる可能性が低いからこそ、こうして議論を重ねているわけだが……。



「……ここからは、時間との勝負になりますね」

「時間との勝負、か……」



 一日二日でどうこうなるような状況でもない。しかし、それでも急がなければならない。

 なんて矛盾した状況だ。まともにやってたんじゃ、こちらが不利に追い込まれるだけじゃないか。



「いっそ森でも焼いて燻りだすか」

「真顔で何とんでもないこと言ってるんですリョーマ様!?」



 ぎょっとした表情で――眠気も吹っ飛んだ様子で目を見開くミリアム。


 いや、まあ……そりゃあ、そうだ。いくらなんでも馬鹿げている。非常識を軽く通り越してしまっていると言っていい。自分で自分の首を絞めることになりかねない。

 ただ、効果が無いとは一概には言い切れない。森を焼いてしまえば、例の術師が隠れるところが無くなるだろうし。それと比較してデメリットが大きすぎる以上、どうしたってこんな方法は取れやしないんだけども。


 ――――いや? 本当にそうか?



「例えばだよ。火を起こさず、煙だけ出すような術式は作れるか? 発煙筒や狼煙みたいに」

「ああ、そういう……できるかもしれませんが、曲がりなりにも相手は術師です。周囲の被害を省みず、自分の身だけ守って鎮火したら悠々と出て行こう……と考える可能性も否定はできませんよ」

「ああ、そうか。術師なんだし、自衛の手段くらいはあるか……」



 考えてみれば、当たり前の話だ。魔族を殺し得るような戦闘力を持っているのに、山火事一つ防ぐことができないなんてことがあるわけがない。


 流石に、突発的に思いついた与太話から発展させたような戯言で追い込むのは無理か。

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