出会い
というのが数日前のこと。
結局のところ、最初から順風満々に行動が開始できるというわけもなく。
――――俺たちは、当然のように路頭に迷って行き倒れていた。
「今ちょっとカブトムシの気持ちが分かりそうだ」
「もうちょっと正気を保ってくれません!?」
かれこれ三日ほど、まともなものを食べていない。
齧り付いた木の幹から引きはがされかけながら、俺はぼんやりとここまでの道中で口にしたものを思い出していた。
毒キノコや毒リンゴ、場合によってはマツボックリや木の根っこまでもを口にしながら、俺たちはなんとか生きながらえていた。
幸い、河川があったため水を摂ることはできているが……なんというか、ここまで致命的なレベルで運が無い。
というのも、俺たちが出会ったあの城。あれは昔、それこそ戦争をしていた七十年ほど昔に使われていた廃城で、先日までミリアムが手の届く範囲で手入れをしていたものの、手が届かない範囲のものはだいたいが七十年という歳月の中で朽ち果てていた。
結果、俺たちは身軽な状態で――と言えば聞こえはいいが、実情は着の身着のまま、といった状態でそのまま外に出ていくことになってしまっていた。
俺の服もおよそそのまま、多少洗い落としはしたものの血塗れのままだし、ミリアムもあの下乳丸出しの服のままだ。城の中に布が残っていたからか、それを縫製してケープ代わりにしているようだが……焼け石に水、というのが表現としては正しいだろうか。
というわけで、現在の俺たちには何一つとして頼りになるものは無かった。
金も無い。食料も無い。果ては衣服も無い。
なら城にいれば良かったんじゃないか、という考えもあるがそういうわけにもいかない。何故なら――――。
「……それにしても人間との共存など。疑問を通り越して呆れ果てますよ」
俺が打ち立てた、「人間との共存」という方針のためだ。
木から引き離されつつ、空腹でぼやけた頭を軽く叩き、二人揃って歩きながら話を進めていく。
「少なくともこれから先、まっとうに生きて行こうと思ったらどうしたって人目に付くようなこともしなきゃいけなくなる。魔族の復興なんて掲げてるんなら尚更だ。最終的にひっそりとくらしていくことになるにしても、最低限……食糧事情を改善しなきゃ話にもならない」
「まあ……はい。そうですね……」
「だから、できるだけ人間に近づいていきたいんだけど……その角は隠せるのか?」
「ええ。あくまでこの角は魔力で作られたもの。魔力操作を完璧に行える者なら隠すことは容易です」
で、ミリアムはその魔力操作を完璧にこなせる魔族だ、と。
そういうことなら、特に心配は必要なさそう……だろうか。
「しかし、必要ありません。人間から学ぶくらいなら、まずは二人で試行錯誤していくのが一番ではありませんか?」
「どうやったら食料が得られるかなんて知識、無いだろ。お互い……」
だから他人から学ばないといけない。
しかし、学ぶにはどうしても人間と関わっていく必要がある。
そのために共存を目指す――というはこびである。
「人間が嫌いって気持ちは分からんでもないけど、そんな嫌がるなよ……」
しかし、ミリアムは人間のことを嫌っている。
それは彼女がかつての戦争で、仲間を人間の手により殺されたから、だろう。
「元々人間だったリョーマ様に分かるとも思えませんが……」
「少しは分かるぞ。俺だって嫌いな人間は多いし」
「はぁ。そうなのですか?」
「言ったろ。俺の父さん、詐欺師に騙されて借金まみれになって自殺したんだ。母親も家族を捨てて出てった。だから嘘つきは嫌いだ」
「これから様々な人を相手に嘘をつくことになりますよ。多分盛大に」
「……そこは、我慢するしかないだろうな」
四の五の言ってられる状況でもないし、そこはもう仕方ない。
生きるか死ぬかの状況で拘りすぎて死ぬなんて、間抜けにもほどがある。
「しかし、どうなってるんだこの森は……」
数日かけてなお、まだ出口が見えない。いくら食中毒で足止めを食らったにしても、この森は広すぎる。
魔族化による肉体の変質と身体能力の急激な向上のおかげか、基本的に疲れは無い。無いが……それにしても、空腹は辛い。
「人を迷わすような作りにはなってないんですけどねぇ」
「……じゃあ、純粋に広いのか、ここ」
だとしても広すぎる。巨人の庭か何かか。
「に、しても……そろそろ、山に差し掛かる頃と思うんですが」
「山」
「はい。森林地帯を囲うように山脈が屹立しています」
この土地の環境険しすぎる。
試しに見上げるも、森林の木々の葉に阻まれて山脈らしきものは見えない。
人間との接触を避けるべき魔族の本陣、と考えれば妥当なところか。妥当だが……妥当だが。そんな天然の城塞も今となっては余計な障害でしかない。
「山道の方が、幾分か楽かな」
今の身体能力なら、という前提のもとの話ではあるが。
「少なくとも、終わりが見える分気は楽かと」
山頂から見回せば、ある程度周囲の情景も分かることだろう。
村落でも見つけられれば、その場所を目的地として歩いていけばいい。
――――と。
「……あ」
会話を進めながらも歩みを進めているうちに――山麓が、見えた。
* * *
山頂から向かい側の麓を見下ろし、数分。次なる目的地として設定した廃屋に入ると、まず飛び込んできたのは床一面に広がる血痕だった。
「ここはやめとこう」
スプラッタな予感しかしない。
特有の鉄臭さに鼻が痺れるような錯覚に陥る。肉体が変質したことで嗜好が変わったということは無いようだ。相変わらず、血を見ても気分の悪さしか感じない。
「むしろ、こういう場所の方がいいんじゃないですか?」
「……ま、まあ……そりゃあ……人は来ないだろうけど」
来ない。かもしれないが、かと言って絶対ではないし、それが普通の人間とは限らない。
今の身体能力なら、殺人鬼が来ても返り討ちにできるかもしれないが、かと言って人殺しはやっぱり避けたいことではある。
ただ、それとこれとは別にもう一つ、問題がある。
「……この血痕、新しめじゃないか?」
「でしょうか? というか何で分かるんですかリョーマ様怖いですよ」
「いや……あの、ほら、このパーカー……じゃない。上着」
着用している上着の赤色を示す。
そもそも、この色は先日の事件で付着した血液に由来するものだ。それと殆ど変わらない発色を保っているあたり、この場所の血痕は比較的新しいものなのだろう、と推測できる。
その周囲、壁面に見える暗褐色もまた血液のはずだ。その色彩を比較すれば自ずと結論は出る。
「よし出ましょう」
「結論早いなお前も!」
俺も大概早かったかもしれないが。
「私だってこんな場所いたかないですよゥ!」
「だよね」
「ですよね」
「出よう」
「出ましょ」
と、互いに身を翻したその瞬間。
不意に、扉が開いた。
「………………」
「………………」
「…………え?」
その先に見えたのは、俺ともミリアムとも違う、新たな人影。
――――恐らくは、「人間」の。
ミリアムがこちらを一瞥する。どうやら「警戒しろ」という意思表示らしい。
言われずとも、警戒は怠っていない。ただ、頭のどこかに「まあ大丈夫だろう」という楽観が混じっているのは、確かだ。
この世界において魔族の存在はとうに絶滅したものと認識されている。ならば「こいつは魔族だ」と認識して相手取られることはまずない。となれば、突然襲い掛かってくるということは無いはずだ。仮にこの廃屋をねぐらにしている殺人鬼が帰ってきた、というような状況だったとしても、普通の人間相手ならまず負けは無い。
「……ど、どちら様?」
そうして警戒を続ける俺たちの耳に届いたのは、そんな、呆けたような声だった。
女の……と言うよりは、少女。わざとらしいほどに女の子女の子しているミリアムと比べれば大分自然な、しかし、それでもワンオクターブほど高い、どことなく幼さを残したソプラノの声。
視線を上に上げてまず目についたのは、適度な長さに切り揃えられた金の髪だ。
肩口にかかる程度の長さだろうか。後ろで束ねられているのは山林で動きやすくするためだろう。服装もまた、動きやすさと利便性を両立させるためか、一見すると薄着にも見えるが、各所に収納用のポケットやナイフなどの実用品が散見される。
腕に握られているロープの先には、仄かに赤の色彩が見え隠れする頭陀袋が見えた。
背には弓と矢。それを見れば、恐らくは――という想像はつくものの、未だ確証には至らない。
ともあれ、いつまでも黙っていては仕方がない。どことなく焦った様子のこの女の子を見て、ミリアムが何か勘違いしてしまう前に、コミュニケーションを取ってしまわなければ。
「……あの、すみません。この家の方でしたか」
「えっ、いや……違う、じゃなくて、違いますけど……あなたたちは、ここの家の入居者とか……?」
不安そうに、上目遣いにこちらを窺う少女。一見可愛らしくも見える――というか実際に可愛らしくも思うのだが、やはり気にかかるのは、彼女の背後の頭陀袋。
率直に考えれば、彼女は猟師……と見るべきだろう。頭陀袋の中身も、多分そのあたりの山で獲った獲物。血が滲んでいるのは弓矢で射った傷が原因……と見れば自然だ。もっとも、あの袋も人を殺して突っ込んだとしても十分なくらいのサイズではあるのだが。
「いや、入居者じゃないんですけど……正直、何が何だか」
「あー……」
背後を見回すと、少女の顔が見る間に焦りに彩られた。やはり、どうもこの廃屋のこの惨状をを生み出したのは彼女のようだ。
「いやそのー……ごめんなさい。それやったのあたしなんだ……です」
「猟師か何か、なんですか?」
「うん、じゃなくてはい。まんま猟師です……」
「で、自分以外に誰も使う者がいないと思って御片付けもせずに放置ですか。怠惰なもので」
「……ミリアム」
毒たっぷりに、直接的に批判を述べるミリアムに、注意を促すべく言葉をかける。……やはり、魔族という出自もあって人間は嫌いなのだろうか。
少女は居心地悪そうに身じろぎしつつ、俺たち二人を見比べるようにして視線を泳がせている。
「……あのぅ。あなたたちは?」
「あ、ご、ごめん。俺は――――」
さて、どう名乗ったものだろう。
ミリアムの例から考えるに、こちらの世界の命名法則は西洋のものと同じ。俺の名前は珍妙なものと受け取られてしまうことだろう。そこから魔物の存在に至ることはまずないだろうとはいえ、怪しまれてしまうのは望むべきところでもない。
素性に関しても、馬鹿正直に言う必要は無い。と言うより言ってはいけない。要らぬ軋轢を生むだけだ。
そうなると、こういう場合に上手く誤魔化せそうな素性は――――。