半魔
――――さて。
「で、お前いつから見てたオスヴァルト」
ネリーを見送ったその姿勢のまま、振り向かずに言葉だけを投げ掛ける――と。突如、背後から気配を感じた。いや、気配が生じた。
「おや、いつから気付いておいででしたかな」
「最近、魔力の濃さくらいなら感じ取れるようになってきたからな……レーネたちと入れ替わりで入ってきただろう?」
「御見事。手ほどきをした私としましても実に鼻が高い」
振り返ると、大仰に天を仰いで……恐らくは喜びを表現しているのであろう、オスヴァルトの姿が目に入った。
体内に存在する複数の魂の最適化が終わったのか、最近は随分落ち着いた様子を見せていると思っていたのだが……まあ、少しくらいいいか。
「……それはいいんだけどオスヴァルト、お前、もしかしてレーネが怒り出してから……」
「おっとその話はまたいずれ。今は調査の首尾について報告させていただこうかと」
「オスヴァルト」
「不肖このオスヴァルト、あの年ごろの少女に説得ができる性格ではございません」
面倒を避けたなコイツ。
いや、まあ、言ってることも分からなくはないし……実際、あんなに怒っているレーネを説き伏せるなんて、生半可なことじゃ無理だろう。俺は偶然説得できる条件が整っていただけだ。無駄に時間を費やすよりは、逃げることを選択するのも合理的ではあるか。
だからと言って面倒から逃げたという評価が覆るでもないけど。
「……分かった。それじゃあ、報告を聞かせてくれ」
「は。王のご推測の通り、山中の魔力濃度から精霊術を使用している形跡は発見致しました」
「確かか?」
問いかけると、オスヴァルトは恭しく頭を下げて応えた。
「無論。このオスヴァルト、余計なことはしても不足は作りませぬ」
「早速余計なことを言ったなお前」
いや、自分が余計なことを言っているということが分かっているならまだいい――良くないが。
それでも改善の余地があるだけまだいい。……ということにしておこう。考えてみれば、俺も改善するべき点はいくつもある。
「さて。ともあれ――魔法であれば、個々人の体内にある魔力を使うことになる関係上、空間にはそのまま魔力の塊が残りましょう。しかし、精霊術とは周囲の空間に滞留する魔力を利用するもの。精霊術を行使した後、微細ながら空間の魔力濃度にはどうしても偏りが出ます。精霊術と特定できたのはこのためです」
「……なるほど」
砂場の砂をかき集めて山を作るようなものか。山を作れば、周囲の砂は減る。もっとも、魔力は大気にも融けているし、時間が経てば濃度それ自体も徐々に平滑化されていくことだろうが……。
この辺りは、ある意味魔力の塊そのもので、かつ元が精霊術師だと思われるオスヴァルトでなければ感知できないことだろう。俺ができないのは当然として、ミリアムでも怪しいところだ。
「同時に、これは術者が決して遠くない場所にいる事実を示しております」
「……だろうな」
オスヴァルトに周辺の調査を頼んだのは二日前の夜中。今日が実働二日目――どうしたって捜索範囲は限られている。
先日のオスヴァルトの気合の入れようを見る限り、この家から見える全範囲くらいは捜索していておかしくはないが……それでも、数十キロと離れているわけじゃあない。
クラインの人間から見つからないように「実験」をしているということなら、恐らくは山中……だが。
「けど、普通に暮らしてると思うか? 例えばクラインで、村の人たちに紛れて……とか」
「いやぁ……流石にそれはありえんでしょうなぁ。いくら半端にとはいえ、生物を魔族化させる術式を作り出すような者。術式についてのいろはを知るような者でもなければそのようなことは不可能。ならば十中八九術式の研究者であろうと思われるのですが――それならば普通の生活などまずできますまい」
村にいる可能性も否定できませんが、と一言付け加えて、オスヴァルトは顎に手を当てて思考に耽り始めた。
まあ、全員が全員そうだというわけでもないが……クラインの住人のように、農作業に出たり、狩猟に出たり……ないしはその手伝いに行ったりということはできないだろう。家から出ず、仮説を立てたりする必要もあるだろうし。
となると、まずはクラインの住人への聞き込みが先決になるか。ハンスさん……に限らずとも、酒場のダミアンさんに聞けば、ここ最近で村の人間の様子くらいは教えてくれるだろう。
「……とりあえず、俺はクラインの人に聞き込みをしてみる。オスヴァルトは引き続き、山の方で調査を続けてくれないか。俺も、村の方がひと段落ついたら山を捜す」
「承知致しました。このオスヴァルト、ご期待に沿えるよう努力しましょう」
「頼む」
……正直に言うと、そこまで畏まることもないのだが――と内心では思っているのだけども。そんな水を差すようなことを言ってオスヴァルトのやる気を削ぐのも、それはそれで問題だ。有能なのは間違いないのだし。
しかし、こうなってくるとミリアムの危惧も現実味を帯びてくるな、と思わざるを得ない。忠義ゆえの暴走だったか。以前から俺を「王」なんて呼んで持ち上げるのはやめろ――と言ってはいるが、聞いているのかいないのか判然としないのが現状だ。いや、まあ―――物理的な問題、文字通り俺の言っていることが聞こえてはいるのだろうが、従うかどうかはまた別の話というか。何かきっかけがないと改めることも無いんだろうな……。
一つ、溜息をつきながら扉の方に向き直る。レーネたちが苗を植え替えたりする手伝いもしなきゃいけないし――。
「ああ、それから――……一つ、御耳に入れておきたいことが」
「どうしたんだ?」
と、考えたところでオスヴァルトから声がかかった。
「調査の最中、ネリーとはまた異なる半魔族の存在を確認しました」
「本当か……!?」
「は。もっとも――ハエでしたが」
「ハエか。ハエ――蠅? え?」
……ちょっと待った。
半魔族を見つけたと言うから猪や熊とか、そういう類の動物かと思ったら――蠅?
「蠅って、あの?」
「はい。それも、この程度のコバエです」
僅かに――ほんの一ミリ程度。指先で指し示すそのサイズは、俺の思うよりもはるかに小さいものだった。
いわゆる、コバエ。正確にはショウジョウバエだか何だったか、台所などに頻繁に湧いてくる鬱陶しいアレだ。
それが、半魔族。
――そんなのが半魔族と申したか。
「えぇ……?」
「寿命だったのでしょうかなぁ。飛行の軌道が妙だったので、観察していたのですが――いつの間にやら墜落して息絶えておりまして」
「手近なところにいた虫でも使って、実験したのか……?」
ネリーの話によれば、例の精霊術師の術式を受けて以降、耐えられないほどの痛みに苛まれていたという。それは、オスヴァルトが見たというハエの例も鑑みるに……中途半端な術式を用いることで、肉体に莫大な負荷がかかっているということの証明なのかもしれない。
現時点では、完成にはほど遠いか――しかし、それは「完成に近づけるためにまだ実験を行う」だろうと推測できることでもある。
「分かった、それも頭に入れておく。ありがとう、オスヴァルト」
「恐れ入ります。王も何卒ご注意を」
「ああ、うん……」
半魔族――完全に、肉体に魔力の定着しきっていない、文字通りの中途半端な存在――だとはいえ、正式な術式を用いて変化した魔族にも手傷を負わせられる程度には強化されている。それはネリーの例から見ても明らかだ。恐らくは、ごく小さな虫であっても同じことが言えるだろう。
弾丸よりも早く、鋼鉄よりも堅い――それでいて、目に映るもの全てに突撃していくほどの凶暴性を持った昆虫、なんてものが生まれる危険性もある。というより、オスヴァルトの話を聞く限りでは、既にそんな馬鹿げたものが生れ出ている可能性が高い。当然、普通の人間がそんな攻撃を受けたら耐えられない。
では、何か起きる前に全て駆除すればいいのか……と言うと、そういう問題でもない。まず第一に駆除の方法の問題もあるし、それ以前に、耐久力も相応に上昇している。叩いた程度で殺しきれるとは限らないし、下手をすると手痛い反撃を食らうだろう。
状況を整理すれば整理するほど浮かび上がってくる意味が分からないハイスペックさに、頭がおかしくなりそうだ……!
「ところでオスヴァルト、殺虫剤とかで駆除できないかな、そういう虫」
「ははははははは! 無茶を仰る」
「……うん、まあ。そうなるよな」
ははは、と笑い飛ばしながら、オスヴァルトは俺に先んじて家から出ていった。
……魔族の毒物耐性は普通の生物よりも遥かに高い。それは既に俺自身の体で実証している。虫でも同じということか、それも。
とはいえ、だ。そういった小さな虫に限らず、半魔族になるということは――つまるところ、魔族化の術式の完成を目論む「何者か」の実験台になったということだ。全身に耐えきれないほどの痛みを受け、体に馴染みきらない魔力によって寿命そのものをすり減らす……捨て置けば、虫や動物だけではない。いずれは人間にまでその毒牙を向ける。放置など、しておけるものか。
「…………」
右腕を掲げる。少し魔力を注いで固めれば、すぐにこの掌中には魔斧が現出する。
その破壊力は、魔族としての腕力を差し引いても圧倒的だ。冥王――「楔」の役割を果たすための、言うなれば比重の大きな、恐ろしいまでの密度を持った武器。一度振るえば、人の体も……それが魔族の頑強な肉体であろうとも、確実に。紙でも裂くように簡単に千切り飛ばすことができると、確信を持って言える、破格の存在。
だからこそこれを使うことは憚られる。
相手が誰だろうと、そうするべきなら躊躇うべきではない。しかし、殺すとなればその後の影響も一緒に考える必要がある。
――――結論は出ぬままに、時間は過ぎていく。




