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ストレッサー

「いッ……ぬあァァッ、せ、先生ッ! もうちょっと優しくお願いし……」

「何言っとるんじゃお前。男が泣き言抜かすな!」

「いやでも先生、そんな傷口開いたりしちゃ……うわ、うわ……」

「いっぺん傷口開かんとォ消毒できんだろーが。特に犬の噛み傷なんていうのは厄介なもんでな。アンナちゃん、そっちの棚から緑の薬瓶取っとくれ」

「はーい」



 その翌日。俺は、前の日に言われていた通り、アンナと一緒に村の診療所に立ち寄っていた。


 木造の……周辺の建築物と比べると、ふた回りほど大きな建築物だった。在住しているのは体格の良い老医師だ。建材の傷み具合や年齢、アンナへの態度から見ても、クラインに住んで長いことは容易に窺い知れた。


 というかアンナはやけに自然に手伝っているようだが、やっぱり山を駆けまわって怪我をしてしまうせいだろうか。薬瓶の位置もよく知っているようだし。幼い頃から通っているのなら、まあ、馴染んでてもおかしくないか。



「しかしお前さん、やけに筋肉堅いな。武術でもしておったか?」

「え……あ、いや、別に……」

「まだ精霊術残ってるんじゃないの? リョーマ、まだそんなに上手くないって言ってたし、前なんか暴走してたし」

「か……かもな」



 いかん。勘違いしてくれているのはいいが、肉体的な頑強さに少しばかり疑いが向けられている。

 表皮くらいならともかく、そこから下の――筋肉まで行くと、それこそ刃も通さないほどに強靭だ。どうにか今だけ普通の人間程度にこの強固さを緩和出来たら……と思いはするが、そもそも魔族の種族的な特徴を考えれば、肉体に適合した魔力がそう簡単に雲散霧消するとは思えない。


 などと考えていると、先生は割り開くようにして、消毒液に浸した綿棒を傷口に差し込んだ。



「ぐおおおおおお!?」

「喚くな坊主。消毒できんだろうが」

「い、いや、もうちょっと優しく……」

「そういうのはライヒにいる術師にでも頼みな」



 噛み傷に差し込まれた綿棒が、ぐりぐりとねじ込まれていく。消毒液が傷口に沁みるやら、そもそもこれだけ乱暴に掻き回されて痛いやら……もう何がなんやら。


 アンナはこの治療……治療? の必要性を理解しているからか、ドン引きはしても止めるような様子は無い。



「精霊術なら、もっと痛くなくて済むんで……あだだだだっ!?」

「業腹だがその通りだの。傷の治りも早いし、傷跡も無いくらい綺麗に治る。だがワシに言わせてみりゃあ、それは治療(・・)ではなく修復(・・)よ。いくら綺麗に治ると言ってもな、それは自然なことじゃあない」

「……はあ」



 俺は便利でいいなと思うのだが、やはりそこは捉え方の違いだろう。

 医者をしているからこそ見えてくる部分……それこそ、良い面も悪い面もよく分かるということだろうか。



「生物というのは自然のものよ。自然のうちにあるからこそ、健全に生きようと思える。術に頼った治療は治りも早いし痛みも無いが、だからこそ『なぜ怪我をしたか』を反省する時間も与えてくれん。そして同じことを繰り返す」

「………………」



 そうじゃなくてもやりかねない俺としては、正直なところ何も言えない。

 けれど、その気持ちはなんとなく分かる。痛いから、それを避けるようにする。怪我をしたから、それに触れないようにする。そういった、生物の学習能力の発達を阻害する可能性は、間違いなくあるだろう。


 ……というのとはまた別にだが。



「……金も必要なんでしょう?」

「そりゃそうじゃ。一千万ルプスはくだらんぞ」

「いっ……!?」



 一千万――日本円の価値に直せば百万、だが、それでも十二分に大金だ。


 スゴいな精霊術師。いや、そうか。傷の治療をごく短期に済ませる上、傷跡も残らないくらい綺麗に治る――とまで言うなら、そりゃあ一千万ルプスも必要になってくるだろうか。

 もしかして俺もこの技術を習得すれば金が稼げるんじゃないか? いやでも、そちらの方面が得意なのは海王だと既にミリアムには明言されているし……俺には向いてないとも明言されたし……。


 どっちにしてもダメだな。俺自身の身元も不確かだし、そうなると開業を許可されるとも思えない。独学で精霊術を修めたなんて戯言が通じるわけもないし。やるならやるで、別の方向性を考えるのが無難だろう。



「ワシにゃあそんなことはできんがな。ほれ坊主、服脱げ」

「えっ……」

「何を顔赤らめてんの気持ち悪いよリョーマ」

「い、いや……女の子の前で服脱げって」

「阿呆。脇腹を怪我ァしとるんじゃろう。見せろと言っておる」



 あれ。俺、脇腹を怪我しているというようなことは言っていなかったはずだが……金もかかるし。



「……何で分かったんですか?」

「診察室に入ってきたときから、左腕の動きも変だったからのう。肩ァ浮かして服を当てないようにでもしておるのか知らんが……そんな面倒なことするくらいならとっとと治そうとせい」

「す、すみません」

「そりゃあ坊主も男なんじゃから女に見栄張ろうってぇこともあるじゃろうけどなぁ」

「違います」



 見栄を張るとかそういうのではなく、あまり貸しを作り続けるのが気まずいだけというか……。

 あ、いや……でも、そういうことを意識してない、と、俺は本当に言い切れるんだろうか? もしかすると俺、ちょっとくらいはアンナに対して貸し借りとか抜きに、恋愛感情とか持ってるんじゃ……。


 服を脱ぎ、先生に傷を晒して治療を受ける――その途中。なんとなしに、アンナの顔を見る。



「……ん? 何、どうしたの?」

「いや」



 そりゃあ、容姿は整っている方だと思う。面倒見が良いことも知っているし、性格に対しても今のところ悪印象は無い。何より、今までさんざん世話になってきたわけで……好感情を抱いても、悪感情が湧くようなことはまず無いのだが――。


 無いのだが、それはそれとして恋愛感情を持つかどうかという話とは別か。

 そもそも俺が恋愛感情云々を解するところまで行っていないというのもあるが、はっきり言ってしまえばよく分からない。



「……何だろうな。分からない」

「あたしの方がわけわからないんだけど!」



 そりゃそうだ。俺が分かってないことを他人が理解してても、それはそれで非常に怖い。


 ミリアムの例のように、考えが見透かされるようなことはあってもいいとは思うけども――いやそれもそれでなんだか嫌だな。ミリアムはそもそもそれが仕事みたいなものなのだからいいとしても、自分の考えていることを見透かされるなんて、考えたくもない。


 ……俺が嘘を見抜けることは棚に上げておこう。別に考えそのものを見透かしてるわけじゃないし。



「ほれ、終わったぞ坊主」

「いッてえ!?」

「先生!」



 処置の終わりを示すように、先生は包帯の上から音を立てて脇腹を叩いた。


 ……気付けの意味合いがあったのかもしれないが、やられた側としてはやたら響くのだが……まあ、治療してくれたんだから文句を言うべきでもないか。



「もう、そういう乱暴なの良くないっていっつも言ってるじゃん!」

「アンナちゃんにはせんわい。昔散々泣いとったしのう。それにな、男ならこのくらいどうってことないわ。のう坊主」



 いや。どうってことないことないです。痛いです。


 と、言うわけにもいかない空気だな、これ。でも、あんまりアンナの前で格好の悪いところを見せるのもなんだか嫌だし。


 ……少しくらい、意地を張ってもいいか。



「リョーマ、先生に遠慮することないよ。痛いなら言わなきゃ!」

「いいや、どうってことないぞ、このくらい」

「ウハハハ! そうでなくっちゃあのう。ま、何にしたってこのくらいのことで死にやせんわい」



 本当かー? 本当に死なないかー?

 破傷風とか狂犬病とかになりゃしないかー?


 ……俺が心配してもしょうがないか。医者以上に詳しい人がいるとも思えないし。



「ま、それでも万が一はあるしのう。とりあえず三日おきに来い、坊主。それで一度様子を見よう」

「あ、はい」



 と、至極まともな提案によって、今日の診察は締めくくられることとなった。


 ――――それだけならば(・・・・・・・)良かっただろうが。



「ああ――そうそう、坊主」

「はい?」

何を隠しておる(・・・・・・・)にしても(・・・・)、いずれは話さにゃならんぞ。」

「――――――……」



 ――何か、知られた。


 何を……いや、論ずるまでも無い。俺の「隠し事」の中で最も大きな割合を占めるもの、それは、俺が魔族(じんるいのてき)であるという事実だ。


 バレた。いや、この時点で断言することはできない。だが、現時点で思い当たるような内容など、それ以外に無い。


 あるいは、かまをかけてきたか。傷に触れ、俺の体を詳細に調べることができたのは今のところ先生だけだが……医者という職業は、人体の専門家とも言える。普通の人間との微妙な差異を感じ取り、何らかの確信に至ったのだとしても、不思議ではないか……?


 ――――どうする。


 決して看過できることではない。だが、完全にただそういう風にからかってきただけか――ないしは、俺の考えていることとはまるで違うことを確信しているということもあり得る。現時点で手を出すのは迂闊に過ぎる。

 長いことクラインで診療に携わっている人だ。この人にしか分からない疾病や何らかの傷を抱えている人がいないとは限らない。ただでさえ村に一人しかいない医者なのだから、死なせるのは極力避けなければならない。


 だが、人間だ。魔族と人間との確執は知っての通り――恐らくは、この人もその点では変わらない。このままこの話がギオレンに……いや、そこまで行かずとも、ライヒの街にいるであろう領主にでも伝われば、すぐに軍が動く。戦役を生き残り、僅かに残った魔族を根絶するために……。

 俺は嘘を見抜くことができる。だが、それはあくまで「嘘かどうか」だけだ。相手が何を考えているかまでは分からない。

 まだ彼は「何を隠しているにしても」と言っただけだ。何も断定してはいない。だがもし、心のうちに僅かな疑念があるとするなら――いずれは、何かの拍子に確信に変えてしまう。

 魔族のことを思うなら、人間に出る犠牲は多少黙認してでも動くべきだろう。しかし、俺が人間に危害を加えたという事実が露見したなら……その時は、もう二度と人間と魔族は共存できなくなる。魔族は「人間に害を為す存在」だと、永遠に認識され続ける。


 七十年が経って魔族の存在が半ば忘れられかけている今だからこそ、融和と共存……そうでなくとも、互いに不干渉のままに生きていく道も模索できる。それがまた悪印象で上塗りされてしまえば、元も子もない。


 ……なら。



「何の話です?」



 しらばっくれるしかない……!


 いや……俺だってそりゃあ、その場しのぎだってことくらい分かってる。分かっているが、この人を殺害することのメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいし、不確定要素も多すぎる。実は俺が魔族だと全く気付いておらず、別の隠し事を見抜いているだけだったりして――その上で殺したりなんかしたら、問題があるどころの話じゃない。

 先生が気付いているにしろいないにしろ、しらばっくれてこの場はしのぐ。その上で、徹底的に俺の素性も隠し通す……今はこれしかない。


 幸い、アンナは先生が何を言ったかというところまでは気づいていない。なら、今は……。



「そうか」



 先生は、それ以上追及してこなかった。


 俺の素性について気付いたわけじゃないのか……それとも、これ以上追及する意味は無いと判断したのか。どちらにしても、俺にとっては不幸中の幸いだった。


 ――――たとえ、いずれは明かさなければならないことと、理解していても。


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