コーミング
「……さて」
少女の顔を覗き込む。
話をするには起こさなくてはならない。言語の基礎知識に関しては、魔族化の術式のおかげで入力されていることだろうが、意思疎通がうまくいくか、どうか。
「いかがなされるのですかな?」
「ただ起こすというのも難しい話ですが」
「…………」
続くように、三人も同じように少女の顔を覗き込む。
先に狂暴な印象を与えられているせいだろうか、レーネに関しては多少遠慮がちだが……こればっかりはしょうがない。
実を言えば俺だってちょっと怖い。
「…………えーっと」
軽く頬を叩く。が、特に反応は無い。あれだけの怪我を……ある意味強引に治癒、というより修復した結果だろうか。深い眠りから覚めるような雰囲気は無い。
「どうしようか」
「そんなに優しく起こす人がいますか」
言いつつ、ミリアムは少女の肩を掴んで揺さぶった。が……やはり、起きる気配は無い。
なかなかマイペースだな。というかそんなにか。もしかして起きる気が無いだけなのだろうか。
見れば、少しだけ顔が穏やかじゃなくなっている。流石に外部刺激には反応するか。
「難敵ですなぁ」
「まったくだな」
戦っているときも思ったが、本当に難敵だ。さっきと今じゃ全く状況は違うが。
さて、そうなると……どうしたものか。あくまで女の子ではあるのだから、乱暴にするのはどうかと思うし。
しかし、乱暴に「しない」方法となると――。
「んー……」
鼻をつまんでみた。
ミリアムに思い切り頭をはたかれた。
「殺す気ですか!?」
「ほ……他に穏当な方法が思い浮かばなくて……」
「どこが穏当ですか!」
苦しかったら普通起きると思うのだが。
それとも、睡眠時無呼吸症候群……という病気もあるが、あれみたく気付かないものなのだろうか。眠っている人の顔に濡れたタオルを被せるとその内息ができなくなって死ぬという都市伝説は事実だとでも言うのだろうか。
……どっちにしても俺が悪いな。
「み、みなさんっ」
と。
考えを巡らせていると、不意にレーネから声がかかった。
その右手には先日購入した鍋(9800ルプス)とお玉(5000ルプス)が握られていて――――。
「み……耳、ふさいでくださいねっ!」
「おいレーネそれはマズ――」
言葉は、届けられる直前に轟音によってかき消された。
鍋とお玉を打ち付ける……けたたましい音が周囲に響く。
当然ながら、魔族の聴覚は敏感だ。犬から人型に変わったとして、感覚器官が衰えるなんてこともそうはありえない。だから――そう。
「うっぎゃああああああああああああ!?」
モロに大音量を食らった少女は、叫びを上げて飛び起きることになったのだった。
「あ、起きましたよ!」
「れ……レーネ、お前……」
結果的には。結果的には……うん、確かに、少女は完全に目を覚まして起き上がって、いるのだが。
いささか、強引すぎやしないか。
「ううう、ぐう…………う?」
しかし、だ。どれだけ大きくて不快な音がするとは言っても、それはほんの数秒程度のことだ。
少しずつ、これ以上何も起きないということを理解し、顔を上げて周囲の様子を確かめ始め。
目が、合った。
「………………」
「………………」
青く、澄んだ色の瞳だった。犬だった頃でも、夜の闇の中でなお輝きを放っているかというくらいには綺麗な色彩を放っていたが――あの時とはまた違い、今は確かに知性の色も感じられた。まだ状況の把握が済んでいないからだろう。その目からは困惑と警戒の感情が窺えた。
「………………」
窺えた。のだが――なんだろう。こちらを見る目が次第に厳しくなっている気がする。
いや、気のせいじゃないな。確実に敵愾心を持ち始めている。
当然……まあ、当然っちゃ当然だが、もしかしてさっきの騒動の中で俺にやられたことを思い出しているのだろうか……だろうか? いや、これ確実に思い出してる。
次第、次第にじりじりと距離が詰まっていき、そして。
「がうっ!!」
「ぬあああああああああああああ!?」
「リョーマさまぁ――――!?」
思い切り噛みつかれた。それも、怪我したばかりの右腕に。
激痛に意識が飛びかける。床を転げ回って気を逸らそうとはしてみるが、明らかに痛みが上回っていて気が逸れるどころか痛みの方が際立ってすら感じられる。
俺が一体何をし――――――いや、結構したな。斜面に向かって蹴り飛ばしたり、殴り飛ばしたり、首の骨圧し折りかけたり……羅列して言葉にすると最低の所業だ。キレても噛みつかれてもしょうがないなこれ。
……しょうがないからとは言っても、痛いことには違いないのだが。
気付けば、少女は飛びのくようにして俺から遠ざかっていた。部屋の隅でこちらを見据えるその表情からは……やはり、警戒の色が窺える。
いや、どちらかと言えば……疑念? だろうか。未だ恐怖の色は濃いが、俺が攻撃してこないという事実に疑問を抱いたのかもしれない。
ただ、問題は……。
「王よ!! 気を確かにお持ちくだされぇ!! 傷は浅……いや結構深いですなこれ」
のたうち回る俺の真横で騒ぎ出すオスヴァ……お前今何て言ったオイ。
「……ともかくお気を確かに!」
「ちょ……ちょっと待て……もうちょっと詳しく……ぐあああああ……」
質問を向け――ようとするが、痛みに中断させられる。
レーネはそんな俺の様子にオロオロするばかり……まあ、元々医療知識も無いのだし、そうなるのも当然だが。
しかし、こんな醜態を晒し続けているとミリアムがそろそろ呆れてしまうだろうか――――。
「…………貴様」
「っ――――」
――――違う。
彼女は、怒っていた。俺に対して――ではない。その怒りの矛先は、間違いなく件の少女に向けられていた。
流石に過去の動乱を生き延びただけのことはある……と表現するべきなのだろうか。凄まじい威圧感に気圧され、少女は怯えきってしまっている。
不意に、オスヴァルトが下手を打った時のことを思い出す。オスヴァルトがこの家に来た初日……誰に断りもせず、勝手に床下に大穴を開けたとき。床が抜けたら危険だとか、諸々の理由はあるが……何よりもまず「俺たちに何らかの危害が及ぶ」かもしれないということに対して、ひどく怒っていた。
たぶん、何より身内に危害が及ぶことが許せないのだと思う。先日のオスヴァルトにしてもこの少女にしても……ミリアムから見れば、まだ「身内」と呼ぶには程遠い。ことの経緯が経緯ということもあるし……今後、自分たちの敵に回り得る相手だと判断すると、どうしてもこういう対応にならざるを得ないということだろうか。
「……落ち着け、ミリアム……!」
「…………失礼しました」
痛みに耐えながら、言葉を絞り出す。
普段冷静なはずのミリアムが理解していないわけがない。クラインの周辺……特にこの山の中で、何らかの異変が起きている可能性は高く――その情報を握っている者がいるとするなら、この少女を置いて他に無いだろうということは。
確かに危険だ。知識があるとはいえ倫理観や感情を弄ったわけじゃあない。隙を突いて喉笛を食いちぎられるようなことが、無いと明言することなんてできはしない。
だが、元々リスクなんて無数に抱えているんだ。オスヴァルトのことにしてもそう。レーネのことにしてもそう。もっと言えば、魔族の存在を知られかねないという意味ではあの城を出る時もそうだし……ミリアムにとっては俺自身の存在もそう。魔族の復興という目的の上で考えれば、俺なんて不確定要素と懸念材料の塊でしかない。
だからリスクを上乗せしていいというわけじゃないが、だとしてもこのくらいは許容範囲……のはずだろう。
「……今回のことは……俺の独断だ。噛みつかれても、怪我しても……それは俺の自己責任だよ」
「ですが……」
俺の言葉に、何か思うことがあったのだろう。ミリアムは、僅かに逡巡する様子を見せた。
数秒ほど、考え込むように目を伏せる。やがて結論が出たのか、それとも何か考えるべきことにでも思い当たったのか。
「……少し、頭を冷やしてまいります」
そう告げて、複雑そうな表情のままミリアムは地下室への階段を降りて行った。
と、それに伴って、周囲に満ちていた威圧感も霧散していく。魔力でも込めていたのだろうか。物理的な圧迫感すら伴いかねないそれに直面していた少女は、見るからにほっとした表情をしていた……ついでに言えば、レーネとオスヴァルトも。
幸い、俺は痛みに耐えるために気を張っていたから、情けない姿を見せること無く見送るに留まった。いや、まあ――もし怪我も無く、気を張り詰めておく必要も無ければ、似たような状態になっていたことだろうが。
ともあれ。
「……さて、と」
「……!」
歩み寄り、少女の眼前に腰を下ろす。未だ恐れは消えていないようだが……状況が状況だし、俺のしたこともしたことだ。仕方がない。
甘んじて受け入れる他に無いし――まあ、もう何度か噛みつかれたって自業自得だ。そう考えて、覚悟を決めることにした。
……覚悟を決めたからって痛みが消えるわけじゃあないけども。
「リョーマさま……」
不安そうに、レーネがこちらに駆け寄りかける――が、それを手で制する。
今はできるだけ、一対一で話すべきだと思う。複数人で囲むように話しては、やはり威圧感を与えてしまうだけだ。それは避けたい。
――――さて。
「……喋ることはできるかな」
「…………ゥゥ……」
問いかけに応える様子は無い。唸り声を上げて……威嚇、だろうか。余程俺のことを警戒しているらしい。
しかし、一方的に襲い掛かってくるようなことはしていない。それに、今問いかけたことで威嚇を始めたのなら……ある意味では、言葉が通じていると見做してもいいだろうか。
どちらにしても、数歩分ほど離れたこの距離からなら、すぐに攻撃に移られるようなことも無さそうだ。万が一そうなるとしても、この距離からなら後から行動を起こしても十分に取り押さえられる。
「さっきは……ひどい目に遭わせてしまって、本当に悪かった」
一言。謝罪の言葉を向けると、少女はひどく驚いた様子で目を見開いた。
謝罪しているということは伝わっているようだ。なら、意思疎通も容易なはず。少なくとも、こちらが次に何を言うか、ということに注目はしてくれるはず。
……オスヴァルトも驚いているように見えるが、そこは気にしないでおこう。どうせ「王が簡単に頭を下げるなど!!」とかそういう類だ。
「王が簡単に頭を下げるなどそのようなことをなされては後々の禍根になるかと思われるのですがいかがですかな!!」
本当に言いやがった。
「ちょっと黙ってくれオスヴァルト。水を差されると話が拗れる」
流石に、今は真剣な場面だ。オスヴァルトも真面目に考えての発言だろうが、どうにも普段の言動のせいで緊張感が削がれていけない。
不承不承といった表情で押し黙るオスヴァルトを横目で捉えつつ、話を続ける。
「急に体が変な風に変わって……こんなところに連れてこられて、不安だと思う。けど、できれば……落ち着いて、話をしたい。危害を加える気は無いから」
告げると、すぐにでも飛び掛からんとして緊張状態にあった四肢が、僅かに弛緩した。
こちらに敵意が無い……少なくとも、今すぐに、俺が彼女に手を上げるようなことはしない、と判断してくれたということだろう。多分。
少女から返ってくる言葉は無いが、仕方がない。こればかりはどうしようもないことだろう。
「まず、自己紹介した方がいいかな。俺の名前は……えっと」
そういえば、俺はこういう時なんと自己紹介するべきなんだろう。
前々から、ミリアムを除いて下の名前だけで名乗ってあとは保留……とするケースが多いが、やはりフルネームまで含めて全部伝えておくべきだろうか。しかし、日本語の名前はアーサイズの人間には発音し辛いようだし……いずれこちらの命名法則に即した名前を名乗ったりした方がいいだろうか。
いや……そういう「僕の考えたカッコイイ名前」を名乗るというのも恥ずかしいような気もするな……しかし、俺の素性を隠そうと思ったらその辺りも徹底するべきとは思うし……でも、いやしかし……。
……よし、保留しよう! 決して問題を先送りにしたわけじゃなく、今、直面している問題を先に解決してから考えるべきだと判断したまでのことだ。何も問題は無い。
無いのだ。
「……リョーマだ。君の名前は?」
「そんなものはない」
たどたどしい口調ながらも、至極そっけなく――しかし、よくよく考えれば当たり前とも思えるような事実をもって、少女は俺の問いに答えた。
そうだ。そりゃそうだ。普通そうなる。何より、元が動物なわけだし、たとえあったとしても人間に発音できるものだとは思えない。
「そうなると……君のことは、なんて呼べばいいかな」
「何でもいい。かってにしろ」
本当に素っ気ないなこの子は!
今までにいなかったタイプだ。ミリアムは例によって人間嫌いだが俺に対しては基本、礼儀正しい方だし……レーネはだいぶ大人しい。アンナなんかは明朗で面倒見も良く……あまり、こういう相手と接してこなかったというのもあるが……やり辛い……!
……けど、少しでも会話はできるようになっているんだ。確実に、状況は良くなっている。
「……オレになにした?」
と、手ごたえを噛み締めていると、少女の方から問いかけが投げられた。
……というか、自分のことを「オレ」か。それにこの乱暴な口調……もしかして、魔族にするに際して入力した基礎知識が……元々俺の知識を由来としているものだから、変に影響を受けてしまっているのだろうか。だとすると悪いことをしたような気持ちになってしまうが……。
「魔族にした……って説明は不十分だろうな。一言じゃあ説明できないけど……まず、君の体内に蓄積されてた、分不相応な量の魔力……これに適応するよう、肉体を組み換え……」
「何言ってるのかわからん。オマエの言うことはむずかしい」
ですよね。
俺だって自分で何言ってるのかいまいち分かってない。そもそもこの説明自体がミリアムからの受け売りみたいなものだ。ちゃんと理解し切れているかと言われると色々と微妙だ。
「でも、マゾクってのは聞いたことがある」
「……え?」
突然の――想定外な発言に、思わず声が漏れる。
少なくとも俺は、この少女に対しては、今の今まで「魔族」という単語を発したことは無い。だのに「聞いたことがあるというのは――――。
「――――オレを『ああ』したヤツが言ってた。マゾクをジンコーテキにツクる、なんてコトを」
コーミング(combing):櫛で髪をとかすこと。また、猫や犬の気の手入れをすること。




