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妥協点

「一応、先にどうなったかだけ聞いておきたい。レーネ、どの方向からにおいがしたか、分かるか?」

「ええっと……あっち、は……」

「東ですね。ここからですと、山頂の方角かと」



 クラインは旧冥王領を円形に囲むように屹立する、山脈の麓にある。

 位置としては円の北西部にあたる。東の方向となると、確かに円の北部……山頂の方角ということになるか。



「それと、魔力の痕跡も見つかりました」

「……嘘だろ」

「事実です。ですが……どうも、魔族の発した魔力にしてはいささかいびつで」

「その痕跡が、魔族のものかどうかは分からない?」

「魔族のものではないことは確実ですが、それ以外となると……」



 言って、ミリアムは軽く首を傾げた。


 実際に魔族であってもらっても困るのは間違いないが、もしそうなら、交渉で解決する方法に持っていくことも十分に視野に入れられた。

 しかし、そこが曖昧になってくると話が降り出しに戻ってしまう。本来、あるべき状況に戻っただけと言えなくもないが……同時に、ひどくきな臭くもなってくる。



「魔族でなく……それでいて、莫大な魔力を持つもの、か」



 いるのだろうか――と考えて、不意にエフェリネの顔が思い浮かぶ。


 ギオレン霊王国の国家元首……そして、突然変異的に膨大な魔力を持って生まれた、人間という枠組みの中では異端中の異端。

 魔族である俺のことを、自分の同類と思って話しかけてきた少女。彼女もまた、魔族ではないのに膨大な量の魔力を保有していた。



「何か心当たりが?」

「少しな。それよりミリアム、確かこっちに来た最初の日言ってたよな。『安定した膨大な魔力を肉体に内包した者』を魔族と呼ぶんだって」

「え、ええ……よく覚えていましたねその説明……」



 あれだけ熱心に説明されれば、少しは覚える気で聞きもする。



「つまり、不安定な魔力を持った、言うなれば『魔族未満』の生き物も存在するってことだよな」

「……まあ、はい。ですがそんなもの、滅多なことでは……」

「実例を一度見たんだ。他にいたっておかしいことじゃあない」



 エフェリネの場合はもっと特別な理由――代行者の子孫だからというのが原因だろうが、それでも絶対にありえないことではないはずだ。

 でなければ魔力の存在を前提として成立する生物など、存在するわけがない。



「実例? って、なんですか?」

「隣の国の王様が、魔族に近いってだけのことだよ」



 そうなればあの容姿にも納得はいく。成長していないのではなく、成長が大幅に遅れているということだ。ミリアムの言葉によると、魔族の寿命は人間のおおよそ百倍。ある一定のところまで成長したら、それ以降の成長が緩やかになっていく――と言ったところだろう。


 とはいえ、エフェリネは狭義には魔族とは言えず、人間の域に留まっている。それは、彼女の肉体に内包された魔力が安定せず、肉体にちゃんと定着していないからだ。精霊術師として最高位に位置するとは言っても、流石にその領域を超えるつもりは無いということでもあるだろうか。



「もしくは……なんだ、ありえないとは思うけど」

「人為的に作り出したもの、ですか」



 続けて放たれたミリアムの言葉に、首肯して返す。


 人間も、熟達すれば魔力を認識し、操ることができるようになる。それによって、動物に莫大な魔力を与えて魔族の「なりそこない」を作り出すこともできるかもしれない。

 もっとも、魔族を滅ぼした張本人である人類が、率先してそんなことをしでかすとは思えないのだが――時に理屈に合わないことをするのもまた人間だ。あるいは、俺たちに理解できないだけで、相応の目的があるということもあり得る。


 いずれにしても、放置しておくことはできない。あと、アンナに話すこともできない。



「……ともかく、そろそろアンナを呼んでくる。二人とも、大丈夫だな?」

「は、はいっ」

「いざとなれば私がレーネのフォローに回りますので」

「頼んだ。俺もできるだけなんとかしようとはする」

「し『ようと』なのですね」



 どうにかしようと思っても、できないときはどうにもならない。世の中そういうものだ。

 特に、こればかりはアンナがどれほど踏み込んでくるかということでもあるし――人の意思が介在してくると、何がどう転んでもおかしくはない。俺が分かるのは嘘だけだ。感情や思考を読むことはできない。


 軽く嘆息して、扉を開く。



「もういいぞ」

「ん。案外早かったね」

「座る場所確保するだけだからな」



 オスヴァルトを退ければ座る場所は出来る。

 嘘は言っていない。ただちょっと事実を捻じ曲げて口にしただけだ。詐欺師の手法と言われると否定はできないが。



「それじゃあ、お邪魔し……うっ」



 ……今、何を見て一瞬言葉が詰まったのだろう。


 アンナの視線を辿って、家の中に視線を向ける……と。



「……何か」



 ――非常に不機嫌そうな顔をしたミリアムが立っていた。


 いや、うん……まあ、ミリアムならこういう反応をするだろうということは分かっていた。

 人間嫌いなのは知っての通り。その上、俺たちの側から見れば、ミリアムは完全な邪魔者だ。ここに来ることが分かっていたとしても、不機嫌さを隠すことができるとは到底思えない。



「リョーマ、ちょっと」



 さて、どうしたものか。そう考えていた折に、アンナから服の裾を引っ張られる。



「どうした?」

「ミリアムさんにあたし何かしたかな? 前からずっと怖いんだけど……」

「……他人にはまず警戒から入るタイプなんだよ」



 幸い、ミリアムとアンナの接点は少ない。初めて会った時と、レーネがウチに来た時……と、そのくらいのものか。俺の従者だと説明はしているが、それ以上のことは何も知らないはずだ。何せミリアムの方からコミュニケーションを取ろうともしていないのだから。むしろ、積極的に離れようとすらしている。魔族としては正しい行為なのかもしれないけども。



「リョーマからも何か言ってよ。お姉さんなんでしょ?」

「今なんつった?」

「……? ミリアムさんって、リョーマのお姉さんなんでしょ?」

「何でそうなる!?」



 突拍子の無い発言に、思わず大声が出てしまう。ミリアムにも聞こえていたのか、憮然とした表情はそのままに口だけが閉まらずにいた。



「え、だ、だって、二人とも髪黒いし、綺麗な金色の目してるし……」

「……え?」



 目……というより、この場合に示しているのは瞳の色のことだろう。


 ただ、しかし、それは……ありえない。ミリアムの瞳の色が金色なのは、俺も知っている。魔族に特有の、というわけではないのだろうが、一度死ぬその直前に最後に見たものだからか、妙に頭に焼き付いていた。


 しかし、俺の瞳も金色だなどということはありえない。俺は元は純粋な日本人だった。その点は確かだ。髪は黒、瞳は茶色。ごく一般的な日本人のそれと殆ど変わらない容姿をしていた、と思う。こちらに来てからというもの、鏡を見る機会はあっても特に注意して自分の目を見るようなことは無かったが、原因があるとするなら……。



「……ミリアム」

「……はい」

「後で話がある」

「…………はい」



 ひどく後ろめたそうに、ミリアムは顔を俯けた。

 根本的なところから考えると、何かあったとすれば蘇生の時だろう。蘇ったことそれ自体は喜ぶべきだが、それはそれとして副作用については再度確認しておかないといけない。十中八九「混ぜ物」のせいだろうが、それはそれとして俺のアイデンティティに関わることなのだから少しくらいは追及したって許されるだろう。


 それはともかく。



「でも、似てますよね……」

「あ、あのなアンナ。レーネも。俺とミリアムは姉弟じゃないぞ。外見は似てるかもしれないけど……」

「で、でも本で読んだもん! 貴族の人は、後継ぎ争いに負けた兄弟姉妹を奴隷にしちゃうとかなんとか……」

「創作じゃねえか!?」



 元の世界の昔の貴族でもそんなことはしな……いや、するだろうか……というか、後継者争いとなると毒殺やら暗殺やら、もっとエグいことをしているのでは……?

 ……創作だから若干マイルドにしているのだろう。あるいは、単にティーン向けの小説の一節を見てそんなふざけたことを思っただけかもしれない。深く考えるのはやめておこう。



「というか初めて会った時やけにちらちら見てくるなと思ったらそれか!」



 ドン引きしているように見えたのも、要はそういうことか。姉を奴隷扱いして連れまわしている鬼畜野郎に見えたと。


 俺の初対面での印象っていったい何なんだ。


 別に何を期待していたというわけでもないけれども、それでも流石にこの仕打ちはあんまりではないだろうか。



「ご、ごめん……」

「いや……もう過ぎたことだし、いいよ。そろそろ本題に――」

「いや、それもそうなんだけど、それより……ミリアムさんが怖いんだけど」



 見れば、先程意気消沈したのは何だったのやら。ミリアムからアンナに向けられる視線はより敵意を増し、もはや睨みつけているとさえ言えるほどになっていた。


 ミリアムからはあまり感じたことの無い強い感情だからか、レーネが怯えている。別にアンナは暴言を言ったつもりも俺を馬鹿にしたつもりも無いだろうに……こういう場面を見ると、ミリアムの人間嫌いが筋金入りなことを再認識させられる。



「ミリアム」



 一言告げて、自制を促す。


 流石にミリアム自身も自分の感情を抑えきれていないことに気付いたのだろう。憮然とした表情は変えないままに、アンナに一礼してそのまま一歩下がっていった。

 話に割り込みはしない、という意思表示だろう。今のミリアムの精神状態ではうっかり何を口走ってもおかしくはないだろうし、現状ではその方がありがたい。



「……えっと、いいかな」

「ああ、うん。問題ない。今からどうするか、だな」

「どうするの?」

「俺個人としては、アンナをここに置いて一人で行って来るのが一番被害が少なくて済むと思ってる」

「あたしが行くと怪我でもするって言いたいの?」

「そうだよ。死ぬかもしれない」



 その点は、はっきりしておかないといけない。


 万が一戦いにでもなった時、身体能力が人間の域を出ないアンナでは、グレートタスクベアを殺した例の動物にはどうあっても倒せない。罠を駆使しようと、恐らくは毒を使っても……弓の腕が優れていたとしても、何も関係ない。出会ったその瞬間に首を噛み千切られて死ぬだろう。

 それなら俺が一人で行った方がまだ勝算は高いし、逃げるのも簡単だ。何より、被害が出たとしても俺一人で済む。そして、俺が死んだとしても――『楔』の役割はレーネが引き継げる。

 家族や親兄弟のいるアンナに万が一のことがあってはいけない。俺と違って、代わりのいない人間だ。自分から危険に近づくような真似はしてほしくない。


 何より、俺が見ていない場所で死なれると――ひどく、後悔するだろう。だから行かせられない。



「でも、リョーマは何も考えずに外に出ると、絶対遭難するよ」

「…………そうだな」



 一方、俺は土地勘が無い。山の歩き方も――所詮は舗装された日本の山道で山菜取りをした程度でしか知らない。薄暗い森の中に何も考えずに飛び込めば、すぐに遭難してしまうことだろう。そこは認めざるを得ない。

 だが、それにしたって他の人間に行かせるよりはよほど安全なはずだ。他の人間にしたって、何らかの要因で遭難してしまう危険性はある。その辺り、万が一遭難してしまった時でも俺なら生き残る可能性は高い。


 ……と言って、果たして納得するかどうか。さっきはそれで結局納得いかないということでここに来たわけだし、もっと別の方向からアプローチするべきだろう。



「じゃあ、アンナ。こうしよう。アンナは罠を仕掛けに行く。俺は、その護衛に行く」

「……護衛?」

「護衛だ。俺は、例の動物を駆除してしまいたいけど、夜の森の中の歩き方なんて流石に知らない。アンナは、土地勘があるけどバケモノ相手じゃ流石に敵わない。だから――」

「協力するってことだね」



 最低限の安全を確保したうえで、俺とアンナ両方の目的を果たす――となると、そうする以外に方法が思い浮かばない。

 思い浮かばないのだが……ところで、レーネが妙に何か言いたそうにしている。



「どうしたんだ、レーネ?」

「あのぅ……はじめから、協力してたらすぐ終わったおはなしじゃないかなぁ、って……」

「……そうしたいのはやまやまだけどさ、色々しがらみがあるんだよ」

「うん……」



 アンナが森の中を案内してくれるならそれに越したことは無いが、俺の手が届く範囲というのも流石に限られている。必ずしも襲撃があるとも限らないが、万が一守り切れずに命を落とすというようなことになれば、悔やんでも悔やみきれない。


 アンナの方は……こちらの能力に疑いを持っているというのが現実的な推論だろう。実際、身体能力はともかく魔法の――術式の構築に関して、俺は素人に毛が生えた程度の能力しかない。既に今日、術式の暴走の実例を見ているアンナには、頼りなく見えていても仕方がない。実際、あまり頼りになる方でもないし。山に慣れていない俺のことを気にして足が鈍るかもしれない。

 極端なことを言ってしまえば、俺たちは二人とも協力相手がいない方がスムーズにことが進むわけだ。が、山に入る前にお互いの存在に気づいてしまったのが、運の尽きと言ったところか。当然だが、普通の人間の感性を持っていれば、見知った相手が危険な場所に飛び込んでいこうとするのを快く思うわけはないし。



「でも、こうなったらしょうがない。急いで山にちょっと登って、急いで帰ろう」

「うん、当然。リョーマも遅れないでよね」

「分かってるよ」



 ……まあ、危険だ危険だと言っていても、広大な森の中で偶然に特定の一匹と出くわすなんて、そうそうありえる話でもない。

 今日、偶然にもグレートタスクベアなんてバケモノの死体を見つけて敏感になってしまっているだけのことだろう。こういう不安は、大抵杞憂で終わるものだ。


 そうであってほしい。



「それじゃあ、レーネ。ミリアムも。行ってくる」

「いってらっしゃいです、リョーマさま!」

「行ってらっしゃいませリョーマ様。どうぞ、お気をつけて」



 頭を下げて見送る二人に軽く手を振り、小屋を後にする。


 こうした挨拶に慣れていないのか、アンナは当然のように微妙な表情をしていたが……俺だってこんな挨拶は慣れていない。今すぐ普通に見送ってくれと言いたいところだが、そうすると「元貴族」という前提が崩れ去るので、それもできない。


 ……などという微妙なジレンマと不安を抱えながら、俺たちは夜の森の中へ一歩を踏み出していった――――。

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