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クライモリ

 結局のところ、会議所で報告を行った結果。グレートタスクベアを殺した正体不明の生物への対処は、「様子見」ということで落ち着くこととなった。


 賢明な判断だとは思う。正体も分からないものに闇雲に手を出しても、痛い目を見るだけだろうからだ。


 それは魔族(おれたち)にとっても同じことだが、幾分か痛みの度合いはマシだろう。人間より夜目も効く。だからこそ、深夜の内に探し出して解決しておきたい。


 ……いや、正確にはそうした「かった」とするべきだろうか。



「何お前こんな時間に出歩いてるんだよ!?」

「リョーマにだけは言われたくないよ!」



 片や左手にランタンを、片や魔法で作り出した火を携えて、俺とアンナは闇に包まれた山道で数十分ぶりの再会を果たしていた。

 夜道は危ないからということで家に送り届けたはずの女の子が、当然のように狩りの準備を整えて夜の山道にいる。何のギャグだこれは。



「アンナ、お前曲がりなりにも俺が術師なの忘れてないか? ダミアンさんからも手が空いたら手伝ってくれって言われてるんだよ」

「それは昼間の話でしょ。今やれなんて言われてないじゃない!」

「そりゃ……クラインの人からしたら、俺って余所者だろ。皆にできないことをしないとって思って……アンナこそ何でだよ」

「え、いや……別に……ほら、あたし猟師だし……」

「なら余計に夜が一番危ないことくらい分かり切ってるだろ!」



 実際、お互いに分かり切っていることだ。夜道は危ない。謎の生物のいる山中もだいぶ危ない。その二つが複合するとより危ない。

 それでもなおここに来たというのは、それ相応の理由があるからだ。俺は自分の能力をよく知っているからだが、普通の人間であるはずのアンナがここに来たというのは……責任感か、好奇心か……この様子を見る限り両方だろうか。


 どちらにしても、このままここにい続けるのは危ない。俺はともかく、アンナが。



「ハンスさん心配してるぞ、絶対に」

「リョーマもね」

「だから俺は術師だから大丈夫って言ってるじゃないか。ダミアンさんにもお墨付きは貰ってる」



 ダミアンさんが見ているところで試しに薪を素手で割ってみたところ、簡単にお墨付きは貰うことができた。

 俺が得意にしている術式が身体強化のものだ……という言い訳が功を奏したのかもしれない。いずれにしても、多少のことなら何とでもなるとは周知されているはずだ。精霊術師ともなれば立場と実力の保証は充分だろう。


 しかし、憮然としたような表情で、アンナは一言反論を告げた。



「森の中の歩き方も知らないのに?」

「それとこれとは話が別だ」

「別じゃないよ。リョーマ、もし遭難とかしちゃったら、帰り方分かるの? もしそうなったら村の人もリョーマのこと探さなきゃいけないし、もし崖から足でも滑らせたら……」

「そりゃ……そうだけど……」



 しまった。今度は俺の方がやり込められている。

 いや……元々アンナは頭の回転が早い方だし勘も良い。反論も決して筋が通っていないわけじゃない。


 問題は、たとえ遭難したとしても多少のことなら自分でどうとでもできるという辺りで……。



「あ、アンナ。万が一遭難しても俺は術式使って帰れるから……」

「遭難すること自体がダメなの!」



 至極ごもっともだ。反論の余地もない。普通の状況ならばまず間違いなく従っている。だが、今は譲れない。

 相手はバケモノ熊を惨殺してのけた怪物だ。同じ土台(・・・・)に立っていなければ、抵抗も許されずに殺されてしまうことは明白。更に言うなら、相手が魔族である場合を考えると俺以外に対処できる者はそういないはずだ。だから俺は、今この時点でアンナを森に向かわせたくない。

 しかし、夜の森というのは恐ろしいものだ。方向感覚が狂わされ、足元が見えず崖下に真っ逆さまという事態もあり得る。獣の足跡を追おうというのに、そのためのノウハウが無いというのも致命的だ。だから、アンナは俺を森に行かせたくない。


 どっちもどっちだ。俺は森の歩き方を知らず、アンナは単純に戦闘力が足りない。


 一つ、溜息をついてアンナに改めて向き直る。

 一見すると毅然とした態度で向き合っているようにも思える。しかし、視線を下に向けてみると、僅かに震えるアンナの足が見えた。


 義務感というか、義侠心というか……ともかく、アンナにはここに来なければならないという確固たる意志がある。それこそ、足が震えるほどに怖いと思っていても、なお。


 ……それを理解していて見過ごすというのは、主義ではない。


 数秒か、あるいは数分程度の気まずい沈黙を打ち破るように、口を開く。



「……一度、山小屋に行ってそれから話さないか。ここで口論してもしょうがない」

「うん……そうだよね……ごめん、ちょっとお邪魔する……」



 互いに害意や敵意があるわけじゃない。ただ少しだけ譲れないものがあって、対立する部分があっただけのことだ。

 俺はアンナに傷ついてほしくないし、アンナも多分、他人が傷ついてほしくないと……それだけの話だ。


 ……いや、やっぱり帰ってもらいたいというのが本音なのだが。どんなに気を付けていても危ないことには変わりないし。どこかでボロが出ても困るし。


 夜道を二人、黙々と歩いていく。


 少しばかり気まずい。俺にしろアンナにしろ、あんな場面で出くわしてしまったのだから……と理屈の上では分かっているが、それはそれとして後ろめたい感情が拭えない。元々、アンナに対して隠し事だらけだし……根本的に、俺はアンナと接する時には罪悪感が下敷きにある。


 アンナの方は……この様子を見るに、ハンスさんに黙って家を抜け出してきたのだろう。ハンスさんにせよフリーダさんにせよ、言えば反対されるだろうということは分かり切っている。



「……ねえ。リョーマはどうしようとしてたの?」



 不意に、アンナがそんな問いかけを投げかける。

 どう、というのは……多分、謎の生物に対しての行動、ということだろうか。



「どんな動物か確かめて、場合によっては駆除する」



 それ以外に言えることも、できることも無い。


 知識が無い。経験も無い。職も無ければ金もない。今の俺にできるのは精々、肉体労働くらいのものだ。

 ならばそれを突き詰めていく。自分にできることが今あるのならば、今やらなければ後悔することになるだろうから。



「そう言うアンナは何しに行くつもりだったんだよ」

「……これ。罠、仕掛けにいこうと思って」



 ランタンを持っていない左手を掲げて、その手に握る鉄の塊を示して見せる。

 トラバサミ、というヤツだろうか。華奢なアンナが持つにはいささか凶悪な感があるが、罠と言うからにはこのくらいのものが必要になるのだろう。


 しかし――もし相手が魔族に比肩するほどの頑丈さなら、これだけの罠にも意味は無いように思えるのだが……。



「壊されるだけじゃないか?」

「むしろ壊してもらうのが目的かな」

「壊して……?」

「うん」



 余計に頭が混乱してきた。罠というのは普通、毒を塗るなり別の罠を組み合わせるなりして、確実に動物を捕まえるためのものではないのだろうか?



「例の動物の行動範囲を調べるの。グレートタスクベアの死体のあった周辺と、そこから離れた場所にいくつか。金属製の罠に引っ掛かったら、普通の動物はそのまま動けなくなると思うんだけど」

「……そうか。壊されてたら、少なくともその場所にいたってことは分かるのか」



 運次第の面もあるが、罠を仕掛けておくのは悪くない、と思う。工夫次第で動物が罠にかかる可能性は上げられるだろうし、他の動物が引っ掛かったとしても、それはそれで明日の糧になる。本命が引っ掛かるようならそれはそれで構わないし、壊されたなら、そこに件の動物がいたという証明になる……はずだ。多分。

 それに、罠を仕掛けるだけなら……適切な場所を見つけるのに少し時間はかかるだろうけども、そう何時間もかかるものではない。アンナが現状できることとして考えると、かなりの無茶とはいえ不適切というわけではないのではないだろうか。そもそも深夜にやるんじゃねえという話でもあるが。

 ……と。そうこうしているうちに、山小屋が見えてきた。そろそろちゃんと座って話もできるだろう……が。



「…………」

「……? どうしたのリョーマ、いきなり立ち止まって」

「あ、いや……」



 思い出した。ミリアムだけならいざ知らず、よく考えてみればレーネも一緒に捜索に行ってもらっているんだった。

 レーネも魔族なのだし、いざ脅威と出くわしても逃げ帰って来られるだけの能力はあるだろうが、アンナがそのことを知っているわけがない。

 ハタから見れば幼い女の子を夜の山中に送り出すなど、鬼畜生の所業だ。危険だと理解しているなら尚更に。



「………………」



 外からでは屋内の様子までは見えない。これでレーネが戻って来てくれていればいいのだが、俺が出て行ってすぐに戻ってくるとも考えづらい。俺もアンナも結局、山に入ろうとしていたことには違いないのだから、一旦中継地点にある山小屋に行くのは道理だと思う。いちいち村に戻るわけにもいかないだろうし。


 しかしそれでも、考えてみると俺の判断は軽率だったのではないだろうか。準備が整わないままレーネの頭の狼耳でも見られると非常にマズいし、そもそもオスヴァルトが地下から出てきて何やかやしてる可能性もある。ただの変態だということにすることはできるが、それはそれでオスヴァルトに悪い。


 とは言ってもアンナはどう見たって引き下がるようにも見えないし……こうなると、ある程度覚悟を決めてかかる必要があるだろう。少しの間、アンナを外で待たせておいてもいいかもしれない。

 と、考えている間にも玄関に近づいていく。廃屋じみた外観はこちらに来た時と殆ど変わらず……しかし、生活していく中でなんとかかんとか補修も施し、体裁は整えた程度の山小屋だ。そんな性質上、生活音が外に漏れだすことも少なくない、のだが――。



「……あれ?」

「リョーマ、何度も何度もどうしたの」

「……いや、えー……俺にも色々あってさ……ちょっと」



 アンナは気にしていないようだが、どうも小屋の中から二人分の声が漏れ聞こえてくる。


 普段聞き慣れた、多少の幼さを残した声とどこかわざとらしさを感じるほどに「女の子」した声。ミリアムとレーネのそれだろう。しかし、俺は村の会議所に行く前に、山の方を調べてくるよう頼んだはずなのだが……。



「悪い、ちょっと待ってくれるかな。少し中を片づけたい」

「いいけど……もしかして、ずっと考えてたのってそれ?」

「まあ……」

「呆れた。普段から掃除しときなよ!」

「は、はは……は……」



 別に普段から掃除をしていないわけじゃない。単にものが無いだけだ。


 ……と、言い返したところでこじれるだけだろう。素早く戸を開き、小屋に入って扉を閉じる。と、やはりと言うべきか。レーネもミリアムも、何食わぬ顔で小屋の中でくつろいでいた。オスヴァルトもまた、無言のままに笑みを湛えて部屋の隅に佇んでいる。



「あ、おかえりなさい、リョーマさま!」

「あ、ああ。ただいま」



 朗らかに挨拶をして見せるレーネに拍子抜けしそうになる……が、その前にミリアムに聞くべきことと言うべきことがある。



「ミリアム。アンナが来てるんだけど……」

「ええ、でしょうね」



 と。得意げな顔をして、ミリアムはそう言ってのけた。

 前から俺の短慮・浅慮や迂闊さは窘められることが多かったが……。



「……俺の行動、そんなに分かりやすいか?」

「理解はしやすい方でしょうが、こればかりは長年の経験というだけです。お気になさらず」

「然り然り。実際このオスヴァルト、黙っていろと言われてなお状況が把握できておりませんでした」



 ……流石にこの主張まで疑うことは無いか。ミリアムが俺の行動を予測して先手を打つというのも、今に始まったことではないし。



「ってことは、レーネも?」

「あっ、はい。ミリアムさんが、『まずは方角だけ』って言ってました。あとは、リョーマさまが帰って来てからって」

「そっか。すまない、ミリアム。助かった」

「いえ。ところで、アンナさんが来たということは……」

「うん。悪いけどオスヴァルト、今から人間が来るからしばらく姿を隠してくれ。レーネは耳を。ミリアムは……大丈夫だな」

「御意」

「あ、はいっ」



 ミリアムは既に俺の行動を予測していた関係上、既に角は魔力操作で隠してあった。

 レーネは俺の言葉を聞いて焦ったのだろう。しきりにフードを耳にひっかけてしまっている。もう少し落ち着くまで待ってもらうのが良さそうだ。

 オスヴァルトはごく冷静に地下室への扉を開けて降りて行った。普段あれだけうるさい割に、空気の読める男だ。

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