転機
「――――あなたに、魔族の王になっていただきたいのです」
一瞬、その言葉が意味するところが理解できなかった俺を責めることができる者が、どれだけいるだろう。
魔族の王。それは、ミリアムの言う通りの存在だとするならば、この世界を維持するための存在だ。
恐らくはその肩書に相応しいだけの力を持うのだろう彼らは、しかし戦争によって死んでしまった。
なら、新しく王となる者を擁立するのが筋だろう、と思いはするが……。
「何言ってんだこの痴女」
思わず本音が漏れ出た。
「痴女!?」
「その服装はどう見ても痴女じゃ……」
「……!? い、いえ、これは違います! いえ、違わないのですが! ええい、おのれ!」
少なくとも、下乳とヘソを当然のように放り出してるような服を着てるようなのを淑女だと思いたくはない。
しかし、何が違うと言うのだろう。おのれおのれ、と何やらミリアムは俺の指摘を受けて憤慨しつつ赤面している。
あれは恥ずかしさによる紅潮なのか、それとも怒りで頭に血が昇っているのか、どっちなんだろう。
まあ顔の赤さでは俺も引けを取らないけどな! 血塗れだし!!
……考えれば考えるほど虚しくなってくるなこういう比較は。
「痴女ではありません。百歩譲って痴女だとしても、まずは私の話を聞いてください」
「……聞けと言われりゃ聞くけどさ。そもそも、ただの学生の俺にどうしろって言うんだよ」
その学校だって卒業する直前だったし、進学にも就職にもだいぶ失敗しかけてて、このままじゃ本当に何もできやしないただの無職だ。
その上身寄りも無いなんて、考えれば考えるほどどうしようもない。特別な才能なんてものも、俺には無いわけだし。
「それならば問題はありません。何故なら、既にあなたは人類の枠を超えているのですから」
「は?」
「その体は既に魔族と同等。あらゆる身体的能力が向上した至上の――――」
「は?」
「すみません詰め寄らないでくださいすみません」
理解できない。
彼女の言っている言葉の意味が分からない。
俺が? 魔族とやらと? 同等の存在?
――――は?
「は?」
「ごめんなさいこれにも色々と事情がありまして」
「言ってみろ」
「異世界の人の知識を借りたり、人間との関係を取り持ってもらおうと召喚したら……そのままそこに、ぐしゃりと」
ぐしゃりと。
……ぐしゃりと。
「なるほど。この血溜まりは俺のか」
「いやぁ、空間に孔を穿つという理屈は分かっていたのですが、まさか物理的に穴を開けて落とすことになるとは」
「ははは、うっかりだなこのド畜生がははは」
「いえ、その、本当に申し訳ありません。ですからそう言葉の合間合間に毒を吐くのをおやめください……」
どうしてくれようかこの下乳放り出し女。
……いや、どうもこうもしないし、そもそもできないのが実情なんだけど。
魔族が人間よりも強い力を持っているという言葉が事実なら、ミリアムもまた相応の腕力を持ち合わせていることになる。もし万が一俺の中に、彼女に対して危害を加えようという思いがあったとしても、返り討ちに遭っておしまいだろう。
もっとも、この状況に対する怒りはあるが。
「私もこんなことになるとは思わなかったのです……なにぶん、初めての術式の上に、この術式を使えば私の魔力もほぼ枯渇してしまいますし……」
「迂闊に実験もできなかったってワケか」
「そうです。そうなんです。ですので――――」
「許すわけねえだろ」
「ですよね」
空間に穴を穿つとか、そんなことまでできるんならせめてまず警告か何かしておけよ、と思う。
世界を維持するだの何だのという王がいなくなって、すぐに世界が崩壊してしまうんじゃないかという不安があって焦っていたというのなら、分からないでもないけども。
「しかし、こうでもしなければ肉体そのものの損失が激しく……こうしてここに立っていることもできなかったかと」
「……マジかよ」
「ええ。その際に先代冥お……いえ。魔族の王の一人の遺体を使って肉体を再構成致しましたので……」
「……なるほど。ああ――なるほど」
だいたい分かった。だから、「魔族の王になってもらいたい」ってことか。
その昔の王様の遺体を使って俺を蘇生させたのだから、その魔力……というものが、今の俺に宿っているとしても不思議じゃない。
で、だからこそ「魔族と同等の存在」か。厳密には人間と魔族の肉体を無理やり半分ずつ繋いだゾンビのようなものだ。
理解はできた。しかし――疑問もある。
「それなら、俺を生き返らせる意味は無かったんじゃないか?」
「ええ、効率だけを考えるならば、その通りです。事実私の魔力はほぼ枯渇しています。ですが……こちらの都合で呼び出した負い目もあります。せめて、命だけは――と思ったのですが」
その命の在り様までもを変えてしまった。
彼女自身は決して意図したことではないのだろう。しかし、既に起きてしまったことがことだ。そこに関してはもはや変えようもない。
「だからこそ、唯一それができるであろうあなたにお願いしたいのです。どうか――――魔族の王となっていただきたい、と」
切実な訴えだった。
それは、彼女自身が自身の仲間を探し求めた果てに見つからなかったという虚しさに由来するものなのかもしれないし、世界を維持しなければという義務感や使命感によるものなのかもしれない。
いずれにせよ、俺にその願いを退けることはできず――――。
「……分かったよ」
数秒ほどの間を置いて、不承不承に承諾の言葉を伝えた。
次の瞬間、ぱっとミリアムの表情が明るくなる。
「引き受けていただけるのですか!?」
「絶滅した、ってことは、今はもう俺以外にできるようなやついないんだろ。その上、引き受けなきゃ世界が滅びるとまで来た。流石にこれを放置していくのは寝覚めが悪い」
流石にそれをどうでもいいと放置していくことができるほど、俺は薄情なつもりは無い。
勿論、色々と言いたいこともあるが――――だからと言って文句ばかり言っていては何もできはしない。俺だって、元の世界で生活を送る上で学んでいる。
まずは、行動することだと。結果はそれに付随すると。
彼女の言葉に嘘は含まれていない。それは確実だ。
目線の動き、発汗量、あるいは言葉の合間合間に挟まれる仕草から見ても、それだけは間違いなく言えることだった。
「それに――――そうだな、これも一つの転機だ」
「転機ですか……?」
「どうせあっちにいたって、このまま何もせずに歳くって死ぬだけだっただろうしな。戻ることも難しそうだし、前向きに考えよう」
その考え自体が後ろ向きなような気もするが、そこはそれ。これから前向きになっていけばいい。
誰しもずっと前向きでいられるわけじゃないが、後ろ向きでい続けることも苦痛だろう。
元の世界でも良い生活を送ってきたとは言い難いんだ。なら、ここでひとつ考え方を変えていこう。
「俺にできることは、そんなに多くないかもしれないけどな」
「いえ――――百人の味方を得たような心地です」
そう言って、ミリアムは僅かに微笑んで。
「……ありがとうございます」
一言、そう告げた。
気恥ずかしそうに頬を掻くミリアムに、俺は右手を差し出して言葉を返す。
「よろしく頼むよ、ミリアム」
「それはちょっとご遠慮させてください」
「待てや」
文化の違いとか思想の違いとかそういうものはあるかもしれないけども。
そこはノれよ。
「血塗れの人と握手はちょっと……」
「………………」
前言撤回。誰だってそうする。俺だってそうする。
――――ともあれ。
前途は未だ多難だが、目的だけは確立した。
不安は絶えず、星の数ほどにも見えるが――――さて。
ここから先、どう転がっていくことやら。




