可能性を論ずる
「――ということになってる。何か心当たりはないか?」
夕刻。グレートタスクベアの死骸に関する調査も終わり、肉や毛皮の振り分けが行われたその後で、俺は数十キロほどもある肉を抱えて廃屋まで帰ってきていた。
状況の経過を報告している間、ちらちらと肉の塊の方に視線が投げられていたのは錯覚ではあるまい。
「グレートタスクベア、ですか……」
「レーネ、どうかしたか?」
「あ、いえっ……村でも、聞いたことがなかったなぁって」
「そうでしょうね。何せ元は冥王領内にいた野生種ですから」
「……何か知ってそうだな、ミリアム」
「ええ、まあ」
かつての冥王や魔族、その周囲の事柄についてよく知るミリアムなら、知っていて何もおかしいことは無いが……。
ともあれ、どんな爆弾発言が飛び出すか分からない。どんな真実が飛び出して来ても動じないよう心に命じながら、ミリアムの説明を待つ。
「冥王領が健在だったころは、魔族の保存食でした」
「えっ」
「ほぞ……」
保存食。
それは、つまり、あれか。
あれだけ巨大な熊で。雑食でありながら草食に近い食性をしているから広大な森の中で放し飼いにしておけばそれなりに育ち。加えて、魔族の寿命は長いから、育つまでの数十年程度を待つにも大した苦痛は感じない……何より屠殺するにも、魔族なら大した労力が要らないと。そういうことか。
「なるほど、なるほど。あれはあくまで魔力を持たぬ生物の一種! 魔族ならば家畜とするにも大して問題は無いでしょうなぁ」
「魔族ならな。普通の人間が手を出せるような相手じゃあない」
「でも、そんなグレートタスクベアをあっさり殺しちゃうなんて……そんな生き物、ドラゴン以外にいるんですか?」
こちらに来てからというもの、これまでに聞かなかった――しかし、いても決して不思議ではないはずの存在を示す単語に、思わず眉を顰める。
ドラゴン。元の世界においてはファンタジー世界の代名詞的存在でもある。しかし、アーサイズは魔法や精霊術の存在を除けば元の世界に近い法則が適用されている。もしもそんなものがいるなら今日までの間に見つけることができただろうし、いたとしても精々がトカゲくらいのサイズだろうと想定していたものだが……この口ぶりからすると、本当にいるのか。ドラゴン。
だが全くワクワクしないのは何故だ。
「いくらでもいますよ。マガラニカ、インコグニータ、レミュール、ゴンドログロッソ、オリシオドルコン……」
「?」
「待てミリアム、誰も理解が追いついてない」
「えっ」
こっちの世界のことなんだから分かるはずのない俺と、少々常識の欠けているレーネ。そして常識そのものがブッ飛んでるオスヴァルトの誰もが理解できていないあたり、ミリアムの話す内容は彼女だけが理解していることのようだ。
どれもこちらの世界の生物なのだろうということは分かるが、曲がりなりにも知恵だけはあるはずのオスヴァルトが話を把握できていないあたり、知っている人間の方が珍しいというような種なのではないだろうか。
「……それって、どんな生物なんだ? 少なくとも俺はドラゴン以外には分からないんだけど」
「わたしもです……」
「そ、そうですか……あれ?」
自分の常識は世間の非常識という言葉がある。
何せミリアムは七十年近くあの城に引きこもっていたわけだ。人間からすると膨大な時間だし、一種類や二種類程度の動物が絶滅しても不思議はない。
単純に人間に知られておらず、魔族にはポピュラーな存在という可能性もある。あるいは、魔族ではそう呼ばれているが人間には別の名前で呼ばれているとか……どちらにしても、教えてもらわないことには分からない。
「そうですね……『楔』の王の一人、海王を務めていたのが、代々マガラニカという種でした。あらゆる海の生物の祖先とも呼ばれておりまして、文字通り山のように巨大な外骨格を持っているのですが……なにぶん、それだけの巨大なもの。維持そのものに膨大な魔力……それも、王としてのそれが必要になりますので、そもそも海王でないとなれない種で……」
「何でそんなグレートタスクベアと戦いそうもないようなのを先に例に出したんだお前」
魔族であること前提の種族なんて、そんなの強いに決まっている。
既に魔族が滅んで久しいし、だいいち、水棲生物が陸に上がってくるわけがないだろう。ということでこれは論外。
「いんこぐ……? っていうのは、なんなんですか?」
「インコグニータ。マガラニカの近縁種ですね。『巨大な外骨格を持つ海王で、全海洋生物の祖先』という生物がマガラニカですが、海王としての魔力を得られず、小型の外骨格を持つことになったものがインコグニータと呼ばれています」
「おいさっきとほとんど変わってないぞ」
実は自分の知識をひけらかしたいんじゃないのかミリアムは……などとあらぬ疑いを抱きそうになる中、オスヴァルトだけは興味深そうにミリアムの話を聞いていた。
オスヴァルトが神妙な様子で黙っているというのも、なかなかに珍しい光景だ。
「ふむ――ところでミリアム殿。そうなるとそのマガラニカとインコグニータは、魔力を持っていることが前提となって進化した生物、ということですな?」
「ええ、まあ……それが?」
「いえなに、ならばこのオスヴァルトもまた、そのような生物と言えるのでしょうなぁ、と。そう思ったまでのことですよ。フハハハ!」
思ったより事情が込み入っていた。
そりゃそうだ。思いもするだろう、そんなこと。曲がりなりにもオスヴァルトは、「魔力を人の形に形成して複数の混ざり合った魂をブチ込んだ」なんて状態のフシギ生物だ。そもそも生物なのかどうかさえ曖昧だし、混ざり合った魂のおかげで自分というものがいまいち分からない、ということでも何ら不思議はない。いつアイデンティティが崩壊しても、おかしくはないのだ。
だから、「自分」を定義するものを求めたと考えれば……きっと、この発言は当然にするべきことだったのだろう。
「……ミリアム、他は?」
けども、その推測を口にすることは憚られた。
所詮は推測に過ぎないし、何よりも彼自身がそれを望まないだろう。わざわざ大袈裟に笑って見せたのは、きっとそういうことだ。
ミリアムにはこちらの意図が伝わったのだろう。一瞬、物憂げな表情を浮かべたのちにまた、淡い笑みを浮かべて見せた。
レーネはいまいち状況が理解できていないようだったが、口を挟めるような状態でもないことだけは把握していたようだ。
「……そうですね。レミュールというのは、洞窟に住む巨大な蛇です。巨木をも飲み込むほどの巨体――であるにも関わらず、岩をも溶かすほどの猛毒を有する凶悪な生物です。水中でも呼吸ができるようで、基本的には地底湖に生息しています」
「洞窟……って、この近くにもあるんですか?」
「いや、分からない。けど……そうそういるとは思えないな。そのレミュールっていうのは、珍しい蛇なのか?」
「大陸沿岸部にいるかいないか、という程度ですね。基本的には海の領域にある生物なので」
つまり、グレートタスクベアを殺したと思われる生物の中から、レミュールは候補から除外される。
そもそも、レミュールが狩りに使うとするならその岩をも溶かすという強力な毒だろう。グレートタスクベアの死体からはそのような形跡は見られなかった。ならば別の生物だろう。
「ゴンドログロッソっていうのは?」
「有体に言えば、巨大な陸ガメです。地下深くで生まれて、鉱石を主食にして成長します。小さな湖に沈めてもまだ背の甲が見えるほどですが……基本的に温厚な性格ですので、襲われない限りは手を出すことはありません」
となると、意図的にグレートタスクベアを殺すということはまず無いだろうし、そんな巨大な生物がいる時点で必ず誰かが気付くだろう。つまり、これも違う。
「最後の……何だっけ」
「オリシオドルコンですな!!」
「……人の言葉を奪わないでください」
大声で言葉を挟むオスヴァルトに口を尖らせるミリアム。
もしかするとミリアムは割と説明好きなのだろうか。そもそも、七十年近くも話し相手がいなかったのだから、とにかく他人と話したいという気持ちがあるのかもしれない。
「オリシオドルコンは三本の足を持つ怪鳥です。巨大な鳥ですが……グレートタスクベアよりは多少小柄ですね。とはいえその三本の脚は非常に強靭で、なんというか……首を」
「……捩じ切るとか?」
「ええ、まあ」
戦法がエグいなその怪鳥。
どんな生物でも首を鍛えるのは難しいだろうし有効だろうが、それにしてもえげつない。
しかし、となるとこのオリシオドルコンがグレートタスクベアを殺害した生物の候補には最も近いはずだ。問題は、もしその通りならあのグレートタスクベアの死体の首から上が無いはずだという点だが。
「……この五種類は違うな。アンナの調べた傷跡とあまりに違いすぎる」
「アンナさんは何と?」
「犬や猫がつけたような傷跡らしい。けど、そのサイズの動物がグレートタスクベアを殺すのは難しい。できるとするなら」
「――ン魔族ッ! くらいですなぁ!!」
そう。そのサイズの動物がグレートタスクベアを殺せるとしたら、魔族以外にあり得ない。
そもそもが土台からして違いすぎる。アリが巨像に挑むようなものだ。挑みかかった時点で捻り潰される。
……だが、その論にも致命的な欠陥がある。
「けど、俺はレーネとオスヴァルト以外を魔族にした覚えは無いぞ」
術式それ自体はミリアムが二度、構築したおかげである程度先代冥王の知識によって補完されている。時間をかけさえすれば構築することもできる……かもしれないが、皆に黙ってやる理由も無い。
人間に魔族の存在がバレるとマズいというのが俺たちの共通認識だ。ミリアムは俺と違ってだいぶ理性的な性格だし、オスヴァルトが何かしでかそうとしても止められる能力もある。レーネはまだ魔力を操ることはできないし、少なくとも俺たちの内の誰かがやったということは無い。
「でしょうね。いくらリョーマ様でも、そこまで軽率なことはしませんでしょうし」
今ごく自然に俺のこと馬鹿にしなかったかこいつ。
暗に迂闊で無鉄砲だって言われていないか俺。
否定できねえ。
「あのぅ……もしかして、なんですけど……」
不意に、おずおずとレーネが手を挙げる。
「どうしたんだ?」
「ええっと……もしかしたら、ルプスさ……あ、いや、ルプスなんじゃないかって……」
「ええと、レーネ? 今は別に金の話してるわけじゃ……」
「いえリョーマ様、ルプスというのは……」
「王よ!! ルプスというのは即ち最高位の精霊、『光』の精霊のン眷属たる光り輝く狼のことでありまして! かつての戦役の際に人類側の戦力として運用されておりましたァ!! その外見と能力で人間から神聖視され、次第に伝説の身が残り、通貨の単位になった――ということなのですッ!!」
どうしよう。説明する機会を奪われたせいでミリアムの表情が苦み走っている。
だがそういうことか。ルプスという通貨単位の語源で――かつ、最高位の精霊の眷属。輝く「狼」。関連を疑っても仕方がない。
仕方がない、のだが……。
「……けど、そいつがグレートタスクベアを殺す理由が無いな」
「そ、そうですか……あぅ。すみません」
「いや。でも十分に考える役には立ったよ。ありがとう」
グレートタスクベアを殺して俺たちに警告を放った、とは考えづらい。それなら直接攻撃すればいいだけのことだ。
しかし、考える役に立ったのは間違いない。頭を撫で……いや、流石に無理だ。そうするのももいいかもしれないが、そこまでするのは流石に横柄だ。恋人でもあるまいし。
父ならこの年頃の子供がしてほしい反応というのが分かっただろうか。いや、分からなかったかもしれない。その頃は……十歳の頃だから、八年前か。離婚調停の真っ最中だろうから、俺に構う時間も無かっただろう。その当時俺はどうしてほしかっただろう。何せ八年も前のことだし、よく思い出せない。それに……。
考えても詮無いことだ。それに、問題は俺のことじゃなくて今この状況だ。
「………………」
物憂げな溜息が、ミリアムの口から漏れた。
何だろう、あの視線は。まるで俺のことを非難しているような。
いや、流石に無いだろう。何せ俺、レーネを助けたは助けたけど、それだけだぞ。
撫でるとか。無いだろう。そんなジェスチャーをしていると、ミリアムは深く深く溜息をついてみせた。
「ムッツリの上にヘタレとは……」
「言葉にするんじゃない」
「むっつり……?」
「レーネも聞き返すんじゃない」
意味をよく理解せずに聞き返しているだけだろうが。それにしたって傷つくものは傷つく。
「王よ、欲というものは適宜発散することが肝要ですが!!」
「お前ちょっと黙れ」
そんなことができる時間も場所もねえよ。
万が一にでも二人に感付かれたら軽蔑されるだけじゃすまない。
「話が逸れたな。ともかく、グレートタスクベアを殺したのは普通の生き物じゃない。少なくともただの野生動物ってことは無いだろう。問題は、魔族の敵か人間の敵か……もっと別の何かなのか、というところだ」
いずれにしても、判断の材料が欲しい。
精霊の回し者だというのならそれでも構わない。倒せばいいだけだ。
魔族に関係するのであれば……その時は、取り押さえてから考えるとしよう。生憎、魔法に詳しくない俺では対処法を考えるのは難しい。こういうのはミリアムの方が遥かに詳しいことだろう。
「ミリアム。時間があればこの周辺に魔力の痕跡が無いか調べてくれ。相手が魔族に近い存在なら、濃い魔力を発しているはずだから」
「分かりました。本日中にでも」
「レーネ。相手は恐らく獣で……相当な量の返り血を浴びている。血の臭いを辿れるか? 無理なら俺がやる」
「あ、で、できますっ! やります!」
「ありがとう。じゃあオスヴァルト」
「はッ!!」
「無暗に出歩かず留守を守ってくれ」
「……王は焦らすのがお好きと」
「誤解を招くようなことを言うのはやめろ」
適材適所というか――なんというか。オスヴァルトに外に出ていかれると無用に混乱が起きそうで恐ろしい。
何より、村で周知されていないオスヴァルトが出歩くと、クラインの住人に違和感を与える原因になりかねない。ミリアムやレーネなら大丈夫という確証があるわけでもないが、それでも幾分かマシではあるだろう。
「それで……リョーマ様は一体何を?」
「これから村の会議所に行って今回の件の報告と、今後の対策を話し合ってくる。山狩りをすることになるなら明日以降、それも昼間だろうから……俺たちは、夜間に行動を起こす」
「ふむ、ンなァるほど! それなら全力で動いても構いますまいッ!」
今回の相手は、グレートタスクベアなんてバケモノを当然のように殺してみせたバケモノだ。中途半端なことをして取り逃がしたり、場合によっては他に被害が出ることを抑えようと思えば全力で動くことも必要になってくる。
以前よりも夜目が効くようになっているし、いざとなれば魔力の塊を切り離してただの「淡い光」として浮かべさえすれば、夜中でもそれなりに活動はできるはずだ。
「……しかし夜ならば余計に私めが行っても構わないのでは?」
「俺以外にまともに戦うことができそうなのがオスヴァルトしかいないんだ。悪いけど……」
「いえッ!! そういうことでしたらこのオスヴァルト、喜んで留守を任されましょう!」
よし、一応は言いくるめた。
いや、実際、俺以外で「戦う」ことを考えると、オスヴァルト以外には難しい。レーネは言わずもがな。ミリアムは体質上魔法をまともに使えないし――となれば、確実に戦力と成り得るのはオスヴァルトくらいしかいない。
もっとも、それにしたって未知数な感は否めない。精霊術を応用した魔法――実際に使ったのは見たが、それ以外にどれだけのことができるかも分からないからだ。
どちらにしても、今のこの状況で能力を把握しておく時間は無い。口頭で申告されても俺にはいまいち分からないだろうし、実際に理解するにしても時間がかかるだろう。
「深夜までには戻れると思う。それまでにできるところまで探してみてくれ。でも手出しはしないように。対処は俺がする」
万が一のことを考えると、レーネやミリアムにはさせられない。
ミリアムはまだ護身の術を持っているだろうが、それでもいざとなれば魔法を使わざるを得なくなるだろう。万が一の事態を思えば、それは避けたい。本当の意味で危機に陥った時にだけ、ミリアムの力を借りるべきだ。
「了解しました。リョーマ様もお気をつけて」
「気をつけてください!」
見送る二人に軽く手を振り、上着を手に取り家を出る。
問題はここからだ。グレートタスクベアを殺した生物の正体が未だ推測さえできない現状、情報はいくらあっても足りない。だが、同時に人手が足りない。俺と、ミリアムと、レーネと、オスヴァルト。少数精鋭と言えば聞こえは良いが、絶望的に選択肢が足りない。取れる行動の幅が狭すぎる。
自由に動けるのは俺くらいのものだ。それでいて不器用なのだから、もうどうしようもない。
闇の深まる山道を歩く中、練習代わりに掌の中で魔力を弄ぶ。
魔法を使うという段階をクリアしたのだから、せめて同じ位階の魔法くらいパーッと使えてもいいと思うのだが――どうも、先代冥王の知識はそこまで万能ではないらしい。
嘆息しつつ、しかしそれも覚える楽しみと捉えることにした。
……そう考えなきゃ、勉強なんてやってられないものだ。




