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アンノウン

 脳が理解を拒んでいた。


 グレートタスクベアというバケモノの外見も勿論そうだし、その化け物が無残に殺されているという現実に対してもそうだ。


 昔、何かの機会にキリンを見たことがある。それと同じくらいの体長に、四本腕という明らかな異形。長大な牙は外敵と戦うための……あるいは、狩りのためのものだろう。


 なんというか、生物としてまとも(・・・)じゃない。あんな巨体を維持できる生物がそうホイホイいるわけが無いし、ましてや四本腕など明らかに哺乳類の範疇から逸脱している。


 そして、何よりもそれを殺害することができる生物がいることがありえない。

 既に一度魔族は滅びた。俺は当然何もしていないし、ミリアムやレーネ、オスヴァルトが何かしたようにも思えない。


 そうなると、ほぼ間違いなくこの森には俺たちにとって未知の存在がいる。

 敵対的であるかどうかは別にしても、これほどの化け物を殺害させられるほどの力を持った……。



「アンナ。死体がある」

「え? 何の!?」

「多分……グレートタスクベア」

「はぁ!?」



 報告を耳にした瞬間、アンナの表情が驚愕に染まる。

 アンナにとっても想定外の出来事なのだろう。俺もそう思う。どうしたってまともな状況じゃあない。



「どこに?」



 しかし、すぐにその表情は使命感に上塗りされた。


 即座に気持ちを切り替えられるあたり、アンナの気質自体は根本的に狩人のそれと思っていいかもしれない。



「あっちだ。俺が先導する」

「ううん、あたしが行く。リョーマじゃ生きてるか死んでるか分からないでしょ」

「馬鹿言うな。もしアレが生きてるなら、術師が一人いた方がまだ安全だろ」

「……分かった。じゃあ、お願い」



 頷き、グレートタスクベアの死体の方に向かって歩き出す。


 周囲に漂っているのは、そのほとんどが血の臭いだ。他に混じっているのは土の臭いに、木々の臭い……腐乱臭は感じない。となると、死んでからそれほど時間は経っていないはずだ。


 もし、生きているのなら――どうだろう。心音や呼吸音が聞こえてくるものだろうか。

 僅かな憂いを胸の内に抱えたままに、しかし、その脅威に――俺とアンナは、手の振れることのできる位置まで近づいた。


 神妙な面持ちのまま、アンナは仰向けに倒れたグレートタスクベアの腕に足をかけて胴体を覗き見た。



「……どうだ?」

「死んだふりする動物はいるけど、こんなに巧妙なのはいないよ。ここまで血が出てて……動きも無い。だったら、死んでるのは間違いない」



 アンナの言葉に安堵する。


 少なくとも、これで一応はグレートタスクベアが村の周辺に現れることは無い、ということになる。だが、それは同時にこのバケモノを超えた脅威が存在するということでもある。



「何がやったんだと思う?」

「わかんないよ。っていうか、こんなの分かりっこ無いよ……」



 分かりっこない、とアンナが言うとなると……獣のつけた傷ではないということだろうか。

 いくら倒れているとは言っても、その状態でゆうにアンナの身長ほどもある。俺も同じように、グレートタスクベアの腕に足をかけてそのまま胴体を覗き見た。



「ヴォエッ」

「自分で見ておいて吐きそうにならないでよ」



 非難の眼差しを浴びるも、こればかりはどうしようもない。人でも動物でも、あまりにリアルな傷口を見れば耐性の無い人間はこうもなる。


 ともあれ、確かにこの傷口の様子は異常だ。

 胸元を肋骨ごと、文字通り抉り取ったような……心臓まで達する深い傷。刃物を使ってもこうはならないだろう。


 硬質な毛と強靭な皮膚は所々が噛み千切られたようになっている。部分的に見える切り傷のようなものは、引っ掻き傷か何かだろうか。ともすると「引き裂いた」とでも形容できるような傷口は、明らかな異常を俺たちに告げていた。



「……なんなんだろうな。獣の仕業、に見えるけど」

「傷口を見るに……犬? とか、猫とか……そんな大きな動物がやったようには見えないんだけど……うーん……?」



 確かに、胴体の……致命傷とも思えるそれを除けば、深さはともかく一つ一つの傷の大きさは大したことない。ここまで巨大な生物の皮膚を裂いたという時点で十分におかしいが。

 となると、大きさを鑑みれば大型犬くらいの大きさの……少なくとも爪と牙を備えた獣と見ることはできる。


 ……できるが、いまいち釈然としない。漫画やアニメでもあるまいし、普通の生物ならば、こんな図体と体重を持つ相手に到底敵うはずがない。



「…………」



 周囲を見回すも、特に生物の姿は見当たらない。

 グレートタスクベアの姿そのものに恐れをなしているのか、それとももっと別の何かの存在が影響しているのか……。



「……このバケモノを殺した生物がいる、ってことだよな。この状況」

「そうだね……うん。ちょっと、どころじゃなく危ないと思う……」



 このグレートタスクベアの筋肉量を鑑みるに、このバケモノもただ鈍重なだけではないだろう。また、四本の腕を持っていて生きることに不便を感じていないということは、この四本の腕を余すところなく使っているという証左に他ならない。もしも不要なものなら進化の過程で失われているはずだ。

 これを殺し得る生物など、それこそ魔族以外に思い浮かばない。傷口から推測できる大きさから見れば尚更だ。



「まず、村に戻ってハンスさんにこのことを報告しよう。グレートタスクベアがいたこと、そいつが『何者か』に殺されてたこと……」

「そうだね、今はそれしか無いと思う……けどその前に」



 と。唐突に、アンナは腰から一本の武骨なナイフを取り出した。



「肉と皮削いでかないと」

「この状況でかお前」

「この状況でもだよ」



 いや。確かにそりゃあ、肉を獲るために出てきたのだけども。だけれども。

 もっとそれより安全を確認したり色々やることがあるんじゃあないのだろうか。



「……ていうか食えるのかよコレ」



 加えて言うなら、疑問はそこだ。


 どう見てもまともな生物じゃない。これだけの巨体を誇るということは抵抗力とか免疫力もそれに相応しい程度にはあるわけで、病原菌を保有していても発症せずにいられるとか、もしかすると、肉や血液に毒が混じっている可能性だってあるわけで……。



「おじいちゃんが持ってた文献だと、基本的に植物を食べてるから普通のクマと違って身の臭みは少ないんだって。叩いたり、果実酒とか牛乳とかに浸けて柔らかくしないとすっごく硬いらしいんだけど……下処理をちゃんとすれば、癖も少なくって美味しく食べられるらしいよ」

「マジかよ」



 昔の人はよくこんなゲテモノを食おうと思ったな!

 ……ゲテモノ食い(そこ)にかけては日本人(おれ)の言えることでもないな!



「……これ、どれだけ食える部分があるの?」

「骨と皮と毛以外だいたい食べられるらしいよ。毛皮は売れるし骨も加工できるし、捨てる部分っていうのも思いつかないかな」



 すごいなグレートタスクベア。

 一匹捕獲するのに絶望的な被害が出そうだけど。



「少し、いただいても」

「いいけど丁寧な言葉遣いやめて」



 アンナは、そんな不満を垂れながら僅かに腕から肉と皮を削いで、布で包んでポーチに突っ込んだ。


 はて、そんな少量でいいのだろうか。疑問に思っていると、続けてアンナが言う。



「あと、今はどうしようもないから。あとで村の人たち呼んで、それから運ぶの。この毛皮は、グレートタスクベアがいたって証拠」

「肉は?」

「……どんな味かなって」

「お前……」



 いや。食い意地が張ってるとか言うのはよそう。俺も食べたいし。

 何せ二十年近く現れなかったような幻の熊だ。そうそう食えるものでもない。発見者の義務ついでの権利というやつだ。散々に怖い思いもしたわけだし、一握りくらいは許されてもいい。



「ともかく、そのくらいあれば証拠にはなるだろ。早いところ戻ろう」

「うん。注意しながら戻らないとね……」



 と、互いの不安を払拭するように声をかけながら、俺たちは再び帰路につくことになった。

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