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冷気の励起

 魔法を扱うために重要なのは、想像力だ。


 より正確に言えば、術式を編むために魔力の形を変えるために、強い思念が必要になる、ということだ。

 魔力を操るために強く念じる必要があり、更にその上で自分の考えた通りの形にして、特定の意味を刻み込む。それができなければ、術式は完成しない。


 しない。のだが。



「だああぁっ!」



 放出した魔力は形を為さず。

 込められた気合は無駄に空回り。

 起きた現象はと言えば、周囲から妙に生温かい視線を向けられたくらいのものだった。

 あと力みすぎて右手が痛い。



「リョーマ様。あのぅ……気合を入れたとして、何が変わるということも無いのですが……」

「うん。今分かった」



 精神論に慣れ親しんできた日本人としての習性だ……というわけではないが、必死になると声は出てしまうものらしい。それが余計に思考を揺さぶって集中を途切れさせることになると気付いたのは、ほんの今の今だが。


 確たるイメージも無いままにただ無用に気合を入れても、考えが吹き飛ぶだけでむしろ逆効果にしかならない。

 逆に、構築したい術式について、明確に頭の中で固まってさえいれば、それ以外の無用な思考を削ぎ落すことはできるとは思うが……まだ未熟な俺には早すぎたらしい。



「ふむ、王よ! 今どのような術式を構築しようとしておりましたかな?」

「どんなって……普通に、氷を作ろうと思って」

「あー……だからですか」



 一方、その一言でミリアムは俺の問題点について思い当たったらしい。



「リョーマ様はなんというか、何も無いところから氷を発生させようとしているものかと思われるのですが」

「ん……? あ、あぁ……そういえば」



 考えてみれば、「氷」のイメージが先行しすぎていたような気がする。「凍らせる」のではなく。


 ゲームや漫画の影響が強いのかもしれない。大抵、氷を武器に加工して使うとか、氷を何らかの形にして相手にぶつけるとか――ともかく、そんな印象があるせいで、まず氷と言えば固体のそれをイメージしてしまっていたため、術式を組む邪魔になっていた、と考えるべきだろうか。



「初歩の初歩、ということでしたら、単に『温度を下げる』ことだけをイメージしてください。何も無い空間に氷を創り出すよりは、遥かに難易度は低いですから」

「分かった。ええと……温度を下げて……冷たく……」



 集中して。自分の内側へと呼びかけるように目を閉じる。


 俺の身に溶け込んだのは、文字通り骨の髄まで魔法についての知識を貯め込んだ、先代冥王の遺骨だ。術式の構築理論は彼、あるいは彼女が既に極まった域まで修めている。俺がするべきは、その理論の中で最適な術式の構築素子を引き出してくることだ。

 当然、元々は俺の持つ知識ではない以上、それを引き出すには相応の苦労が必要になる。

 頭の中に分厚い辞書があっても、索引が無ければ一枚一枚めくって中身を確かめるしかない……という喩えが適切なのかは分からないが。


 ともかく、この作業は底の見えない泥水の中から、特定の物品を探し当てるような……そんな地道で気の遠くなるような作業でもある。頑張ればいつかは見つかるだろうが、そこまでに費やす時間のほどが知れない。


 一つ手繰ってハズレを引き、もう一つ手繰って何か近しいものを探し当て。しかし、目的のものにはなかなか辿り着かない。


 別にミリアムも無理難題を押し付けているつもりは無いはずだ。あくまで魔族における――とはいえ、「普通なら」できるはずのことなのだろうから。

 一方で、ミリアムはこうも言っていた。「一つできるようになれば、ある程度他の術式も連鎖的に構築できるようになる」と。

 辞書の引き方を覚えるようなものなのだろうと思う。もしくは、インターネットから必要な情報を検索するような。どちらにしても、膨大な情報に惑わされないようにしなければならない。


 ミリアムの言う通り、温度を下げることに注力して検索の手を広げる。氷や雪を創り出したり、天候を変えたりするような術式が引っ掛かるが――複雑すぎる。除外。限定的な時間停止。物質の振動停止……近いが除外。同じく、術式として今の俺が構築するには難しすぎる。


 幾多の雑多、かつ今の俺の身の丈に合わない無用な情報の山をかき分けていく。十分か、はたまた一時間か……ひたすら地味に時間ばかりが過ぎていく中、ようやく、目的のものにあたりがついた。



「――……」



 目を開き、ゆっくりと魔力を練り上げる。

 右手の先の空間へ、光の「線」を「円」に。その内にごく単純な図形と文字を刻み、「術式」を――組み上げる。



「――こうか……!」

「……あっ」



 体内の魔力を術式に注ぎ込む。その直前、何かに気付いたようなミリアムの声が聞こえたが、その時にはもう遅かった。


 励起し、輝きを増す術式が世界そのものに働きかけ、「気温を下げる」という現象を引き起こす。

 ごくごく単純で簡易な術式。下げる温度もほんの二、三度程度のものだろう。だが、それでも……。



「……できた……」

「然り!! 初めてならば上出来です王よ! ……ですが、一つ問題が」

「ど、どうしたんだオスヴァルト」



 やはり、こう……新しく始めたことを成功して褒められるというのは嬉しくなってくる。

 なってくるが、ミリアムの先程の発言を鑑みるに、何かやらかしたのだろう俺は。



「少し術式に注ぐ魔力が多すぎたようですな」

「……そうすると、どうなるんだ?」

「好きな時に好きなように止められませんな」

「……温度を下げるのが」

「下げるのが」



 人型の冷房か俺は。



「……まあ……成功は成功ですし、加減はこれから覚えていけば大丈夫でしょう。何日も持続するものではありませんから」

「それ少なくとも今日一日は持続するってことだよな」

「ええ、まあ」

「マジかよ」

「マジです」



 今日はそろそろハンスさんの仕事の手伝いに行こうと思っていたところなのだが、それはマズくないだろうか。

 農業に疎い俺でも、気温が下がれば作物の出来が悪くなることは知っている。特に夏野菜を植え始めたこの時期、急な気温の低下は不作を招きかねない。

 勿論そんなことは望んでもいないし、手伝いに来られてその有様では、あちらとしてもいい迷惑と言う他ない。



「………………」



 最初の一歩を踏み出したはいいものの、二歩目で盛大にすっ転んでしまったような気分だ。


 誰が悪いということもなく、しいて言えば俺の未熟が原因というあたり、始末が悪い。注ぐ魔力の量のことを事前に言われなかったことにしたって、そもそもそれを教えられていれば、そちらに意識が向いて術式の構築そのものが上手くいかなかっただろうからなお良くない。ミリアムとオスヴァルトの同情するような視線が痛い。



「……仕方ない」



 失敗に目を瞑って一日を無為に過ごす――のも魅力的だが、その選択をするには金が足りない。

 さりとて人間嫌いのミリアムに仕事を任せるのは酷だし、レーネは一生懸命になりすぎてボロが出る。オスヴァルトはそも論外。



「どうされますか?」

「ハンスさんに言って他に手伝えることが無いか探してみる。無ければその時はすぐ帰るけど」

「承知しました。くれぐれもお気をつけて」

「ああ、うん」



 と、オスヴァルトの方に視線を向ける。


 俺がいない間に何かやらかすとしたら、間違いなくこの男だ。ミリアムもその辺りは分かっていたのだろう。無言で頷きを返して見せた。



「こっちのことは任せた」

「……無論です」



 大きなため息とともに、自身無さげに返すミリアム。


 ……いずれこういう苦労をせずとも済む日が、果たして来るのだろうか。

 そのためには、やはり俺がちゃんと魔法も使えるようになり、しっかりした仕事を見つけられなければならないわけだが……さて。どのくらい時間がかかることだろう。


 そんな益体も無いことを考えながら、俺は地下室を出てクラインへと向かうことにした。

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