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貴様の名は

「では、自分たちはこれで失礼します」



 魔力溜まりの「対処」を終えて、数十分後。俺はクラウス講師への経過報告を終えていた。


 報告に対するクラウス講師からの反応は、あくまで想定内のものだ。俺の方である程度虚偽を交えながら語ったからこその反応なのだろうが――クラウス講師としては、もう少しエキセントリックな内容の報告を期待していたのだろう。例えば、魔力を吸収したとか……消滅させたとか。実際に似たようなことはやってるんだが、馬鹿正直にそれを言えるはずも無い。


 だからこそ、俺の雑感も報告内容も、無味乾燥なものにならざるを得なかったのだが……こう言うのもなんだが、俺は別にクラウス講師を楽しませに来たわけじゃない。

 事務的なやりとり、というのも、こちらからすれば願ったり叶ったりだ。それだけことが終わるのが早く済む。


 どこか面白くなさげな――しかし、何か確信を得たような表情で、クラウス講師は俺の退室を見送った。


 その後。幸いなことに、一切の滞りも追及を受けることもなく報告を終えられた俺が向かったのは、教員棟から離れた人通りの少ない路地だった。

 レーネもミリアムも、それからもう一人(・・・・)も、このような場所では悪目立ちしてしまう。



「ごめん、待たせた」

「い、いえ……それほど待っては、おりませんが……」



 引き攣ったような笑みを浮かべるミリアムの表情からは、どことなく憔悴したような様子さえ見受けられる。

 レーネもまた、怯えた……というか、恐れた……というか。ともかく、原因については既に想像はできていた。



「ンフフハハハハハハハハハハハハ!! 王よ! 我が王よ! 僅か数分のことで何を仰っているのです! 待たせるなど滅相も無い!!」

「…………」

「…………」

「おぅやどうか致しましたかな? ハハハハハハハハハハハ!!」



 ――――どうしてこうなった。



「……実際、あまり時間はかか」

「王は『王』であるのですからにもっと自適に、悠然としていても良いのです! 誰に憚ることがありましょうかァ!!」

「…………」

「…………」



 なんとも言いづらい状況だった。

 喩えようの無い――なんというか。一挙手一投足の恐ろしいまでのやかましさ。その男のことを一言で表現するのなら、「うるさい」以上に適切な言葉は見つからなかった。

 整った顔立ちに、どことなく怜悧さを感じさせる鋭い両の眼光。灰色の長髪に高身長――と、外見だけならばどこかの貴公子かと見紛うほどだ。


 外見だけなら。


 それ以外は見ての通り……動作の一つ一つが無駄にオーバーで、表情も、感情の一つ一つに合わせて目まぐるしく変わる。笑顔などもう凄まじいものだ。どこの悪鬼羅刹かと見紛うほどに。 ただ単に感情表現が激しく、表情のいちいちが喧しい……程度ならまだ良いが、この男はこれに加えて、純粋に声が大きい。――総合して、「うるさい」。



「オスヴァルトさん。悪いんだけど……」

「呼び捨てで結構です王よ!!」

「……じゃあ、オスヴァルト。もうちょっと声のボリューム落としてくれるかな……」

「お望みとあらばそう致しましょォう!!」

「…………」

「…………」



 俺ボリューム落とせっつったよな?


 ……ともかく、俺たちの前に姿を現した時、彼は自身の名を「オスヴァルト」と名乗った。

 本人に曰く、彼の身に溶け込んだ幾多の魂……その中でも主導権を握り、最も強くその性質の表れている者の名前なのだとか。


 もっと頑張れ他の魂。



「ともかく、この場所での役目も目的も果たしたわけだし、そろそろ帰ろうと思うんだが……」

「……うちの野菜も、心配ですし……」

「それが良いかと。問題は……」



 三人してオスヴァルトへと視線を向ける。


 問題は――そう。言うなれば、オスヴァルトの存在そのものだ。

 騒音が、ではなく。最大の問題は……運賃だ。

 現在の所持金はざっと三百万ルプス。フリゲイユ学術都市から、クラインの最寄り……ライヒの町までは、片道で一人当たり百万ルプスかかる。


 今ここにいるのは四人。つまり……百万足りない。



「お金、ですよね……」

「金だな……」

「ここにきてなんと世知辛い……」



 世知辛い。し、何より個人の力ではどうにもこうにもしづらい。


 高速列車でなく普通の列車を使って戻ることもできるが、どうしても時間はかかる。一日、二日どころではないだろうし、その間ずっと家を空けておくのは望ましくない。連絡を入れようにも、こちらの世界には発達した通信機器は無い。曰く、離れた場所に声を届けるにはどうしても膨大な魔力が必要なのだという。

 そのため、可能なら全員で高速列車に乗って戻る――というのが望ましいのだが、それも金銭的事情のおかげで難しい。


 難しい、が……。



「……俺が線路伝いに走ってライヒまで行けば、運賃はかからないよな」

「何をアホなことを言ってるんですか」

「でも、あの列車以上の速度で走れるんだよな。魔族(おれたち)は」

「そういえば、ミリアムさんそんなことを言ってましたけど……」

「いくらなんでも体力がもちませんよ!?」

「でも俺がこういう事態にしちゃったわけだし……」



 やったことが間違いだとは言わないが、軽率だったことは間違いない。

 だったら、そのせいで誰かが被ることになる苦労は俺が引き受けるのが筋だ――と、そう考えたところで。



「王よ!!」

「うおあっ!? 耳元で叫ぶなよ!?」

「失礼しました」



 機敏な動作で僅かに距離を取るオスヴァルト。どうも言葉遣いまで落ち着いているようだが、流石に加減の一つもしなければとでも思ってくれたのだろうか。



「不肖このオスヴァルト、一つ献策したいことが」

「お、おう。それってどういう……?」

「密航を」

「犯罪だろ!?」

「ははは! 然り! ですが人間にとって魔族とはそれそのもの罪の塊、許されざる存在であることはとうにご存じのはず。その王たる貴方がそのようなことを気になさる必要は無いでしょう!」

「人間と敵対する気無いんだけど」



 魔という文字があるからと言って敵対しなきゃいけないわけでもないし。

 生きていくだけならむしろ、敵対するより共生した方が生きやすいし。

 アンナやハンスさんにも返しきれない恩があるし。

 だいいち、俺は元人間だし。



「それならそれで全く問題は無いのですが、ともあれ他の方法を取れないとなれば密航が最も適しているのではないかと!」

「そりゃ、バレなきゃそうだろうけど……」



 犯罪ではあるが、確かに目的を達するにはそれが一番手っ取り早い。俺も、今までの人生の中で一つたりとも後ろ暗いことが無いというわけではないし、アンナにした身の上話など、まるきり詐欺の手口だ。今更と言えばその通りだし、オスヴァルトの提案も一つの手だとも思う。


 ……しかしこの男、声のボリュームが抑えられたと思ったら、今度は速度が上がっている。

 どちらかが下がったらどちらかが上がりでもするのか。



「ですが、あの列車も相当重要なものでしょう。貨物の点検を怠るとは考えられませんが……」

「見えなければ、点検の有無など些末な問題に過ぎませぬ!」



 と。

 その言葉と共に――オスヴァルトが、その姿を消した。



「えっ!?」



 唐突な出来事に目を丸くするレーネ。一方で、その感覚に覚えのあった俺は、驚きつつもその理由についてを考察できていた。


 加えてミリアムが特に驚いているわけではないあたり、この現象は……。



「……体を、魔力に変換した……?」

「その通ぉり!!」

「耳がッ!?」



 推測を裏付けるように、突如、真横で再び姿を現したオスヴァルトが大声をあげる。

 比喩抜きに耳が痛い。言葉が短くまとまってしまったがために音量の方が大きくなってしまったのだろうか。



「我が身体は既に魔力そのもの。我が王によってこの魂を『軸』とし姿を与えられたものであるとしても、本質的には何ら変わりなくこの私は『魔力の塊』! 魔力とはそれを操る者の魂によって自在に姿を変えるもの――よって私は一時的にこの身体を『ただの魔力』へと変換して、魔力を見ることのできる資質を持つ者にしか見えないようにしたのですッ!」

「……あ、はい」

「……そ、そっか」



 今度は速度に全振りしやがった。


 それでもなんとかかんとか聞き取れた内容を鑑みるに……まあ、理屈としては通らないわけじゃない。

 ミリアムの話によると、魔力溜まりの中で渦巻く数多の魂は、休眠状態にあるのだという。それを揺り起こして一定の方針を与えるのが先程の措置というわけで、魔力を変形させて人型にしているのはあくまでオスヴァルトの意思であり、その手腕によるものだ。一時的に人型を崩してただの魔力の塊に戻したとしても、存在の軸となるオスヴァルトの魂がある限りは今すぐに消え去るということも……まあ、無いのだろう。多分。



「こんなことなら事前にアンナに作物の世話頼んでおけば良かったかな……」



 それなら、普通の列車で帰っても問題無かったのだが。



「想定のできなかったことです。あのような発作的な思いつき、常々考えられていても困りますが」

「………………」



 唇を尖らせて小言を口にするミリアム。


 耳の痛い話だ。俺があんなことを言いださなければ、無賃乗車だの何だのということを考えずに済んだというあたりも含めて。

 我ながら、見通しが甘すぎるとは思う。そうせざるを得なかったというわけではない(・・)ことは確かだし、俺がああした理由も、所詮は同情や哀れみといった甘い考えだ。それだけではいずれ通用しなくなってくることは明白だろう。


 なら、その「甘い考え」をいつでも貫き通すことができるようになるべきなのだろう。

 ……具体的には、経済力とか。場合によっては戦闘力とか。「俺にできること」というのは全部突き詰めていくべきなんだと思う。



「リョーマさま、ミリアムさん、そろそろ列車の時間が……」

「ん、もうそんな時間か」



 距離と速度、それから乗務員の健康も鑑みてか、アーサイズの高速列車というのは日本ほど時間の遅れに対して厳格ではない。しかし、それでもやはり公共の交通機関ということもあってか、発着の誤差は数十分から一時間程度のものだ。


 レーネもこう言っていることだし、そろそろ帰るべきだ。



「オスヴァルト、列車の中ではできるだけ静かに頼む」

「ン御意に!!」

「静かにしろと言いましたよねリョーマ様は」

「ンフフフハハハハハハハ!! いくら私でも場は弁えましょう!!」



 弁えてくれる気がしない。


 ともあれ、俺たちは大きな大きな不安を抱えながら、オスヴァルトを伴ってライヒへと向かう列車に乗り込んだのだった。


 ……なお、オスヴァルトは列車に乗ってさえいれば、思ったよりも静かだったことを示しておく。

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