栄えに満ちたるは
「ど……どういうことですか?」
「あ、堅苦しくなさらないでください。私のことも、どうぞエフェリネと呼び捨てに」
「どういうことですか!?」
まるで意味が分からない。俺は今何を聞いているというのだろう。
頭の中が混乱して上手く整理できない。
俺が魔族だとバレたんじゃないのか……?
「……実は、私は体内に多量の魔力を持って生まれたという異常体質なのですが」
「は、はぁ」
体内に多くの魔力を持つ。それは魔族の特徴であり……ええと。こんな話を一時間ほど前に聞いた気がするぞ。
確か、「多くの魔力を持って生まれる例というのは希少」で、「霊王陛下がその一人」だと――。
いや。流石に杞憂だ。こんな偶然なんてあり得るはずがない。希少とはいえ、体質として魔力を多く持って生まれる者が他にいてもおかしいことではない。確かにフリゲイユ学術都市は重要な都市だろうが、霊王……国家元首が一人で出歩くようなこと、普通は許可されるわけがない。
そうだ。考えすぎだ。想定を外れた出来事が起こりすぎて感覚が麻痺してしまっているんだ。
確かにエフェリネの身なりは良い。物腰も優雅で気品があり、いかにも貴族然とした風格を持っている。が、かと言ってそれが彼女を霊王だとする確証にはならない。ならないよな。ならないはずだ。きっと。多分。恐らく。
「かれこれ六年近く背が伸びていません。髪は伸びますが」
「はあ」
「恐らく、これは体内の魔力が原因だと思うのです。成長を阻害しているというか……ともかく、そうに違いありません。違いないのです!」
「はあ」
それは、魔族と似た体質になったおかげで老化・成長が緩やかになったというだけなのではないだろうか。
いや。身体的な成長を妨げていると言われるとその通りなのだろうが。
「ところで……何故、自分が御使い……様の子孫かどうか、と?」
「そういった人間の方が特別な才能を持って生まれる方が多いそうなのですが。ご存じありませんか?」
ご存じありません。
誰か俺の知識の空白を埋めてくれ。
「なるほど、それで」
言葉だけはなんとか絞り出し、平静を装って会話を続ける。
……逆に考えよう。これは情報を引き出すチャンスだと。エフェリネは俺のことを、特異体質持ちの人間だと思い込んで……あれ。こんな状況前にもあったぞ。
いや、アンナの時のそれとはまた更に状況が違う。あの時はまだ、逃げるとか正直に言うとか……少なくとも、ある程度はこちらが生き残って終われる選択肢はいくらでもあった。
しかし、ギオレンは対魔族の総本山とも言うべき国だ。その霊お……………………ともかく、相当に高い地位にいるだろうエフェリネに魔族のことがバレてしまえば、俺だけでなくミリアムやレーネの命が危ないかもしれない。
そうならないためにもまずは誤魔化す。誤魔化しきれないなら、なんとかして逃げ出す。斧を持ち出して……最悪は、この子を斬り殺してでも。
……元の世界では、喧嘩の一つだってまともにやったことは無いが。それでも生き残るためならやるしかない。
「はい、それで」
にこにこと、敵意の欠片も無いような笑顔でエフェリネは答える。
実際、敵意は無いのだろう。害意も、悪意も感じない。その笑顔から感じられるのは、背を伸ばしたいという純粋な………………純粋……?
……ともかく、他人を騙して罠にかけようというような思いは感じられない。ちょっとした悩みを打ち明けられる相手を見つけたという――――だからこその笑顔なのだろう。
「ということで! 何か、背を伸ばす方法をご存じありませんか!」
「と、言われても……夜十時には寝て、九時間は睡眠を取るとか……牛乳を飲んでよく運動をするとか……」
「牛乳に、睡眠に、運動ですか」
一つ一つを頭に刻み込むように呟くエフェリネ。
いや。的外れなわけじゃあないけど。いわゆる民間療法がどれだけ効果をもたらすかなんて分からない。
そも、うろ覚えでしかない俺の発言をそんなに真に受けてもらっても、それはそれで困る。
「結果は、保証いたしかねますが……」
「保証、できませんか」
「結果には個人差があります」
詐欺の常套句みたいなこと言ってないか、俺。
いや、相手の誤認を誘って、騙してことを治めようとしているあたり、詐欺じみていることには変わりないのだが。
……誤認か。それも一つの手だろうか?
「靴底を上げてみてはいかがですか」
「見せかけだけ身長を伸ばしてどうするのです。背が伸びたという事実が無ければ、この気持ちは治まりません!」
じゃあどうしろと言うのだ。
「お気持ちは理解できなくもないのですが、身長ばかりは……普通、何年も時間をかけて伸ばしていくものですので」
「……それは理解しておりますとも。ええ」
どこか憮然とした表情で、軽く視線を逸らしたままにエフェリネは答える。理性では分かっていても、内から湧き出る衝動を抑えることは難しいということだろうか。
そもそもコンプレックスというものは、他人に易々と理解できるものではない。同じ立場、同じ境遇であっても、人によってどう考えるかということは違う。エフェリネは背が低いことを気にしているが、逆に、自分の背が高いことをコンプレックスに思う人もいるだろう。
……まあ。俺だってあと十センチは身長が欲しいくらいには思っているが。
「それはそうと……私は先程、堅苦しくなさらず――と言ったはずですが」
「いえ……初対面の相手ですから」
「初対面の相手だからこそできる無礼というものもあるはずです!」
「ありません」
無礼を勧めてどうする。
これ応じたら不敬罪とかで捕まるヤツだろう。いや。エフェリネが何者なのか分からないけど。
……分からないけど!! 分からないってば!!
「私が構わないと申しているのです。何を遠慮する必要がありますか」
遠慮する必要しかないと思います。
怒るというよりは拗ねたような口ぶりでそんなことを言ってくるエフェリネに、俺は応じることはできなかった。
より正しくは――応じるには、いささか時間が足りなかった、か。
「エフェリネ様ぁぁぁ――――!!」
教会に、そんな甲走った声が響いてきたからだ。
途端にエフェリネの顔が苦渋に歪む。理由のほどは……さて、推察するのに足るか、どうか。
騒々しい足音と共に開かれる扉に、エフェリネはどこか諦めたように笑みを湛えた。
「騒がしいですよ。何用ですか、マルティナ」
先程までのやり取りのなかでは感じられなかった、今にも膝をついて傅いてしまいたくなりそうな――威厳に満ちた声。
一瞬、これを発しているのが誰か分からないほどに、エフェリネの雰囲気が一変していた。
「は。お騒がせして申し訳ありません、エフェリネ様。御身の姿が見えず、従士及び政務官の間に混乱が発生しており……早急にお迎えにあがらなければと判断した次第です」
と。次いで、扉を開いて入ってきたその女性がエフェリネの前に跪く。
身長は、俺と同じくらいだろうか。細身で、どことなく冷徹そうな印象を受ける赤毛の女性だ。
エフェリネの着用する祭服と似たデザインの衣服で、所々に……国章だろうか? これも同様に、祭服に刺繍されているものと同じデザインの紋様が見られる。
マルティナ、と言っていたか。もっとも、見た目ほど冷徹というわけでもないのだろう。先程の声の荒げ方……というより、嗚咽交じりの悲鳴じみた叫びを聞けば、なんとなしには分かる。
というか、いつの間に体裁を整えたのだろう。礼拝堂の中にいてなお、マルティナさんが嗚咽していたことが分かったというのに。
「ところで、そちらの方は……?」
「え」
唐突に振られた一言に、思わず身を縮める。
無礼を働いた覚えは無い。いや、今この状況が、もしかするとそうなのか?
冷や汗が背を伝うのが分かる。ここまで来ると、自分を誤魔化すのも限界だ。マルティナさんの言った「従士」と「政務官」という言葉。わざわざ迎えを寄越すほどの立場。こうなってくるとほぼ、疑いようは無い。
エフェリネは、ギオレン霊王国の国家元首――――「霊王」、その人だ。
「えっ」
……と、内心の戦慄と恐怖とは裏腹に、エフェリネの発した言葉からは、今の今まで感じられていたはずの威厳も何も感じられなかった。
そうまで答えに詰まることか、俺の存在は。
そうなると、仕方がない。どことなく視線が定まらないエフェリネに助け船を出すべく、頭を下げて一歩前に踏み出す。
「こちらの学校に現れたという魔力溜まりについて調査を依頼された者です。何か問題などありましたか……?」
「魔力溜まり? そうか、そんな報告もあったな……しかし、君はこの方が何者か、知らないのか?」
「高貴な身分の方だとは思いますが……なにぶん、スニギットの片田舎が出身なもので」
告げると、得心いったようにマルティナさんは頷いて見せた。半ばでっち上げに近いが、これで納得いってくれたのならそれに越したことも無い。
……クラインのことを片田舎と言ったことは、後でレッツェル家の人たちにもダミアンさんにも謝っておこう。本人たちには何のことやらサッパリ分からないだろうが……。
「でしたら知らずとも仕方がないでしょう。こちらの方は、エフェリネ・フルーネフェルト……我がギオレンにおける国家元首、『霊王』様、その人です」
「霊王様……ですか」
どことなく釈然としない……風を装う。あまりに突飛な現実に、頭がついていかない……ように見せかける。
感付いていなかったわけではないが、それにしたって何らかの目的を持ってエフェリネに近づいた、と思われるのはマズい。元よりそんなつもりは一切無いが、ギオレンが対魔物の総本山でエフェリネがそのトップということを考えると、誤魔化して注意を背けなければ俺たちの命が危ない。
「あっ……と、すみません、実感が湧かなくて……」
ミリアムかレーネが聞けば、嘘臭いセリフだとボヤくくらいのことはするだろうか。実際嘘だし言われても仕方がないが、一つ一つの挙措がどこかわざとらしいという意味で、ミリアムにだけは言われたくない。
どちらにしても、この二人にさえ気付かれさえしなければ構わない。どうしても違和感は生じるだろうが、「なぜ」違和感があるのか、その正体に感付かれさえしなければ、当面は大丈夫なはずだ。
「無理もない話です。つい今の今まで、普通に会話していた相手がそんな立場にある人間だと、どうして気付くことができますか。というわけでマルティナ。彼が無礼を働いたとしても不問に――」
「なるわけが無いでしょう何をお考えですか」
エフェリネの提案をぴしゃりと一言で切って落とすマルティナさん。先程からのやり取りを鑑みれば、二人が気安い関係なのだろうということは容易に窺い知れる。主君と従者という間柄だからこそ引くべき一線は設けているのだろうけども。それでも、紛れも無い信頼を二人の会話の中からは感じられた。
「……マルティナは私に友人ができなくとも構わないのでしょうけれどもね。ええ」
ふと。そんな風に不満を漏らすエフェリネに、マルティナさんは言葉を詰まらせた。
一国の王ともなれば、その仕事の責任も重要性も、生半可なものではないはずだ。十歳前後の頃から見た目が変わってないとなると、今は十代後半くらいか――ともかく、そんな年齢のエフェリネが背負うにはいささか重責に過ぎるだろうし、友達と遊ぶようなことも……そもそも、友達を作ることができるかすらも怪しい。幼少時からの友人がいたとしても、それだけの重責を背負って仕事をしていれば、疎遠にもなるだろう。
気位の高い相手との交流はあるだろうが、貴族たちが跋扈し、権謀術数の渦巻くような界隈に身を置いていて、そうそう心が休まることは無いだろう。……こちらに貴族という制度があって、かつ彼らが政治家として腐敗しているなら、という前提はつくが。
「そんなわけがな……ないではないですか」
「何故今一瞬言葉に詰まったのか教えていただけますねマルティナ」
「お答え致しかねます」
言外に何か思うところがあると言ってるぞこの人。
主君に対してそれはいいのか。
国王に対してそれはいいのか。
「……あの。自分がこのようなことを聞いてしまってよろしいのでしょうか」
本人たちは気付いていないかもしれないが、さっきからこんな話を聞いている俺の精神は色々と限界だ。
まさか「この話を聞かれたからには」……というようなオチになるのでは、とか。魔族と分かっていて聞かせているのでは、とか。ともかくそんな疑念だか被害妄想だかよく分からないような考えが浮かんできている以上、口を挟まずにはいられなかった。
「私は構いませんよ! その方がより親近かむぐっ」
「国民は構うのです!! そちらの方……ええと、お名前は……」
「リョーマです……」
「リョーマさん。見苦しいところをお見せして申し訳ございません。この件に関してはどうかご内密に……」
「あ、はい」
口を塞がれてじたばたともがくエフェリネを必死の形相で取り押さえるマルティナさんに、拒否の言葉を継げることはできなかった。
俺の主な居住地が他国……それも片田舎のクラインということを差し引いても、迂闊なことを口にして国に目を付けられることはできるだけ避けたい。
友達を作りたがっているエフェリネには申し訳ないが、命には換えられない。
「では、自分はこれで失礼します」
素早く片手を挙げて挨拶の代わりとし、未だ口を塞がれたままのエフェリネを尻目に出入り口に向かって機敏に、迅速に歩みゆく。
そもそも俺がこの場から離れられなかったのは、事実上、エフェリネとマルティナさんが道を塞ぐように口論していたせいだ。今なら抜け出せる。
「あ、リョーマさん」
抵抗を諦めたのだろう。ふと、どこか渋い表情をしたエフェリネが、マルティナさんに抱きすくめられたままに呼びかけてくる。
マルティナさんは俺をこの場に留めるつもりは無いようだし――応じても問題は無い、だろうか。
「はい」
「いずれまたお会いしたら……今日と同じように、お話していただけますか?」
「ゴフッ」
エフェリネの発言を聞き、同時に喉の奥から鉄の味を感じた。
この霊王は俺の胃腸を破壊するつもりなのかな?
「?」
「い、いえ……き、機会があれば、喜んで……」
腹を押さえながらなんとか笑顔を作って応じる俺に、マルティナさんの同情の視線が向けられる。
いや……俺は口約束をしただけだ。大したことは無い。子供同士がまたいつか会おうと、別れ際に根拠無く約束するようなものだ。そもそも今の俺はスニギットの領民。隣国とはいえ、用も無くギオレンの国王であるエフェリネがそうそう簡単に会いに来ることができるわけがない。……そこまでするほど重苦しい人間とも思えない。問題は無い。
……無いよな、問題。
マルティナさんの同情が強まっているように見えるのは気のせいだろう。多分。
「次は堅苦しい言葉遣いは無し、ですよ」
「善処します」
それだけは勘弁してください、と床に頭を擦りつけて頼み込もうとしたが、それはそれで後々面倒なことになりそうなのでやめておいた。
うん。死ぬほど胃が痛い。
マルティナさんが沈痛な面持ちでこちらを見つめている。
よもや魔族の肉体になってまで胃痛に悩まされるとは思わなかったが、今は命があるだけありがたい。
――――その後、聞き込みを再開して数分で魔力溜まりの現在位置を特定できたのは、幸運だったのか、不運だったのか。
ともあれ、俺は痛む腹を押さえながら、ミリアムとレーネが戻るのを待ち続けるのだった。




