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魔力溜まり

「――あの。それで、結局……どういうことですか?」

「ん? ああ、君らを呼んだ理由か。それに関しては……まあ、つまるところ。君がそういった『才能』を持っていると見込んでのことだ」

「と言うのは、何でしょう」

「魔力溜まりを調査してほしい」

「魔力……溜まり……?」



 また新しい単語が出てきてしまった。言葉を額面通りに受け取るなら、魔力が沼のように凝り、溜まっている場所……ということになるが。



「我が校の特性上、頻繁に精霊術を使用するため……魔力が空間中に散りやすい」



 魔法にせよ精霊術にせよ、術式に魔力を通して現象を起こす――というプロセスを取ることになるが、現象を起こすために使用した魔力は直ちに消滅するわけではない。多くは大気中に飛び散り、まっとうな手段では回収できなくなるが、残滓はその場に滞留することとなる。

 この残滓が堆積したものが魔力溜まりだ……と、説明するクラウス講師に、「そのくらい知っている」とでも言いたげなミリアムの視線が飛んだ。


 俺は知らないんだが。



「ともあれ、この様子ならば理解していることだろうが……この魔力溜まりへの早急な対処を願いたい。既に何件か人的被害も出てしまっている」

「……失礼ですが、ご自分で……ないしは、他の術師ならばより確実に始末できるのでは?」



 突き放すように、ミリアムが告げる。


 実際、それは俺も考えていたことだ。少なくとも、辺境の村でその日暮らしをして過ごしているような、出自も知れない小僧を登用する理由にはならない。

 ならない。はずだったのだが。



「そのような些事に使う時間が惜しい」



 一言でその理由のほどが窺い知れた。


 理解できないわけではない。わけではないが……納得はいかないし、釈然としない。

 既に学生に人的被害が出てしまっているのに最善を尽くさないのは、教育者としてはありえない。

 対して、研究者という観点ではそうありえない話でもない、と思う。その目的が娯楽にせよ研究にせよ、一分一秒たりとも無駄にしたくない――と考えることは、人間としては自然なことだろうから。もっとも、それを律してこそ――でもあるだろうけど。



「そうですか。では、報酬の話に入っても構いませんか」



 ミリアムが憮然とした表情でいるのを見て、俺は早めに話を切り上げるべく、一言を告げた。


 俺もこの類の発言に関してはそれほど良い印象は抱けない。だが、クラウス講師はクラウス講師で一分一秒たりとも無駄にできないような理由があるのかもしれない。ミリアムに言わせてみれば「たかが百年」だろうが、人間にとってはその百年が全てなのだから。



「前金で三百万」

「……はい」



 これに関しては、「失敗しても帰りの運賃くらいはくれてやる」程度の意味だろう。あの高速列車には子供料金というものは設定されていなかった。

 とはいえ、何も出してくれないよりはよほどありがたい。



「成功した暁には、ここに更に三百万を足そう」



 となると、これが実質的な報酬ということになる。


 この学術都市で得られた様々な情報も、ある意味では成果と言えるが……こう言っては何だが、実際に大金を得られるとなると、また実利の面でありがたみが違う。悲しい話だが、生活苦が常に目の前にある現状、金はいくらあっても足りはしない。



「分かりました。では、その魔力溜まりの場所ですが」

「それに関しては把握できない」

「…………常に、移動し続けているとか?」

「そういうことだ」



 ……確かに、そういうことなら恐ろしく面倒だろう。

 常人には見えず、認識もできず、移動し続けて被害ばかりを撒き散らす。悩みの種というどころか、災害にも等しい。


 金を出してでも対策をしてもらいたい、と思うのは間違ってはいないことだろう。だろうが……。



「もう少し、上乗せなどしていただけませんか」

「では五百万」



 恐ろしいことに、あっさりと釣り上げ交渉は成功した。

 もしかすると、憂慮していることには間違いないのだろうか。それに、考えとしては間違っていない、とは思う。実際、俺も今の釣り上げのおかげで奮起することになったわけだし……痛むのはクラウス講師の懐では無く、学校の財源なのかもしれないし。


 成功しなければ結局、運賃以外は支払わずに済むのだから、効率を考えれば間違っていないのだろう。



「……はい。承りまし――」

「お待ちを。魔力溜まりを消滅させたことをどう報告……あるいは、確認いただくのですか?」



 と、了承の言葉を告げようとしたところで、ミリアムからの横槍が入った。


 言われて考えてみると、魔力溜まり――なるものを消滅させたとして、それを確認する術が無いのでは、と考えるのはもっともな話だ。俺も今になってようやくその可能性に至った。

 魔力を視認するのに特殊な才能が必要となり、常時動き続けていて、所在の把握さえ困難なもの。それが魔力溜まりだ。


 ……それを消滅させたと報告したとして、真実だと認めてもらうにはどれほど時間がかかることだろうか。そもそも消滅したことを認めてくれるだろうか。しらを切ろうとすれば、いくらでも切り通せるのではないだろうか。



「確認と送金に数十日ほどいただく。確認できたとしてもできなかったとしても、結果は必ず書面にて通知しよう」

「……では、そのように」

「前金はこれだ。受け取りたまえ」



 もっと明解な確認方法があれば、それに越したことは無いものだが……というか、直接目にしてくれれば、確認の手間も省けるのではないだろうか。いや。それだと俺たちを呼び出した意味が無いか。


 益体も無いことを考えながら、クラウス講師が机の上に差し出した三百万ルプスを手にした。

 ……ともあれ、了承の言葉を告げ、俺たちはクラウス講師の部屋を後にするのだった。



 そうして、クラウス講師の部屋のある建物を出て、数分後。周囲に人の気配が無いことを確かめたミリアムが、こちらに一言問いかけてきた。



「それで、リョーマ様。いかがいたしますか」

「……何を?」



 思い浮かぶことは数限りなくあるが。



「魔力溜まりについてもそうですが、あの講師……何か裏がありそうな気がしてなりません。万一我々が魔族と知られた時には……」

「まあ……あれだけ言ってるとな」



 不安に思うのも無理はない。クラウス講師の口ぶりを鑑みるに、彼は……魔族を実験動物か何かと考えているようだ。

 数十年前の戦時、軍部の指揮下において人体実験が横行していた、という話を聞いたことがある。こちらでも似たようなものだろうか。


 魔族の体は恐ろしく頑丈だ。ではあるが、俺の知る限り、一部分を除けば人間と比べてそれほど変わった部分があるわけではない。こう言ってはなんだが、精霊術の威力実験にはうってつけの相手……なのだろう。



「……怖いです」



 見れば、隣を歩くレーネが小さく体を震わせていた。


 考えるまでもなく、レーネはそういった人間の悪意……というか、害意というか……そうしたものに耐性が薄いのだろうということは、想像に難くない。原因があるとするなら、親に売られたという例の件だろう。


 レーネの頭に軽く手を載せてやると、僅かながらに震えがおさまった。どうやら、少しは安心感を覚えてくれているらしい。



「でも、今はまだ何もしてこないと思う」

「何故です?」

「本当にその気なら、部屋を出る前に仕掛ければいいだろうし」



 前金――などと言って、俺たちがここから立ち去るための金を渡す必要も無い。嫌疑が固まっていないから、ということでも尚更だ。


 住処を見つけるためにあえて泳がす、というような手法を取ることもあるだろうが……俺たちの知る限り、魔族はこの三人が全員だ。苦労に見合う成果になるとは思えない。魔族の頑丈さを知っているなら、地力の差も同じくらい知っていることだろうし。



「気持ちは分かるけど、ミリアムは考えすぎだよ」

「そうでしょうか……」

「でも、そうやって締める役割が一人でもいないと立ち行かないから、助かる」

「それは……どうも」



 顔を逸らして僅かに赤く染まった頬を隠していたことについては……言及することもあるまい。

 ミリアムも褒められれば照れるのだと知れただけでも、少しばかり親近感が湧いた。



「……ともかく、クラウス講師に注意しておかないといけないのは、間違いないと思う」

「そうですね。それは私がなんとか」

「うん。悪いけど、任せた」



 日本に住んでいて平和ボケした俺では、クラウス講師の持つ危険な可能性に行き付いても、無意識のうちにそれを否定してしまいかねない。そういうあたり、ミリアムの方が危機感もあって思考能力も優れているだろうし、俺が考えるよりは適している……と、思う。

 ともあれ。



「で、あの……魔力溜まりって何?」

「概ね、先程の説明の通りですが……」

「ですが?」

「魔力は意思によってその姿、形を変えます。これはお分かりですね?」



 そこは理解できる。例えば、魔力で作った武器――俺で言えば斧。

 あれを作るには、自分の体内の魔力を定められた形状に変える必要がある。そこに必要とするものは、己の意思と習熟だけだ。逆に言うと、それが伴っていない者に魔力を操作することはできない。



「魔力はそれを持つ者の意思、『魂』に強く結びついている、と言えます。逆もまた同じく」

「魂の方が、魔力に吸い寄せられるとか……か?」

「はい。例えば……死者の霊魂が魔力溜まりに引き寄せられ……というようなことは、十二分に考えられます。というかこの騒動の原因はそれでしょう」



 全く意味不明だというほどではない。例えば俺だが、この世界に来て一度落下死した後……ミリアムが蘇生のための術式をかけてくれるまでは、死霊の状態で宙を漂っていたようなものだ。それを引き留め、繋ぎ止めたことで俺は何とかこの世に戻ってきたわけだ。

 が、そこで蘇ることができなかったら、果たして俺はどうなっていただろうか?


 ある意味では、この学校に存在する魔力溜まりというのは、「もしも」の俺の末路なのかもしれない。



「しかし……学校で死霊って」

「そう珍しいことですか?」

「人は死んじゃうものですよ、リョーマさま」



 ミリアムが言うのはまだ分かる。

 だが、レーネがこんなシビアなことを言いだすとは思っていなかっただけに、少しばかりショックだ。


 いや……その主張自体は至極まっとうなものだ。だからこそ突き刺さる。この子は世の中の道理をよく理解しているのに、何で俺はそこまで頭が回らなかったのか、と。



「そうだよな。事故とか」

「むしろ、事件の方が多いのでは?」

「……ヤな話だ」



 一度死んだから分かるが、あの感覚というのはロクでもないものだ。単に死に方が悪かったと言えばそれまでだが……意図的に他人を死に至らしめるなんてことは、それこそロクでもない。正当防衛など、仕方がない事情というのもその時々にはあるだろうから一概には言えないが。

 とはいえ、事件も事故も、この学術都市の性質上多いのだろうということは見て取れる。例えば精霊術の暴発。精霊術という強い力を得たなら、増長して他人を襲ってみようと思うような者もいるかもしれない。逆に、返り討ちに遭うこともあるかもしれない。


 ……となると、この学舎に滞る霊魂というものは思った以上に多いのかもしれない。事件にしろ事故にしろ、理不尽な死というものには怨念が付きまとうものだ。



「……で、ミリアム。具体的にはどうやって探すべきだと思う?」

「手分けした方がいいのでしょうけど……そうですね。リョーマ様が単独で」

「俺が、単独で」



 マジか。

 無茶じゃないかそれは。



「私が単独で動くのとレーネが単独で動くのと、どれがマシですか」

「分かった。俺が行こう」



 天秤にかけてしまえばなんということも無かった。結局のところ、そう言われてしまえば俺に選択肢は無い。


 人間嫌いのミリアムには聞き込みなどできそうにもないし、頭を隠しておかなければいけないレーネも同様。後者が不可能とは言うまいが、ボロが出る可能性は高い。



「じゃあ、俺は聞き込みをして今どこにあるかを割り出してみる。ミリアムとレーネは、構内を回って探してみてくれないかな」

「わかりました!」

「承りました。ところで、いつ……どのように合流しましょうか」

「あ、そっか……合流……そうだな」



 レーネの嗅覚を頼りにするわけにもいくまいし、そこは明確にしておく必要があるだろう。

 目印になりそうなものは……先程見た案内板を頼りに考えると、陳腐ながら時計塔が適切だろうか。ちょうど、時間も目に見えて分かることだし。


 こちらの世界でも、基本的には二十四時間という単位で一日が進む。事情については定かでないが、ミリアムによると「人間が持ち込んだ文化」だという話だった。暦に関しても人間が持ち込み、魔族にも定着したという話らしい。日という単位は元より、年という概念について理解があるのも、それが理由だとか。


 とはいえ、あくまで年を定めているのは、季節の移り変わりだ。大陸の中央に位置するギオレンを基準として、春から冬までが一年……ということになっているらしい。気候の変化が乏しい土地については、その近隣の季節に準ずるのだとか。もっとも、寒冷地にしろ熱帯にしろ、多少は季節の移り変わりというものはあるものだと思うが。


 個人的に気になるのは、一部を除いてしまえば、時間の概念が殆ど地球と変わらない事実だ。

 あるいは、こちらの世界が元の世界の並行世界であって、この惑星も同じ「地球」を基にしているのかもしれない。ないしは、地球とほぼ変わらない環境でなければ、人間型(ヒューマノイド)の生物が発展を遂げることが無い、とか。


 ……どちらにしても憶測でしかないわけだけど。



「じゃあ、ありきたりだけど……さっきの案内板で、広場に時計塔があるって書いてあったよな。見つかるにしても見つからないにしても、二時間後くらいに一度、そこに集まって情報を整理しよう」

「承知しました。では、また二時間後に」

「リョーマさまもお気をつけて!」



 と、はぐれないように互いに手を握りあい、ミリアムとレーネは魔力溜まりの捜索へ向かっていった。

 ああして手に手を取って和気あいあいと歩いていく姿を見ていると、まるで姉妹のようにも見える。

 ……というのは、親兄弟に縁の薄い俺が言っても説得力に欠けるものだろうか。それとも、家族や兄弟姉妹の関係性に幻想を抱いている……とか。


 どちらにしても、詮無い話だ。

 二人の姿が見えなくなった頃、俺は軽い溜息をついてその場を後にした。

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