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学術都市フリゲイユ

 そうして、列車で一夜を明かして、更にもう数時間程度。幸いにして道中で大した波乱もトラブルも無く、俺たちは無事、フリゲイユ学術都市に到着した。

 列車を降り、駅員に招待状を見せて承認を得て――改めて、その「都市」の威容を仰ぎ見る。

 当初、俺はこの学術都市に対しては、日本やアメリカで言う大学――その規模を拡げたようなもの、と考えていた。


 しかし、そうした俺の浅い考えに対し、返ってきた答えは……。



「……要塞?」



 要塞。

 その街を一言で表すのならば、その言葉が適当だろうか。


 あらゆる者の侵入を拒絶するかの如く屹立する壁、壁、壁――広い街の、ほぼ全域を石壁で囲っているのだろう。学問を修めるための場、というにはあまりに似つかわしくないその光景に、しかし、ミリアムは納得いったような、それでいて妙に嫌そうな表情になっていた。



「ええ、要塞ですね……」

「ようさい、ですか?」



 レーネは何のことやら理解していない……というか、学校、というものを初めて見るのだろう。固定観念が無いからこそ、特に疑問には思っていないのかもしれない。



「敵から身を守るためのお城、って言ったら分かるかな」

「ええと、なんとなく……」



 俺だって徹頭徹尾完璧に理解しているというわけではない。というか、要塞の定義について完全に理解している人の方が少ないだろう。


 ともあれ。まずは、目的地に向かって歩きながら、ミリアムに先程の反応の理由を問う。



「それで、ミリアム。何か知ってるみたいだけど」

「多分……ですが、元々、この都市の原型になったのが、魔族と人間との戦争時代の、人間側の前線基地だったものと……」



 声を落として、ミリアムが答える。



「あー……」



 それでこの物々しい外観なのか、と納得がいった。

 スニギット公国とギオレン霊王国の関係性については分からないが、地続きで繋がっている国同士だからと言って必ず仲が良いというわけではないだろう。時と場合によっては、武力衝突が起きる可能性もある。その際に活用する、というような目論見がある、かもしれない。


 フリゲイユ学術都市は、精霊術研究の最先端だと言う。今日(こんにち)までに、膨大な数の精霊術が研究、開発されたことだろう。その成果のおかげで、例の高速列車が実用化されたのだろうし……当然、戦争に応用できる技術も数多くあるはずだ。元の世界でもそうだった。ダイナマイトとか。核とか。


 既に戦時ではない。とはいえ、こうした技術を有しているという事実そのものが、抑止力としてスニギット公国への牽制となっている側面はある、と思う。

 もっとも、戦争状態になる可能性は今のところ低そうではあるが。



「……ほんの七、八十年前のことなんですがねぇ」

「まかり間違っても『ほんの』じゃねーよ」



 人間の寿命ナメんな。

 三世代は更新するわそんな時間経てば。

 要塞も改造されるわそんな時間あれば。



「我々、人間の百倍は生きますし。たかだか百年程度。誤差ですよ誤差」

「誤差て」

「考えられないです……」



 その割に暇そうにしてることが多くないかミリアム。

 百倍がどうのと言うなら、人間にとっての一日は魔族にとっては十五分程度のものだろう。


 いずれ俺たちもそうなるのだろうか、と。軽く嘆息する。



「……ところで、ミリアム。クラウス講師のいるっていう……どこだっけ」

「講師棟です。近くにあるはずですが」



 駅の周辺というのは、主要な施設が集まっていることが多い。

 元の世界でもそうだったかはともかく、こちらの世界においては少なくともそうだ。

 そして、その多くは精霊術の関連施設でもある。魔石の動力……魔力を補充するための施設に始まり、あちらで言う家電量販店のような、魔石の販売所。時には精霊術の術式を記した専門書を多数収蔵した図書館などがそれにあたる。

 これもある意味では防波堤なのだろう。有事の際には、そうした施設から何人もの精霊術師が出てくるはずだ。


 ともあれ、このフリゲイユ学術都市においてもそういった事情は適用されるようだった。

 見れば、駅から出てすぐ。駅前の通りを挟んで向かい側に、(くだん)の精霊術学校はあった。



「講師棟ね……」



 思うに、この精霊術学校というのは元の世界で言えば大学のそれに近い環境のように思う。

 つまるに、それは俺にとって全く縁の無かった環境ということでもある。

 というのも、俺がこちらに来たのはまず、高校を卒業するその前であるからで。そもそも俺は大学に行かず働くつもりでいたわけで。大学の構内の様子など知っているわけも無い。


 実に、不安だ。

 ……と。そんなことを考えていると。



「こっちですね」



 レーネが、俺たちを先導し始めた。



「ちょっと、レーネ……そんなデタラメなことを」

「デタラメじゃないですよ。その手紙と同じにおいが、こっちからしてます」

「にお……」



 そんな犬じゃあるまいし、と考えて。よく考えたら今のレーネはイヌミミが生えていたことを思い出した。

 どちらかと言うと狼のそれに近いが、もしやレーネはそうした特性も持っていたりするのだろうか。


 ……これ、俺のせいだよな。俺のせいだな。うん。

 その事実に気付くと同時、抑えようも無い罪悪感がひしひしと胸にこみあげてきた。



「何悶絶してるんですかリョーマ様」

「?」



 レーネは気にした風も無く。他方、ミリアムは俺の奇行も見慣れてしまったのか、既にその反応はひどく投げやりだった。



「……他の臭いと混じったりしてないのか? 例えば……配達の人とか、ヨナスとか」

「そのくらいなら分かりますよ。色々においはありますけど、このあたりだと同じものは一つだけ、ですから」



 なるほど、臭気の質の違いである程度見分けられるらしい。

 麻薬捜査犬というのは、僅か数グラム程度の麻薬ですら嗅ぎ分けることができるというような話を聞いたことがある。

 魔族になって以降、身体的なあらゆる感覚が強化されてはいるが、ここまでできるというのも驚きだ。


 ……驚き、なのだが



「……レーネ。良いように使ってるみたいで……なんていうか……ごめん」

「え?」



 俺は、その恩恵に預かっているに過ぎない。


 レーネがこういう風になったのは、俺の思考が僅かながらに影響を与えてしまった結果だ。そのせいで狼のような耳が生えてしまい、嗅覚が発達し……迂闊に人前に出ることができなくもなってしまった。


 どれだけ謝り倒してもまだ足りない、と思う。



「いいんですよ、わたし、前よりずっと楽しいですからっ」

「……そっか」



 明朗な笑顔を見せるレーネに、僅かに救われたような気持ちになる。


 ……が、レーネに獣耳を生やしてしまったのが俺だということは、絶対に忘れてはならない。

 そのせいで迂闊に外出ができないことも、元を正せば俺のせいであることには変わりない。

 やはり、どうにか人間との融和を考えていくべきだろうか。せめて一人でも友人ができたなら、寂しさも暇も紛れるだろうが。


 そのために必要なのは、土地と食料だ。食料は、土地があればある程度安定して供給することができるとは思うが――。



「リョーマ様」



 と。不意に、立ち止まったミリアムから声が掛けられる。



「ん、あ……どうしたんだ?」

「到着したようですが……」

「どうしたんですか?」

「ちょっとね。畑のこととか、メシのこととか色々……」

「……何でそう所帯じみたことばかり考えてるんですか」

「じゃあミリアム、俺の代わりに考えてくれないか」

「遠慮しておきます」



 遠慮するくらいなら言うなや。


 ともあれ。ようやく、俺たちは目的の場所……と思しき建物の一室の、その目の前に辿り着いた。

 レーネの言葉の通りだとするなら、この扉の先に、俺たちを招待したエフベルト・クラウス講師がいるということになる。


 意を決し、軽く息をついて――俺は、扉の呼び鈴を鳴らした。

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