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はじめての列車

 その件があって、数日後。

 俺たちは、スニギット公国とギオレン霊王国との国境線上にあるという精霊術の学校に招待されていた。


 招待状の送り主の名前は、エフベルト・クラウス――驚くべきことに。本当に驚くべきことに、このエフベルトという人物はヨナスの知り合いであり、なおかつ精霊術の学校の講師なのだという。この件に関してのみ、俺はあのロクデナシに感心した。


 同時に、何故在野の精霊術師などという不確かな存在を求めているのか……という疑念もある。

 もしや、俺たちが魔族である事実に気が付いているのか。

 あるいは、私設の軍隊でも作りたいのか。はたまた金儲けのためか。


 純粋な善意ということはまあ、ありえない。何せヨナスの知り合いだ。悪意が無くとも確実に何らかの意図は存在する。その行動の結果として、誰かが傷つく可能性は十二分に考えられた。

 その「誰か」が、俺たちなのかそうでないのかは……未だに分からないことだが。


 ともあれ、国境線付近にあるという精霊術の学校に向かうにしても、いくつかの手順を踏む必要がある。

 まず、クラインからライヒの町へ。翌日の早朝に出発する列車に乗って、入国のための手続きを取ったのちに国境線上にある精霊術学校……フリゲイユ学術都市へ。


 俺たちの今いる大陸――アーサイズは巨大な三日月形をしている。超大陸と言っても過言ではないほどに広大で、実際、この大陸以外に陸地の存在する地図を見たことは無い。細かな島々はあるのだろうが……ともすると手抜きじみたこの形状は、しかし、管理の上では都合は良いのだろうか。


 主要な国家は三国。三日月形の下部にスニギット公国。中ほどにギオレン霊王国。そして、上部――半島近辺に、エラシーユ首長国と呼ばれる国家連合が存在する。


 内、エラシーユ首長国連合と関係することは、そうは無いだろう。国家間の距離が遠すぎる。

 対して、ギオレン霊王国までの国境に向かうのは、実のところクラインの村からスニギット公国の首都に向かうよりも近かったりする。


 それが危険なのか否かに関しては、今のところは計りかねるが。


 それはともかく、列車だ。

 こちらの世界に来て初めての旅、でもある。



「わあっ……!」



 輝きに満ちた表情で、レーネが外を眺めていた。

 次々と風景が流れゆき、新たな風景が現れる。村から出たことも、旅に出たことも無い彼女にとっては新鮮な経験だろう。


 ミリアムには、特に何かしらの感慨を抱いたような様子は見られなかった。旅慣れている風には見えないが、ミリアムの性格を鑑みるに、単に興味が無いだけだろう。どちらかと言うと、風景の移り変わりの一つ一つで、ころころと表情を変えるレーネの方が見ていて楽しいようだ。


 その一方で俺は、と言うと。



「………………」



 流れゆく景色と列車の速度について、思考を巡らせていた。

 色気も食い気もあったものではない。いや、食い気を出してはいけないが。贅沢は敵だ。


 そもそも、俺たちがこうして列車旅などできているのは、常日頃から倹約にいそしんでいたおかげ――などではない。先に述べた、エフベルト・クラウス講師からの招待状に添付されていた、列車のチケットのおかげだ。


 この高速列車の代金は、一人当たり百万ルプス前後――約十万円。今の全財産の十倍である。子供料金など無かった。

 ともあれ、そのおかげで快適な旅が満喫できているものだが……いささか、この列車は早すぎる。


 俺の感覚が確かなら、たぶん新幹線よりも速い。レーネが景色の移り変わりを楽しんでいるのは確かだが、それは魔族としての身体能力……というか、動体視力を用いた結果に過ぎない。遠方に見える山さえ、気付けば見えなくなっているというようなこともままある。

 明らかに速い。というか速すぎる。

 これは本当に列車なのだろうか。



「……どうかしたんですか?」



 窓の外を眺めて難しい顔で考え込んでいた俺を見かねたのだろう。ふとした拍子に、といった様子でレーネがこちらに呼びかける。



「いや……この列車、速すぎる気がしてさ。元の世界でもこんな速い列車なんて無かったし」

「精霊術の応用でしょう。魔族(われわれ)が無意識的に使っていた技術と同系統のものと思われます」



 マジかよ万能だな魔法と精霊術。



「どうやってやってるんですか?」

「どうやって、って……ええと……」

「動く先の空気抵抗を無くすために……えーっと。真空状態にしてるんじゃないかな」

「えっ?」

「えっ!?」



 おまえ(ミリアム)が一番驚いてどうする。



「高速で動くのに邪魔なのは、基本的には空気抵抗と重力……だと思うんだ。具体的な物理法則は知らないけど」



 逆に言えば、それさえどうにかすれば多少の問題は解決する……ということでもある。

 空気の壁を破る時に発せられる爆音もどうにかなるだろう。衝撃波も発生しないかもしれない。あくまで「かもしれない」程度の子供の理屈だが、その辺りは魔法・精霊術によって肉付けすれば、多少は論として成立するのでは、とも思う。



「へぇー……」

「はぁ……」



 理解したのかしてないのか、曖昧な返事をして頷く二人。


 もっとも、世の中、詳しい理論も分からず使用しているようなものなどいくらでもある。飛行機が空を飛ぶ理屈は100%解明されているわけではないと言うし、人体のツボというのも、何故効くのかはよく分かっていないらしい。


 でも使えるから使う。その辺り、人間というのは合理的だ。



「で、ミリアム。その技術だけど、俺たちにもできるかな?」

「というより、自然の内に身に付くものかと。自分で自分の身を傷つけないようにするためでもありますから」



 それはつまり、魔族は自然の内に音速を超えるほどの動きができるようになるということか。


 やっぱり魔族のスペックおかしくねーかな。

 それに勝って滅ぼすあたり、こっちの人間も大概にしておかしいが。



「いずれは、必要になると思いますし。少し訓練してもよいのでは?」

「…………まあ、うん」



 未だに精霊が存在しているという現状、いつこの平穏が崩れてもおかしくはない。

 最終的にはこちらの世界の人間が手を下したとはいえ、ほとんどは代行者のおかげで魔族が壊滅に追いやられたわけで。また魔族が世に現れたとなれば精霊は再び代行者をこちらの世界に呼び出し、魔族を絶滅させようとするはずだ。

 そうなれば、どうあっても戦わなければならないだろう。そもそも戦いなんてものを知らない俺に、そんなことができるのか……という問題は今は置くにしても。


 でなくとも、普通の人間が魔族を恐れ、それを原因として戦争が起きたことは事実だ。場合によっては普通の人間でさえ、戦うべき相手となる。

 勿論、戦わないに越したことは無いが――可能性の一つには、確実に挙がってくることだろう。


 人間と、精霊と、代行者。


 超音速で動くことができるというのは最前提。そこから更に、どれだけ魔法の腕を習熟できるか、どれだけ体術を洗練させられるか。武器の扱いを覚えられるか、となってくるか。


 頭が痛くなってきた。高校で柔道を履修したくらいしか格闘技の経験は無いというのに。

 いや、そもそもミリアムの言動を鑑みるに、彼女はかなりの時間を生きてきたはず。こちらの格闘術や体技について知見も蓄えているかもしれない。無いかもしれない。有能だし優秀なのは確かだが、ミリアムの場合どこかで必ず抜けた部分があるし。魔法ばかり習熟していて武術は身に付けていないとか――ありえなくもない。



「だいいち、今日向かうギオレンこそ、かつて魔族を滅ぼした戦争における大本営を務め上げた国なのですから。もう少し警戒してください。レーネも」

「って言われても……」

「……実感無いです」



 その事実は、数日前。ヨナスをダミアンさんのところに放り込んだその後――家に戻ってから、改めてミリアムに聞かされたことだった。


 ギオレン霊王国。最高位の精霊術師たる「霊王」を国家元首と据える、アーサイズ最大の国家である。

 かつて、魔族を滅ぼす戦役の際に「代行者」と呼ばれる異世界の存在――俺のような――を、呼び出し、圧倒的とも言えるその能力によって勝利を得て、アーサイズにおける覇権をもぎ取った国でもある。


 それがおおよそ数十年ほど前。その当時に培った魔石技術によって現在の産業も成り立っていると聞く。


 元の世界と同じ寿命を持つこちらの人間が、現在まで対魔族のノウハウが残しているかはいささか疑問ではあるものの……ほんの三人しかいない現在の魔族(俺たち)にとって、脅威であることには変わりない。

 ……らしい。ミリアムの話に聞いた以上のことは知らないから、俺とレーネには実感が無いのだ。

 こればかりはどうしようもないと理解しているのだろう。俺とレーネの自信ない発言に対しても、いつものような苦言が飛ぶことは無かった。



「……仕方がありませんね」



 軽く溜息をついて、それきりミリアムは目を瞑ってしまった。


 別段、怒っている風ではない。単に疲れて寝入ってしまっただけだろう。

 移動時間だけで半日以上。ライヒの町に到着した後、すぐに列車に乗ったために殆ど休憩するような時間が無かったことを考えると、そろそろ休憩の一つも欲しいところだった。

 フリゲイユ学術都市に到着するのは、速くとも翌朝だ。日も傾きつつある今、かなり早い段階とはいえ眠ってしまうのも良い手ではある。


 ……駅弁とか無いし。買えないし。

 と、そんなことを考えていた折、不意にレーネがこちらに問いかける。



「あ、リョーマさま。そういえば、この列車の中って、どうなってるんでしょう」

「え? ああ……どうだろう」



 レーネの疑問に応えるため、事前に駅で貰っていた案内図を取り出してみる。


 案内図を見る限りでは、七両編成の……こちらの世界においては、スタンダードなタイプのもののようだった。

 先頭車両が、列車全体を統括する魔石……及び、列車の速度や強度の維持を担当する精霊術師たちのいる、言わば車掌室。

 二番目から三番目の車両が寝台車両。四両目が食堂車で、以降五、六、七号車が一般車両となっている。俺たちがいるのが、六両目の中ほどの位置となる。



「後ろの車両はこっちと同じみたいだな。前に行ったら食堂があるけど……行ってみるか?」

「あ、ええっと……ううん、いえ、いいです。お金、いると思いますし……」

「レーネはそういうこと気にしなくていいんだよ」



 レーネはもっとワガママを言ったっていい。

 それは元々の彼女の境遇から……と言うよりも、こちらに来てからの境遇に関してもそうだ。


 人間とまったく相違ない姿形をしている俺と違い……違うようにしてしまい、レーネは頭頂部の獣耳のせいで村にはなかなか出てこられない。時折、家から出て山を駆けてくることはあるようだが、それだけではフラストレーションが溜まるばかりだろう。

 この列車旅にレーネを連れてきたのも、フラストレーションの解消や慰労の意味も含まれていた。


 ……もっとも、ミリアムが許すかという点は別問題だが。

 そう考えて、ふとミリアムの方に視線が移った。が、俺の意図も理解しているのだろう。薄く目を開くも、特に俺の行動を制止する様子は見られなかった。



「……しかし、ドレスコードとか無いよな」



 考えてもみれば、俺たちの格好というのは非常に……言ってしまえばなんだが、みすぼらしいというか、なんというか。


 ミリアムは出会ったばかりの頃の、妙に露出度の高い服装の上から厚手のローブでも一枚羽織ったような奇怪な格好だし、レーネは相変わらず、ヒラヒラしたワンピースの上から例の血染めのパーカーを着用している。勿論、フードは目深に被った上で。


 俺が元の世界で着ていた服は、こちらでは非常に「浮く」こともあり、現在はこちらの衣服を購入して着用している。と言っても、ごく普通のズボンを穿き、薄手のインナーの上から麻の上着を羽織っている程度のもので、畑仕事の際の動きやすさを重視しただけの服装ではあるが。


 ……だからこそ、なんというか。普通に考えれば、ドレスコードに引っ掛かるのはまず確実な話だった。

 片道百万ルプスもの大金を必要とする関係上、あるいは、とも思ったり、思わなかったり。

 しかしながら、周囲を見てもそう気取った格好をした人間がいるというわけでもない。



「ドレスです?」

「あ、いや。服装がね。キッチリしたものじゃないといけない場所があるんだけど」



 結婚式とか、豪勢なパーティーとか、そういった場所でドレスコードがある、とは聞いたことがある。

 時にはこういった高級列車の食堂にも必要になることはあるだろう。しかし、この列車は一般に広く開放されているわけでもあるし。



「まあ、行ってダメなら考えてみよう」

「?」



 そういうことにした。


 いちいち考え込んで足を止めるよりは、行動した方が良いこともある。


 ……結果として、この列車の食堂にはドレスコードなどは設定されておらず、俺たちの格好でも――多少訝しげな目を向けられつつも――食堂に入ることは可能だった。


 レーネは多少こちらに気を遣った値段の食事を頼みつつも、未だかつて経験したことの無いその味に舌鼓を打っていた。


 俺が何も食べていないのは、ただ腹が減っていないからに過ぎない。

 過ぎないのだ。

 レーネから一口貰って泣きそうになってなんていない。

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