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とりあえずの恩返し

「で、これがその」

「はい、魔石です」



 今日も今日とて畑に出てきた俺は、ハンスさんと向かい合って小さな木箱をのぞき込んでいた。

 そこに収められているのは、先程作ったばかりの魔石だ。万一ここで水が漏れてしまわないよう、今は二人して影を作って日を遮っているが。



「……よう作ったのう」

「ええと……その」



 ……ハンスさんには未だに良いあぐねているが、何だろう。俺とミリアムとの関係性って。


 主人と従者、というのもまた色々違うし、かと言って師と弟子というわけでもない。だとして血縁か何かかと言われるとまあそんなことはありえない。厳しいけど世話焼きで時々迂闊な姉という立ち位置にいる、と言えばその通りだが、そのものというわけでもなし。

 ともかくこう、俺の口からは説明し辛いのだ。ミリアムと俺の関係については。


 ミリアムはアンナに、自分のことを従者だと説明していたが、それは適当な表現だとは思えない。あれはその場しのぎの嘘だ。俺はミリアムの上に立っていいと言えるほど、特別なことも大それたこそもしていない。


 じゃあ何か――となると、一つしか思い浮かばないか。



「協力者に手伝ってもらって」

「ふむ、そうか」



 と、ハンスさんは思案顔で、軽く顎を掻いた。

 こちらのことを訝しんでいる……ということは無い、と思う。


 アンナはミリアムのことを俺の従者だと思っている。となると、ハンスさんも同じ認識を持っていることだろう。だから協力者、という発言について違和感を持ったのかもしれない。


 俺がこちらに来てからというもの、生活環境を整えることに腐心してきたこともあって、知人は未だにそう多くない。せいぜいがレッツェル家の人々と雑貨屋の店番。それから、同じく日雇いということで手伝いに伺う酒場の主人くらいのものだ。協力者、と一口に言われても想像し辛かったのだろう、と思う。



「しかし、水が噴き出す……かい」

「……あ、こういうのお嫌いでしたか?」

「いや……こんなもの、そうは見かけんし、珍しいと思っての。ライヒの方にでも行かないと、こんなものそうはありゃせんぞ」



 逆に言うと、ライヒの町の方まで行けばあるということか。


 俺でも考え付くことだ。元の世界でもあったことだし、魔法技術の発達したこちらの世界で、水やりの全自動化が実用化されていないということはありえない。

 ただ、やはり魔石というのは高価なのだろう。交通手段があるとはいえ、ハンスさんの畑には設置されていないあたり、その経済事情が窺える。



「じゃあ、これ。差し上げます」

「へ?」



 きょとんとした表情で、ハンスさんは木箱を受け取ったそのままに硬直した。

 何か間違えてしまっただろうか。聞こえなかった、ということは無いと思いたいが……万が一のことを考えて。もう一度。



「差し上げます」

「いやいやいやいや!!」



 と。恐ろしいものを見るような表情で、ハンスさんは俺の方に木箱を突き返してきた。



「こんな高価なもの、ただで貰うわけにはいかないよ、リョーマ君!」



 そこで、ようやく得心がいった。


 考えてみれば、当然だ。いち市民として普通に収入を得て暮らしているハンスさんが、購入さえできていない代物だ。魔石というのはそれほど高価なのだろう。そんなものをホイと渡されても、反応に困るし恐縮してしまう。それが普通だ。


 ただ――ここで受け取ってもらえないのも、それはそれで困る。



「ただ、じゃないです」



 そう。「タダで」渡しているわけではない。



「俺、ハンスさんに色々教えてもらって……お金まで貰って、まだ何の恩も、返すことができてないんです。だから、これ。ほんの少しだけでも、返させてください」



 今日までの一週間ちょっとで、だいたい十万ルプス以上。元の世界に換算して1万円程度。宝石の原石に、農業知識。

 どれもこれもあって困るものではないし、今の俺たちにとっては額面以上の価値がある。


 ただ生きていくにも、豊かに生きていくにしても、ハンスさんに教わっていることは何よりも得難い知識だ。


 だから、この程度で返しきれるわけがない。



「ううむ……」



 再び、思案顔に戻ったハンスさん。


 利便性や、その高価さ。あるいは、施しを受ける立場であるはずの俺からそれを貰うという状況。

 複雑な思いがあるのだろうことは分かる。ただ、こちらとしても受け取ってもらえないわけにはいかない。



「今後も色々、いただくことになってしまうと思いますので。何ならその前払いとでも思ってください」



 家計を逼迫させてしまうほどにお世話になる気は、流石に無いが。

 それにしたって、こちらでも普通に経済活動が行われている以上、ライヒの町で暮らしていこうと思えば家を借りる必要があるし……多分、廃屋にいる以上に苦労することになる。レーネやミリアムに食べさせるために俺は食事にありつけず、ということもあり得るし――実際今でも野草を食べたりしているが――場合によっては飢え死にしてしまうかもしれない。


 何にしても結局、これだけで返しきれるはずは無い。まだまだ返すべき恩は積もっていく。まだこんなものでは山の一角を切り崩したことにしかならない。



「うぅーむ……じゃあこれは貰っておくけども、無理しなさんなよ?」

「はい、分かってます」



 無理が無ければいい。

 言質は取った。



「ところで、今日はどうするんです?」

「水やりを手伝って……ああいや、これがあるんなら少々はいいかなぁ……」

「あ、いえ。そこまで水の散る範囲広くないですし。俺、届かなそうなところに水やってきます」



 ほんの軽い作業ではあるが、小さいことで煩わせる必要も無い。

 告げて、俺は倉庫に置いてある桶を取りに向かった。




 * * *




「買い取れねえよこれ」

「えっ」



 その日。俺はほんのわずかな作業を終えて雑貨屋に赴いていた。


 目的は、魔石の換金だ。場合によっては、レッツェル家に負担をかけることなく金を稼ぐことのできる手段だと思っていた、のだが――。



「できないのか?」

「ああ、うん。無理無理」



 すげなく突き返された。

 ひどくつまらなそうに、茶髪の青年――ヨナス・ロークは続ける。



「そういうホーリツがあんだよ。うちの国(スニギット公国)にはな」

「法律って……」

「何かよ、魔石を作ることには制限かけてねーけど、販売はダメなんだとさ。売っていいのは精霊術のガッコー出たヤツだけで、それ以外は、自分で作ったヤツを自分で使うのはいいけど……だっけか」



 覚えてねー、と軽く頭を掻くヨナス。


 元より、このヨナスという男は真面目な方ではない。基本的に怠惰で自分を省みない性格で、こうして店番として雑貨屋の店先にいるのも、あくまで親に言われたからに過ぎない。とかく楽をすることに腐心しており、気付いたら店の奥に引っ込んでいることも多い。親に怒られることもそれに比例して多くなる。


 この男と出会ったのは、この村に来た初日のこと。廃屋で使う明かりを欲して雑貨屋に向かうと、この男が居眠りをしていた――というのが最初だった。

 勿論、印象は良くなかった。ただ、同年代の男というのはこの村でもそう多くはいない。気付けばそれなりに雑談と軽口を交わす仲になり……今に至っている。


 俺は一応世間知らずということで通っている。そのため、常識的に知っているべきことを聞いても、特に違和感なく答えてくれる……という点も、付き合いを続けることになった理由だろう。



「売買はダメか……」



 ……しかし、まさか譲渡にまで制限はつくまいが。

 こういう時、売買が禁止というのは経済に与える影響を考慮してのことだ……と思う。


 精霊術師というのがどれだけポピュラーな存在で、どの程度在野の精霊術師がいるのかは分からないが……ハンスさんやヨナスの反応を窺う限り、魔石が非常に高価なものであることは確かだ。


 魔族は体内に莫大な量の魔力を蓄えている。この魔力は、事実上自分の肉体の一部と言い換えてもいい。対して、精霊術師の扱う魔力というのは、自然界に元々存在するものだ。術式を刻むところまでは行き付いても、魔石に魔力を注ぎこむことは上手くいかない――というようなことがあってもおかしくはない。そうホイホイ市場に出回るようなものは作れないのだろう。多分。


 もしそうでなくとも、粗悪な品が大量に出回るのは避けたいところだろう。品質などの基準は逐一チェックしていることだろうし、そう考えると国が主導で売買を制限しているというのは理に適っているのかもしれない。もしや高価なのもその辺の手数料が原因だろうか。流石に無いか。


 と。頭の中で推測から陰謀論に発展するまでを律儀に作り上げていた俺に、ヨナスがニヤリと笑みを向ける。



「ところがそうでもねえのよ、リョーマちゃんよぅ」

「じゃ、俺帰るわ」

「まあ待て待て待て」



 服を掴まれた。

 この男がこういう笑みを向ける時ほどロクなことが起きないということを、俺は知っていた。


 というのも、先述した通り、ヨナスという男は怠惰で、自分が働かずに済むためには……それこそ、他人だって当然に巻き込むし、馬鹿げたことも平気でやらかす。


 俺はその被害者だった。

 当時は俺もヨナスのことは何も知らなかったし、そもそも知る余裕も無かったものだが――酒場の店主に倉庫の酒瓶を持ってくる頼まれた時のことだ。


 俺も勝手が分からず右往左往していて、とにかく人の手を借りなければ二進(にっち)三進(さっち)もいかなかった。そんな折に現れたのが、ヨナスである。

 この男は俺が困っているところに颯爽と現れた。



『何だぁ新入り、何に困ってんだ?』



 実際、弱っていたし困ってもいた。店主に言われた酒瓶の銘柄や中身の見分けがつかないと言うと、ヨナスはその場で数本を見繕い、俺にいくつか手渡したのだった。

 そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、高級な洋酒の瓶を数本、自身の腕に抱えて――そのまま、店を出た。


 ちなみに俺に手渡してきた酒はまったくのデタラメだった。ヨナス自身がかっぱらった酒は、その日のうちにライヒの町で換金してしまったらしい。

 勿論、店主は激怒した。


 相手の素性を知らなかったとはいえ、注意を怠った俺にも原因はある……とは思ったし、実際店主にも言ったのだが、その時点でヨナスの悪行は知れ渡っていたのでヤツの仕業に間違いないとして俺は無罪放免。ヨナスは即日、帰宅してきたところを御用。店主と親にしこたま殴られ、金も店主のもとへ戻った……というのがことの顛末だ。


 ということで、俺もこの男の発言には可能な限り注意を払っている。

 今日は逃げきれなかったが。



「なあリョーマ、俺は非合法に魔石を換金できる場所を知ってんだよ」

「行かない聞かない」

「まあそう言わずに。分け前は俺が七でいいからよ」

「自分で無茶苦茶言ってること理解してるかヨナス」

「じゃあ六」

「そういう意味じゃねえってんだよ業突く張りのロクデナシが」

「その呼び方はヒドくねぇ!?」

「正当な評価だよ!!」



 この村におけるヨナスの評価というのも大差はない。


 話に乗らない。眼を合わせない。近寄らない。犯罪者への扱いと遜色なかった。

 ……窃盗。横領。実際、犯罪者とそう変わりないというのも実情だが。この上に密売まで加わるとなると流石に擁護できる気はしない。


 したところで何の得にもならないが。



「ケーッ、つまんねぇの。律儀にオリコーちゃんやって何かいいことでもあんのかよ?」

「そんなこと言ってるうちは一生分からないんじゃないかな……」



 理解する気も無かろうが。


 普通の生活というのは、それはそれは尊いものだ。

 一度手放してしまうと、もう一度手に入れるためには多大な労苦を惜しまず費やす必要があるのだ。



「おう分かんねー。じゃあ帰れ帰れ。貧乏人に用はねー」

「俺もただのロクデナシに用はねぇ」



 互いに軽く手を振り、店を出る。


 ヨナスはロクデナシだ。そこは間違いない。が、頭が悪いわけではないはずだ。でなければ悪知恵も浮かびはしないし、他人を巻き込んで悪事を行えもしない。

 叶うなら、もう少しその方向性を善行の方面へ向けてほしいものだが――果たして、それが叶うのはいつになることか。


 益体も無いことを考えながら、俺は家路についた。

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