幾多の罠さえ
「正気ですか?」
「正気です。が――そうして困惑されるのも分かります」
分かるならやめてくれないだろうか。いや本当に。
正気を疑われる選択だと理解していながらこの人は何故このようなことを口にするのだろう。公王と同じく、無理と分かっているけど言うだけ言ってみるとかそういう……?
「私も反対です。獅子身中の虫を自ら招き入れるようなもの。婚姻の話も含め、一度白紙に戻すべきかと」
「……あ、あたしも反対かなーって……」
「……アンナはともかく、ミリアムの言う通りです」
「ひど」
抗議するべくアンナが視線を寄越してはくるが、そもそもアンナがミリアムに同意したのは、十中八九がやきもちか何かだ。個人的には声高に同意したいところだが、この場でそうするわけにいかない。
ともかく、彼女を引き入れることは災いしか呼ばないと断言してもいい。
「破壊工作や情報漏洩の危険を考えると、彼女を『妻』として迎え入れるわけにはいきません。畑を壊されようものなら食糧不足で命に関わります」
「ほう」
「必要とあらば軟禁も辞さないつもりではありますが」
「チッ」
人がそれっぽい隙を見せた途端に活き活きし始めやがってこの暗殺者。
本当に油断も隙もあったもんじゃない。
「……しかし、やはり妻という立場になれば、軟禁は先の『人間に無暗に危害を加えない』という条項に抵触する可能性もあります。ご再考をお願いできないでしょうか」
「最も情報を得られる可能性が高いのも、その立場です」
――――泳がせておくことも、あるいは一つの手かと。
少女に悟られないために決して言葉にはしなかったが、フランチェスカ伯の目は雄弁にそれを物語っていた。
……狙いはそこか。
本人から情報が得られないなら、その周囲から情報を奪えばいい。あちらも容易に尻尾は掴ませないだろうが……そこを何とかするのが俺たちの仕事と言ったところか。
最初にこういうことを言い出すとすれば公王かと思っていたが、この人がその結論に至っても決して不自然ではないか。あまり気は進まないことは確かだが……。
「……分かりました。何とかしてみます」
「リョーマ!?」
「よろしくお願いします」
「ねえ、ちょっとやめてよ! やだよあたし怖いよ!」
「アンナさん、落ち着いて……」
……いつもならもっとこう、ミリアムが鋭い視線を向けるのにアンナがツッコんでるところだろうけど、流石にこの状況だと立場も逆転するか。
俺も慰めて後からフォローを入れなきゃいけないが、今この場で言葉にはできない。してはならない。
噛み締めた唇から血が滲む。あの暗殺者のしたり顔が憎らしい。だが、今は堪えなければいけない――――。
「……何とかします」
次の霊王国からの視察が、数日後。その時にエフェリネと……可能ならばヴェンデル政務官本人に問いただす必要がある。
しかし、もし霊王国全体が絡んでいたらどうするべきなのだろう?
何かしらの理由を付けて俺たちを消しにかかることもありうるだろうし、ある程度信用の置ける相手だけに伝えるのがベストだが……。
「リョーマ様?」
「……どうした?」
「手が……その……」
「あ、ああ……すまない」
ふとミリアムに促されて掌を見ると、僅かに血が流れていた。無意識のうちに握り締めてしまっていたらしい。
我ながら、妙なところに感情が出てしまう。できるだけ表情にだけは出さないようにと務めてはいたが……。
「ふん、これで情報収集も捗るというもの。裏目もいいところだ、薄汚い魔族と人類の裏切り者め」
「………………」
「言っておくが私は何も吐きはしないぞ。精々無駄な努力を楽しめ」
……こいつ、そろそろ一度殴り倒してもいいんじゃないか?
いや、駄目だ。流石に抑えろ俺。よりにもよってフランチェスカ伯の目の前で醜態を晒す訳にはいかない。ただでさえ微妙な立場なんだ。
アンナはそろそろキレそうだが、そろそろ俺が抑えに回るべきだろうか。その方がいいかもしれない。
「リョーマ、こんな言われ放題でいいの!?」
「……じゃあ、ここで手を出して、俺たち全員人間に滅ぼされる方がいいか?」
「それは……」
「ごめんな。けど、今は堪えてくれ。絶対に――何とかするから」
どうにかして落ち着いてもらうために、アンナの手を握りながらできるだけ真剣に語り掛ける。
俺も流石にイラついているってことは、今日ここに来る時にアンナも気付いていただろう。その辺りを思い出してもらえれば、多分……納得はしてくれると思う。
「何か入用なものがあれば、何でもおっしゃってください。重責を押し付けたことには変わり在りませんので」
「申し出はありがたいのですが、我々の手で成し遂げて見せます」
「……そうですか」
当てつけの意味も僅かに含めているが、はっきり言って今は貸しを作りたくない。その「貸し」のおかげで、次以降また同じように重責を背負わされる可能性は高いだろうからだ。
そもそも今の時点でさえアルフレートに対抗するために鍛えなければならない、という最大の目的がある。そのためにどれだけか労力を使っている最中なのに、この暗殺者に対応するためにどれだけ気を揉まなければならないのか。心労と胃痛で殺す気だと言われると思わず納得してしまいそうだ。
「ですが、一つだけ」
「何でしょう」
「……その少女に適切な身分を与えなければなりません」
「はぁ……――――あ」
言われて、初めて思い出した。
そういえばこの婚姻の目的は政略結婚……戦国時代なんかで言われるように、婚姻によって血縁関係を構築し、協力関係の強化や人質として利用するという意図がある。
フランチェスカ伯の妹が選出されたのも、冥王領を含むこの地方を管轄する貴族だからこそだ。直接的に俺たち魔族との強力な繋がりを持つことで、戦力の増強やその他のメリットを享受する――のだが、フランチェスカ伯とも何も関係ないただのスパイと婚姻するとなれば、彼には何のメリットも生まれないことになる。
いや、そもそもこの領地の領民である以上、納税やその他諸々の義務は発生するわけだが……俺たちに対して、義理の血縁関係を盾にした交渉や依頼ができなくなってしまう。それは間違いなく、彼にとっては損失だ。
「ひ、必要ない、そんなもの――――」
「貴女が必要であるか無いかは関係ありません」
そう言って、フランチェスカ伯は少女の抗議を真っ向から切って落とした。
「ご自身の立場をお忘れなく。この場で処刑を言い渡しても私は構わないのですよ」
「勝手にすればいい」
「――――貴女のこれまでの行動の全てが無意味になるとしてもですか?」
「な、に?」
「ここはライヒです。オルランド卿のいる冥王領ではありません。ここで死んだとしても、貴女は『魔族のいる地で死んだ』という結果を残せない」
この暗殺者の主目的は、俺たちの目の前で死ぬことで「魔族が一般人を殺した」とでっち上げることにある。
素性はどうあれ――どこの国や自治体が俺たちのことを非難するのであれ、そうなれば、俺たちに対する風評はどんどん悪くなっていくだろう。「誰かが魔族領で死んだ」という断片的な事実さえ喧伝すれば、人々は自分に都合の良いように脳内でその内容を補完する。やがてその内容にも尾ひれがついて回り、「魔族が人間を殺した」となっていくことだろう。
が、ライヒの領主が公的に「ライヒ領内に潜入した密偵を捕縛、後に処刑した」と発表したなら、そこに魔族がどうとかいう話はついて回ることは無い。
この件の首謀者に関しても、知らぬ存ぜぬを貫き通すことになるだろう。この少女は全くの無駄死にになる。
……もっとも、この子を殺せばあちらの目論見も防げるとはいえ、結果的にはプラスマイナスゼロだ。こちらは重要な情報源を自ら手放すことになるのだから。
「さて――――話の続きとしましょうか」
……初対面の時は武闘派な面が目立ったが、やっぱりこの人もスニギット公国の官僚だ。
僅かな戦慄を覚えながら、俺は彼の言葉に無言で頷いた。




