ストレイトジャケット
誰だこいつ。
――――誰だこいつッ!?
いや、本当に何者だ!? 自称オリエッタのあの少女とは違う……ような、そうでない、ような……。
白く、長い髪。眼帯で左目を隠していて、動きやすい衣服を身に纏っている。
が、よく見ればその輪郭といい、表情や雰囲気といい――確かにあの「オリエッタ」だ。髪色と眼帯、服装のせいでそうとは気付けなかったのだろう。
「……誰だ?」
しかし、どちらにせよその素性まで正確に理解できているわけじゃない。
だから、告げる――お前は何者だ、と。
「答える義理は無い」
先程の高速移動に、僅かに面食らったのだろう。少女は額に冷や汗を浮かべながらも、強気にそう答え――俺に向かって突貫した。
「くっ………………!?」
だが、そこで気付く。
遅い。
俺が速くなっているとか、ミリアムのおかげで目が慣れたとか、そういうものじゃない。ただ純粋に、この世界の戦闘者としてはあまりに遅すぎる。
身体強化も無い。魔石によるブーストも無い。ただただ純粋に自身の能力としてこの速度を出せるなら、元の世界では短距離走のオリンピック選手にでもなれそうなものだが……今は関係ない。
これでは、俺は元よりレーネにすら敵うか怪しいところだ。場合によっては、クワやスキを持ったクラインの農民相手ですら危うい。
「…………っと」
「……ッ!?」
身を躱しながら、突き出した手に握られたナイフを奪い、手の中で折り砕く。
これでもう武器は無い。精霊術でも使えばまだ分からないが……そうしないということは、それができないということだろう。
「大人しくしろ」
「ぐっ……!」
もう片腕で彼女の手を掴み、後ろに回して体を組み敷く。
これでもうまともに身動きも取れないだろうし、反撃も不可能だろう。
あっさりとした終わり方だが……本当にこれだけなのだろうか。まだ何か、この少女にも思惑があるような気がするが……。
「……どういうつもりだ?」
「…………」
少女は応えない。答えられるはずも無い、か。その目的が何であれ、俺に刃を向けたことには変わりないのだから敵には違いない。
密偵と呼ぶべきか、暗殺者と呼ぶべきか――しかし、前者だとしたらやや迂闊に過ぎるし、後者だとするなら決定打が無さすぎる。精霊術が使えるような様子は無いし、ナイフ自体の材質も普通。それだけじゃなく、明確に鍛えているような様子も無いし……何のためにこんなところまで来たのか、それが分からない。
暗殺を狙うなら、もっと良い得物を使う。諜報が目的なら、こんなところで行動を起こすわけがない。状況に対して色々と辻褄が合わない……。
そんな中、不意にある考えが浮かんだ。こんな絶体絶命の状況の中であっても、絶体絶命の状況を望んでいるのだとするなら――――?
俺の思考を裏付けるように、少女の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。まさか、と思ったその瞬間には、少女は押さえつけられていない方の腕で器用に別のナイフを取り出し、自身の首に向けてその切っ先を向け――――。
「――――させるか!」
この子は、ここで死ぬつもりだ。恐らくは、俺たちに「人間を殺した」という罪を擦り付けるために。
真実は関係ない。ただこの領内で「人間が死んだ」という事実さえあればいいのだ。そうすれば、魔族という集団を糾弾する材料になる。それに必要な事象は捻じ曲げれて語ればいい。大きな組織がバックについていれば、それも容易だろう。
例えば、あの時の――山の中で戦った精霊術師と出自を同じくするのならば、尚更にそれと同じことが言える。国や自治体が背景にあるのだとすればもっと……。
ここで彼女が死ぬのを阻止すること自体は、ごく簡単なことだ。腕でも折ってナイフを握れないようにすればいい。
けれど、自ら死ぬ方法というのは自分に刃を突き立てるだけじゃない。舌を噛む、飛び降りる……やりようならいくらでもある。それら全ての死の要因を消し去ることは不可能だ。
――――だが俺は、言うなれば死の化身たる「冥王」だ。
霊的領域、即ち死後の世界に干渉する能力を持っている以上、それら全てを「遠ざける」ことはできるはずだ……!!
意を決し、俺は少女のその背部に掌底を打ち込む。それは決して少女の手の動きを止めるためのものではなく……そもそも、止められるものでもない。
一切の威力の伴わぬ「霊的な」一撃。それは少女の持つ微小な魔力に感応し、その形を変えて――――。
「なッ……ん……え、あ……!?」
「………………」
少女の手に持つ刃の切っ先、そこに黒い火炎を創り出してその動きを止めた。
――――霊衣。その「防御」の権能を全て、少女に割り振ったかたちになる。
あらゆる「死」の原因となる行動を封じ、あらゆる「死」の原因となる現象から身を護る。それが、この少女に打ち込んだ霊衣の効果だ。
これは俺の身を守る霊衣の機能を全て譲渡している関係上、俺の身を守る術が一切無くなってしまうわけだが……それは今はいいだろう。
重要なのは――――。
「悪いが、自殺はできないようにさせてもらった。舌を噛もうとしても無駄だ」
「く、あ――――ぐっ……!」
舌を噛もうとしているか、あるいは腹を斬ろうとでもしているか……いずれにしても苦悶の表情を浮かべつつも何一つとして成功してはいないあたり、俺の目論見は成功したと見るべきだろう。
毎度毎度、俺は何でぶっつけ本番で成功するのか。実際に成功したから良いようなものの、これじゃあミリアムにこれから先のことを危ぶまれるに違いない。
「……殺せ……」
「殺す訳ねえだろ。何考えてんだお前」
「いいから殺せ……!」
話が通じないな、これ。
いや。自分の仕事を全うせんとする暗殺者なんて話が通じないのが当たり前なんだけど。
……「暗殺者」と呼べるかどうかは別にして。
「色々と聞くべきことがあるんだ。そう簡単に死なせるかよ」
「知るか……! いいから殺せ!」
……さて、どうするべきかな、と。
魔法であっても本音を引き出すようなことは難しいし、嘘を見抜く魔石であっても無言を貫かれれば意味が無い。
かと言って本人の要望通り死なせるのは論外だし、逃がすわけにもいかないし……色々とジレンマに満ちてるな、この状況。
こんな時は俺一人で考えるんじゃなく、他の面々の知恵を借りるのが一番望ましい、か。
「重要な情報源を殺すわけにいくか。ほら、じっとしてろ」
「ぐっ……! 触るな! 離せ! どこに連れて行く! やめろォ!!」
まずはミリアムのもとへ連れて行こう――と担ぎ上げたその瞬間、腕の中で少女がじたばたと暴れ、叫び始めた。
「うるせぇ!!」
「もがっ!!」
口を手で塞ぐ――が、抵抗も叫びも止まない。俺が手を口の前に出したのをいいことに噛み付いても来るし、頭突きを仕掛けても来ている。全て霊衣によってシャットアウトされてはいるものの、あまりにこれが続くようじゃあ、もしかすると俺の魔力でも危ういかもしれない。
しかし、下手をするとオスヴァルト並みにうるさい……!
必死で抵抗してるんだからそんなもんかもしれないが、人の耳元で叫ぶやつがあるかちくしょう!
何度も何度も耳元で叫ばれすぎて、流石に俺の鼓膜もそろそろ耐用限界キてるんじゃないかなって思うぞここまで来ると!
「勘弁してくれ……」
「うがぁっ! がああ! うああああああッ!!」
「だぁぁもううるせえッ!!」
――――結局、そんなやりとりが続きながら、俺がミリアムのいる部屋に辿り着いたのはそれから五分ほどしてからのことだった。




