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魔石

 宝石の原石を掘り出して、数日が経った。


 数日――その間、俺はひたすら畑作業に従事して農作物についての知識を深め、ミリアムは宝石の原石を研磨し、レーネは一所懸命に家庭菜園の世話をしていた。


 ……要するに、特に変化の無い日々ということでもある。

 安定した、と言えば聞こえはいいが、実質のところはレッツェル家に金銭的・食料的に依存している状況は続いているし、労働でそれを返すことができているともなかなか思えない。何せ、農業に関しては全くの素人だ。元々農村の生まれだというレーネにも知恵を貸してもらって、以前よりはマシにはなったと思うが……それにしても、目標は遠すぎる。


 アンナも、時折どこからか突然猪や兎を捕まえて持ってくる。野生の勘か、それとも経験則か。獣が集まっている場所というのが分かるのだろう。弓だけで野生の獣を追い込み、確実に仕留めることのできるその観察眼は、一年や二年程度で培われたものではあるまい。

 先人の技術に追いつくまでは、遠い。

 しかし、そうした中でも、結実したものが少しだけあった。



「ふっ……」



 早朝。廃屋――今はある程度設備も整えてあるし、家と言ってもいいか――の、庭先。腕を前に掲げたまま、俺は精神を統一していた。

 意識の向かう先は、自分自身の内側。魔力を貯蔵し、精製する領域だ。


 屹立する岩山のごとく頑なな、莫大な量の魔力。数日前ならば動かし、操るどころか、削り取ることすらできなかったそれを――ゆっくりと、少しずつ分割し、削り、成形していく。


 よし、と僅かに歓喜の声が漏れた。

 ほんのわずかにとはいえ魔力操作のコツを掴んだきっかけは、数日前。レーネを魔族として転身させたときのことだった。


 ミリアムによる、外部からの魔力操作。誘引、とも言うべきだろうか。ともかく、一度魔力を「動かす」感覚を刻み込んだおかげで、それとなくコツのようなものが分かるようになってきたわけだ。

 と、言ってもそこは……自転車に乗るために、荷台を人に押してもらうようなもので。実際にできるようになるまでには多大な試行錯誤が必要になった。


 しかし、今。その成果がようやく結実した――と言えるだろう。



「……!」



 行ける、と確信したら、あとは早かった。

 型に嵌めるように魔力を成型。血流に乗せるようにして、心臓から肩、腕、そして掌へと移す。

 そして。



「おっ……」



 音も立てず、まるで始めからそこにあったかのように――しかし、確かな存在感を持って。


 冥王の武具、「冥斧」カリゴランテが、俺の手の中に現出した。


 俺の肩ほどにも届くかという長大で重厚な斧――だというのに、重量はほとんど感じない。

 元々、俺の魔力から精製したものだからだろうか。まるで、肉体の延長線上であるかのように扱いやすい。自由自在、と言うと語弊はあるが、振り回してみても一切違和感が無い。この斧(カリゴランテ)一本で飾り切りでもできてしまいそうなほどだ。


 切れ味も悪くない――と言うより、非常に良い。というか、豆腐でも切るように木がすっぱりと()れる。


 なるほど、魔族の王の使う武器というだけはある。何の意味があるの――と言われると、答えに窮するが。


 問題があるとするなら、その巨大さと……装飾の多さだろうか。

 装飾が過多なことは、魔法的に何か意味があるのだろうと思うことにしておく。あるいは先代の趣味か。

 長い持ち手の先に刃があることには変わりないが、その刃自体も、ともすると鎌を折り曲げたのかと思ってしまうほどに長い。あるいはそれも冥王の武器だからこそなのか。死神の武器は鎌というのは異世界でも同じなのか。そんなまさか。


 ……などと、ようやくひとまずの目標を達成して喜びに浸っていたところに。



「二十点」



 ミリアムから思い切り冷や水を浴びせかけられた。



「えー」

「大まけにまけて三十点ですね」

「……えー」



 大差ねえ。



「魔力の固形化までが遅すぎます。それに、成形の際に魔力を削ぎ落していますね?」

「え、ああ、うん……その方が楽だし……」

「魔力によって武器を生成できることの優位性が理解できていないようですね」



 これだから分かってない人は……とでも言いたげに、ミリアムは諸手を挙げた。



「これだから分かってない人は……」

「本当に言いやがったなお前」



 俺の未熟が原因とはいえ流石にキレるぞちくしょう。



「……その道具を携帯する必要が無い、っていうなら分かるけど」

「それもありますが――」



 と、ミリアムは自身の掌を上に向ける。

 その瞬間、一本の武骨なナイフがその手に収まり……次の瞬間には、掻き消える。



「魔力によって作られた武器というのは、魔力に還元できるのです」

「氷を融かしたら、水になるみたいにか」

「そうですね。なので、無駄はできるだけ省いた方がいい――というのは、理解できましたか?」

「……まあ、うん」



 休めば回復するんだし、日常生活を送る分には問題ないような気もする。



「日常生活には必要ないとか思ってらっしゃいますね」

「心を読むな」



 こいつ俺の思考パターンを読み切ってやがる。



「でも、これなら魔石も作れるんじゃないかな?」

「まあ、頑張れば。術式を仕込むのに魔力はそう必要ありませんからね」



 頑張れば作れると言うのなら、頑張らない理由も無い。

 この際だし、色々と試してみるのも悪くはないだろう。



「……売れるかな」

「売れないわけがないでしょう。この私の組んだ術式ですよ?」



 どこにそんな自信があるのか、と思うが、コイツはこれでも先代冥王の関係者だった。

 世界を超えて人間をこちらの世界に呼び込む術式を組んだのもミリアムだし、俺を蘇生させたのもミリアムだし。日常生活の中であまりにあんまりな言動でいることが多いせいで意識ることがとんと少なくなってきたものだが。


 と、ミリアムはいくつかの宝石をいづこからか取り出した。



「一つ、試しにここで作ってしまいましょうか。そのために朝早くから出てきた面もありますし」

「ああ、そうだな」



 早朝ゆえ、レーネはまだ眠っている。一応、そんな時間に魔力操作と武器精製の練習を始めたことにも意味はある。


 一つは魔力の暴走に対する懸念だ。俺一人に被害が及ぶならばまだいいが、何らかの原因で魔力が暴走を起こすと――というような話はよく聞く。ミリアムは自力でなんとでもなるだろうが、対処の方法を持たないレーネに被害が及ぶのは避けたい。


 もう一つは、先程の……斧を振り回したことだ。レーネは割と人にくっついていることが多い。というか隙あらば、ミリアムや俺の背後に回ったり横で引っ付いていたり。

 小動物のようで可愛らしくはあるのだが、流石に刃物を振り回すと危ないだろう。


 それから、魔石に込める術式によっては、周囲に何かしらの被害が出ることもありうるわけで。



「ただ、どういう術式にしましょうか?」

「夜、明かりを確保するのに金がかかるからな……油とか。こういうところで節約していきたい」

「あ、はい……そういう方向ですか」

「あと、地面に埋めておいたら勝手に水を撒いてくれるとか、虫避け……それと……トイレと風呂」

「……所帯じみてますね」



 この廃屋でも決してトイレがないわけではない。

 トイレはあった。あったのだ。


 ボットン便所が。


 現代人にとっては厳しい。いや、出すものが無いときの方が多いのだが、かと言って出ないわけではないし。正直に言ってしまうとやはり、ウォシュレットが欲しい。


 加えて風呂が無い。普段は川で体を洗っているが、時折魚に足やアレを噛まれかけたりしている。先日は全裸で熊を撃退したばかりだし、よくよく考えれば野外で女の子を露出させてしまっていると考えると、俺はウジ虫以下の肥溜め野郎なのではないだろうかとさえ思えてくる。この世知辛い現実を生み出しているのは誰だ。能力不足の俺だ。もうちょっと俺に漫画やアニメのような図抜けた頭脳や類稀な適応能力、農業や政治の知識があればもうちょっと二人を楽させてあげられたのかもしれない、と思うと涙が出てくる。


 実際に俺が持ち合わせてるものなんて、ちょっとピンク色の濃い腐れ脳味噌と不滅のムッツリ煩悩(スピリッツ)くらいのものだ。我ながら実に度し難い。



「……言ってたら風呂を作らなきゃいけない気がしてきた」

「お風呂ですか」



 風呂の素材というところにはあまり知見は無いが、どうだったか。

 ヒノキの風呂、というものはよく聞く気はするが、さて。その辺に生えている木の木材で代用できるものだろうか。カビとかキノコとか生えてこないだろうか。生えるだろうなきっと。



「……ちょっと考えがまとまらないな。とりあえず、湯水を出すような術式にしてくれないか。そこからの繋がりで他に考えてみる」

「了解です。では、二つ分としましょう。一つは湯水を生成、もう一つは、周囲に水を撒くように」



 ミリアムが宝石のうちの二つに掌をかざす……と、瞬きをする間には、その内側に輝きが灯り、術式が刻まれていた。


 見逃さないように注視していてもこれだ。ミリアムが術式を展開し、構築する速度は常軌を逸している。もしこの速度が標準的だというなら……さて、俺の未熟さはどんなものだろう。俺はこの速度に追いつけるだろうか。



「どうぞ」

「うん」



 手渡される宝石を受け取り、日の光にかざす。

 その内には、極めて精緻な、極小の術式が刻まれているのが見て取れた。

 正円の内に刻まれている意味は、正確には「水」でなく「氷」と「熱」。微細な氷の粒を空中に放出し、それを温めて水に変える――という術式だった。


 何故こんな回りくどい真似をする必要があるのかいまいち計りかねていると、こちらの訝しげにしている表情を読み取ったのだろう。ミリアムが続ける。



「水の生成とか、苦手なんですよ。それは海王の領分です」

「海王ね」



 世界に存在する海……あるいは水の領域を、概念諸共世界に縫い付け、安定させるための「楔」の王の一人、海王。


 ミリアムは、推測するに冥王の一派だったのだろう。水を生成するような術式に疎くとも頷ける。

 あるいは、今の冥王である俺に向いた術式……ということでもあるだろうか。どちらにせよ、これは魔法の専門家であるミリアムが「こうするべき」として選んだ手段だ。俺も文句は無い。



「……一応聞いておきたいんだけど、俺にはその水の魔法、無理なの?」

「時間の無駄ですよ。術式の習得も構築も、リョーマ様……と言うより、冥王にはとにかく向いてません」

「冥王にって……俺個人の資質とかじゃなくってか」

「はい。冥王が本来、適正とする魔法系統は……大雑把に言って、『火』、『氷』。そして『地』の三系統となります」



 ゲームか何かか。



「属性の相克関係とかあったりしないよね」

「は?」

「ごめん」



 馬鹿にしてるのかとでも言いたげな表情でこちらを見るミリアム。


 そりゃそうだ。ゲームじゃないものこの世界。一応。そういう法則は無いはずだもの。

 それでもやっぱりそんな無体なことを考えてしまうのは、元の世界の文化に浸りきっていたからだろうか。



「天王と海王は……?」

「天王は『大気』、『雷』のような……気象現象全般を操る魔法を得意とします。海王は『水』の一点だけ……」

「水だけ?」

「はい……ただ、水に関連しさえすれば、大抵のことはできますから、『だけ』と一概には……」

「成分を変えたり、形を変えたりとか?」



 毒を作ったり、薬を作ったり。ウォーターカッターのように圧縮して放ったり……魔力量を考えれば、津波を起こすこともできるのだろう。

 そう考えるとや冥王(オレ)や天王よりも応用性は高いかもしれない。



「そうですね……例えば、治療の魔法ですね。これは、先日レーネを治療することができないと言ったことの理由にもなりますが」

「水の魔法じゃなきゃ回復はできないってことか」

「はい。基本的に魔法による治療というのは『欠損を補うこと』なのですが……生物の肉体というのは、水分が殆どですよね?」

「うん、まあ」



 人間の肉体は……確か、七割が水分でできているのだったか。他の生物でも肉体の維持に欠かせないものではあるが、なるほど。こちらでいう回復魔法というのは、「対象の時間を戻す」とか「自然治癒力を強化する」ようなものではないわけだ。



「ですので、こう……傷を受けた個所の皮膚、筋肉、血管や血液というものを、他の体細胞から魔法で複製し……繋げて、修復すると。そういった形式になります」

「はぁ……それは……なんていうか、すごいな」



 そうなると、もう手術……というか、科学の領域に近い。

 細胞から別の組織を複製することができるとなると、腕がなくなったり足がなくなったり……というような重大な怪我も、傷一つなく修復することができるということになるか。精霊術に関しても、魔力の出所が違うというだけである程度までは同じことができるという話を聞いたが……それと同じことができるのだろうか、やはり。専門的な知識も相当必要になりそうだ。



「すごいとお思いなら、せめてその足元に到達できるよう訓練してくださいませ」

「……はい」



 せめて、こう。もう少し手心というものを加えてほしいものだ。


 現代っ子というものは褒めて伸ばすのが基本らしいぞ、ミリアム。だからもっと褒めてください。

 ……などとは、思ってもどうしたって口にはできなかった。自分自身の未熟は承知の上。茶化して、叱って、その上で成長するのを待っていてくれる……という存在は、どうしても得難いものだ。


 仮にそんな相手がいたとしても、もう失っていることだってある。

 二度も三度も手に入るものとは、思えない。



「じゃあ、そろそろ魔力込めるけど。魔石って任意で起動したり停止したりってできるのか?」

「でないとこんなにも広まらないでしょう」

「……だよね」



 当然だった。常に水を放出し続けているなんてお話にもならない。逆に作物が枯れる。

 調理器具にするにしても、最大火力で火が灯り続けるコンロなんて恐ろしくて使えやしない。調節ができるからこそ便利で、人々に広まっていくものなのだし。



「ちなみにこれはどういう風に?」

「作物に与える水を、ということでしたので……こちらは、日光に反応するように。お湯が湧く方の魔石は、触れるだけで」

「うん。うん?」

「いかがされましたか?」

「……それじゃあ、魔力を注いだ瞬間に水が出てこないか?」

「あっ」



 ミリアムに目を向ける。

 視線を逸らされる。


 さては気付いてなかったなコイツ。



「……木箱でも作ってくる」

「お、お手伝いします……」



 ミリアムはこう、一言で表現はしづらいが……どこかうっかりしているというか……手落ちが多いというか。


 決して無能ではない……どうあってもまず俺よりは確実に有能なのだろうが、しかし、こう。大局を見すぎて些事を見落とすというか。そんな迂闊な面があるのは確かなことのようだ。


 なお、木箱を作っても、結局俺は全身びしょ濡れになってしまったことを付しておく。

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