直截の夜
「――――こちらこそ。よろしくお願いします、オリエッタ様」
……彼女が、「オリエッタ」であるということが嘘だと、既に俺は理解はしている。
その一方、現状でそうした事実を明かしてみせるというのは悪手に過ぎる。彼女が――あるいはその背後にいる何者かが――どんな思惑のもとに彼女を送り込んだのか、その推測すらもできていない現状では行動を起こすことはできない。
となると、この御付きも……十中八九偽物だろう。
本物のオリエッタ嬢がどこにいるのか、無事なのかどうか――に関しても気にはなるが、今はどうもこうもやりようが無い。死んでないことを祈るしかないが……もし仮に死んでしまっていたら、これ、俺たちの責任問題になるのだろうか。
流石にそれは無いと信じたい。何せすり替えが起きること自体、俺たちにも予測できなかったことなんだし。
「『様』は不要です」
「了解しました。では――まず、部屋へ案内します。そちらの従士の方は、いかがされますか? 粗茶ですが、飲み物の用意などはしておりますが……」
「いえ、結構です」
そう言うだろうとは思った。俺が気付いているか否かに関わらず、きっとこの人はこちらに対して無機質な対応を取るだろう。
提供される食品を警戒している……というよりは、俺たちとの接触を極力避けようとしている、と言ったところか。
本来なら、顔を晒すことにも抵抗があるようにも見える。となると、人相が割れると面倒なことになる立場……以前エフェリネが言っていた、秘匿されている秘密機関の一員、と言ったところだろうか。
だとすると、紛れもなく敵なんだが……ええい、畜生。この場で対処してしまえないのがもどかしい……!
「私はこれにて失礼いたします。では、後はごゆっくりと……」
一方的にそう告げると、男はそそくさと車に乗り込んで俺たちの前から姿を消した。
そこまで俺たちの前にいたくないのだろうか。ある意味、分かりやすいくらいに分かりやすいが……。
もうこうなると、あの男のことを気にしても仕方がない。目下、俺が一番気にかけておくべきは……この少女のことだ。
自称、オリエッタ。果たして何の目的で自分はオリエッタだ、などと装っているのか。良からぬことなのは確かだが……。
「荷物を持ちましょうか、オリエッタさ……ん」
「結構です。個人的な荷物ですから」
ガードが堅い。身持ちが堅いのは良いことだし、俺も実質妻帯者だが、一応は婚姻する相手なんだから警戒の一つも解いていいんじゃあないかな! 偽物だけど!!
「……では、そのように。側近のミリアムに案内させます。しばらくしたら食事にしようかと思いますので、その際に食堂に来ていただければ」
「分かりました。伺います」
「こちらです。どうぞ」
……至極そっけない返答と共に、少女はミリアムと共に城内へと向かって行った。
俺とレーネだけが、後に残される。もっとも、俺自身意図的にそうしたフシはあるが……ともかく、まずはあの少女についてだ。
先程レーネが抱いた違和感について、直接聞いてみないといけない。
「レーネ。さっき言ってた、『におい』についてなんだが……」
「あ、はい……」
やや不安げに顔を上げるレーネ。
俺と同様に、あの少女が「オリエッタ」ではないということに気付いたのだろう。
元々、聡明な子だ。もしかすると、他にも何か気付いたことがあるかもしれない。
「最初は、なんだかふわっとしたいい香りがするような気がしたんです」
「気がした……実際には違ったのか?」
「ちがわないんです……けど、なんだか、作ったような……変なんです。よく嗅いでみると、なんだか――――何も無いようで」
「何も、無い?」
どういうことだろう。虚無的なにおい……とでも言うのか?
いまいち要領を得ないその回答に、俺は一つ首をひねった。
「あの、あと……えと。表面的に、香水とかをふりかけてにおいがあるみたいに見せてるんですけど、実際には、ぜんぜん、こう……においがしない、ような……感じで……」
「……よく分からないけど、何となくは分かった」
別にレーネの言葉が要領を得ないのは今に始まったことじゃない。けど、この子の言うことを解読していくと、何だかんだで的を射ていることが多いし、これも気にかけていて損は無いだろう。
人間……というか生物というのは、汗であったり便であったりといった老廃物を輩出する関係上、においが無いということはまずありえない。
人為的に「全くの無臭」と言えるような生物を作ることができるかと言われると、それも怪しい。それはつまり代謝をしないということであって、生物として持っているべき機能を失っている――死体だとしか言えないからだ。
だとすると、あの少女の場合は何なのか。体に特殊なフィルムでも貼り付けている……というわけではないだろうし、そういう精霊術でも使っているのか?
「あやしいです」
「怪しいな」
現状だと、一言。そう結論づけるしか無かった。
* * *
……驚くべきことに、それから「オリエッタ」は就寝までの数時間、一切行動を起こすようなことも無くただ静かにしていた。
食事の際も特に言葉を発することなく黙々と食事を口に運び、他の者と会話を楽しむでもなく、ただ適当な相槌を打って会話を途切れさせる。俺が彼女の素性に気付いていなければ、胃を痛めるどころの話じゃなかったに違いない。下手するとストレスで吐いていたかもしれない。そういう意味では、あの時点で気付けていたのは幸運か。
ともかく、今は泳がせておくしかないというのは確かだ。
元の世界ならいざ知らず、こちらの世界には魔法がある。俺たち魔族は多少のことでは傷つかないし、建物自体も簡単――とは言い難いが、少し時間をかければ建て直すこともできるだろう。重要なのは、彼女の目的を知ることだ。
そのために、今この時点では彼女は自由にさせている。もっとも、ミリアムに頼んで、遠見の魔石を使って監視するようには頼んであるのだが。
さて、何はともあれ――――深夜だ。もし行動を起こすなら、うってつけの時間ではある。
狙いは俺か、あるいは魔族という括りで見た俺たち全体か、それとも土地に毒でも撒くか……何にせよ、現場を押さえる必要がある。
無差別に、無秩序に殺戮していく……なんてことは不可能だ。それができるほど弱い者はいない。
だから、まず狙うとしたら俺の可能性が高い。いや、希望的観測に過ぎないけど。
それでも、深夜に無防備な状態で城内を歩いていたりしたら――狙いに来るというのが自然な話だ。
「……ふわ」
一つ、軽いあくびが漏れる。いや――漏らした。
俺は基本、嘘吐きだ。だからこそ、俺にはそれなりに演技力が備わっている……はずだ。
城内を歩くその最中、「眠いけどトイレに起きてきた」という風を装って歩いていく。
眠そうに見せるには、やや半目にした状態で、足元をややフラつかせながら歩いていけばいい。時折目を擦るのが、更にそれっぽく見せるコツだ。
……まあ、実際ちょっとは眠いんだが。
「………………」
足音は、俺のもの以外に聞こえてこない。
元々、この城の床材自体が反響する材質だ。大理石に近いだろうか。素足でさえ、少し動けば多少は音がする。
尾行してきているなら、どこかから足音がして然るべきはずだ。しかし、この期に及んでなお何の気配もしない――――。
――――読み違えたか?
そうも思うが、あの怪しさ満点な子が何もしてこないとは到底思えない。
俺を相手にするんじゃないなら、上層にいるミリアムかアンナかを狙うと考えるべきか、あるいは下層に行ったか……。
「…………はぁ」
魔石、俺が持っておくべきだっただろうか。
いや、しかし、間違いなく俺よりもミリアムの方がしっかりしているんだし、状況判断能力もミリアムの方が高い。変に手を出すよりは、彼女に任せた方がよっぽど確実なはず……・。
そう考えた瞬間――通りかかった俺の隣の窓が、唐突に砕け、何者かが飛び込んできた。
「うおぉぉ!?」
「死ね」
か細くも、確かな殺意の込められた声と共に、一条の閃光が奔る。
ナイフによる一撃――それを認識するが早いか、俺は足元に魔力を集中し、一足のもとに廊下の先へと駆け抜けた。
「来た――――!?」
振り返り、襲撃者の顔を確かめる。と、そこにいたのは――――。
「――――誰だ!?」
――――想像していた「オリエッタ」とはほとんど別人の少女だった。




