追いかけっこ
追いかけっこ――と言えば、子供の遊びとして広く認知されている遊戯だ。俗に鬼ごっことも呼ばれている。
一人、ないしは複数人の「鬼」を設定し、他の人間を追いかけて、タッチすることで「捕まえる」。捕まった人間がどうなるかはまた地域や遊び方によってそれぞれだが、「捕まった」人間が新しく鬼になったり、鬼が増えたりする……というのが、俺の知っている追いかけっこ、あるいは鬼ごっこという遊びだ。
基本、こういうものはただの遊びであって、それ以上に何があるというわけでもない。精々が健康増進、体力維持という程度のものだ。何故、それが訓練ということになるのか――という思いもあるが、誰あろうミリアムの発案だ。意味も無く言い出すわけがない。
……まあ、それはそれとして、まずは地下空間の移設を優先するべきなんだけど。
俺たちに課せられた条件の一つ、「旧冥王領に住居を限定する」こと。これを果たそうと思ったら、やはりあの城を利用するのが望ましい。
が、険しい山を越え、鬱蒼と生い茂る森を超えた先――となると、利便性の面では今までの住居に劣る。
それはそれで仕方ないんだが、やはり、従来通りの生活ができるに越したことは無い。
そんなわけで、必死に考えた結果――――じゃあ城を移動させたらいいじゃないか、という結論に落ち着いた。
「さて」
城をクラインから見て一番近い場所に移動させ、地下空間もまとめてその地下に移設する。これまで寝泊まりしていた山麓の山小屋の、ちょうど山を越えた向こう側に新たに生活の場を作ろうということだ。
あの城は元々、人間との戦争に際して「攻められ辛い」立地となっている。険しい山道は人間の体力を奪い、昼間でも薄暗い森は人の視界を狭め、奇襲を容易にする。
しかし、今はもうそれを考える必要は……あるかもしれないけど、だとしても、城をあのままの状態で置いておくのは下策だ。人間に敵対する意思ありと見做される危険性がある。
どちらにしても、今のまま置いておくのはマズい。現状の俺なら、どちらも魔法を使ってそれなりの速度で移動させられるし、一日使ってでもそれを果たそうとして――――さっきそれが終わったところ、なのだが。
「それで――何がどうやったら、追いかけっこが訓練になるんだ?」
地下との接続が終わった後の、城の庭園。
雑草も草花も伸び放題になってしまっている荒れたその場所で、俺とミリアム――と、ネリーとアンブロシウスの四人が集まっていた。
当初は俺とミリアムだけの話だったが、訓練と聞いて聞きつけるあたり、この二人もあの戦いの中で何か感じ入るものがあったと見える。
「足をはやくするのか?」
「いえ。今更そういう訓練は、私たちにとってはあまり意味がありません」
「……魔力操作で、ある程度は賄えるからか?」
「はい。肉体を鍛えることは無駄ではありませんが、百日という短期間です。的確な魔力コントロールができるようになる方が勝率は高いかと」
筋肉や骨、あるいは武器や肉体の外縁――魔族の肉体は魔力と結合して非常に強固だが、魔力を通せば更に強く、頑丈になる。
結合する魔力の密度を高めているような状態……塩水に更に塩を足して塩分濃度を高めているようなものだろうか。
「しかし、何故追いかけっことやらでそのようなことができるようになると言うのだ」
と、俺の感じていた疑問を代弁するように、アンブロシウスが問いかけた。
「前提として、まずそれができなければ私を捉えられすらしないからです。精密な魔力コントロールができるようになって、初めて同じ舞台に立つものと考えてください」
「魔法は使えないんじゃ?」
「これは『技術』であって、魔法じゃありません。アンブロシウスは一度見ていると思いますが」
「……ああ。確かに……そうだが」
だとしても――と、アンブロシウスは僅かに顔を俯けた。
何か気がかりなことがあるのだろうか。あるいは、何らかの違和感を覚えているのか。
俺も、割と長いことミリアムと付き合いはあるが、彼女の調子が悪いようなことが今までにあったか、無かったか――――。
「……体調悪いとか無いよな?」
「ありませんよ。何言ってるんです」
嘘は言っていない。成程、ということは、その「技術」に対して何らかの懸念があるということか。
実際にミリアムがそれを扱っていたのを見たのはアンブロシウスだけだし、見た者にしか分からない何かがあるんだろう。
「……ともかく、そんなわけなので、なんとしてでも習得してもらいます。これができなければ、そもそも戦うための準備すら整えられませんから」
「ああ。ところで、魔法は使っちゃいけないんだよな?」
「当たり前です。体術の訓練も兼ねているのですから」
だろうな。それじゃあ趣旨と違ってくる。
魔法の訓練はまた後日改めてということだろう。
「というわけで、今回は厳しく参ります。覚悟はよろしいですね?」
「何をきびしくなんだ? おいかけっこだろ。ミリアムが逃げるのをがんばるんじゃないのか?」
「ああ、言い忘れていました――――『鬼』は、私です」
「は?」
ネリーの口から、呆けたような声が漏れた。
……鬼を、ミリアムが?
なら、俺たちが逃げるかたちになるのか。てっきり俺たちが追うかたちになるかと思っていたが、俺たちよりも場慣れしていて魔力の扱いにも優れるミリアムが鬼役をやった方が、俺たちの習得も早いかもしれない。ちょっと意外ではあるが。
「では、始めましょう。まずは皆さん、逃げてください」
「ああ。範囲は城と地下だけでいいんだよな?」
「ええ。森の中まで行ってしまうと際限がありませんからね」
言いつつ、ミリアムはその右手に大ぶりの短刀を顕現して――――。
いや待て。何でそれを出す必要がある!?
「み……ミリアム。それは?」
「言ったでしょう。厳しくする、と」
「……まさか」
「皆様に足りないのは実戦経験です。それを補うには―――もうお分かりですね?」
分かりたくないが、よく分かる。
俺も、実戦の中で成長していたし、効果的な面があるということも確かだ。
しかし、これは……。
「殺す気で行きます。死ぬ気で逃げてください。でなくては、天帝と戦うなど夢のまた夢ですよ」
――――真剣な眼差しで短刀を構え、ミリアムは俺たちにそう告げた。




