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首都の釣り堀

 ところで、言うまでもないことだが、俺たちには金が無い。


 随分前にフリゲイユで仕事をしたときに貰った五百万ルプス――日本円にして五十万円――は、貰ってしばらくしたら、増えた面子の生活費を工面するために、溶けるように消えてなくなってしまったし、バイト代においそれと手を付けるわけにもいかない。


 というわけで、実を言うとこちらに来る際にもリナルドさんに列車の代金を立て替えてもらっていた。

 なので、首都コルフェリードを出る際にも同様、彼と共に行動して、もう一度列車の代金を立て替えてもらう必要がある。

 というわけで、俺たちは彼と合流するために指定された場所へ向かっていたのだが――――。



 ――――その「指定された場所」というのは、どういうわけか、街中の釣り堀であった。



「……おや。遅かったですね」

「いやいやいや」



 ……何で釣り堀だよ!?

 街中にあるってこと自体もびっくりだけども!

 領主として、一般人に紛れて釣りしてるってのはいいのか!?



「わぁ……! 釣り堀だよリョーマ、ミリアムさん!」

「そうですね。私も見るのは久しぶりです」

「……そ、そうだな……?」

「いかがされましたか?」

「いえ……その……自分の知る釣り堀とはだいぶ違う気がして……」

「そうなの?」



 ……アンナはアンナで無邪気にはしゃいでるし。


 しかし、何だろうこの釣り堀は。釣り堀――といえば確かに釣り堀のそれなのだが、何かもっと、根本的に俺の知るものとは根本的に違う。


 というのもこの釣り堀、文字通りこの周辺の円形の「堀」を利用して作られている。人工的に作られた川の中に魚を放しているようなものだ。

 普通なら……というか、元の世界なら、もっとこう、ため池のような場所にあるものだったはずだ。それに、この臭い――――。


 とはいえ、アンナがああしてはしゃいでるってことは、これがこっちの世界の主流なのだろうけれど。



「ああ――――成程」



 俺の意図を察したリナルドさんが、軽く頷いて見せる。


 元々、俺は別世界の人間だ。こっちの常識には疎いし、相違点があると違和感を覚えても当然だ、と思い出したのだろう。



「こちらでは、塩水を引いて海の魚を養殖しています。本来ならば市場に出すだけのものを獲れるようにするべきなのでしょうが、陛下のご意向もあって一般市民が釣りに興じ、海の幸を味わえるようにしているのですよ」

「それは――――いいですね。最高です」

「……いつになくテンションが上がっていません?」

「当たり前だろ、ミリアム。これで気が乗らないわけがあるか……!」



 何せ――海の幸だ。


 アーサイズは超大陸。自然と人の住処というものは内陸部に集中し、それは旧冥王領付近でも例外ではない。結果的に海の幸というものを目にする機会は失われる――失われていた。

 正直、日本人(おれ)からするとこれは由々しき事態だ。出汁が取れない。刺身が食えない。料理のレパートリーが狭まる。

 他で代用すればいいという考えもあるが、それでもやっぱり味わいが違えば違和感は拭いきれない。このままだったら欲求が決壊して、俺一人で海に繰り出すところだった。



「良ければ、釣られますか?」

「いいんですか?」

「ええ――既に料金も支払っています」

「……最初からそうする気でしたね?」

「ははは。まあ、よろしいではありませんか」



 やや強引なリナルドさんのその言葉に、呆れたように溜息をつきながら――しかし事実上、無料で食料を得られるからだろうが――釣竿を受け取り、ミリアムは俺たちからやや離れた場所でセッティングを始めた。


 ちょっと前からこんな感じだが、もしかすると俺とアンナのことを気遣いでもしているのだろうか。

 嬉しくないとまでは言わないが、それはそれで少し寂しいものがある。


 ともかく、俺たちもリナルドさんのいる近辺で準備を始める。

 この釣り堀での餌は、エビや魚粉を固めたものらしい。虫じゃあくて色々と助かった。



「フランチェスカ伯は、よくこういったことをされていらっしゃるんですか?」

「ええ――時間があれば、と言ったところですが。釣りが好きなもので」

「へぇ、領主様ってそうなんですね。何か意外……」

「こら、アンナ。失礼なこと言うなよ」

「あっ、すみません……」

「いえ、よく言われますので構いませんよ」



 言いつつ竿を振るその姿は、やけに堂に入っている。

 趣味と言うだけのことはあるのだろう。道具もなんだか本格的だ。問題は、何で礼服で釣りをしているかという点と、その割に釣果が上がっていないという点だが……。


 ……指摘はしないでおこう。



「前みたいに変な釣り方しないでよね」

「分かってるよ」



 あれは、手近なところに良い餌が無かったから針で引っ掻けて釣るなんてしてただけだ。

 そうじゃなけりゃ別にする必要も無い。


 一つ、軽く息をついて糸を堀に投げ入れる。



「……あの、フランチェスカ伯。先程の件は……」

「私も妹も了承済みです――とはいえ、オルランド卿が気になさるでしょうが」

「まあ……そうですね」



 やっとアンナと結ばれたなんて思ったらこれだ。

 まるで余裕が無い。もうちょっと二人でいる時間が取れないものだろうか。


 ……というか、オルランド卿って何さ。

 やけに仰々しいな。



「五十日ほど、猶予は設けておきました。我々としても、あなた方に悪印象を持たれることは本意ではありません」

「それは――ありがとうございます。しかし、妹さんと言うのはどういう方なんですか?」

「一言で言い表すのは難しいのですが…………元気……いえ。豪胆……でしょうか……」



 女の子を表す言葉じゃねえ。



「……何事にかけても挑戦的で、大胆不敵……正直に言えば、兄としては嫁がせるのに不安になります」

「はあ……成程……」



 ますます女の子じゃねえ。

 男勝りにも程がある。

 アンナですら大丈夫かと不安がっている。



「ただでさえ、まだ十二歳なのです。むしろ、こちらがご迷惑をかけてしまわないかと……」

「ちょ……」

「待ってください!?」

「何でしょう」

「十二歳!?」

「ええ。今年で十二歳です」



 えぇ……?

 いや……えぇぇ……?



「リョーマ、手ぇ出しちゃ駄目だよ!?」

「出すか馬鹿!」

「いやだって、普段はなんかこう……まだまだいけるって感じだし……」

「そういうことを言うな!」

「……仲睦まじいのは結構ですが……」



 ごめんなさい。

 本当にごめんなさい。

 人前でこんな赤裸々な話しちゃってごめんなさい。



「……大丈夫です。手は出しません。出しませんとも」

「流石にそれは信じておりますが」



 信じてもらうのは結構だけど、俺自身、どこまで自分が信じられるか分かったもんじゃない。

 むしろ、監視してもらっててちょうどいいってくらいだ。



「あ、リョーマ。引いてるよ」

「あ、おう」



 ……話に集中しすぎていたようだ。割と強い引きなんだが……あまり強く感じない。

 前まではずっと魚のエラにでも引っ掻けていたから分からなかったが、こんなに引きが分からないものなのか。



「よっと」



 軽い言葉と共に竿を引くと、同時に水の中から影がせり上がり――――。



「…………はぁ!?」



 ――――マグロが釣れた。



「何でこんなとこにいるんだ!?」

「何このでっかいの!?」

「――――マグロですね。おめでとうございます」



 びちびちと跳ね回るそいつは、ともすると俺たちにすら激突しかねない程度にはイキがいい。

 いや、実際リナルドさんにぶつかっている。リナルドさんは変わらず泰然自若としているが、その服には至る所が濡れてしまっていた。


 よく見れば、その表情はやや普段と比べて険しい。もしかして、自分の釣果が優れないのに俺の方はいい獲物が釣れたから、ちょっぴり悲しいとか悔しいとか……?

 ……それはそれで。



「まぐろ……?」

「マグロです。この街において長く養殖されている、海の魚です。市場に出回っているものの多くはこの街から出荷されています」

「い、いいんですかこれ、釣ってしまいましたが……一度(リリース)した方が?」

「……構わないでしょう。そもそも、この釣り堀はそういう場所です。ここで釣れたものならば、数匹までは持って帰って構わない――そういうものです」

「まあ……そもそも、こんなもの釣れないでしょうしね……」



 腕力的な問題でもそうだし、そもそも餌の問題でもそうだろう。マグロが釣れるということを、考慮に入れていない――というのが実情なはずだ。

 仮にひっかけることができても、糸や竿がもたない。俺の場合、腕力と魔力で強引に釣り上げてしまったのだけれども。



「……なぜ、私では釣れないのか……」



 横で怨嗟じみた声が聞こえる。


 ……やっぱりこの人、自分が釣れてないこと気にしてるよな。

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