条項の真相
「今の条文は嘘だ」
――――公王は、そう言い放った。
「……は?」
「冗談だ。許すがよい」
冗談。
今のが……冗談? というか、嘘?
見れば、公王は俺の反応が愉快だった――という風に肩を震わせていた。
少なくとも、見せかけの部分だけは。
「いや、すまぬ。こちらが真の条文だ」
「………………」
そして、手渡されたのは、先程のものと同じ用紙に記入された、いくつかの条項。
ひとつ、納税の義務を課する。なお、金銭的に不足している場合は魔石を収めること。
ひとつ、自然な出生以外の魔族の増加を禁ずる。ただし、緊急時の例外を設ける。
ひとつ、緊急時に出兵を要請する。幼年層及び老年層を除き、可能ならば応じること。
ひとつ、人間には可能な限り危害を加えないこと。
ひとつ、常時必要最低限度の安全性を保つため、定期的に査察を行うこととする。
……先程の条文と比べると、共通する項目はあるにしてもかなりこちらに譲歩した形になる。
というより、願ったり叶ったり――というか。
恐らく、悪くは、ない。こちらが実際の条項だとするなら、俺もちゃんと頷ける程度のものではある。
「いかがかね?」
ただ、気にかかるというか――正直な話、俺は公王が「嘘」だと言ったことが信じられない。
公王はあの六つの条項を俺たちに告げた時、確かに嘘は言っていなかった。
挙動も、仕草も、生理現象も……一つとして、彼が嘘をついていると告げてはいなかった。
つまり、これは次善策。恐らくは先に挙げた条項が通ることが最善だったのだろう。通るわけが無いと半ば確信を持っていた上で、この案を隠し持っていたのだと見える。
さっきの条項を嘘で冗談だと言ったのは、俺たちに好印象を植え付けるためと言ったところか。
強かで、食えない老人だ。
政治家としてはあれで正しいのかもしれないが、こうして相対すると空恐ろしさを感じて仕方がない。
「この条項に限ってなら、承ります」
「よろしい。では、この条件をもって締結とする。以降、不都合があるようならば都度フランチェスカ伯へ報告を入れたまえ」
「……了解いたしました」
「では、他に異論のある者はいるか」
公王のその言葉に応じるように、手を挙げる者がいた。
エフェリネの背後に立つ、二人の男のうちの一人――先日見たエフェリネの父と言われていたその男の、更に隣にいる痩せぎすの男だ。
正直なことを言って、あまり外見的な印象は良くない。
整えている様子の無い黒髪は、どこか不衛生な印象を見る者に与える。面長なその容貌は、どこか意地の悪いようにも見える。
他人を見た目で判断するのは良くないことだが、ここで待ったをかけるとなれば……魔族に対して何かしら思うところがあるに違いない。
「――――よろしいでしょうか、公王陛下」
「よい。名を名乗れ」
「ギオレン霊王国政務官、ヴェンデル・ファン・オールトメッセン。一つ、意見を具申させていただきたく」
「聴こう」
「……彼ら魔族を戦力として登用するのは、危険性の観点から推奨いたしかねます。後ろから討たれる可能性を上げることになりかねませぬ」
……割とまともな人だった!!
いや、そうか。
どんなに悪そうな人であっても、一国の政務官の一人として活動している以上は、まともにものを考えられる人じゃないと無理だ。
で……その。魔族を内側に抱え込むことは――俺たちにそのつもりは無くとも――間違いなくリスクを抱え込むことだと言える。
他の場面でならばともかくとしても、戦場に送り込むことだけは避けるべきだ。彼の言う通り、後ろから討たれる可能性は高い。するつもりは無いが。
ただ、もしそうなれば、確実に戦局は変わることだろう。致命的なタイミングで致命的な一打を放てば、それこそ一国のシステムが崩壊するような可能性すらある。
……しないけど。
「代わりに、彼らの居住地を限定し、明確化することを提案致します」
「何処へか」
「旧冥王領へ」
これに関しては、別段問題は無いだろう。
むしろ、願ったり叶ったりだ。旧冥王領には先代冥王の居城がある。そこを拠点に周囲を切り拓いて農地にでもしたら、今後の食糧事情も改善されるだろう。
外に住まうことができないことに関しては……その内変えていけばいいか。
何せ時間はある。世代交代を経れば意識も変わっていくだろうし、場合によっては地下空間を広げていく手もあるだろう。
「それと、私からも一つ」
「……エフェリネ様」
その途中、エフェリネから言葉が差し挟まれる。
「先に挙げた査察について、霊王国の方で引き受けさせていただいても構いませんか?」
「……他ならぬ、対魔族の盟主とも呼ぶべき『霊王』たっての願いとあらば、尊重しよう」
と、公王は渋面を顔に貼り付けながら、そう告げた。
それを聞いて、ほんの僅かにエフェリネの顔が緩む。
確かにまあ、悪いことではないが……よもやこの人、遊びに来るためにこんなこと言い出したのではなかろうか?
漠然とした不安に口を引き攣らせかけながらもなんとか保つ。流石に、こんなところで妙なツッコミを入れるわけにもいかない。というか、俺とエフェリネの普段のやり取りを見せるわけにはいかない。
「他に意見のある者は」
そう問いかけるも、それに応える者は無い。
他ならぬ公王自身が、先に挙げた条項は無効だと言ってしまったからだろう。先んじてそういう反論を封じられてしまえば、あとはヴェンデルさんのように重箱の隅をつつくような意見位しか出てきはしない。
正直、俺としてもその方がありがたい。この重苦しい空気から解放されるのだとしたら、それが一番いい。
「――――では、条文に『居住地を旧冥王領に限定』し、『移動する場合には許可申請を要する』こととする。異論は無いか?」
「自分は、ありません」
周囲の様子を窺うために視線をやる。が、首を横に振る者はいない。
これ以上、同じことを聞いても無意味と判断したのだろう。一つ息をつき、公王は謁見の間にいる全員を見渡した。
「では、諸君。ご苦労だった。最後に――」
……これでようやく終わりか。名残惜しい……とは欠片も思わないし、今はただただ終わってくれて助かった。
ただ、それでも十分な条件のもとで俺たちの存在が認可されたのは僥倖だ。
ようやく帰ってちゃんと訓練ができる――――。
「冥王、リョーマ・オルランドの婚姻についての話を始める」
「「「「は?」」」」
――――思わず、関係各所から声が上がった。




