六つの条項
謁見の間――と言うと、ゲームや漫画におけるそれが主な印象になるだろうか。
縦に長い石造りの部屋と、赤い絨毯。その先には玉座があり……というような。実際のところ、俺もまた同じようにそういう印象を抱いていた。
アーサイズでも実際、その辺りはテンプレ通りというか、なんというか……。
俺たちの目の前にあるのは、石造りの部屋とそこに敷かれた赤い絨毯――玉座に座る老人。
そして、エフェリネを含むギオレンの家臣団と、リナルドさんたちライヒ領の政務官たちだった。
……そこに入ってくるのは、無論、俺たちなのだが……。
何だろう。雰囲気が重すぎる。
こうなってくると俄然俺たちの存在が不釣り合いだ。俺何でこんなところにいるんだろう。はよ帰らせてください。
「全員揃ったようですね」
俺たちが来たことを察したのか、公王の隣に侍る女性が口火を切る。
全員……そうか。考えてみればこれでおよそ、公に認められている全ての勢力が揃ったかたちになるのか。
と、一瞬は思うも、考えてみればアーサイズにはもう一つ、国がある。
エラシーユ首長国連合。あの国も、関係ないというわけではないと思うのだが――――?
「首長国連合の代表が来ていないようですが」
と、動揺の疑問に至ったのだろう。エフェリネがそんな問いを投げ掛けた。
「内情不安のため、国を開けることができないそうです」
「……そうですか」
……いきなりとんでもない発言が飛び出してないか!?
内情不安ってことは、内戦が起こったりするかもってことだろう!?
大丈夫か首長国連合。いや大丈夫じゃないから来てないんだろうけど!
「――――おらぬ者を気にかけてもしようが無い」
そんな俺たちの不安に対して一つ、どこか、ひび割れたような声が投げられた。
公王――ランベルト。シュライヒの声だ。
長い年月を重ねた、大樹の如き印象を持った声音。謁見の間の構造上、遠くにいるというのにはっきりと聞こえるその声量は、公王の壮健さをそのまま物語っていると言ってもいいだろうか。
事実、彼の風貌は声の割に若々しい。毛髪に乏しさは見えず、王という立場ながらも、服の上からでも分かる強靭な筋肉を備えているようでもある。
その双眸には理性的な輝きが満ちており、彼自身の聡明さを映しているようだ。
思わず、居住まいが正される。
厳格そうな人物だ。少しでも隙を見せたら殺されそうな雰囲気すら漂っている。
「それよりも、今は魔族の彼らであろう。まずは――名乗るがよい」
「お初にお眼にかかります。当代の"冥王"を務めております、リョーマ・オルランドと申します」
「……副官、ミリアムと申します」
「は、はひっ!? あ、アンネリーゼ・レッツェルです!!」
一人ひとり順番に名乗りを上げる。アンナは……緊張して声が裏返っても仕方ないか。一応は死線を潜り抜けてきた俺やミリアムと違って、元々この国の一般人なんだし。
値踏みするような視線が、公王から向けられる。
今日に限っては、ミリアムもアンナも、耳や角を隠してはいない。あくまで「魔族」という立場からの謁見だからだ。
「――スニギット公国公王、ランベルト・シュライヒである。楽にせよ」
しばらくそうしていると、シュライヒ公王から声がかかった。
楽にせよ……とは言うが、流石に、額面通り本当に気楽にしているわけにもいかないだろう。
そうしたいのが本音なのは間違いないが。
「本日、貴公らを招集した理由は分かるな?」
「本来、絶滅したものと思われていた魔族の生存が、確認されたからかと」
「理解しているならばよい。早急に本題に入るとしよう」
言うと、公王は自身の隣に立つ政務官へ、俺たちに何かを渡すよう指示を寄越した。
手渡されたのは、一枚の紙だ。
「字は読めますね?」
「……一応は」
政務官の女性の問いかけに、しかし俺は曖昧な頷きしか返しようが無かった。
実際、俺もちょっと前の入院中に字の勉強はできる限りはした。したが、今でも分かる文字と分からない文字があるし、文章にもなるとより分からない。
一応、このくらいならば見て分かる程度の自信はあるが……。
「ですが――これは一体、何です?」
「フランチェスカ伯より聞いておるが、貴公らは人間との共存――あるいは不干渉を望んでいるのだろう。そのための条文だ」
「……いえ。自分が聞いているのは――これが、どういった意図を持って作られたのか、ということです」
――――ひとつ、財産を所有する権利を認めず。
――――ひとつ、戦う能力を持つ者は、いかなる理由があろうとも、国がそれを求める限り戦力を提供する。
――――ひとつ、要・不要を問わず、繁殖を含む魔族の増加を認めず。
――――ひとつ、年齢と性別とを問わず、適切な労役の義務を課する。
――――ひとつ、如何なる理由があろうとも、人間を傷つけることを禁ずる。
――――ひとつ、精霊の求めがあった場合、速やかに命を絶つ。
「これでは、最低限の権利を認めないと言うのと同じ意味ではありませんか?」
俺がその条文を掲げると共に、エフェリネとリナルドさんが目を剥いた。
ミリアムは静かに怒りを湛え、アンナは大混乱に陥って口をぱくぱくさせている。
一方、政務官と公王――他の人間の視線は皆、冷ややかだった。
「不満か? これでも、民の意向をもとに最大限の譲歩をしている」
「『死ね』と仰っているようなものに、頷けるとお思いですか?」
「頷いてもらわねば、民は納得するまい」
――――成程。民ときたか。
それは道理だ。人間が魔族の存在を許さないとしたからこそ、魔族は滅びたんだ。民意――と言ったら、当然、「魔族は死ね」だろう。
だが、それを容認するわけにはいかない。
いくら人間がそれを望んでいたとしても。
「では、何が問題かを具体的に明示してもらおうか」
「全てです」
見れば見るほど、俺たちが不利になるよう作られた条文だと分かる。
本当に――ちくしょう。俺たちに対する差別感しか感じない。
「一つ目。財産が無ければ、生活に最低限必要な食料を買うこともままなりません。餓死の可能性が高まります」
これは明確だ。
財産――つまり、金が無ければ生活できない。
自前の魔法でどうにかできる範囲ならそれでもいいが、常にそうだというわけじゃあない。
「二つ目。『戦う能力』が不明瞭なため、どこからどこまでの範囲に該当するのか、また、『求める』期間がいつからいつまでなのも分かりません。幼い子供も戦場に送り出すのでしょうか」
これは……認めてもいいかもしれないが、侵略戦争なんかの片棒を担がされるのは御免だ。
結果的に俺たちが戦犯ということになって法的に裁かれ、死ぬと言う可能性が否定できない。
加えて言えば、幼い子供や赤ん坊でも、もしかしたら人間にとっての「戦う力」を持つ者に該当する可能性がある。
「三つ目。不慮の事故によって死亡などした場合に、人口の増加が見込めなければいずれ絶滅します。事故、戦闘、いずれにしても、我々の絶滅の可能性が高まるだけです」
魔族は寿命が長い。身体能力も異常に高く頑丈で、簡単なことで死ぬことは無い。
だが、先に挙げたものと併せると死亡率が――絶滅の可能性もぐんと上がってくる。
幼い子供は戦う技術を持たない。戦場に出たならば、即座に殺されてしまうことだろう。
そうでなくとも、生半可な戦闘能力を持っている者ほど死にやすい。例えば、中途半端な戦闘能力を持っていたせいで大苦戦し、死にかけた俺みたいに。
「四つ目。『適切な労役』の基準が不明です。例えば――性産業などを強制される可能性があります。望まない業種を強要されるわけにはいきません」
これは、まあ。
俺の我儘でもあるのだが、とにかくしたくないことを無理やりにさせたくないということがある。
望まない仕事を強要されれば、家族や友人に会う時間も減るだろう。どころか、一生会えなくなるかもしれない。
というか――万が一、仲間の誰かが娼館なんかに売られでもしたら、俺は怒り狂うじゃ済まない。
エフェリネじゃないが、街一つくらいは滅ぼしかねない。というか、確実に俺はやる。
その時は、エフェリネを敵に回してでも――彼女を打倒するために卑怯な手を使ってでも。
「五つ目。『いかなる理由があっても』ということは、事故によるものでも認められないということでしょう。仮に人間の側から魔族に手を出してきたとたら、無抵抗で殺されろと言っていることに他なりません」
復讐は無益かもしれないが、無抵抗でい続けることは美徳では決して無い。
それなりにでも、「やる」、「できる」という事実が、戦うことを躊躇わせられる。相手を傷つけることを躊躇わせられる。
自分が暴力を振るえば、それと同じことが帰ってくるかもしれない。対等な立場というのは、そうした抑止力があってこそのものだと思う。
その上で「無抵抗でい続けろ」というのは、死ねと言うのと同じこと。
ストレス発散のために存在するサンドバッグのようなものだ。
「そして、最後に――――精霊は、我々魔族の存在を決して認めません」
だからこそ、魔族は滅びた。
だからこそ――人間は力を得た。
何より、もし人間が「精霊がそう言っていた」と嘘をついた場合、魔族は全くの無条件で殺されなくてはならなくなる。
「これはただ――魔族を根絶するためだけに作られた条文です。魔族のいち代表として、これだけは認められません」
万が一の時は、ここで全員――――。
右腕に魔力が集中する。
霊衣の端が灼熱に変じ、陽炎が揺らめく。
僅かに、エフェリネがたじろぐのが見えた。
俺が何を考えているかが分かったからだろうか。
どちらにしても、ここで抗うと言うのなら、俺は真っ先にエフェリネを殺しにかからなければならない。彼女がこの場で最も強いからだ。あるいはマルティナさんも含めてか。
それは、俺としても心苦しいが――自分の、そしてアンナの命に代えられるものじゃない。
最低でも、ここから逃げ出さなければ……。
「……ふ」
僅かに、公王の唇の端が持ち上がった。
次いで、俺の左腕に魔力が収束していく。
これで、いつでも術式を構築できる。これまでよりも早く――正確に。より大威力のものを、だ。
何を目論んでいるにせよ、正面から叩き潰せば同じこと。
結局のところ、俺はものを考えて動くより直感的に動いた方がいい。
その方が――何も考えずに済む分、その瞬間は罪悪感に苛まれずに済む。
「なるほど、そうか」
そして一言、納得したように呟いて――――。




