王宮前
――――王宮。
その場所のことを言うなら、それ以外に表現のしようも無かった。
実際の王宮というものはあまり見たことが無いし、日本に住んでいたら、巨大な建築物と言ってもせいぜい某タワーだとか某ツリーだとかの鉄塔くらいしか見る機会は無かった。
その上で、俺の貧弱な語彙でその建築物を表現するとしたら――「荘厳」だろうか。
石造りの建物特有の、重々しく堅苦しい雰囲気。王宮全体を取り囲む白亜の壁は、その雰囲気を弱めることなく、むしろ助長してもいる。
王宮自体の外壁は非常に滑らかな仕上がりで、ヒビや欠けといったものは見当たらない。金で縁取られた装飾は、豪奢な印象よりもむしろ重厚感を高める結果になっていた。
……うん。
「入っていいのかなこれ」
「入らないと話が進まないのですが」
すごく、場違いな感がある。
俺たちは確かに王宮に到着していた。いたのだが――未だ、その敷地に入ることができていない。
先日、リナルド卿に見繕ってもらったのでちゃんとした正装は着用している。やや黒に近い――軍服を思わせる衣服だ。
以前、フリゲイユに赴いた際に見た、クラウス講師の着用していたものを洗練させたかたち、ということになるだろうか。当然ながら、アンナやミリアムも普段の装いとは異なり、今は女性用の正装を着用している。
正直なところ、二人とも普段の服装と違いすぎていて、見ていて違和感を覚えてしまう。
特にミリアムなんて、普段からやたら露出度の高い格好をしているせいか、その辺りの印象がより顕著だ。一瞬誰だか分からなくなってしまう程度には。
「だ、大丈夫かな……ね、あたし変じゃないよね?」
「ああ。アンナは大丈夫だ」
「『俺は大丈夫じゃない』が後に続きますか」
「よく分かってるじゃないか」
「いや自慢できませんからねそれ」
うん。いや――正直、駄目だ。
足元ガクガクだし今やたらと緊張してるし、正直精神的にキツいどころの話じゃない。死にそうだ。
普段、街中でエフェリネと会っていたことを思いだす。
あれは、そう。今俺たちの目の前に建つあの王宮のような場所で会うことが無かったから良かったんだ。そのおかげで、俺だって無駄に気負わずに接することができていた。
だが、今こうして「王宮」というものを目の当たりにしていると――こう、この雰囲気に気圧されてだいぶ尻込みしてしまう。
「早く行かないと遅れますよ」
「分かってる。分かってるんだが……」
エフェリネもリナルド卿も、既にこの王宮に入って俺たちが来るのを待っているはずだ。
ただ、それはそれとして三十分ほど余裕は持って来ているのだから、ちょっとくらい迷っても許されるんじゃないかなって。
「あんまりエフェリネ様とか待たせたら悪いよ?」
「……そうだな」
意を決する、しか無さそうだ。
常在戦場、という言葉がある、どんな時でも常に戦場にいるような心構えでものごとを為す、という考え方だ。
俺の場合、普通に日常を過ごしている時よりも戦場に立っている時の方が――不本意ながら――判断力も思考力も若干冴えているようなので、そういう風に考えた方がものごとも円滑に進むかもしれない。
「――――よし」
軽く空間を割って、その先の霊的領域から「霊衣」を引き出す。
これは、俺の思考次第でどのようにでも形を変えるコートのようなものだ。端が燃えている風なのは、ミリアムによると……何だか長い説明になるので割愛するが、いわゆる「地獄の炎」を固めて衣服のようにしているとのこと。理屈はよく分からないが、なんだかすごいものらしいことは確かだ。
そんなわけで、これを着ているとなんだか妙に気が引き締まる。
多分気のせいだろうけど。
「一応、様にはなっていますね」
「一応かよ」
「ん、まあ……一応だよね」
「アンナまで……」
悲しい。
いやでも、日本人に洋装は似合わないと言うし、妥当じゃないのかと言われるとそんなもんかもしれない。
どっちにしろ悲しい。
「あたしは、なんていうか……リョーマは普通にしてる時がいいと思うな」
「そっか」
「何でそんな素っ気ないのー!?」
「だってさぁ……」
普通――こう……少しくらい、褒めたっていいんじゃないかと思うんだよ、俺。
あんまりにも反応が無さすぎて辛い。
「……とにかく行こう」
「拗ねないでよぅ」
「ばっ……拗ねてねえよ」
「そういう痴話げんかは帰ってからしていただけませんかねぇ」
……そんなやりとりの最中、ミリアムから冷ややかな視線が送られた。
うん。ホントごめん。そろそろ先に進むからそういうのやめてくれ。
「よし」
今度こそ、本当に意を決して前へ進みだす。
いつまでもまごついてるだけじゃどうにもならないのは事実なんだ。どんなに恐ろしげな魔境が待ち受けていようと、進まないと。
で、そんなこんなで。
正面の門を開いて先へ進むと、そこに待ち受けていたのは――なんというか、「受付」だった。
他に例えようもない……なんだろう。市役所なんかに行くと、ちょうどこんな感じの受付と、ガラス張りの空間があったような覚えがある。
俺たちと職員らしき人たちを隔てるガラスの中ほどには、ハニカム状の小さな穴と、何かものをやり取りするためのものらしき、大きめの穴があった。
「……あの」
「あら、公王様への謁見の申し出の方でしょうか? それでしたらこちらの名簿にお書きになって少々お待ちください」
ガラスの向こう側にいる職員らしき女性に問いかけると、にこやかにそんなことを言って返される。
どうしよう、これ市役所とかのそれだ。
いや、分かる。理解はできる。
何せ王宮とは言っても、公共の場でもあるのだから。
ここは公王の私的な空間じゃなくて、執務を行うための建物なのだ。そういう風な対応を取られても、別段おかしくはない。
たぶん。
「は、はぁ。ええと、リョーマ・オルランド、ミリアム、アンネリーゼ・レッツェル……」
「……リョーマ様、字下手ですね」
「ほっとけ!」
学ぶ機会も理解する地頭も無いのに字が上手く書けてたまるか!
……確かにちょっと、いや、かなりその。ミミズがのたくったような字になっちゃってるけど。アーサイズでの文字なんて分かるわけが無いだろうに。
ただ、正直……もうちょっと勉強しよう、とはひそかに心に決めた。
「……ライヒ領主、リナルド・フランチェスカ卿に招かれているのですが――何かご存じありませんか?」
「照会して参ります。少々お待ちください」
……お役所仕事だなあ。それが悪いというわけじゃないが。
俺だって、立場が同じなら同じようにしているだろうし。
「……確認できました。リョーマ・オルランド様。公王陛下、及び霊王陛下、フランチェスカ伯がお待ちです。案内の者を呼んで参りますので、そのまま少々お待ちください。」
と、受付の人はそのまま奥へと引っ込んでいった。
その後、数分とかからずに案内の職員もやってきたのだが……。
「…………ミリアム」
「はい」
俺の意図を察したように、ミリアムもまた渋面を浮かべて見せた。
そもそも、俺たちの存在の特異性から「そう」なるだろうということはすぐに察せられたのだが……案内にやってきたのは、精霊術師だ。
あの時の男ほどではないが……十中八九、相応の能力を持った実力者だろう。
というか、あの時のヤツが異常なくらい強かった。俺が魔族だと知られていたと仮定した場合――未だに明確な勝ちのビジョンが見えない。
「……何でこんな、悪の大魔王でも現れたみたいな厳戒態勢なんだ……」
「似たようなものでしょうあなたは」
「――――言われてみりゃそうだ!?」
「ぷっ」
思わずと言った様子で、周囲から僅かに笑いが漏れた。
ちょっぴり空気が弛緩する。いや、しかし。そりゃあ、緩みもするか。当の大魔王がこんなアホなことを言いだしているんだから。
ただ、緩むにしてもここが限界だろう。
ここから先の――謁見の間では、どんなに頑張っても、和やかな雰囲気になど、なれそうもない。
――――だが、俺たちの生存のためには、何としてでもランベルト・シュライヒ公王に好印象を与えなくてはならない。
緊張と決意の中、俺たちは案内役に導かれて扉を開いた――――。




