彼らのプロローグ
痛みが、体を蝕んでいた。
肚の底から湧き出す、灼熱の如き鮮烈な痛覚。無神論者であろうとも、問答無用で神に祈りたくなるような、絶望的な感覚。
鬱蒼と生い茂る蒼い森の中。
木漏れ日が差し込み、木々の合間に光が瞬く幻想的な光景が広がっている。
俺は、その光景の中にあって、一人――――腹痛に悶えていた。
「……う、うおおお……」
立っても座ってもいられず、寝転んで腹を押さえ、時折呻き声を発する。珍妙な生き物だ。これが自分のことでさえなければ、同情の一つでもしていたことだろう。
痛切に、胃薬が欲しい。
しかし、こんな森の中――それも、異世界にそんなものが無いことは明白だった。
「大丈夫ですか?」
心配そうに――しかし、どこか演技がかったような「女」らしい甘い声音で語り掛けてくる影がある。
年齢は、俺よりひとつふたつ年下だろうか。髪は、どこか焼け焦げた炭を思わせるような黒。妖しい光を放つ金の瞳は、どことなく月の光を思い起こさせる。
全体的にあまり特徴の無い均整の取れた肉体ではあるが、ちょっと目を背けてしまいそうなほどに肌の露出度が高い。
何より気になるのは、彼女の側頭部から生えた「角」だ。一見すると装飾品のようにも見えるが、その異様さ、精緻さは装飾品のそれとは明らかに違う。それだけで、彼女が「人間」と違う存在だと気付くには充分だった。
――――魔族、と呼ばれる存在だ。
俺を「こちら」へ呼び出した存在。ミリアムと名乗る彼女こそ、この腹痛の、ある意味で元凶とも言える。
「大丈夫に見えるか……!?」
「いえ、見えませんね。すみません」
そうは言うが、言葉とは裏腹にその声からは罪悪感は毛ほども感じられない。
「ミリアム……お前が言ってた保存食とやらがちゃんと城に残ってさえいれば、俺はこんな思いをせずに済んだんじゃないのか……?」
「ええ、まあ。しかし、何故消えてしまったのか……それが謎で」
「七十年も経ちゃあ風化して無くならあな!!」
「……ごもっともです」
ミリアムの話によると、ある城の食糧庫には干し肉や堅パンのような保存食があったという。しかし――問題は、その情報は、七十年前のものだったということである。
当然、食品は虫にやられたり時間の経過によって風化したりで、何一つとして残っているものは無かった。
「もしちゃんと村や町で補充してりゃあ毒キノコや毒リンゴなんて食わずに済んだよな……?」
「……そこに関してはリョーマ様が迂闊なのが悪いのでは?」
「うぐ……」
まあ、確かに。毒の有無も確認せず拾い食いをした俺も悪い。
思えばあの時口にしたキノコ、赤を基調にした妙に毒々しい色合いだったし、毒リンゴなんて舌に乗せたら痺れるような感覚はあった、ような無かったような。
「でもな、そこまで飢えさせる方も悪いと思うんだ俺は」
「腹痛の割に口が減りませんね貴方は」
「母親は浮気して夜逃げ、親父は詐欺師に騙され借金苦で自殺。その上俺はご覧のザマだ。減らず口の一つも叩くって話だよ」
言うと、ミリアムは沈痛な面持ちをして見せた。
「オマケに一回死んだぞ。笑えよミリアム」
「貴方は私の心を殺したいんですか?」
「ははは」
「せめて否定なり肯定なりしてくれません!?」
恨み言の一つも言いたくなるのは確かだが、俺個人は別に、彼女に怨みがあるわけじゃあない。
実質的に俺を殺した張本人とも言えるミリアムだが、決して悪気があったわけじゃあない。
俺自身もあの事件が一つの契機であり、一つの「転機」なのだと、そう捉えている。
「そろそろ腹具合も良くなったし行くか!」
「あの、ちょっと、聞いてます? もしもし? 結局どっちなんです!?」
――――まあそれはそれとして、もうちょっとイジり倒していこう。
何せ、時間はある。この木陰から遠くに見える山を越えて、まだ遠く――人里の見えるところまで向かわなければならないのだから。
好きでこんなところにいるわけじゃないし、好きでこんな異世界にいるわけでもない。
こんなことになってしまった原因は、数日前に遡る――――。