放課後、図書室、そろそろ閉めます
図書委員、なんて言ってもまともに仕事をする委員の人なんていないし、利用者もほとんどいない。
そうなってくると、何故図書室を開けているのかと言う疑問すら浮かんでくる。
そんな図書室に、毎日のように通った――通っている私は、いつの間にか図書委員でもないのに、カウンターの中に居座るようになった。
今では完璧に、数少ない利用者の貸出手続きなども出来る。
今日も今日とて、そのカウンターの中で本を捲っている私。
カチコチと聞こえる時計の音と、紙の擦れる音だけが響く空間が、酷く心地良い。
古い紙とインクの匂いのする図書室は、近所の小さな古本屋の雰囲気に似ている。
ぺらり、次のページを捲ったところで、ブレザーの胸ポケットに入れていた携帯が震えた。
本を片手で押さえながら、もう片方の手では携帯を取り出し、バイブを切る。
そろそろ図書室を閉める時間だ。
カウンターの処理だけではなく、図書室の戸締りまで任されるようになった私。
司書さんも緩過ぎはしないだろうか、と不安にもなったが、好きに本を読ませてもらえるので文句は言えない。
ふぅ、と短い息を吐いて、カウンターにある少し高めの椅子から飛び降りる。
それからカウンターの脇に置いておいた、図書室の鍵をブレザーのポケットに入れた。
じゃらり、ブレザーが携帯と鍵の重みで、少しだけ下がったような気がする。
本の間には愛用の栞を挟んで、貸出手続きが終わっていることを確認。
それじゃあ、読み終えた本を片付けようと、思い腰を上げるように、その本を抱えて本棚へと向かう。
本棚に向かう途中、机の上に積み上げられた本を見つけた。
そこに埋まるようにして、眠る人影も。
あぁ、まじですか、いたんですか、人。
基本的に自習に使うのは教室だし、テスト前でもない限り自習なんてしないだろう。
だからやはり、図書室の利用者が増えることはなく、本を借りて返して、直ぐに帰るという人の方が多い。
だから、こうして閉める時間まで、私以外の誰かがいるなんて珍しいのだ。
それにしても寝てるとか、あれを起こさないといけないのだろうか。
嫌だなぁ、気が重いなぁ。
溜息を吐き出しながら、本を元あったスペースに戻していく。
きっちり並んだ本を見ると清々しい気分になるはずなんだが、この後のことを考えると気が重くなる。
知らない人だと嫌だなぁ、くらい誰だって思うだろう。
面倒臭いなぁ、とかそれくらいは思うだろう。
五冊ほどあった本を全て戻し終え、本棚の隙間から先程の人影を覗いて見たが、起きる気配なし。
本日二度目の溜息を吐いて、仕方がない、と窓の戸締りをしに行く。
これも図書委員の立派な仕事だ。
――私は図書委員ではないが。
わざわざ、何でかは知らないが二枚窓になっているそれを、力強く隙間なく閉めて、全ての鍵を確認。
二枚全部閉まっていれば問題なし。
ついでに薄手のカーテンも綺麗にまとめておく。
図書室には一応冷房も暖房も付いているが、どちらにせよ自然な換気も必要だろう。
よっこいしょ、と最後の窓を閉めて、一息。
立て付けというか、なんと言うか、少しばかり古いせいか硬い鍵のせいで手のひらが痛い。
手のひらを擦り合わせながら、もう一度人影を見てみるが、やはりと言うか起きる気配なし。
確かに窓を閉めるだけだから、そんなに時間も経っていないのだが。
起こさなきゃ駄目かな、となるべく足音を立てないように、リノリウムの床を踏む。
先程から遠くて分からなかったが、男子生徒で、上履きの色からして先輩だ。
知らない人だわ、異性だわ、先輩だわ、もう声掛けられない気がする。
どうしたものか、視線をさ迷わせた先にあったのは、積み上げられた本で、どれも古いものだ。
まぁ、図書室にある本なんて古いものの方が多い気もするが、と一冊だけ抜き取って表紙を見る。
太宰治、人間失格。
課題図書だろうか、首を傾げながらもう一冊。
夏目漱石、こころ。
芥川龍之介、羅生門。
中島敦、山月記。
谷崎潤一郎、痴人の愛。
川端康成、雪国。
積み上げられていた本を、表紙をひっくり返していけば、全て純文学。
日本人の有名な文豪達の作品だった。
課題図書、にはなるだろうが、こんなに読むのか。
軽く首を傾げながら、本の表紙を眺めていると、んん、と小さな呻き声。
驚きで揺れた肩と、力の抜けた手。
その手の隙間から滑り落ちた本は、ものの見事に見知らぬ先輩が、突っ伏して眠っているテーブルにぶつかる。
ガツン、とか本とテーブルのぶつかる音が響いて、私の体が完全に硬直した時、ゆっくりと体をおこす人影。
「……何」
寝起きで掠れた低い声に、喉が震えた。
あー、起こしちゃった起きちゃった、心の中では本日三度目の溜息。
ギギギ、と錆び付いたロボットのように、首だけでそちらを振り向けば、目を細めている先輩。
私が何も言えずに、引きつった笑顔を見せれば、その笑顔をまじまじと見た後に、置いてあった携帯に手を伸ばす。
その画面を見た後には「もう閉めるの?」と聞かれて、私は私でぎこちなく頷く。
そう、と頷いた先輩は大きな欠伸を一つ。
犬歯剥き出しで猫みたいだ。
「……これ、課題図書か何かですか」
「はぁ?……あぁ、いや、別に」
ギシリ、とパイプ椅子が音を立てる。
先輩は体をテーブルの方に倒して、一冊の本を引き寄せて捲った。
パラパラと紙の音がするが、課題図書ではないらしい。
それにしても、純文学ばかりなんて珍しい人だ。
他の学校がどうかなんて知らないが、うちの学校の図書室は、何度も言うように、利用者が少ない。
そうして借りられる本は、大抵授業に使ったりするような資料や参考書ばかり。
後は新刊も少々。
だから、そんな風に純文学ばかりを読んでいる人なんて珍しいのだ。
「……取り敢えず今日はもう閉めるので、借りるなら貸出手続きを」
「あぁ、大丈夫」
落とした本を拾って手続きをするか聞いたら、ガタン、とパイプ椅子を引く音がして、本を抜き取られる。
大丈夫って、何がだろうか。
「俺さぁ、割と図書室来てるんだよな」
抜き取られた本は、他の本と一緒に積み上げられて、先輩がまとめて持ち上げる。
重そうなのにしっかりとバランスを取っていて、足でパイプ椅子を引っ込めていた。
「でもさ、それに気付かないくらい没頭してるし、何読んでるのかちょっと気になっただけだから」
それじゃあ、これ戻してくるわ、寝起きじゃない掠れていない声が私に向けられていた。
それでも、何を言われたのか分からない私は、瞬きを増やして、ぺたりぺたり、リノリウムの床を踏む音を聞いている。
あぁ、確かに読んでいたな。
人間失格も、こころも、羅生門も、山月記も、痴人の愛も、雪国も、読んでいた。
大分前に読んだもので、その貸出カードには全て私の名前が書いてあるはずだ。
今日読んでたのは純文学じゃないんだよなぁ。
ぼんやりと考えていると、本を戻し終えたらしい先輩が戻って来て、自分の鞄を持ち上げていた。
閉めるんだろ、の声に、あぁ、はい、と緩く頷いて、図書室の電気を消した私。
図書室から出て、ガチャガチャ、鍵を閉めて、ちゃんと閉まったかどうか確認して、終わり。
ブレザーのポケットに鍵を入れて、後は職員室に鍵を返しに行けば帰れる。
帰れる、と視線を上げれば先輩がいて、ごくり、喉が鳴った。
「……あー、今度はロミオとジュリエットですけど、読みますか?」
まじまじと見下ろされると、居心地が悪いんですけど、なんて言えるはずもなく、絞り出したのはそんな言葉だった。
その言葉を聞いて、目の前の名前も知らない先輩は目を丸くして、八重歯を見せて笑う。
「あぁ、じゃあ、明日にでも」