07 新たな理由と覚悟
来る日も来る日も、マナーの勉強教養の勉強、そして魔法の勉強。できる限り試験までに高みを目指したいと思い、私は一切妥協をしなかった。なんたって目指すのはルクシェラ軍の第三部隊だからだ。初めから優秀であった方がいいに決まっているし、前世では頭はそれほど良くなかった私も、萌えという名の目標があれば頑張れている。まさしく、人参を目の前に吊るされた馬のようである。
一応、我が家は伯爵家であるし、通常の貴族だと、13歳にもなれば婚約話の一つや二つ、そうでなくても初恋なんてものがあってもおかしくない。ただ、私の場合は上に兄弟がいるし、次女なので特に政略的婚約もなかった。要は、お前は軍に入って自由にやれ、ということだと思う。
そもそも、他人との交流をあまり持っていないので、私は初恋すらまだだった。我ながら13歳にして早くも枯れていると思う。前世でも恋人はいなかったけど、小さい頃に子供らしく初恋ぐらいはしていたし、「大きくなったら――――のお嫁さんになる!」なんて言っていたような―――……
「ロティ、ぼーっとして、気を抜いたら駄目よ。まあ、移動中だけど」
「あっ、はい。すみません」
セレス先生に声をかけられて、はっとした。……あれ、私、今、なんの考え事していたっけ?まだ若いのにど忘れなんて勘弁してほしい。必死に先程までの思考を思い出す。
あ、そうそう。私はこの年にして枯れているという話だった。思い出さなくても良い悲しい話だった。
恋とか言っても、私が一番頻繁に会っている異性は、ぶっちゃけセレス先生だ。授業があるから、週に一回以上は会っているし。今日も、外の地理を利用した戦い方について学ぶために、現在馬車で移動中だ。
そもそも、セレス先生は異性にカテゴリーされるのだろうか?という疑問がある。向かいに座っているセレス先生をちらりと見ると、確かに見た目は男性だ。しかし、口調はオネエである。先生の内心が男性なのか女性なのかにもよるけど、私にとっては『セレス先生』という性別にカテゴリーされている……気もする。それにしても、相変わらず顔は整っているし、年齢不詳だ。はじめて出会った頃と変わらない見た目をしている。口調がなければただのイケメンなのになあ、勿体ない。
そんなことを考えながら窓の外に目をやると、一瞬人影が映った気がした。と同時に、ガタガタと馬車が激しく揺れ、思わず前へ倒れ込む。
「大丈夫?」
「は、はい、すみません……」
前に倒れ込んだということは向かいにセレス先生がいるわけで、先生に抱き付いたような形になり、少し気まずくなった。オネエでも、体格は男性のそれなのだ。一瞬照れてしまうのも無理はないということにしてほしい。
「貴女は此処で待ってなさい。私は外を見てくるから。絶対、出ちゃだめだからね」
そう言って、セレス先生は私を座らせて、馬車の外へと出て行った。なんだか嫌な予感がして、そっと外の会話に耳を傾ける。
「――――有り金を出したら見逃してやる!」
「どうして私がそんなことをしなければいけないのかしら?」
「っ、殺されたくなければ大人しくしろ!」
怒鳴り声に、思わず身体が震える。
「あら、貴方たちに私を殺せるとは思わないわよ」
先生がそう告げたのと同時に、強盗と思わしき男たちの悲鳴が聞こえてきた。
大丈夫、先生はとても強い魔術師なんだから。そう自分に言い聞かせても、人間同士の争いの音に、震えが止まらない。私は、初めてのことに、恐怖していた。これから軍に入れば、こんなことだってあるかもしれない―――むしろ、私がこういう奴らを取り締まらないといけないのに。どうして、私は震えているだけで動けないのだろう。
「大丈夫、私は、大丈夫」
念じるように呟いて、深呼吸をする。
ガチャリ。馬車の扉が開いたのは、その後すぐだった。
「―――おい!まだ小娘がいるぞ!」
「っ、やめて!!」
身を捩っても、腕を捻り上げられて、何もできなくなる。
「こいつがどうなってもいいのか!」
無理矢理馬車の外に引きずり出されると、外は死屍累々だった。
「チッ、まだ残ってたか……」
セレス先生はちょうど一人蹴散らした後で、私を捻り上げた男が最後の一人のようだった。
「大人しくしろ」
首元にひんやりとした何かが当たったと思い、視線を下にやると、きらりと光る刃物が当てられている。血の気が引いたし、また小さく身体が震えている気がした。
魔法を使えばいいのに恐怖で何もできなくて、怖いのと自分が情けないのとで、泣いてしまいそうだった。セレス先生は眉間に皺を寄せているが、私と目が合うと小さく笑った、ように見えた。そして、口を小さく動かし、「だいじょうぶだから」と言ってくれて、それにどうしようもなく安心した。
「黙ってないで、早く有り金を置いていけ!」
男の叫び声に、現実に引き戻される。先程まであった震えは気が付けばなくなっていて。幾分か落ち着いていた。ひとまず、私が捕まっていてはなにもできない。
そう思ったのも束の間。
「――――――俺の生徒に、手出ししたら殺すぞ」
いつもより低い声にびっくりしているうちに、私の両腕を掴んでいた男の手が放された。
「え……?」
気が抜けて、そのまま地面に座り込む。
男は、蔦に吊るし上げられて、気絶していた。
「ふぅ、まさか馬車の方に一人行っているとは思わなかったわ。ごめんなさいね、怖い思いさせて」
セレス先生が歩み寄ってきて、抱きしめられる。すると、自分では落ち着いたつもりだったのに、涙が溢れてきた。
「あの、私……なにもできなくて、」
「大丈夫よ。まだ貴女は13歳でしょう。こんなことがあれば、怖くなるのは仕方ないわ」
あやすように背中をさすられて、私はしばらく泣き続けた。
▽
その後、ルクシェラ軍に連絡をしたり気絶した強盗たちを引き渡したりで、結局その日の授業は無しになった。
「強盗たち、よく数時間も気絶し続けてましたね?」
「まあね。そんなこともあるんじゃないかしら」
引き渡されるまで2時間ぐらいあった気がするが、強盗たちは唸り声を上げることはあれど、起きることはなかった。よっぽど先生から強烈な攻撃を食らったのだろうか。不思議だ。
馬車で家まで引き返している中、おもむろに先生が口を開いた。
「……厳しいことを言うようだけど、軍に入れば『こういうこと』もあるわ。敵は魔物だけじゃないもの。ロティは、その覚悟はできる?」
先生のいうことは最もだ。私は魔物ばかりと想定していた節もあって、すっかり失念していた。民に害をなすなら、きっと人間と対峙しなければいけないこともあるだろう。
でも、先生に抱きしめられて泣いた時に、私の答えは出ていた。
「今日は怖かったです。震えてなにもできませんでした。……でも、私、先生が「大丈夫だよ」と言ってくれて、助けてくれて、とても安心したんです。だから、私も、いつかはそうやって震えている人を助けてあげるようになりたい」
先生の目を真っ直ぐ見て、答える。
覚悟というにはほど遠いけど、今日の私と同じように恐怖で何もできない人を、先生のように、私は助けたい。そういう思いが芽生えていた。
「ふふ、そう思えるなら合格よ」
先生は満足そうに笑っていて、この人が私の先生で良かったと、強く思った。
―――この日、初めて私は『軍に入れば民を助けるのだ』という気持ち持った気がする。ここは現実で、生半可な気持ちではだめだと。……でも、少々の邪念があることは、許して下さい。