第9章
(1)
翌日の夕方、取材を終えて帰りを急いでいた私の背後で、クラクションが2回、鳴った。
「洋ちゃん」
振り返ると、そこには見慣れたポンコツ車があった。
「さっき、携帯に連絡があってさ」
乗り込もうとする私に、洋介が話しかける。
「誰から?」
シートベルトを締めながら、私は尋ねた。
「真由美さんだよ。とりあえず、証拠不十分ってことで釈放されたらしい。迷惑をかけるといけないから、しばらく実家に戻るって」
「そう、よかったわね。で、友川さんは?」
「友川さんも釈放されたってさ」
洋介は、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
「庄野先生と孝子さんの話、警察にはしたの?」
私の質問に、洋介は首を横に振った。
「いや、まだ言ってないよ。もう少し、確信を得てからと思ってさ」
「慎重にした方がいいかもしれないわね」
私は頷いた。
「そうだ、例の蝋燭を埋めたって話、どうなったの?」
私が尋ねると、洋介は微笑んだ。
「あの2人、お互いにかばい合っていたんだよ」
「かばい合っていた?」
「真由美さんは、自分の蝋燭が犯行に使われたと知って、友川さんに相談したそうだ。このままでは真由美さんが疑われると思った友川さんは、彼女から蝋燭を受け取り、裏庭に埋めた。目撃者さえいなければ、そのまま発見されることはないだろうと思ったらしい」
私は思わず、ため息をついた。
「人間って、切羽詰まると色んなことをするのね。そんなことしたら、かえって疑われるって、少し考えたらわかりそうなものなのに」
「真由美さんは真由美さんで、友川さんが疑われては大変だと思った。それで、蝋燭を彼に渡したことを隠していたそうだ」
洋介は苦笑いした。
「じゃあ、私があの時、真由美さんの部屋に誰かが入るのを見たのは?」
私が尋ねると、洋介はハンドルを回しながら答えた。
「今日、携帯にかかって来た時に、聞いてみたよ。多分、友川さんに蝋燭を渡した帰りだったんだろうと、そう言ってたよ」
「なるほどね」
私は頷いた。
「ということは、孝子さんが見た人影は、真由美さんじゃなくて友川さんだったのね」
「そういうこと」
洋介はブレーキをかけた。信号は赤になっている。
「で、去年の4月頃に親父と孝子さんが見たっていう、例の抱擁シーンなあ」
洋介がこちらをちらっと見て、続けた。
「お前の予想通り、友川さんが一方的に迫っていただけだってさ。真由美さん、親父に誤解されていたなんてって、悲しそうに言ってたよ」
「そうなの」
「それから、庄野先生のことだけど」
「うん」
私が頷くと、信号が変わって車が走り出した。相変わらず、すごい音がする。
「例の『ありあけ会』って児童福祉団体の十周年記念パーティーとやらが、明日あるらしいんだ。行ってみないか?」
「いいわねえ。百聞は一見に如かずって言うしね」
私が答えた頃、車のスピードがようやく少し速くなった。
(2)
「やあ、よく来てくれたねえ」
庄野弁護士が、満面の笑みで迎えてくれた。
「洋介君が、相田教授のように児童福祉に興味を持ってくれたなんて、私も本当に嬉しいよ。今日は、色々勉強していってくれよ」
嬉しそうに去っていく庄野弁護士の後ろ姿を見ながら、私達は顔を見合わせた。
「なんか、誤解されたかな?」
「洋ちゃんの相続分、寄付しなくちゃいけない雰囲気ね」
私の言葉に、洋介は楽しそうに笑った。
「しっかし、色んな人が来てるな」
洋介があたりを見回す。
「本当ね。テレビで顔を見たことがある人も、何人かいるわ」
「政財界からも、結構来てるみたいだしな」
愛想を振りまいている庄野弁護士を目で追う。と、コンパニオンのお姉さんにシャンペンを渡され、私は慌てて受け取った。
代表の挨拶があるというアナウンスが入り、一同が静まり返る中、ステージに置かれたスタンドマイクにスポットライトが当てられた。ステージの後ろの壁には、「祝十周年」という看板が、まぶしく光っている。
「おい、よく見ろよ。あの代表」
挨拶を始めた40代位の女性を見て、洋介が私の肩を小突く。
「見てるわよ」
それは、昨日、庄野弁護士と共にホテルへと消えていった、あのご婦人だった。
「驚いたなあ」
「本当にね」
芦田佳子という名のその女性の後ろには、彼女の夫らしき男性が神妙な顔つきで立っている。その隣には、庄野弁護士夫妻が、微笑みながら並んで立っていた。
「ダブル不倫ってやつか」
「先生の奥様も、代表の旦那さんも、まさかあの2人が愛人関係にあるとは、夢にも思っていないんでしょうね」
私がこの事業を続けていられるのも、この人の理解があればこそです、などと、夫を紹介する芦田代表を横目で見ながら、私は吐き気を覚えた。
「食えるもんだけ食ったら、ズラかるか」
「こんな状況でも、食欲だけはあるのね」
「当たり前だよ。会費5000円も払ってるんだからな」
「そりゃそうだけど」
乾杯の音頭が終わると、洋介は、置かれていた料理をお皿に載せられるだけ載せて、戻って来た。
「お前も食ったら?」
料理を片っ端から胃袋に収めていく洋介を、私は呆れ気味に眺めていた。
(3)
「大収穫、大収穫!」
洋介が、ノックもなしに私の部屋に飛び込んで来た。
「何なのよ、いったい」
私が呆れ顔で振り返ると、洋介は勝手に人のベッドに腰を下ろす。
「昨日のパーティ、終わってからさ、俺、一生懸命考えたんだ。親父が真由美さんの素行調査、依頼した探偵社って、どこだったんだろうって」
「そんなの、高梨さんに聞いたら、簡単にわかるんじゃないの?」
私が洋介の顔をちらっと見ると、洋介は頭を掻いた。
「確かにそうだな。俺、必死で探偵仲間達から、情報集めて回っちゃったよ」
子供の頃から、この要領の悪さは変わらない。バツの悪そうな洋介の横顔を見ながら、私はそっと微笑んだ。
「それで、結果は?」
「ちゃんと、見つかったぜ」
「そう、よかったじゃない」
私が再び、パソコンに向かいかけると、彼は慌てて続けた。
「おいおい。話はここからなんだぜ」
「わかったわ。ちょっと待って」
パソコンに打ち込んでいた文章を手早く保存すると、スリープにする。
私が振り返るのも待たず、洋介が話し出した。
「親父が頼んでた探偵社、1社じゃなくて2社だったんだ」
「そんなに、真由美さんのことを調べさせていたの?」
私は洋介の顔を見つめた。彼は、ゆっくりと首を横に振った。
「1社には、確かに真由美さんのことを依頼していたよ。でも、もう1社の方は違うんだ」
「違うって?」
洋介は、顔を近付けた。
「お前、『蛍雪の友』って、知ってるか?」
ううん、と、私は首を振った。
「俺もよく知らないんだけど、それについて調べるように、依頼していたんだ」
私が黙っていると、洋介は続けた。
「探偵社、両方とも、訪ねて教えてもらって来たよ。と言っても、客の秘密は厳守しないといけないから、詳しいことまではよくわからなかったけど」
洋介の話はこうだった。
まず、真由美の件が依頼されたのは、去年の9月の中頃。浮気をしていないか、調査してくれという内容だった。
「ただし、親父自身が直接来たわけじゃないらしいんだ。電話で、調査の依頼があったそうだ。すぐに指定の口座に前金が振り込まれて来たし、依頼通りに調査を開始したってわけさ」
しかし、浮気の現場を押さえることはできなかった。すると、去年の年末になって、男の声で、真由美さんが男性と2人で、映画を見に行くらしいという電話が入った。言われた映画館で待ち伏せしていると、予告通り2人が出て来たそうだ。
「印象としては、浮気じゃないような気がしたんだけど、とりあえず写真を撮って送ったらしいぜ」
その後も真由美のマークは続けたが、全くと言っていい程、浮気の証拠はつかめなかった。友川助教授と2人で食事をしている時はいつも、途中から年配の男性が加わる。これでは浮気の証拠にはならないが、とりあえず、その時々で写真は送付していたということだ。
それらのネガは、警察に提出してあるらしく、洋介は、探偵社に残っていた写真を見せてもらったという。
「その、途中から入ってくる男性っていうの、親父だったんだ。調査員は、親父に直接会ったことがないから、それを親父だとは思わなかったんだろうな。ってことは、浮気なわけがないだろ? 結局、最初から最後まで2人きりだったのは、映画に行った時と、親父の亡くなる前日のあの時だけだった。俺、真由美さんに確認をとったんだけど、映画は初めから一緒だったわけじゃなくて、偶然、映画館で会ったんだってさ。それも、例の丸越デパートの、ご招待上映会だったらしいぜ」
このご招待上映会というのは、丸越デパートが友の会会員のために、毎月1回、屋上の映画館で、懐かしの名画を上映するイベントだ。私も以前、友川助教授から招待券を譲り受けて、見に行ったことがある。
奥さんが会員なのだが、彼女が行かれない時には助教授が見に行くことにしている。しかし、その時は助教授も行かれなくなったということだった。あの時はたしか、「ローマの休日」をやっていた。
「真由美さん、孝子さんから招待券をもらったんだってさ。孝子さんも、誰か知り合いの人から譲られたってことで」
「また、庄野先生の差し金かしら」
「孝子さんに確認したら、そう言ってたよ。招待券を真由美さんに渡すよう、指示されたらしい」
「でも、友川さんが、上映会に行くとは限らないわよね?」
洋介は頷いた。
「孝子さん、親父と友川さんが、居間でしゃべってるのを聞いたんだってさ。友川さんが上映会に行くって話。それで、そのことを先生に伝えたらしい。友川さんのこと、何かあったら知らせるように言われていたんだそうだ」
「かなり計画的ね。となると……」
私は洋介の顔を見た。彼は、その通りという表情で微笑んだ。
「この探偵社に映画館のことを教えたのは、庄野先生だったんじゃないかって、言いたいんだろ?」
「うん。でも、それだけじゃないわ。実際に、その探偵社からの情報を、庄野先生が受け取っていたことも考え合わせると」
「真由美さんの件を依頼した人物は、親父じゃなくて庄野先生だった、そう考えるのが妥当だな」
洋介が、私の言葉を受けて結論を出した。
「たしか、先生が伯父さんのガンの話を聞いたのは、9月の初めとかおっしゃってたわよね」
「ああ」
洋介が、頷きながら続けた。
「調査が依頼されたのは、9月の中頃。時期的にもぴったり合うよな。でも、真由美さんの素行調査をさせて、どういうメリットがあるんだろう」
洋介が腕を組んだ。
「伯父さんの遺産を『ありあけ会』に寄付させたかったとしたら、真由美さんは邪魔な存在よね。もしも、浮気しているっていう証拠が出たら、伯父さんは真由美さんと別れるかもしれない」
「実際に、真由美さんと友川さんの写真を見た頃、離婚届を取りに行ってるわけだしな」
私の意見に、洋介は頷いた。
「まあ、真由美さんはそれで何とかなるとして、俺のことは、どうやって丸め込むつもりだったんだろう」
「本人に聞いてみないとわからないけど」
私は続けた。
「洋ちゃんがお金に執着しない性格だってことは、庄野先生もよくご存じだろうし。伯父さんが寄付したがっていたとでも言えば、簡単に説得できると思ったのかもね」
洋介が苦笑する。
「俺って、そんなに単純そうに見えるのかな?」
私が何も答えずに微笑むと、彼は鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
「いずれにせよ、親父に遺言状を書かせることに成功した。庄野先生の思い通りだな」
「伯父さんが、あの時点で亡くなりさえしなければね」
私達は、しばし黙り込んだ。
「洋ちゃん、お手柄よ」
私が言うと、洋介は嬉しそうに微笑む。
「さてと、もう1件の話もしないといけないな」
洋介が、顔を引き締めて言った。
「『蛍雪の友』だったっけ?」
「ああ」
洋介は頷いた。
「こっちは、親父が直接依頼に行ったらしい。写真で確認したけど、間違いないってことだった」
「いつ頃なの?」
「去年の4月」
「4月?」
洋介が頷く。
「ああ。親父がガン宣告を受けたすぐ後さ」
彼は続けた。
「この『蛍雪の友』っていうのは、教育関係の団体だったらしい。理由はよくわからないけど、15年程前に解散してる」
「それと、今回の事件と、どういう関係があるの?」
洋介は腕組みをした。
「それがさ、それ以上の話はしてもらえなかったんだ。俺自身で調べてみようかと思ったんだけど、そんなに規模の大きい団体ではなかったらしくてさ。今日の調査だけでは、情報が得られなかった」
「高梨さんに相談してみたらどうかしら。探偵社も、警察の要請となったら、情報を提供しないわけにはいかないでしょ?」
洋介は少し考え込んでいたが、顔を上げた。
「庄野先生のことも話す必要がありそうだし、頼んでみるか。本当は、俺だけの力で何とかしたかったんだけどな」
少し悔しそうな表情を浮かべながら、彼は携帯電話を取り出した。
「でも、洋ちゃんすごいわ。もし、初めから警察に探偵社を教えてもらっていたら、2つ目の探偵社のことは、わからなかったかもしれないんだから」
私の言葉に、洋介は、打って変わって得意げな顔をする。
「やっぱり、俺ってすごいかな?」
この単純さが、洋介のいいところでもある。私は微笑みながら頷いた。
洋介は、手帳を開いて捜査本部の電話番号を押した。ややあって、誰かが電話口に出たようだった。
「高梨刑事お願いします」
しばらくして、高梨刑事が出たのだろう、洋介はこれまで得られた、庄野弁護士に関する情報を伝えた。そして、「蛍雪の友」についても、探偵社から資料を取り寄せるように頼んだ。
「すぐに、調べてくれるってさ」
電話を切ると、洋介はこちらに向かって微笑んだ。
「明日の午後、捜査本部に行ってみよう」




