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最後の宿題  作者: 深月咲楽
7/13

第7章

(1)


 秘書の女性にしばらく待つように言われ、私達は応接室のソファに腰掛けていた。テーブルの上には、コーヒーの入ったカップが置かれている。

「庄野先生、忙しいみたいだな」

 洋介がため息まじりにつぶやく。

「相当、繁盛してるんでしょうね。このカップ、マイセンよ」

「マイセン? 何だそれ?」

 洋介にこういう話をしても無駄だった。私は、何でもない、と手を振った。

「俺も一度でいいから、『しばらくお待ち下さい』とか、言ってみたいよ」

 洋介が応接室を見回して言う。

「ご近所のペットが一度に逃げ出したら、そういうこともあるかもね」

 私が笑いながら答えると、洋介は真面目な顔で言った。

「町内の犬たちを、こっそり放してみようか」

 私は呆れて洋介を見た。

「洋ちゃんの所に依頼が来たらいいけど、下手したら同業者を喜ばせるだけかもよ」

「こっちは警察に捕まったりしてな」

「そんなところでしょうね」

 洋介が楽しそうに笑った時、ドアが開いた。

「すっかりお待たせしてしまったね」

 片手に書類を持って、庄野弁護士が現れた。

「あ、いえ。お忙しいところ、申し訳ありません」

 洋介と私は立ち上がり、頭を下げた。

「いやいや、座って座って」

 庄野弁護士に促され、私達は再び、腰を下ろした。

「義母のことでは、お世話になります」

 洋介が口を開く。私も、横で小さく会釈する。

「なあに。相田教授には、本当にお世話になったからね。少しでもお力になれればいいんだが」

 庄野弁護士の言葉を聞き、私達は軽く微笑んだ。

「実は、親父の残した遺言状について、教えて頂ければと思って」

 洋介が話を切り出した。

「例の、遺産についてのものかね?」

 庄野弁護士が、確認する。

「そうです」

 洋介が頷いた。

「本物は警察に渡しているんだが、写しを置いてあるよ。すぐ、持ってくるから」

 庄野弁護士はゆっくり立ち上がり、ドアの外へと消えた。

「とりあえず、児童福祉団体のことを聞いて……」

 洋介は、手帳を取り出してつぶやいた。

「それから、遺言状の話をした時の、伯父さんの様子も聞いておいた方がいいと思うわ。何か、今回の事件に関係のあることを話しているかも」

「ああ。そうだな」

 私の言葉に、洋介が頷く。

 ちょうどそこに、茶封筒を手にした庄野弁護士が戻って来た。

「いやあ、お待たせ、お待たせ」

 そう言いながら、彼はソファに腰を下ろした。

「これが遺言状のコピーだよ」

 茶封筒の中から出された書類を、洋介が受け取り、中に目を通す。

「なるほど。執行者には庄野先生の署名もしてあるし、あとは親父の署名捺印があれば、有効になる状態だったんですね」

 洋介がテーブルにコピーを置きながら、顔を上げた。

「これを作成した時、親父の様子はどうでしたか?」

「どうって言われてもねえ」

 庄野弁護士が、腕を組んだところに、秘書がカップを持って現れた。私達に出されていたコーヒーも、熱いものに変えてくれる。

 私と洋介は、お礼を言いながら軽く会釈をした。

「遺産を残す対象を変える理由について、何か言っていませんでしたか?」

 洋介が、再び尋ねる。庄野弁護士は、困ったように顎をさすった。

「それが、あまりハッキリはおっしゃらなかったんだ。かなり悩まれたようだったし、教授がそこまで考えられたのならばと、私も深くは追求しなかった。今となっては、悔やまれて仕方がないが」

「そうですか」

 洋介が頷いた。

「この、児童福祉団体の『ありあけ会』っていうのは、どういう団体なんでしょうか?」

 私は、洋介がテーブルの上に置いたコピーを手にしながら、尋ねた。

「実は……」

 庄野弁護士は、コーヒーを一口すすって、続けた。

「私の知り合いが代表を勤めている団体でね」

「先生のお知り合いですか?」

 私は聞き返した。

「ああ」

 彼はそっと微笑んだ。

「このことは、警察にも話してあるよ。私も少なからず、責任は感じているんだがね」

「詳しく聞かせて頂けますか?」

 洋介が、手帳を片手に身を乗り出した。私もつられて座り直す。

「この団体はね。両親を不慮の事故や病気で亡くした子供達を引き取って、養育しているんだ。去年の4月頃だったかな、教授の方から色々ご質問いただいてね。細かい活動などのお話をしたら、教授はとても関心を持たれたようだったよ。まさか、遺産を全額寄付するなんて、そんなことをおっしゃるとは、思いもしなかったがね」

「去年の4月っていうと、伯父さんがガンの宣告を受けた後ね」

 洋介が頷く。私は再び尋ねた。

「いつ頃、この遺言状を作成すると言い出したのですか?」

 庄野弁護士は少し伏し目がちになり、やがて口を開いた。

「年始の時だっただろうか、真由美さんと友川助教授が写っている写真を持って、うちの事務所に来られてね。その時に、遺産について相談があるとおっしやった」

「そうですか」

 洋介は続けた。

「真由美さんと友川さんの写真って、どんなものですか?」

 刑事に見せられたのは、たしか伯父が亡くなる前日に撮られたものだったはずだ。

「2人が仲良く、映画館から出て来たところだった。親しい雰囲気だったがね」

 思わず洋介の顔を見る。彼は、手帳に何か書き込みながら言った。

「年始ってことは、離婚届を市役所に取りに行ったのと、同じ頃だな」

「そうね」

 私も頷く。庄野弁護士は、困ったような表情を見せた。

「真由美さんは、遺言状のことも離婚届のことも、知らないと言っている。その言葉を信じる限り、このことが動機になったわけではないようだ」

「動機?」

 私は思わず聞き返した。

「ということは、先生は、真由美さんが伯父を殺した犯人だと、お考えなんですか?」

「いやいや、そういうわけではないんだよ。ただ……」

 庄野弁護士が言い淀んだ。

「ただ、何ですか?」

 洋介が尋ねる。

「不利な状況にあることには、違いないね」

「何か、証拠でも出て来たんですか?」

 私の質問に、庄野弁護士はため息をついた。


(2)


「実は、今朝もう一度、家宅捜索が行われてね。相田家の裏庭から、埋められている蝋燭が何本か発見されたらしいんだ。それは、教授が亡くなられた時に時限装置として使われた蝋燭と、同じ種類のものだった」

「私達が日向医院に行っていた時かしら?」

 私が洋介の方を見ると、彼は首を傾げた。

「ああ、君達は不在だったようだね。吉田さんが、立ち会って下さったらしいから。私もついさっき、警察から連絡を受けたところなんだが」

 私達は顔を見合わせた。

「でも、蝋燭の種類なんて、特定できるんですか?」

 洋介は、庄野弁護士の方を見た。

「ああ。何やら、特殊な蝋燭だったらしいんだ。君達は、アロマテラピーを知っているかな?」

「ええ、知っています。香りとかを使って、リラックスさせたりする、あれでしょう?」

 洋介が答える。庄野弁護士は頷いた。

「その蝋燭というのは、アロマテラピーに使われるものでね。しかも、それはオリジナルで、真由美さんの持ち物だったそうだ」

「そんなこと、何の証拠にもならないじゃないですか。誰か他の人が、真由美さんに罪を着せるために、その蝋燭を利用したのかもしれないし」

 私が言うと、庄野弁護士は首を横に振った。

「問題なのは、彼女自身がその蝋燭を裏庭に埋めた、つまり証拠を隠滅しようとした、という点なんだ」

「どうして真由美さんが埋めたと?」

「目撃者がいたらしいんだよ」

 庄野弁護士は続けた。

「誰ですか?」

 洋介が尋ねる。

「お手伝いの吉田さんだ」

 孝子の証言によると、それは伯父のお葬式の夜のことだったという。

 彼女は、部屋に入ってからもなかなか寝つかれず、トイレに行った。すると、真由美が裏庭で、木の根元にしゃがみ込んで何かをしている姿が、窓から見えた。その後、部屋に戻ってテレビをつけると、いつも見ているニュース番組のスポーツコーナーをやっているところだった。

「その証言から考えて、午後11時少し前だったようだ」

「午後11時っていえば、お前、俺の部屋に来てた頃だよな」

「そうだったわね」

 洋介の言葉を機に、私はあの日のことを思い出した。

 洋介の部屋を出た時、確かに真由美の部屋に誰かが入って行くのを見た。あれは、蝋燭を隠し終えて部屋に戻った、彼女だったのだろうか。

 私が黙り込んだのを見て、洋介が口を開いた。

「義母は、何て言ってるんですか?」

「彼女は、火が出ている教授の部屋に入った瞬間、あの蝋燭のにおいを感じたそうだ。後で部屋に戻って確認してみると、蝋燭が一本減っている。その後、蝋燭を利用した時限装置が使われたことを知り、自分の蝋燭が関わっていることを確信した。言えば疑われると思って言わなかったらしい。しかし、蝋燭を埋めたのは自分ではないと、主張しているよ」

「自分じゃないとは?」

 洋介が尋ねる。

「なんでも、お葬式の日、遺言状の話をされて、ますます疑われそうだと思った彼女は、部屋に戻って、蝋燭の本数をもう一度数えようとした。だが、その時にはすでに、蝋燭はなくなっていたと言うんだ。それで、一晩中、蝋燭を捜しまわっていたらしい」

 庄野弁護士は、はあっとため息をついた。確かに、すんなりとは信じ難い話である。洋介も同じ気持ちらしく、ちらっと私の顔を見た。

「義母の部屋から、日向医院で処方された薬は見つかりましたか?」

「処方された薬とは?」

 庄野弁護士が洋介の顔を見た。

「日向先生のお話だと、親父が亡くなった日の朝、1週間分の薬を出されたそうなんです。親父が飲んだのは1回分だけですから、残りがあったはずだと思って」

 洋介が言うと、庄野弁護士は頷いた。

「なるほどね。でも、その件については、警察からは何も聞いていないけれどもねえ。その薬が、事件と何か関係しているのかな?」

「いえいえ、そういうわけじゃないんです。ちょっと、気になっただけです」

 私は、洋介を制して答えた。不確かなことは、口にしない方がいい。私の意図するところがわかったのか、洋介はそれ以上、その件に触れることはなかった。

「それで、義母はどうなるんでしょうか?」

 洋介の質問に、庄野弁護士は、苦笑いを浮かべながら答えた。

「目撃者がいるんだし、このままだと逆に心証を悪くしかねない。弁解したい彼女の気持ちはわかるんだが、かえって自分を不利な立場に追い込んでしまうのではと、心配しているんだよ」

「最後にひとつだけ、よろしいですか?」

 遺言状のコピーを片付け始めた庄野弁護士に、私は尋ねた。

「何かな?」

「伯父が胃ガンだったこと、先生はご存じだったんですか?」

 彼は、手を止めて私を見た。

「9月の初め頃には、伺っていたよ。あと1年くらいしかもたないだろうということもね」


(3)


 私は、洋介のポンコツ車に揺られていた。辞書等を取りに行くため、私のアパートへと向かっているのだ。

「真由美さん、今頃どうしてるんだろうな」

「そうね」

 私は、窓の外を見ながら答えた。この辺りの町並みは古く、灰色っぽい景色が流れていく。

「そう言えば、真由美さん、火事の時なんかぼんやりしてたのよ。伯父さんの様子を見て、動転していたんだろうって思ったんだけど、蝋燭の香りに気付いて、どうしたらいいかわからなくなっていたのかもしれないわね」

 洋介はそれには答えず、横目で私の方を見た。

「お前、親父の葬式の夜、真由美さんのこと見たんじゃないのか?」

「お葬式の夜?」

 洋介は、黙って頷いた。庄野弁護士との会話の中で、私が一瞬黙り込んだのを、彼は見逃してはいなかったようだ。

「はっきりとは、わからないわ。誰かが真由美さんの部屋に入って行くのは、見たけどね。それが、真由美さんだったのかどうか」

「そうか」

「それにしても、庄野先生、何だか真由美さんが犯人だと、決めてかかっているような口ぶりだったわよね」

 私が言うと、洋介は頷いた。

「俺も気になったよ。孝子さんの証言も、どうかと思うし」

「どうかって?」

 洋介はため息まじりに答えた。

「友川さんとのことといい、蝋燭のことといい、孝子さんの証言って、全部、真由美さんに不利なものばかりだろ? おかしいと思わないか」

「確かにそうね」

 やはり孝子は、何か事件に関係しているのだろうか。

 黙り込んでいると、目の前にアパートが見えて来た。

「俺、ここで待ってるからさ、必要なものだけ持って、降りてこいよ」

「ありがとう」

 車が停まると、私はドアを開けた。


(4)


「まったく。何で私がこんなこと手伝わなきゃいけないのよ」

 コートの襟を立てながら、私は怒って言った。

「仕方ないだろ。ひとりでこんなところにいたら、変な感じだし」

 私と洋介は今、とあるホテル街にいた。もちろん、そんな目的があってのことではない。浮気調査とやらの手伝いをさせられているのだ。昨日、アパートまで連れて行ってもらったのが、かえって高くついてしまったようだ。

「あ、出て来た」

 瀟洒なラブホテルから、対象の男性――高校の教師だというから驚きだ――と、どう見ても十代半ばにしか見えない女性が、腕を組んで現れた。

 洋介がカメラを構える。その横顔はとても真剣で、なんだか別人を見ているようだった。

「よし、上手く撮れた」

 洋介はほっとした顔でカメラを下ろすと、私の方を見る。

「急いで事務所に帰って、現像するよ」

「そう。頑張ってね。私はここで失礼するから」

 私が立ち去ろうとすると、洋介は慌てて私の肩を掴んだ。

「待ってくれよ」

 驚いて振り返ると、すれ違うカップルが、くすくす笑っているのが見えた。痴話喧嘩だとでも思われたのだろう。思わず顔が赤くなる。

「わかったわ。現像でも何でも付き合うから、早く事務所に行きましょ。この場所、何だか落ち着かなくて」

 私の言葉に、洋介は初めて周りを見回した。

「そうか。お前、意外と純情なんだな」

「馬鹿なこと言ってるんじゃないの。ほら、行くわよ」

 私が歩き始めると、洋介がまた私の肩を掴んだ。

「今度は何なのよ」

 眉をひそめて振り返ると、洋介は無言のまま、電柱の陰へ私を引っ張っていく。

「あれ、見ろよ」

 洋介が指した指の方向を見て、私は目を見張った。そこには庄野弁護士がいた。

「庄野先生じゃないの」

 驚いて洋介を見ると、彼はカメラを構えている。

「何やってるの?」

 私が尋ねると、洋介は、しっ、と言いながら、カメラのシャッターを押した。

「一緒にいる女性、先生の奥さんじゃないよな」

 庄野弁護士の後について、ホテルに入ろうとしている女性をそっと見つめる。

「違うわね。奥さん、もっとふくよかな感じの方じゃなかったっけ?」

「そうだよな。まあ、こんな時間に夫婦でホテルに入る人なんて、そういないだろうけど」

 洋介が悪戯っぽく微笑んだ。彼はこういう場面に慣れているのかもしれないが、私はとても笑う気になどなれない。

「何だか、嫌なところを見ちゃったわ」

 私が肩をそびやかすと、洋介は楽しそうに言った。

「まあ、男なんてそんなもんさ。特に、社会的に成功している人っていうのは、周りが放っておかないって部分もあるからな」

「あー、やだやだ」

 私は無性に情けない気持ちになり、洋介に背を向けて歩き出した。

 と、その時、洋介の携帯電話が鳴った。

「もしもし」

 携帯電話を耳に当てていた洋介の顔が、険しくなった。

「どうしたの?」

 通話を終えた洋介に尋ねる。

「孝子さんからだ。友川さんが、警察に連れていかれたらしい」

「友川さんが?」

 私が聞き返すと、洋介は頷いた。

「すぐに警察に行こう。話を聞かないと」

「そうね」

 私が頷くと、洋介も頷き返す。私達は小走りに、ホテル街を後にした。

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