第7章
(1)
秘書の女性にしばらく待つように言われ、私達は応接室のソファに腰掛けていた。テーブルの上には、コーヒーの入ったカップが置かれている。
「庄野先生、忙しいみたいだな」
洋介がため息まじりにつぶやく。
「相当、繁盛してるんでしょうね。このカップ、マイセンよ」
「マイセン? 何だそれ?」
洋介にこういう話をしても無駄だった。私は、何でもない、と手を振った。
「俺も一度でいいから、『しばらくお待ち下さい』とか、言ってみたいよ」
洋介が応接室を見回して言う。
「ご近所のペットが一度に逃げ出したら、そういうこともあるかもね」
私が笑いながら答えると、洋介は真面目な顔で言った。
「町内の犬たちを、こっそり放してみようか」
私は呆れて洋介を見た。
「洋ちゃんの所に依頼が来たらいいけど、下手したら同業者を喜ばせるだけかもよ」
「こっちは警察に捕まったりしてな」
「そんなところでしょうね」
洋介が楽しそうに笑った時、ドアが開いた。
「すっかりお待たせしてしまったね」
片手に書類を持って、庄野弁護士が現れた。
「あ、いえ。お忙しいところ、申し訳ありません」
洋介と私は立ち上がり、頭を下げた。
「いやいや、座って座って」
庄野弁護士に促され、私達は再び、腰を下ろした。
「義母のことでは、お世話になります」
洋介が口を開く。私も、横で小さく会釈する。
「なあに。相田教授には、本当にお世話になったからね。少しでもお力になれればいいんだが」
庄野弁護士の言葉を聞き、私達は軽く微笑んだ。
「実は、親父の残した遺言状について、教えて頂ければと思って」
洋介が話を切り出した。
「例の、遺産についてのものかね?」
庄野弁護士が、確認する。
「そうです」
洋介が頷いた。
「本物は警察に渡しているんだが、写しを置いてあるよ。すぐ、持ってくるから」
庄野弁護士はゆっくり立ち上がり、ドアの外へと消えた。
「とりあえず、児童福祉団体のことを聞いて……」
洋介は、手帳を取り出してつぶやいた。
「それから、遺言状の話をした時の、伯父さんの様子も聞いておいた方がいいと思うわ。何か、今回の事件に関係のあることを話しているかも」
「ああ。そうだな」
私の言葉に、洋介が頷く。
ちょうどそこに、茶封筒を手にした庄野弁護士が戻って来た。
「いやあ、お待たせ、お待たせ」
そう言いながら、彼はソファに腰を下ろした。
「これが遺言状のコピーだよ」
茶封筒の中から出された書類を、洋介が受け取り、中に目を通す。
「なるほど。執行者には庄野先生の署名もしてあるし、あとは親父の署名捺印があれば、有効になる状態だったんですね」
洋介がテーブルにコピーを置きながら、顔を上げた。
「これを作成した時、親父の様子はどうでしたか?」
「どうって言われてもねえ」
庄野弁護士が、腕を組んだところに、秘書がカップを持って現れた。私達に出されていたコーヒーも、熱いものに変えてくれる。
私と洋介は、お礼を言いながら軽く会釈をした。
「遺産を残す対象を変える理由について、何か言っていませんでしたか?」
洋介が、再び尋ねる。庄野弁護士は、困ったように顎をさすった。
「それが、あまりハッキリはおっしゃらなかったんだ。かなり悩まれたようだったし、教授がそこまで考えられたのならばと、私も深くは追求しなかった。今となっては、悔やまれて仕方がないが」
「そうですか」
洋介が頷いた。
「この、児童福祉団体の『ありあけ会』っていうのは、どういう団体なんでしょうか?」
私は、洋介がテーブルの上に置いたコピーを手にしながら、尋ねた。
「実は……」
庄野弁護士は、コーヒーを一口すすって、続けた。
「私の知り合いが代表を勤めている団体でね」
「先生のお知り合いですか?」
私は聞き返した。
「ああ」
彼はそっと微笑んだ。
「このことは、警察にも話してあるよ。私も少なからず、責任は感じているんだがね」
「詳しく聞かせて頂けますか?」
洋介が、手帳を片手に身を乗り出した。私もつられて座り直す。
「この団体はね。両親を不慮の事故や病気で亡くした子供達を引き取って、養育しているんだ。去年の4月頃だったかな、教授の方から色々ご質問いただいてね。細かい活動などのお話をしたら、教授はとても関心を持たれたようだったよ。まさか、遺産を全額寄付するなんて、そんなことをおっしゃるとは、思いもしなかったがね」
「去年の4月っていうと、伯父さんがガンの宣告を受けた後ね」
洋介が頷く。私は再び尋ねた。
「いつ頃、この遺言状を作成すると言い出したのですか?」
庄野弁護士は少し伏し目がちになり、やがて口を開いた。
「年始の時だっただろうか、真由美さんと友川助教授が写っている写真を持って、うちの事務所に来られてね。その時に、遺産について相談があるとおっしやった」
「そうですか」
洋介は続けた。
「真由美さんと友川さんの写真って、どんなものですか?」
刑事に見せられたのは、たしか伯父が亡くなる前日に撮られたものだったはずだ。
「2人が仲良く、映画館から出て来たところだった。親しい雰囲気だったがね」
思わず洋介の顔を見る。彼は、手帳に何か書き込みながら言った。
「年始ってことは、離婚届を市役所に取りに行ったのと、同じ頃だな」
「そうね」
私も頷く。庄野弁護士は、困ったような表情を見せた。
「真由美さんは、遺言状のことも離婚届のことも、知らないと言っている。その言葉を信じる限り、このことが動機になったわけではないようだ」
「動機?」
私は思わず聞き返した。
「ということは、先生は、真由美さんが伯父を殺した犯人だと、お考えなんですか?」
「いやいや、そういうわけではないんだよ。ただ……」
庄野弁護士が言い淀んだ。
「ただ、何ですか?」
洋介が尋ねる。
「不利な状況にあることには、違いないね」
「何か、証拠でも出て来たんですか?」
私の質問に、庄野弁護士はため息をついた。
(2)
「実は、今朝もう一度、家宅捜索が行われてね。相田家の裏庭から、埋められている蝋燭が何本か発見されたらしいんだ。それは、教授が亡くなられた時に時限装置として使われた蝋燭と、同じ種類のものだった」
「私達が日向医院に行っていた時かしら?」
私が洋介の方を見ると、彼は首を傾げた。
「ああ、君達は不在だったようだね。吉田さんが、立ち会って下さったらしいから。私もついさっき、警察から連絡を受けたところなんだが」
私達は顔を見合わせた。
「でも、蝋燭の種類なんて、特定できるんですか?」
洋介は、庄野弁護士の方を見た。
「ああ。何やら、特殊な蝋燭だったらしいんだ。君達は、アロマテラピーを知っているかな?」
「ええ、知っています。香りとかを使って、リラックスさせたりする、あれでしょう?」
洋介が答える。庄野弁護士は頷いた。
「その蝋燭というのは、アロマテラピーに使われるものでね。しかも、それはオリジナルで、真由美さんの持ち物だったそうだ」
「そんなこと、何の証拠にもならないじゃないですか。誰か他の人が、真由美さんに罪を着せるために、その蝋燭を利用したのかもしれないし」
私が言うと、庄野弁護士は首を横に振った。
「問題なのは、彼女自身がその蝋燭を裏庭に埋めた、つまり証拠を隠滅しようとした、という点なんだ」
「どうして真由美さんが埋めたと?」
「目撃者がいたらしいんだよ」
庄野弁護士は続けた。
「誰ですか?」
洋介が尋ねる。
「お手伝いの吉田さんだ」
孝子の証言によると、それは伯父のお葬式の夜のことだったという。
彼女は、部屋に入ってからもなかなか寝つかれず、トイレに行った。すると、真由美が裏庭で、木の根元にしゃがみ込んで何かをしている姿が、窓から見えた。その後、部屋に戻ってテレビをつけると、いつも見ているニュース番組のスポーツコーナーをやっているところだった。
「その証言から考えて、午後11時少し前だったようだ」
「午後11時っていえば、お前、俺の部屋に来てた頃だよな」
「そうだったわね」
洋介の言葉を機に、私はあの日のことを思い出した。
洋介の部屋を出た時、確かに真由美の部屋に誰かが入って行くのを見た。あれは、蝋燭を隠し終えて部屋に戻った、彼女だったのだろうか。
私が黙り込んだのを見て、洋介が口を開いた。
「義母は、何て言ってるんですか?」
「彼女は、火が出ている教授の部屋に入った瞬間、あの蝋燭のにおいを感じたそうだ。後で部屋に戻って確認してみると、蝋燭が一本減っている。その後、蝋燭を利用した時限装置が使われたことを知り、自分の蝋燭が関わっていることを確信した。言えば疑われると思って言わなかったらしい。しかし、蝋燭を埋めたのは自分ではないと、主張しているよ」
「自分じゃないとは?」
洋介が尋ねる。
「なんでも、お葬式の日、遺言状の話をされて、ますます疑われそうだと思った彼女は、部屋に戻って、蝋燭の本数をもう一度数えようとした。だが、その時にはすでに、蝋燭はなくなっていたと言うんだ。それで、一晩中、蝋燭を捜しまわっていたらしい」
庄野弁護士は、はあっとため息をついた。確かに、すんなりとは信じ難い話である。洋介も同じ気持ちらしく、ちらっと私の顔を見た。
「義母の部屋から、日向医院で処方された薬は見つかりましたか?」
「処方された薬とは?」
庄野弁護士が洋介の顔を見た。
「日向先生のお話だと、親父が亡くなった日の朝、1週間分の薬を出されたそうなんです。親父が飲んだのは1回分だけですから、残りがあったはずだと思って」
洋介が言うと、庄野弁護士は頷いた。
「なるほどね。でも、その件については、警察からは何も聞いていないけれどもねえ。その薬が、事件と何か関係しているのかな?」
「いえいえ、そういうわけじゃないんです。ちょっと、気になっただけです」
私は、洋介を制して答えた。不確かなことは、口にしない方がいい。私の意図するところがわかったのか、洋介はそれ以上、その件に触れることはなかった。
「それで、義母はどうなるんでしょうか?」
洋介の質問に、庄野弁護士は、苦笑いを浮かべながら答えた。
「目撃者がいるんだし、このままだと逆に心証を悪くしかねない。弁解したい彼女の気持ちはわかるんだが、かえって自分を不利な立場に追い込んでしまうのではと、心配しているんだよ」
「最後にひとつだけ、よろしいですか?」
遺言状のコピーを片付け始めた庄野弁護士に、私は尋ねた。
「何かな?」
「伯父が胃ガンだったこと、先生はご存じだったんですか?」
彼は、手を止めて私を見た。
「9月の初め頃には、伺っていたよ。あと1年くらいしかもたないだろうということもね」
(3)
私は、洋介のポンコツ車に揺られていた。辞書等を取りに行くため、私のアパートへと向かっているのだ。
「真由美さん、今頃どうしてるんだろうな」
「そうね」
私は、窓の外を見ながら答えた。この辺りの町並みは古く、灰色っぽい景色が流れていく。
「そう言えば、真由美さん、火事の時なんかぼんやりしてたのよ。伯父さんの様子を見て、動転していたんだろうって思ったんだけど、蝋燭の香りに気付いて、どうしたらいいかわからなくなっていたのかもしれないわね」
洋介はそれには答えず、横目で私の方を見た。
「お前、親父の葬式の夜、真由美さんのこと見たんじゃないのか?」
「お葬式の夜?」
洋介は、黙って頷いた。庄野弁護士との会話の中で、私が一瞬黙り込んだのを、彼は見逃してはいなかったようだ。
「はっきりとは、わからないわ。誰かが真由美さんの部屋に入って行くのは、見たけどね。それが、真由美さんだったのかどうか」
「そうか」
「それにしても、庄野先生、何だか真由美さんが犯人だと、決めてかかっているような口ぶりだったわよね」
私が言うと、洋介は頷いた。
「俺も気になったよ。孝子さんの証言も、どうかと思うし」
「どうかって?」
洋介はため息まじりに答えた。
「友川さんとのことといい、蝋燭のことといい、孝子さんの証言って、全部、真由美さんに不利なものばかりだろ? おかしいと思わないか」
「確かにそうね」
やはり孝子は、何か事件に関係しているのだろうか。
黙り込んでいると、目の前にアパートが見えて来た。
「俺、ここで待ってるからさ、必要なものだけ持って、降りてこいよ」
「ありがとう」
車が停まると、私はドアを開けた。
(4)
「まったく。何で私がこんなこと手伝わなきゃいけないのよ」
コートの襟を立てながら、私は怒って言った。
「仕方ないだろ。ひとりでこんなところにいたら、変な感じだし」
私と洋介は今、とあるホテル街にいた。もちろん、そんな目的があってのことではない。浮気調査とやらの手伝いをさせられているのだ。昨日、アパートまで連れて行ってもらったのが、かえって高くついてしまったようだ。
「あ、出て来た」
瀟洒なラブホテルから、対象の男性――高校の教師だというから驚きだ――と、どう見ても十代半ばにしか見えない女性が、腕を組んで現れた。
洋介がカメラを構える。その横顔はとても真剣で、なんだか別人を見ているようだった。
「よし、上手く撮れた」
洋介はほっとした顔でカメラを下ろすと、私の方を見る。
「急いで事務所に帰って、現像するよ」
「そう。頑張ってね。私はここで失礼するから」
私が立ち去ろうとすると、洋介は慌てて私の肩を掴んだ。
「待ってくれよ」
驚いて振り返ると、すれ違うカップルが、くすくす笑っているのが見えた。痴話喧嘩だとでも思われたのだろう。思わず顔が赤くなる。
「わかったわ。現像でも何でも付き合うから、早く事務所に行きましょ。この場所、何だか落ち着かなくて」
私の言葉に、洋介は初めて周りを見回した。
「そうか。お前、意外と純情なんだな」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないの。ほら、行くわよ」
私が歩き始めると、洋介がまた私の肩を掴んだ。
「今度は何なのよ」
眉をひそめて振り返ると、洋介は無言のまま、電柱の陰へ私を引っ張っていく。
「あれ、見ろよ」
洋介が指した指の方向を見て、私は目を見張った。そこには庄野弁護士がいた。
「庄野先生じゃないの」
驚いて洋介を見ると、彼はカメラを構えている。
「何やってるの?」
私が尋ねると、洋介は、しっ、と言いながら、カメラのシャッターを押した。
「一緒にいる女性、先生の奥さんじゃないよな」
庄野弁護士の後について、ホテルに入ろうとしている女性をそっと見つめる。
「違うわね。奥さん、もっとふくよかな感じの方じゃなかったっけ?」
「そうだよな。まあ、こんな時間に夫婦でホテルに入る人なんて、そういないだろうけど」
洋介が悪戯っぽく微笑んだ。彼はこういう場面に慣れているのかもしれないが、私はとても笑う気になどなれない。
「何だか、嫌なところを見ちゃったわ」
私が肩をそびやかすと、洋介は楽しそうに言った。
「まあ、男なんてそんなもんさ。特に、社会的に成功している人っていうのは、周りが放っておかないって部分もあるからな」
「あー、やだやだ」
私は無性に情けない気持ちになり、洋介に背を向けて歩き出した。
と、その時、洋介の携帯電話が鳴った。
「もしもし」
携帯電話を耳に当てていた洋介の顔が、険しくなった。
「どうしたの?」
通話を終えた洋介に尋ねる。
「孝子さんからだ。友川さんが、警察に連れていかれたらしい」
「友川さんが?」
私が聞き返すと、洋介は頷いた。
「すぐに警察に行こう。話を聞かないと」
「そうね」
私が頷くと、洋介も頷き返す。私達は小走りに、ホテル街を後にした。




