第12章
(1)
2日後、友川助教授が、再び警察に呼ばれた。
「警察が、あの農家の人から話を聞いたらしいんだ。写真を見せて、梅を買ったのが友川さんだったことを確認した。それから、研究室の倉庫に、長年使ってなかった抽出用の装置が置いてあるらしいんだけど、そこから青梅の成分が検出されたって」
夕食を済ませた後、洋介が、高梨刑事から聞いたことを教えてくれた。
「そう。じゃあ、今回ばかりは、物証も全部、出揃ったってことね」
「ああ。本人は否定しているらしいけど、逮捕は時間の問題だな。お前が、DDSに気づいてくれたお陰だよ」
洋介が嬉しそうに言う。しかし、私は何か、引っかかるものを感じていた。
「何だよ、嬉しくないのかよ」
洋介に言われ、私は口を開いた。
「揃いすぎてるのよね。証拠を残しすぎてるっていうか」
「残し過ぎてるって、どういうことだよ?」
「だって、その抽出用の装置にしても何にしても、処分する時間はいくらでもあっただろうし。それに、人殺しに使う材料を買って、わざわざ名刺を置いて行ったっていうのも、おかしな話でしょ?」
洋介が頷く。
「それから、どうやって、胃薬を睡眠薬に摺り替えたのかもわからないし。第一、庄野先生への疑惑はどうなったの? わからないことだらけじゃない。まあ、いいわ。明日から取材で別府に行くことになってるの。その時ついでに、あの農家に立ち寄って話を聞いてくるつもりだから」
「お前、何考えてるんだ?」
洋介が、私の目を覗き込む。
「梅を買うお客さんなんて、たくさんいるでしょう。友川さんの顔を覚えていたのが、不思議なのよ。友川さんって、眼鏡をかけていて口ひげがあるでしょ? 顔そのものより、それが印象に残ったんじゃないかと思って」
洋介が溜息をつく。
「なるほどな。誰かが、友川さんのフリをして、梅を購入したって言いたいのか?」
私は頷いた。
「それで、具体的には見当つけてるのか?」
私は再び頷くと、口を開いた。
「どうしても庄野先生がひっかかるのよ。動機も何もかも、全部揃ってるの、あの人だけだもの」
「研究室でDDS薬を作ったのも、庄野先生だって言うのか? そんな技術、持っているとでも思うのか?」
洋介は腕を組んだ。
「たしかに、庄野先生は、叔父さんと叔母さんの死に関わってるかもしれない。だからって、今回のことまで、犯人に仕立て上げるのはどうかと思うけど」
私は、頭に血が昇るのを感じた。
「そういう意味で言ってるんじゃないわ。私は、あくまでも客観的に見てるのよ。それを言うなら、洋ちゃんだって、友川さんに決めてかかってる口ぶりじゃないの」
思わず大声になる。
「そんなに感情的になるなよ」
私は、唇を噛んで黙り込んだ。
「落ち着けよ。大分の農家、俺も一緒に行くよ。構わないだろ?」
洋介が、優しく私の頭に手をのせる。私はうつむいたまま、頷いた。
「ごめん。飛行機とホテル、もう1人分、予約しておくわ。明日の朝、8時55分に羽田を発つ飛行機だけど、大丈夫?」
洋介が頷くのを確認すると、私は立ち上がった。
「私は部屋に戻るから。明日、ちゃんと起きるのよ」
(2)
大分空港に着くと例の農家に連絡を入れ、タクシーに乗って、そこへと向かった。
30分ほどで到着し、お金を払って車から降りる。と、目の前の農園に人影が見えた。
「すみません。先程、お電話させて頂きました、相田です」
洋介の声を聞き付け、その人は小走りにこちらに向かって来た。洋介が名刺を差し出すと、その人は手袋をとって受け取る。
「高橋です。この間、警察に話をしたばっかりだけどねえ」
私達の顔を交互に見ながら、彼は困ったように言った。歳は私達より少し上といったところだろうか。
「親父がかんかんに怒っててね。せっかく作った梅を、人殺しなんかに使いやがってって。あの梅、売ったの俺だから、余計にね。あ、立ち話も何だし、販売所の方へ」
歩き出した高橋の後に、私達はついていった。
販売所に着く。この時期はお漬け物などを置いているようだ。彼は椅子を持ってきて、座るようすすめてくれた。
「どうも」
腰掛けると、洋介は、上着から友川助教授の写真を取り出した。
「高橋さんが青梅を売られたのは、この人でしたか?」
彼は、その写真を手に取ると、じっと眺めた。
「警察にも、同じ人の写真を見せられたんですよ。眼鏡とひげは間違いないんだけど、もう少し顔が細かったような……。まあ、写真って感じが変わるもんですからね」
高橋は、写真を返しながら言った。
「細かったんですか?」
私達は、顔を見合わせた。庄野弁護士は、どちらかと言えば丸顔だ。やはり、友川助教授自身が購入したということなのだろうか。
「お客さん、多いでしょうに、よく覚えておられましたね」
私が尋ねると、彼は微笑んだ。
「ええ。この人が今年度の最初のお客さんでしたからね。まだ収穫の前だったので、大急ぎで収穫して箱に詰めましたから。それに、籠入りの方も一緒に送りますと言ったんだけど、自分で持って帰るとおっしゃって。変わった方だなあと思ったので、よく覚えています」
「そうですか。何か話とか、しなかったですか?」
「警察にも聞かれましたけどね、まだ梅がちょっと若かったんで、子供に生で食べさせたらあたりますよ、っていう話をしただけです」
「他に何か、気付かれたことってないですか?」
「気付いたことねえ」
彼は、煙草に火をつけながら考えた。
「ああ、そうだ。煙草で思い出しましたよ。あの時、自分が煙草を吸ったら、その人、嫌そうな顔をされたんで、慌ててもみ消したんです」
その言葉に、私は洋介の顔を見た。友川助教授は煙草を吸うから、煙を嫌がることはないはずだ。梅を買ったのは、嫌煙家で細身の男……。
「ねえ、洋ちゃん、関係者の写真、一通り持ってるわよね?」
私の言葉に、洋介は驚いたように頷いた。
「ああ」
「全部、貸して」
私が言うと、彼はいぶかりながらも、手帳の間から何枚かの写真を取り出した。私は受け取ると、中から1枚を選び出し、販売所の台の上に置いてあるペンを手に取って、眼鏡とヒゲを書き込んだ。
「この人じゃないですか。高橋さんが会われた人って」
彼は、渡した写真を一目見ると、大きな声で叫んだ。
「この人です。そうそう、この人ですよ。こんなふうに、顔が細かったんです」
「間違いないですか?」
洋介が、食いつかんばかりに尋ねる。
「はい。間違いありません。自分はこの人に、青梅を売りました」
(3)
それから1時間後、私と洋介はホテルのロビーの椅子に座り込んでいた。チェックインの時間までは、まだ間がある。
「――親父が青梅を買ったって、どういうことなんだ?」
洋介が、眼鏡とヒゲを書き込まれた伯父の写真を手につぶやいた。
「要するに、伯父さん自身が、青梅から毒物を抽出したってことなんじゃないの?」
「確かに親父は教授だし、自分の研究室でされている研究内容は把握していただろうな。DDSのコーティング方法も、当然知っていたはずだ」
「胃の内容物が大腸に到達する時間って、やっぱり個人差があるもの。いくら友川さんが消化器官のしくみに詳しかったとしても、タイミングを測るのは難しかったと思うわ。でも、伯父さん自身だったとしたら、バリウムを利用したりして、大腸までの到達時間をほぼ正確に知ることはできたでしょうね。自分の体なんだし」
私の言葉に、洋介が目を閉じる。
「結局、親父の死は自殺だったって言うのか」
私は黙って頷いた。
「なんで、そんな手の込んだことを……」
短い沈黙のあと、洋介は語り出した。
「親父は、みんなが集まるあの日、自ら胃薬を睡眠薬に替えて、真由美さんの部屋のテーブルの上に置いた。誰もが摺り替え可能だったと見せかけるために。そして、時間を見計らって、青梅から抽出した青酸配糖体の入ったDDS薬を飲む。食事会の途中で眠気を催した親父は、また降りて来ることを臭わせて寝室に入った。そうすれば、自殺とは思われにくくなるからな。その後、真由美さんの蝋燭を使った時限装置をセットして、ベッドに横になった」
「友川さんはいつも、食後に煙草を吸うものね。また降りてくると言えば、臭いが残らないように外に出て喫煙することも、計算していたのかもしれないわ」
洋介は軽く咳払いをすると、続けた。
「わざとジャンガリアンを生かしておいたのも、単なる自殺で処理されないための工夫だったんだろうな」
「そういうことでしょうね」
私はしばらく、何を話したらいいのかわからず、黙り込んでいた。洋介も同じようで、手元の手帳をペラペラとめくっている。
「親父が友川さんに罪を着せようとしたのは、なぜなんだ?」
しばらくして、彼は口を開いた。
「賄賂のこと、本当は知っていたのかもしれないわね」
「真由美さんとの関係も、疑っていたみたいだしな」
「そう言われてみれば、真由美さんだって、離婚届を残されたりして、疑われる環境は作られていたわね」
洋介は、顎に手をあてた。
「それならば、庄野先生もじゃないか。遺言状を『ありあけ会』に寄付するなんて内容にされたばっかりに、代表との関係やら『蛍雪の友』のことまで明るみに出された」
「父と母の死についての疑惑もね」
私は続けた。
「伯父さんが、『蛍雪の友』への疑問を持ちながらも、『ありあけ会』に寄付する意志を見せた真意は、そこにあったのよ。実際には、寄付する気なんてなかった。だから、遺言状を不完全な状態にしておいたんだわ」
「庄野先生の言いなりにされていた孝子さんの立場も、明らかになったしな」
洋介がため息をつく。
「自分を裏切った人間に、自らの死をもって復讐したってわけね」
私が言うと、洋介が目を閉じた。
「まったく、何やってんだよ。親父らしくもない。薬は人の命を助けるんだって、いつも言っていたのに。そんな親父を、俺は誇りにしていたのに……」
洋介が、吐き捨てるように言う。私は、洋介の肩にそっと手を置いた。
「伯父さんは、ガンの宣告を受けて、自分の命が短いことを知っていた。正常な精神状態じゃなかったはずよ」
「だからって……」
そう言ったまま、洋介は何も語ろうとはしなかった。
(4)
3日後、私達は居間でテレビを見ていた。あの後、洋介は私の取材に同行し、昨日、一緒に東京に戻って来たばかりだった。
別府にいる間、私達は事件について何も話さなかった。あまりの事実に、話すべきことが見つからなかったのだ。
洋介の連絡により、友川助教授は釈放された。しかし、業者側が賄賂の事実を認めたため、現在は、再び事情聴取を受けている。大学側は、近いうちに、彼の免職を発表する予定だという。
庄野弁護士は、今、目の前のテレビに写し出されていた。疑惑の人ということで、モザイクはかけられているが、見る人が見たらわかるだろう。話題は、『蛍雪の友』での、幹部達の不審な死に関するものだった。田口氏の病死で多額の寄付を手にした芦田夫妻が、庄野弁護士と組んで他の幹部の保険金も狙ったものではないかと、マスコミは報道していた。
今更、騒いだところで、これらの事件は全て時効が成立しており、彼等が罰せられることはない。しかし、社会的には、十分制裁を受けるだろう。私は心の中で、亡くなった両親の顔を思い浮かべていた。
真由美は、伯父が残していた離婚届にサインをし、相田家を出て行った。遺産相続の放棄を申し出たが、それは洋介が認めなかった。彼女は、法定通りの遺産を手にし、新しい人生を歩むことになった。
孝子もヒマを願い出たが、私達はうんとは言わなかった。庄野弁護士の本性を知った今、彼女も被害者のように思われて仕方がなかったのだ。今まで通り、相田家で働いてもらうことで、これまでの償いをしてもらうのが一番だと彼女を説得し、了承させた。
「親父の復讐も終わったな」
洋介が、テレビを消して私の方を見た。
「俺、情けなくて仕方ないんだ」
「そう? 私は感謝してるわ」
私の言葉に、洋介が驚いたような顔をする。
「伯父さんのお陰で、父と母の死の真相がわかったし。世の中、そんなに甘くないこともね。それに」
「それに?」
「伯父さん、洋ちゃんが遺言状に反対したこと、わざわざ庄野先生に話したでしょ?」
洋介が苦笑する。
「そのせいで疑われたんだ。迷惑な話だぜ」
「親心だったのかもよ。自分に降り掛かった火の粉を、洋ちゃんが自分で払えるように。お陰で洋ちゃん、一生懸命、真相を突き止めようとしたじゃない」
「そんなもん、親心なんて言うのか?」
洋介が憎まれ口を叩く。本当は、よくわかっているのだろう。私は微笑んだ。
「ねえ、伯父さんの日記にはさまってたっていう、あの絵葉書、持ってる?」
しばらくして、私は口を開いた。事件が解決した今、警察に預けられていた伯父の持ち物は、洋介に返されたはずだ。
「これだよ」
洋介は手帳の間からそれを取り出し、私に手渡した。
私は、声を出してその詩を読んでみた。裏返すと、伯父が書いた「助けてくれ」の文字が、目に入る。私には、それがひどく痛々しく感じられた。
「凝ったこと、してくれたもんだよな。『助けてくれ』なんて書いて、殺人の可能性を匂わそうなんてさ」
洋介が、窓を見つめながらつぶやく。
「本当に、そうだったのかしら」
洋介が、私の方を見た。
「私ね、これ、伯父さんの本心だったんじゃないかって、そんな気がして仕方がないの。実行するぎりぎりまで、きっと悩み続けていたんじゃないのかな。復讐なんて醜いことを考えてしまう自分が、怖かったのよ。だから、『助けてくれ』って、心の中で叫び続けてたんじゃないかしら」
私は目を閉じた。
「じゃあ、この『助けてくれ』っていうのは、人を陥れるための言葉ではなくて、親父自身の気持ちだったっていうのか?」
洋介がつぶやく。私は、そっと目を開けた。
「だから、伯母さんの写真と一緒にしまってあったんじゃない? その気持ちを、1人では抱えきれなくなって。私は、そう考えてあげたいわ」
言いながら、胸が締め付けられる。命の期限を言い渡され、周りの人達の裏切りを知った。この1年、伯父はいったい、どんな思いで過ごしていたのだろう。
「親父が最後に俺に言った『日本のホームズって呼ばれるくらいの名探偵になれ』って言葉、俺に真相を解明してくれって言っていたのかもしれないな。――本当に、最後の宿題だったんだ」
洋介は、じっと天井を眺めながら、つぶやいた。
(5)
「本気で、出て行くのか?」
靴を履く私を見ながら、洋介が尋ねる。その後ろには、孝子がかばんを持って立っていた。
翌朝、朝食を済ませた後、私はアパートに戻るべく、相田家を後にしようとしていた。
「アパートまで送るよ」
洋介が、腰に手を当てて言う。
「今、お車の鍵を持って参ります」
孝子がかばんを置いて、部屋に戻ろうとした。
「いいわよ。電車で帰るから。たまには駅までブラブラ歩くのもいいわ」
「でも、今日は寒いですよ」
孝子は、本当に心配そうだ。たしか、雪になるところもあると、テレビで言っていた。
「3月だっていうのにね」
私は孝子の顔を見た。
「私なら大丈夫よ。厚着してるから」
「じゃあ、せめて駅まで送るよ。僭越ながら、荷物持ちをさせて頂きましょう」
洋介がおどけた調子で言い、孝子の手から荷物を受け取る。
「左様でございますか。それならお願いいたします」
私が微笑むと、洋介も楽しそうに微笑んだ。
「それじゃあね、孝子さん。また来るから」
孝子は名残惜しそうに、そっと頭を下げる。
外に出ると、空一面に厚い雲が広がっていた。頬に冷たい空気を感じながら、ゆっくりと歩き出す。後ろから、小走りに追いかけて来る洋介の足音が聞こえた。
2人で並んで、無言のまま歩いていくと、正面に駅が見えて来る。
「ここでいいわよ」
私は立ち止まり、洋介の方を見た。彼は何も言わず、じっと前を見ている。私がかばんを受け取ろうと手を伸ばすと、意を決したように口を開いた。
「やっぱり、うちへ戻ろう」
「え?」
「今回の件で、俺、よくわかったんだ」
洋介は、荷物を置いてこちらを向くと、両手で私の肩をつかんだ。
「俺にはお前が必要なんだ。うちに戻ってきて、また一緒に暮らそうぜ。――ずっと一緒に」
今まで見たこともないほど真剣な洋介の顔を、じっと見上げる。
少し遅い雪がちらちらと、私達を包み込むように舞い始めた。
<完>




