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序:佐々木の誕生日俺たちは酒を酌み交わし酎ハイの缶はそこら中に散らばっていた。

 あいや特にありませぬ。

 無機質な街灯の光が、規則的に並んでいた。

 荒い獣じみた呼気の音と、激しい足音がアスファルトを叩いて行く。


「ンだよ、チクショ……ッ!」


 走る。

 必死で。

 この場合の必死、というのはまさしく文字通りの意味で、少年が走ることをやめる、あるいは走れなくなった時は、すなわち「必ず死ぬ」ということを意味する。


 見てしまったのだ。町のそこかしこで。

 深夜、日付が変わってすぐでも、変わらず人間が往来する都市の中心から、少しだけ離れたいつもの溜まり場が最初だった。

 少年がいつも連んで良からぬ遊びに興じていた、悪友とも戦友とも言うべき友人たち。その中でも、仲間内で一番バイクを愛し、そのせいでバイクの窃盗だけは絶対にやらせないと口煩かった中川(ナカガワ)と、全く同じ容姿をした「奴」が現れたのだ。


「中川、お前双子だったのかァ?」


 お調子者の木林(キバヤシ)が囃し、ゲラの藁井(ワライ)が笑った。

 後から現れた方の中川と同じ容姿の「奴」が、ロボットみたいに一定の規則的な歩調を保ったまま、中川に向かって歩みを進める。決して速くなく、むしろ遅いようなその歩みが、逆に中川の警戒を誘わなかった。

 へらへらというような笑い顔を浮かべて「すげー、俺が二人」と言っていた中川の眼前まで迫り、「奴」は中川の両肩に手を置いた。


「お、お、なんだ? キスでもすんのか!」


 顔の良いことを利用して女を食いまくっており、仲間内では輪姦(マワ)す用の女を釣る係だった醒ケ瀬(サメガセ)が楽しげな声を上げた。

 顔はすっかり赤くなっており、見ると彼の周囲にはチューハイの缶が何本も転がっている。そしてそれは、なにも醒ケ瀬だけの話ではなく、少年の周りにも、中川の周りにも、同じくらいのチューハイの缶が転がっていた。この中で一番年長、唯一成年に達している峰脇(ミネワキ)に至っては焼酎瓶を抱え込んですらいる。

 昔ボクシングと柔道を習っていて、仲間内では一番喧嘩の強い佐々木(ササキ)の誕生日だからと皆で大量に酒を開けたのがいけなかったのだろうか。その場にいる誰もが、かなりの酔いに身を任せていた。


 だから。

 最初、なにが起こったのか、わからなかった。


「……え?」


 誰が漏らしたのかわからない声。

 十二月中旬の冷え込みに負けるかと、外套を脱ぐくらい酒で火照っていた体に走る寒気。

 「奴」が中川の両肩に手を置き、顔と顔を近づけていくものだから、すわ本当にキスでもするのか知らん、などと囃していた少年たちだったが、「お、おいやめろよお前、なんだよ……」と言った中川の言葉は悲鳴に変わり、そして消えた。

 「奴」の唇が中川に触れると思った瞬間、「奴」の口がありえないほど広がり、中川の頭を飲み込んだのだ。

 いつかテレビで見た、蛇の捕食シーンのようなそんな光景。

 中川が頭から「奴」に呑み込まれていき、バタバタしていた手足が力なくだらんとなり、そして手まで呑み込まれ、腰まで呑み込まれ、太腿、膕、脹脛、踵、と消えて、中川自慢のピカピカに磨かれた革靴の爪先まですべてが呑み込まれた時、その場にいたのは、中川にそっくりの「奴」……いや、「中川」だけだった。


「は、ははっ、冗談やめろよな、中川。手品か? どんなトリック使––––」


 眼前の光景を理解することなどできそうもなく、ただ、いつもの中川の悪ふざけが、すこしだけ度を過ぎてしまっただけなのだろうと、そう思い込もうと、いやむしろ、そうだと言って欲しくて放った少年の言葉は、「中川」の一睨みで一気にすぼんで消えた。

 蛇に睨まれたカエル、というか。

 どうにも違う、少年の、いや、少年だけでなく、その場にいる者の誰もが、「中川」が自分たちの知る中川とは似て非なる存在なのだということを悟らされていた。

 「中川」の一睨み……否、一瞥によって。

 敵意は感じられなかったが……冷たい眼光には、ほんのひとかけらですら「人間らしさ」というものが感じられなかった。

 そして「中川」は溜まり場から歩み去って行った。ゆっくり、ゆっくり。まるで機械のように、規則正しく、一定のリズムで。

 「中川」は、現れた時から去る時まで、ただの一言も声を発さなかったのであった。


「……オイ」


 沈黙を破ったのは佐々木。

 酒で赤らんでいた顔を青ざめさせていた。


「なンだよ、今の」

「……いやぁ、酔いすぎたゼ、幻覚見るなンてよゥ」


 木林の冗談混じりの発言に、藁井ですら反応しない。


「ナァ、今のってよォ」


 峰脇が焼酎瓶を脇に置き、立ち上がりながら言った。


「マジだと思うか? 俺としては、中川のタチの悪ィ冗談としか思えねーヨ」


 一歳しか変わらないが、それでもこの中で一番年長者の言葉で、ふと我にかえる面々。

 そりゃそうだよな、とどこか安心したような、そんな空気が流れる。


「おーい、中川ァー。見てないで出てこいやァ。ドッキリ大成功だぜチクショーめ」


 彼らの溜まり場は、ビル街の路地裏、コンビニの裏手の行き止まりのスペースにあった。

 灯りは、なぜか夜になるとちゃんとつく街灯。コンビニの裏口に当たるはずなのに、コンビニ店員の出入りと遭遇したことは今の所ない。

 前後左右を十階建て以上のビルに囲まれ、入り口はコンビニ横の細い路地のみ。

 隠れられる場所なんて、その入り口以外になかった。ゆえに彼らは、入り口の方に向かって声をかける。


「俺らにタネ明かししてくれヨ、一体どうやったんだァ? 中川オイ。マジでブルッちまったぜ」

「酒飲んでなかったらチビってだぜー、佐々木が」

「うっせーまだ言ってやがんのか、この」

「何言ってんだ、お化け屋敷で漏らしたろーが、ションベン佐々木ヤロー」

「そんなん幼稚園入る前の話だろがィこの女誑しめ! 顔だけ良くなりやがってこの短小ホーケイ」


 うっせー、コンニャロ、やんのか、と佐々木の胸倉を掴む醒ケ瀬を尻目に、峰脇が溜まり場の入り口の方に歩いて行った。

 少年も、酔っ払った佐々木と醒ケ瀬のいつも通りの喧嘩に辟易していたので、酎ハイの缶を片手に峰脇を追う。


「オイ籠中(カゴナカ)、テメー、俺らン中で一番若ーンだから、あんまり飲みすぎんなよ、馬鹿になんぞ」

「うるせーガキ扱いすんじゃねーよ。俺はもう十六だ、義務教育終わったンだから立派な大人だろーがよ」

「言ってろドーテイ」


 少年––籠中は、返事の代わりにまだ中身の入った酎ハイの缶を峰脇に投げつける。醒ケ瀬が言葉巧みに釣ってきた頭の軽い女とヤったことはあるが、籠中の経験はそれだけだ。輪姦をしたメンバーの中のひとりとしてのセックス。

 一対一で、口説いた女とのセックスはまだだろう、と、峰脇は言外にそう言ったのだ。


「うおっ、勿体ねー」


 一体どんな運動神経をしているのか、籠中が投げつけた缶を片手でキャッチする峰脇。何事もなかったかのように中身を全部飲み干して、缶を放り捨てる。明後日の方向に飛ぶ缶。

 籠中はその余裕に余計にイラついたが、舌打ちするだけに留めておいた。


「……ガキ扱いしやがって」


 確かに仲間内では最年少だ。

 今日十九になった佐々木が自分を除くと仲間内で最年少だから、つい九ヶ月前まで中学生(ギムキョウイク)だった籠中が最年長の峰脇にガキ扱いされるのは当然かもしれなかったが、それでも籠中は気に入らない。


 足を止めた籠中をまるで気にした風もなく、峰脇は溜まり場の入り口、路地と繋がる角を曲がり、


「うおっ! てめ、俺––グ」


 まるで(・・・)何者かに(・・・・)腕を引っ張られた(・・・・・・・・)かのように(・・・・・)、路地に姿を消した。

 くぐもった声、暴れるような音がしばらく、そして消える音。


「峰脇?」


 音が消えて初めて、ようやく体が動いた籠中が路地裏の方に走った。

 角を曲がると峰脇の後ろ姿が見え、ホッとして走るのをやめる。


「ンだよ、冗談やめろよ––」


 こちらに背中を向けている峰脇の肩に手を置いた。

 右肩の上に置いた左手。


「––な……?」


 その左手の上に重ねられた、峰脇の。「峰脇」の、左手。

 まるで誤ってドライアイスに触れでもしたかのような、痛みすら伴う冷たさに思わず悲鳴をあげ、慌てて肩に乗せた左手を引き戻そうとするが、できなかった。

 万力のような力で、峰脇の右肩と左手のひらに挟まれた左手は、籠中の力ではどう頑張ってもビクともしなかったのである。

 それこそ、まるで––。


 機械のように(・・・・・・)、ゆっくり、等速で回る首。こちらに振り向いた顔は、峰脇のものであって、峰脇のものではなかった。

 悲鳴をあげることすら忘れて、籠中はただ「峰脇」と見つめ合う。

 実際にはほんの数秒だが、体感的には何時間にも何十時間にも感じられるその視線の交わりを先に破ったのは、「峰脇」。

 籠中への興味などなくしたかのように、否、あるいはハナからなかったのだろう、「峰脇の首は再び等速で周り、VHSの逆再生でも見ているかのように首が前を向くと籠中の左手を挟んでいた手を下ろした。

 そして「峰脇」はゆっくり、ゆっくり、歩いて路地から出て行く。

 「峰脇」が前に行ったことで、その肩に乗っていた左手は重力に従って落ちる。籠中は、去って行く「峰脇」にかける言葉を持たなかった。


 それは。

 「峰脇」とすれ違うように路地に入って来た「佐々木」と「醒ケ瀬」を見てしまったから––だけでは、なかったはずだ。


「……悪い夢なら、醒めてくれ」


 ゆっくり、ゆっくり。

 規則的に、機械的に、一定のペースで歩く「佐々木」と「醒ケ瀬」は、籠中の隣を一瞥もしないで通り過ぎ、溜まり場の方へ歩んで行った。

 籠中は振り返ることができなかった。

 振り返ることができなかったし––二度とその悪友たちと会うこともなかった。

 路地には、「木林」と「藁井」、そして、「籠中」が姿を見せたところだったのだ。


 溜まり場に醒ケ瀬と佐々木の悲鳴が響き、さすがにおかしいと思ったのか、木林と藁井が路地の方にやって来て、「木林」と「藁井」、「籠中」と対峙した。


「ナァ、オイ、籠中。ちょっと俺のこと殴ってくれね?」

「安心しろ木林、夢じゃねェみたいだぞ」


 夢なら良かったのに、なんて段階はとうに通り過ぎてしまっていた。

 夢みたいだが、これは現実だ。そう思わないと、もしこれがたとえ夢であっても、そうでも思っていないと、多分、恐らく、死ぬ。死ぬ、のだろう。

 中川と峰脇、そして恐らく佐々木と醒ケ瀬もやられた。

 超展開すぎて、仲間の死を悼む暇もない。


「こいつら、殴ったら倒せると思うか?」

「さあ……いくらオマエでも、無理じゃね?」


 佐々木の問いに、籠中は一瞬だけ考え、そして先ほどの「峰脇」の万力のような力を思い出して、答えた。

 非現実的すぎて、逆に取り乱せない。

 決して冷静であるとは言えないが、かといって取り乱してどうこう、ということもなく。

 奇妙で微妙な興奮半分、といったところ。


「後ろに戻っても逃げ道は無ェ。一か八か––」

「––突っ込むしかねぇ、か?」


 ああ、と応じる。

 幸い––とはこの後に及んで言う気はないが、ただ、「奴ら」の動きは遅い。全力で走り抜けたらもしかしたら逃げ切れるかもしれない。

 しかし、


「掴まれたら終わりだから、気ィ付けろよ」

「わかった」


 じゃあ行くぜ。籠中が言う。


「ゴー!」


 突っ込んだ。一番手前、「佐々木」の右をすり抜け、「醒ケ瀬」の左を駆ける。

 直後籠中の眼前に現れたのは、「奴ら」の最後尾にいた「籠中」の右腕。

 俊敏な動きもできるのか! 思ってももう遅い。

 どう考えても避けられない。捕まる、ああ、これまでか––

 そう思い、潔く諦めかけた瞬間、踏み出した右足が酎ハイの缶(・・・・・)を踏んだ。

 カーン、と、甲高い音を発して後方へ飛んで行く缶。そして、それと一緒に後ろに飛んだ右足。

 上半身が前傾し、籠中は「籠中」の伸ばす右腕の下を潜り抜けた。自然反射で前に突き出した両手でヒビ割れたアスファルトを掴み、飛び込み前転の要領で体を前に飛ばす。

 火事場の馬鹿力––とでも言うべきだろうか、とにかくあわや間一髪のところで「籠中」を回避した籠中は、路地を走り抜けてコンビニの面した道路に飛び出した。

 振り向くと「ギ、ギ、ギ、ギ、ギ」というふうな音が聞こえそうな動きでこちらに首を回す「籠中」と、そして「佐々木」と「醒ケ瀬」がいた。


「……チクショウめ」


 佐々木と醒ケ瀬の姿はなかった。

 助かった、という安堵よりも。友人を失った痛みが、悼みが、籠中の心を支配する。

 でも、逃げなければ。

 他の奴らの分も、俺が奴らに一矢報いなければならないのだと、籠中は悟った。そして強く心に決めた。

 「中川」「峰脇」「木林」「藁井」「佐々木」「醒ケ瀬」、そして「籠中」。奴らを全員、殺す。絶対に殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 同じ顔だろうがなんだろうが、偽物は絶対に許さねェ、心にポッカリ空いた穴を憎しみの念が埋める。

 両の目から溢れるのは怒りだ。


 しかし、無策でかかって行っても、今の自分ではすぐに捕まって「食われて」終いだろう––ひとまず逃げて体勢を立て直さねば。

 籠中は突如溜まり場を襲った「奴ら」から目線を外さずに、じりじりと後退して距離を取って行き、ある程度離れたところで背中を向けると、全速力で駆け出した。

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