SF×ファンタジー考察? ―もし近未来に吸血鬼の様な幻想的生物がいたら―
「フハハハ! やはり人間はそうでなくては!!」
吸血鬼。夜に出歩く者。不死者。
――彼もまたこの類に所属する者であった。
「素晴らしい! 見事な赤い花が咲いたではないか! 人間!」
あらゆる畏怖の言葉をもってしても、またあらゆる賞賛の言葉をもってしても、彼を完全に表現することはできない。
「ほぉら、また串刺しだぁ!! クハハッ!」
それほどまでに、残虐でいて、美しい――
「……フハッ、フハハハハハハッ! 見よ、この大地は――」
――紅く染まっているぞ――
「――ククク、フハハハ……」
今宵も彼は、人間と触れ合ってきた。たくさんたくさん触れ合ってきた。
しかし触れれば壊れてしまう、扱いの難しい玩具だった。
「フハハ……フハ…………」
一度に多くが来てしまえば、扱いも雑になってしまう。
「…………下らん」
髭の整った顔が退屈という表情へと変わってゆき、彼の血よりも紅いマントがひるがえる。
そして城にたった一人佇む主として彼は玉座に座り、後に残った虚無感を味わっていた。
「……フム、寝過ごしたか」
彼は時々長い眠りについてしまうことがある。最近では三年。その昔では十年。随分と長い期間、眠っていたことがある。
そして今回彼が眠っていた時間は――
「……何処だ、ここは」
「……ひ、ひぇぇ、おじいちゃぁぁん、骨董品から変な人が出てきたぁー!?」
彼の寝床である棺桶が開き、彼が最初に目に入ったのは一人の若い娘の姿だった。
娘はすぐに彼の視界から失せ、天井をドタドタと鳴らす。
彼が次に目にしたのは、床に乱雑に並べてある見慣れぬ置物と、壁に立てかけてある大きな柱時計。そして蜘蛛の巣がかかった怪しげな壺等々――
「……」
彼は吸血鬼として、生まれて初めてほんの少しだけだが驚きの表情をあらわにした。
「一体ここは何処だ……私の城は、どうなったというのだ……?」
彼は夢というものを見たことが無い。
だが現前に広がるこれらは明らかにおかしいということが分かる。
「……フハハ、これが夢というものか……!」
初めての感覚に心を躍らせるが、その夢というものを打ち破るものが、彼の眼前に現れる。
「――何じゃこいつは? 客か?」
「人の枕元に立っておきながら――老体、貴公等の方が客ではないのか?」
「ふっふぉ、これまた古風な洋服に、古風な喋り方をする客じゃな」
腰を曲げ、枯れた声で笑い始めた人間の老人は彼を見ても恐れる事は無かった。それよりも日課の掃除の方が大事なようで、梯子を掛けては丁寧にはたきを始める。
「……老体。私の問いに答える権利をくれてやろう」
「何じゃあんた。偉そうにしよって」
どうやら老人は、目の前に佇む男がかの吸血鬼だという事に気が付いていないようだ。
高貴な身の者と対等に接する老人を前に、彼は不敵に笑う。
「ククク、それはすまなかった、老体。では改めて訊こう」
――今は西暦何年だ?
「――馬鹿な……あり得ん、あり得んぞ!?」
彼は驚きを隠せないと共に、これが夢ではなく現実と知り、そして初めて余裕というものを無くした。
「……西暦二千五十六年……だと……?」
彼が今まですごしてきた時代など遠い昔となっており、今では地上を――夜を支配しているのは人間だというのだ。
「……馬鹿馬鹿しいッ!」
「外を見てみるとよい。ネオン――といっても分からんか。闇夜というには程遠い程の光が世界を包んでおる」
今ではぼろきれとなった紅いマントを羽織り、骨董品店という建物から一歩外へと彼は足を踏み出した。
「――ッ」
――彼は右腕で目に入る光を遮断した。
闇夜というにはあまりにも明るく、静まり返っているはずの街からはかき鳴らすような音が鳴り響き、人間共が夜に怯える事無く悠々と歩きまわっている。
「……馬鹿な」
彼はその場で両膝をついた。行きかう人間は彼の姿を見て、まるで乞食を見るかのように見下し、嘲り笑っている。
「……クッ」
彼は再び店内へと戻り、顔を青ざめて老人に向けてこう言った。
「ここは……地獄か……?」
老人はその問いに対し首を振ってこういった。
「――違う……ここは日本、東洋の小さな島国だ」
「――フハハッ! そうか……そういう事か……」
彼はやっと、現実を受け入れることが出来た。
「……貴公、東洋の者の割にはイングリッシュが長けている様だか? 東洋の端の国に、この言葉が理解できるとは思えんが」
今まで彼が英語で喋っていたのを、老人はなぜか理解をして同じ言葉で返すことができている。それがこの老人がしゃべる現実は一切合切が虚構だという認識を彼に与えた。
しかし――
「それが何じゃ? わしは若いころ旅をしてまわり、一時期イギリスに滞在していたことがあるんじゃ、その位喋れて当然よ」
あっさりと返されてしまい、彼は納得させられてしまう。
「……ならば私にニホンゴとやらを提示してみろ」
それでも彼は否定の材料を見つけ出そうと粗さがしを始めた。だが――
「……ほれ、娘の古い国語の教科書と、国語辞典じゃ」
ニホンゴの辞書と子供に教えるための教科書を提示され、そこで初めて彼は異国語を学んだ。
「……フム」
確かにそこには日本語の正しい使い方と、その知識が記されていた。
「――」
ざっと本に目を通した後、彼は黙ってその本を老人に返す。老人ははて? もういいのかといった表情で彼を見返した。すると――
「――先ほどは疑ってしまって失礼だったな……そうだ、自己紹介が遅れたな。我が名はウォルター=A=サリバン――とでも名のっておこうか。ニホンジンとやら」
吸血鬼は、それはそれは流暢な日本語で自己紹介を行った。
「――するとお前さん五百年近くもの間、眠り続けていたのか?」
「そういう事になるな」
自らをウォルターと名乗る男は、改めて自らが吸血鬼であることを老人に話した。
そして長い眠りについたおかげで現状が理解できないこと、そして最後に住処であった城はどうなっているのかの二つを問いかけた。
「一つ目に、お主が生きていた時代が何時かは知らんが、今は西暦二千五十六年。科学が世界を席巻する時代じゃ。お主の様な存在など、科学的に認知はされておるわい……一部を除いてな」
一部という言葉に違和感を覚えながらも、彼は割って入るかのように老人に問いかける。
「そう言えば先ほどから老体、吸血鬼に対して驚きが無いようだが」
先ほどから己が普通とは違う吸血鬼だという事を伝えても一向に動じない老人を、彼は不思議に思っていた。
「ふぉふぉふぉ、特に証拠が無いのなら、頭をやられた若造の妄言にしか思えんからな。確かにさっきまで店の商品である棺桶の中に眠っていたが、それも酔いつぶれたかの様にしか見えんから、よりそっちの方が信じやすいかのう」
どうやらまだ彼が吸血鬼だという事を信じていないらしい。少し不機嫌になりながらも、彼は老人に自らが夜の王だという事を知らしめることにした。
「……これでいい」
骨董品が並ぶ棚から、目的のもの探しだす。それはもはや錆びきってしまった西洋式の古い銃。
「確かここに――」
彼は懐から銃弾を取り出し、その骨董品と化した拳銃に弾丸を吹き込み始めた。
そして――
「――い、いかん! 何をして!」
肉がはじけ飛ぶ音と、火薬の嫌なにおいが辺りに広まった。
「――ふむ、久々にこの感覚、痛いイタイ」
右脳の半分、そして右の眼球が飛び散ったにもかかわらず、彼は平然としていた。
そして吹き飛んだ頭も、周りに飛び散った血全ても、まるで時を戻すかのように修復され、収束していった。
種も仕掛けも無いマジックを超えた現象。それが老人の目の前で行われている。
「……普通の人間であるならば、この時点で死んでいる。そして――」
更に彼は、人間では絶対になしえる事の出来ないことを成し遂げて見せる。
「フハハハ――」
不気味な笑い声を残して、体の全てが蝙蝠の集合体へと変化してゆく。
「……これは、まるで――」
伝承の通り、吸血鬼ではないか――。
「フハハハ、やっと信じるようになったか、畏怖すべき存在、生物の頂点に立つ存在に――」
蝙蝠と化したウォルターに囲まれ、多重にサラウンドに聞かされる音声に、老人は怯えた。
しかしそこに――
「……おじいちゃん、結局その人お客さんだったの? だったら――って、きゃあああ!?」
先ほど彼に怯え逃げて行った娘が、様子を見に来たのか再び彼の前に現れた。娘は先ほどと同様、大きな悲鳴を上げてその場にへたり込んでしまった。
「……フン」
――娘の姿は、昔彼が襲った村々の内の一つに暮らしていた、ある村娘によく似ていた。
眼鏡の掛けてあるその顔のつくりは地味なもので、貴族の集会にも紛れ込んだ事のある彼からすれば、取るに足らない見た目の少女であった。
しかし彼はそこに何かを感じ取ったのか、蝙蝠化を解除し娘の前に立ちはだかる。
「……名はなんという?」
「ひっ……」
化け物の問いに答えることが出来ず、娘は恐怖で声が出ず腰を抜かしていた。彼は娘に手を差し伸べゆっくりとその場に立たせると、改めて問いをなげかけた。
「……驚かせてしまって申し訳ない。我が名はウォルター=A=サリバンという」
「えぇと、私は神西凪……といいます」
その名前にどこか懐かしさを感じながらも、彼はその名前を褒めた。
「……|凪(lull)か……良い名だ」
「ほへ? るぅ?」
「かっ! 孫には手を出させんぞ!」
老人は彼が吸血鬼として凪を狙っていると思い、その前に立ちはだかった。だが彼としては全然そう言ったつもりは無く、親睦を深めるという意味で手を差し出しただけであった。
「別に取って喰うつもりは無い……毛頭無いと言えば嘘になるかもしれないが」
「かァッ!! あんたが吸血鬼だという事は認めるが、孫を狙うのであればさっさと出て行くかわしを倒してからにせい!」
彼は老人の必死な姿に滑稽さを感じ取ったのか、急にクスクスと笑い始めた。
「ククク……老体、勝てるはずのない戦いを挑むのは滑稽すぎるぞ」
先ほどの実力をもってすれば、老人など指先一つであの世逝きだろう。しかしそれでも老人は引く様子が無く、むしろ油断をしている吸血鬼に対して意味深な言葉を放った。
「……それはどうかのう……?」
老人は金属の棒を取り出し、それを両手で持って化け物の前で構える。
「……そんな玩具で何が――」
「ほれぃっ!」
棒を伝って、電撃が走る。
スタンロッド。それがその金属棒の正式名称だった。
「最近怪しい化物が増えておるそうじゃから買っておいて正解だったわい」
「お、おじいちゃん、大丈夫なの……?」
「うぐっ……貴公……何を……!?」
彼の肉体に四百万ボルトの電圧がかかる。本来動かせるはずの肉体が、強制的に動きを止められる。
「かっかっか、安心せい。筋肉が収縮してしばらく動けんだけじゃ。さて、その内にMPの方に連絡を――」
しかし吸血鬼に、そのようなものは一時しのぎにすらならなかった。
「ククク……なるほど、雷ほどではないがなかなかの痺れ具合だ」
「何――ごはぁっ!」
彼は麻痺状態から直ぐに復活し、老人の細い首に手を掛けた。
「さて、次はどうするつもりだ? 人間。相変わらず貴公等の考える事には腹をよじらされる」
「ごっ、がはっ……」
吸血鬼の特徴として、怪力が挙げられる。しかしこの場合怪力など無くても、老人の首を締め上げるのはそんなに難しいことではない。
「……ぐぅぅ……っ!」
「そぉら、このままでは死んでしまうぞ? 早く次の手品を見せないか?」
そうは言ってもこのボロボロの家に住む二人に、他に武器を買うお金は無い。
「……もしかしてこれだけなのか? つまらん。つまらないものだ人間よ。さっさと死ぬがいい――」
「待ってください! おじいちゃんを離してください!」
そこで声を挙げたのは凪だった。凪は老人を持ち上げている右腕に、すがりつくようにして懇願する。
「お願いです! おじいちゃんを許してあげてください!」
「駄目だな。この老体は私に戦いを挑んだのだ。一度抜いた剣を収めるには少々遅かったな、今更取り消すなど――」
「お願いです! 何でも……何でもしますから、おじいちゃんだけは許してください!」
その言葉を聞いて、吸血鬼は老人から手を離して凪の方を向いた。
「……娘、撤回するなら今の内だ……何でもすると、確かに言ったな?」
吸血鬼は凪に警告の意味を込めて、もう一度聞いた。
凪はそれを聞いても答えを曲げるつもりは無かった。
「言いました。おじいちゃんが助かるなら、私はどんなことでも受け入れます」
「げほっ、い、いかん! そんな事を言っては――」
「黙れ老体! 貴公は娘の犠牲を無駄にする気か?」
彼の放つ覇気に、老人も口を閉ざさざるを得なかった。しかしこのままでは、吸血鬼の要求することが目に見えてしまっている。
吸血鬼はニヤリと笑って、凪に対しこう言った。
「ククク……ならば、血を頂こうか――」
「えっ――」
反応したときには遅かった。既に彼の口は凪の首筋を捉えており、その大きな犬歯をむき出しにしている。
「よ、よせ――」
老人の言葉をよそに、少女の柔らかな肉に鋭い歯が突き立てられた。
「あっ――」
凪は首に歯が刺しこまれるのを感じたが、不思議と痛みは無かった。ただ身体の内側から熱いものがこみあげてきて、それを吸血鬼に吸い取られる感覚が全身を走っていた。
「あっ、あぁ……あっ!」
それはある種の快楽にも感じることが出来た。凪の体は熱くなり、頬が赤くなってゆく。
「……ゴクン、これだけあれば十分だ」
ウォルターが必要分だけ血を抜き取ると、凪は力が抜けその場にへたり込んでしまった。
その首筋には、大きな歯形が付いている。
「……はぁ、はぁ……ふぁ」
既に吸血は終わったというのに凪の呼吸は荒く、顔も紅いままである。
「ククク……混じりけのない実に澄んだ血。美味であった」
「凪、凪! くそっ! 吸血鬼! 凪に何をした!」
「何をしたも何も、私は食事行為を行っただけだ」
「はぁっ……ぐっ……はぁ、はぁ」
凪は立つこともできず、何か強烈に運動をした後の様な強い疲労感に襲われていた。
「ククク、少しばかり体力を失っているだけだろう。それに死にはしない。私は吸血行為でむやみに苦しませる趣味は無いからな」
ウォルターは吸血鬼としての力を取り戻したのか、その場の人間により禍々しく、より畏怖の心を植え付けるような雰囲気を纏っていた。
「しばらく寝かせてやるといい。私もすぐに戻る」
ウォルターはそう言うと、その場で自らの肉体を若返らせていく。髭を生やし紳士的であったその顔立ちから、若く血肉たぎる青年の姿へと。
「――フフフ、私としてこの姿になるのは何時ぶりでしょうか……あっ、そういえば」
先ほどの威厳と大人の余裕溢れる声から一変、相手を小ばかにするような、飄々(ひょうひょう)とした声色へと変わる。
彼はたまたま古本として置いてあったファッション雑誌に目を通し、最近の服の傾向を見ていった。
「――最近の若い者はこんな服を着ているのですか。奇妙なものですねぇ」
ビジネス特集とのことでフォーマルなスーツを着た男がポーズをとっているページがあったが、彼の趣向には合わないようだった。
「……やはりもう少しカジュアルな方が私には似合う様で」
そう言ってウォルターはぼろきれのマントと、中世の正装を大幅に変化させてゆく。
黒いジャケットに無地のシャツ。そして少し余裕を持たせたズボンを穿いてボーラーを被れば、あっという間に現代風の若者へと大変身を遂げていた。
「ではでは、少しの間この世界について調べてきますゆえ、娘さんを頼みますよ」
室内では唯の若者だったが外に出れば一変。漆黒のジャケットが変化し、巨大な翼となって夜の王を夜空へと羽ばたかせていった。
「……化け物、め」
老人は残った力を振り絞って、凪を担いで二階へと上がっていった。
「――ふむ、確かにここは私の知る人間の生活とは大きく違っているようですね」
吸血鬼が夜の街を歩いている。
それはまるで自分の支配する領地を視察に来た国王のようにも思える。
だが現代のこの一辺を支配しているのは、どうやら人間の様である。
「ふむ、それにしても随分と、サイケデリックとでもいうのでしょうかねぇ? 色が皆派手なもので」
道端を歩く人々の服装は農民というには程遠く貴族というにはだらしない。してその服装は随分と簡易化されている様であり、ドレスなどという煩わしいものを来ている者は見当たらない。
「……それともう一つ」
先ほどからウォルターをじろじろと見ている集団が、あちらこちらへと見られる。
「貴方達は確か人間共に迫害されていたんじゃないんですかねぇ?」
人狼――獣人と呼ばれる彼らは、人間でもなく動物でもない化け物として、吸血鬼共々恐れられ迫害を受けていた存在のはずである。
それが事もあろうに、ナイトクラブの警備員として雇われているではないか。
「全く情けない。私がいなくとも貴方は十分人間に対抗できるはずでしょうに」
そして――
「お兄さんお兄さん、手相視ていかない?」
「……」
「あれ? どうかしました?」
「貴方の様な人、昔は魔女として磔刑にされていた筈なんですがねぇ。どうして堂々と人前で商売ができるのですか?」
「あーらら、化石みたいな思考回路のお方ですかい。全く、今は二十一世紀ですよ」
怪しげな言葉と呪術を巧みに扱うこの女は、昔は魔女として恐れられていたはず。
「占いなんて要りませんよ。私が必要なのはこの街の地理、そして現代に関する情報ですからねぇ」
「あんた本当に昔からタイムスリップしてきた人みたいじゃないかい?」
「フフフ、それが本当なんですけどねぇ」
不思議なことを言う客に対して占い師が首を傾げていると、その先ほどまでいた筈の客の姿はどこにもいなくなっているのであった。
「――何とも、つまらない世界だ」
交差点すぐ近くの歩道に立ち止まり、人々の間に紛れ込む。
誰の視線も受けること無く、若者から壮年へと戻った彼の脳裏によぎったのは、下らないものであった。
「実に下らない。我々の様な怪物が奴隷へと堕ち、今まで家畜として扱われてきた人間がこの世界を支配している……何とも不愉快だ」
そして見る限りでは、この世界に化け物は存在すれど、彼の様な吸血鬼が存在しないことに気が付く。
「同士がいない……これもまたつまらぬものだ。我がよき友であったアルバートなど、今はどこへと行っているのやら」
吸血鬼は不老である。が、不死ではない。限りなく不死に近い存在ではあるが、死んでしまうことはあるものだ。
現状を見る限りで彼をいらだたせるものは沢山あるが、まだまだ彼の怒りを買うものがある。
彼は突然空を見上げ、昔と違う、人工の光が照らす空を見つめる。
「反吐が出る。空はよどみ、地は荒らされている…………なるほど、よかろう」
歩道用の信号が青に切り替わり、十字の交差点の真ん中にて彼は立ち止まる。
「この世界を、もう一度我が手に収めなおさねばな………………」
青く歩く人間から、紅く立ち止まる人影へと切り替わる。
交差点を横切る人間がいなくなった時には、野心たぎった王の姿など何処にもいなくなっていた。
――この国を乗っ取るにも知識、情勢を知るべきだ……そうは思わないか、諸君?
――一先ず情報を得るという点では、その意見には私も賛成ですね。
――俺が聞いてまわろうか?
――貴方が行くのは、色々と面倒事までついて回りそうですから、まだ出てこないでください。
――あ? 喧嘩を売っているのか?
――いえいえ滅相も無い! 唯もう少し適した者がいるってことですよ。
――あの餓鬼か?
――ええ。彼女なら、きっと上手くいくでしょう。若者言葉も、彼女ならすんなり馴染みそうですし。
――では、以降しばらくの間はあの少女に、身を任せるとしようか。
――御意に。
――ええ。私達はその間、傍観に徹しましょう。
――全ては、ウォルター=A=サリバンの名のもとに。
都市の一角、ネオンの騒がしい輝きもなくひっそりとした裏通り。
「――そこの少年! 止まりなさい!」
モノトーンの街中にテールランプの赤い光が尾を引き、ヘッドライトが色を映し出す。
「止まれって言われて急に止まれっかよ! こちとらエンジンフルスロットルなんだよ!」
しんとした空間をエンジン音とサイレンがかき鳴らす。
暴走するバイクを、二台のパトカーが追い回す。
「ちくしょう! 大通りで撒けたと思ったのによお!」
多少の威嚇になり、面倒事も避けられると思って金色に染めた髪の毛。だが普通にしていても街中で因縁をつけられるその目つき。そしてそのために喧嘩慣れもしてしまっている肉体。
それが合わさった存在が八島恋次である。犯した罪状はスピード違反、車両窃盗、器物破損、傷害罪等々――
しかしその大半が普段の生活におけるイベントがこじれ、その結果惹き起こされたものである。
決して彼が極悪人ということを指し示している訳ではない。
……多分。
「細道でこんなスピードを出して、怪我でもしたら危ないだろうが!」
「スピード落としたら速攻でつかまんだろうが馬鹿!」
彼の今のミッションは、決して捕まらないこと。そして無事にある目的地まで荷物を届けることであった。
「くそぅ! くそくそくそっ!! 話しを聞いた時はいい小遣い稼ぎになるとか思ったが、警察に追われるなんて聞いてねぇよ!」
彼は今、とあるグループにお使いを頼まれている所であった。内容は、麻袋に入ったバッジの納品。
そのバッチとは、そのグループによって公認されたという証であり、つまりグループの傘下であるという事も示す証。
そして彼もまた、そのバッチを付けている。
「元はといえばこのバッチのせいで――」
そう、彼が依頼を受けたグループは、実は警察が前々からマークしていたグループでもあり、そのせいで彼はこうして執拗に追い回されているのだった。
「くそっ! 納品の時間なんてとっくに過ぎちまってんのに!」
「お前達のグループに対しては発砲許可も下りているんだ! いい加減にしないと撃つぞ!」
「ああああぁ!! どうして俺がこんな目にぃー!?」
路地裏に響くのは、少年の悲痛の叫び声であった。
「――クスクス、みーんなワタシを見ているわぁ」
ここ日本にて、赤い髪の毛をした人間などそうそういない。
だが彼女は別だった。
「それにしてもすごいわねぇ。こーんなアバンギャルドな世界があるなんて、ワタシもこの時代に生まれたかったなー」
現に存在していることがこの発言との矛盾を深める中、彼女は足を止めずにフラフラと歩いている。
彼女をひと目見ると、たいていの人々は十代くらいのイメージを受けるだろう。そして今時な服装とでもいうべきか、柄物の服とスカートを身に纏っており、長い髪を左右に揺らし、金色の目で周りを見回している。
今の彼女に、目的地など当には無かった。目的はあるものの、目的地は無い。
心の赴くままに、街中を右へ左へと浮浪しているといったところであろうか。
「てかマジで凄くない? ワタシ達の時代と大違い? ギャップってヤツ? マジぱないわ」
彼女は一体誰に話しかけているのであろうか、空に向かって言うその姿を見て、人々は最近流行りの電波系ではないか等と考え、彼女を避けて通っていく。
避けられていることを感じ取った彼女は急に不機嫌になり、きらびやかな表通りから暗闇広がる裏通りへと足を踏み入れて行った。
「……こっちの方は、あんまり変わらないカンジ?」
何時の時代であろうとも、裏通りにいるのは表とは違って危ない雰囲気を纏う者が集まる。
現に彼女の視線の先には、物騒な得物をもった男たちがたむろしている所である。
「――ったく遅ぇなぁ。あの運び屋は時間を守るって話じゃなかったのか?」
たむろしているのは大抵社会からはみ出ている者。あるいは、この社会に反骨精神を持つ者。
「すいませーん、ちょーっとお尋ねしたいんですけどぉー?」
「あぁ?」
先ほどから愚痴を垂れているのはリーダー格であろうか、男は声のする方に苛立ちが混ざった声をぶつける。
「ちょっといいですかー?」
彼女は事もあろうに、その集団の方へと歩み寄っていく。
その表情はニコニコとしたものであるが、いわゆる営業スマイルというものである。が、男達はそれだという事に気がつかずに、獲物が向こうからやってきたと内心舌なめずりをした。
「お、おうおう、こんなところにオンナノコが来ちゃ駄目だって、パパやママから言われなかったかなー?」
リーダー格の男の姿をよく見ると、醜い豚鼻にひしゃげた口元をした、オークだという事が分かる。
オークが声を掛ける間、周りの手下が逃げ道をこっそりと塞ぐ。
「ええー? ワタシそんなのよく分かんなーい」
醜い姿を前にしても、彼女は怯えることも、気持ち悪くも感じない。ただただ笑みを浮かべたままである。
先に伝えておくべきだがこれらは全て彼女の演技である。パパやママの言うことを無視して不良の道へと走り出そうとする少女というものを、彼女は演題としている。
「駄目だよー、良い子は家に帰る時間だよー?」
「そんなつまんないこと言うよりさー」
彼女は挑発的な笑みを浮かべ、スカートの端をひらひらとなびかせる。
「もっと楽しいこと、しない?」
「お、おおおおおおおお!?」
その場にいる全員がざわめき、喜びの声を挙げる。男どもは皆、予想外の出来事に歓声をあげている。
そしてここまでは彼女の予定通りとなっている。そして彼女は目的を達成するため、さらに言葉を続けようとした。
「ワタシ一度に三人までしか相手できないからぁー、まずはお兄さんから――」
「すいませーん!! 遅れましたー!!」
きりの悪い時に来るのが、登場した人物の悲愴さを際立たせている。
「ッ、運び屋ぁ!! タイミングが悪すぎんだよぉ!!」
いきなり現れた金髪の少年が、彼女の計算を狂わせる。
「……誰あんた?」
「あっ、すいませんだいぶ時間に遅れたみたいで――」
「お前最ッ高にバッドタイミング! マジで!」
「えっ!? 何でそんなに俺怒られなくちゃ――」
「お前マジではっ倒すぞ!!」
「そうだそうだ!!」
「俺達今からこのネーチャンといいことすんだよ!! 黙って引っ込んでろ!!」
来て早々いきなりの総攻撃に少年は困惑を隠すことができず、ただうろたえることしかできなかった。
渡すべき物も渡せず、伝えるべきことも伝えられずに。
「そ、それも大切かもしれもしれねぇけど、これ受け取ったらさっさとずらかった方が――」
「うるせえ! お前マジで一発ぶん殴ってやる!!」
オークが少年に振りかぶり、少年がそれに対応しようとした時――
「警察だ! 大人しく縄に付け!」
裏通りの一方から、『警察』だと分かる制服を着た集団が押し寄せてくる。
「げっ! ポリ公!」
「だから言っただろうが! 早く物受け取ってずらかれって!」
「サツに見つかるのとか馬鹿かてめぇ!」
「だってお前等バッチつけてねぇと俺の事疑った挙句ボコるだろうが!」
少年の日々の悩みが垣間見れる中、少女は警察という存在を、得た情報から選んで思い出しているところであった。
「ふーん、警察も憲兵と同じ感じかー」
少女が平然としているのを見て、少年は躊躇なくその細い腕を引っ張る。
「えっ? 何?」
「ぼさっとしてないでお前もずらかれ!」
「だってワタシ何も悪いことしてないし」
「お前あいつのコレじゃないのか? ……どうだっていいか、逃げるぞ!」
彼女は少年が会話の頭に小指を立てていたのを見て疑問に思っていたが、その間にも少年が腕を引っ張っていたので仕方なくそれに従う事に。
彼女は半ばむりやりといった形で、少年の逃避行に付き合わされることになった。
「こっちから表に出りゃバイクが止まっている、それに乗って逃げるぞ!」
「バイク?」
「は? バイクも知らねぇとか田舎者か? いや田舎でもバイクはあるか……」
少年は小ばかにしながらも考えを巡らせ、この場からいち早く立ち去る方法を考えているところであった。
「よしっ、まだ確保されてねぇ!」
表通りに出ると、ひときわ大きな鉄の塊が彼女の視界を占める。
少年はひっかけていたヘルメットを被らずにバイクにまたがり、ヘルメットを少女の方へと渡す。
「何これ?」
「頭に被れ! そんで俺の後ろに乗れ!」
少年の言われるがままに、彼女はヘルメットというものを被って鋼鉄の馬にまたがる。
「……まるで馬みたいね」
「おっ、察しが良いな。こいつ等の車種名はIronhHorse(鋼鉄の馬)シリーズなんだ。文字通り、じゃじゃ馬だぜ」
エンジンをかける音が、荒々しい暴れ馬を想起させる。
「しっかりつかまってろよ!」
アクセル全開でその場でウィリーをし、辺りに排気ガスをまき散らす。
「腰に手をまわせ! 振り落されんなよ!!」
彼女が少年に引っ付くと同時に、後方から独特の音が鳴り響き始める。
「さてさて今回の運び屋のお仕事はー、サツを撒いてこいつを家に送ってやる事!」
今にも飛び出しそうな勢いで、エンジン音が高鳴り始める。
「道案内よろしくな!」
「あっ、えっと――」
「そんじゃいくぜぇ!!」
バイクを急発進させ、少年は道路を走り抜ける。赤いテールランプが、彼らの通った後を彩ってゆく。
その速さに恐怖はしないものの、彼女は一つだけ悩み事があった。
「……家って何処の事を言えばいいの?」
――うわーん! どうしよどうしよどうしよ……
――それにしても、初対面だというのに親切な方ですね。
――あの馬もどきはバイクというのか……俺も乗ってみたいものだな。
――家って何処を言えばいいのー!?
――とりあえずあの骨董品店に戻りましょうか。場所は私が記憶しております故、後は私の言う道筋をそのまま彼にお伝えください。
――分かった……あのお方は?
――あのお方なら今ぐっすりと眠っておられます故、起こさない様に
――分かったわ……
――では、殿方とのドライブとやらを、楽しんでらっしゃーい。
「――一言余計だっつーの!!」
「うわっとぉ!?」
後ろでいきなり大声を挙げられ、少年もつられて大声を出して驚く。
「何だなんだ!? 大丈夫か?」
「ええ、っまあ……」
先ほどとは違って顔を赤らめる少女に、少年は先ほどから心臓の鼓動が高鳴っていた。
「……」
そして今、何よりも彼の鼓動を高めているのは――
「……悪ぃ、ちょっとだけ離れてくれ」
「どうして? 振り落されたら危ないじゃない?」
「あのな……押し付けんの止めろってことだよ……」
「ん? ……あぁー、そういうコト?」
少年の意図に気づいた彼女は、それを聞いて離れるどころか腰にまわす手を更にきつくする。
「どう? 他の女より大きいってことは自覚しているんだけど?」
「てめぇふざけてっと振り落とすぞ!」
「きゃー、こっわーい!」
脅したところで余計に体をくっつけてくる少女を見て、少年はとうとう観念したのか何も言い返さなくなってしまった。
「……で、どっち行きゃいいんだ?」
後ろのサイレンと罵声を気にしながらも、少年は少女に行き先を問う。
「とある骨董品店に行きたいんだけど――」
「ああ、この編で骨董品店て言えばあの神西んトコの店ぐらいか……って、お前神西んトコのやつか?」
「え? ………………まあそういうことだけど?」
「そうか。じゃあ俺も道は知ってっから行くのは簡単だな……ただ、後ろの奴等を撒いてからだけどな」
未だにしつこく追う警察の姿は、彼女の記憶からあるものを引き出させる。
「……ほんと、しつこいわね」
彼女はとうとう、唯の人間を相手にその力を使う事にした。
彼女は片手で少年の腰をしっかりと掴み、そしてパトカーの方を振り向く。
車の台数は二台であり、それぞれがこちらに罵声を上げながら必死に追い回してくる。
「おい、片手とか危ねぇぞ!」
少年の忠告を無視して、彼女は瞳に力を宿し始める。
「…………邪・魔☆」
彼女が言葉を呟いたと同時に、右のパトカーのフロント窓が真っ赤に染まりあがる。
車は制御を失い、左のパトカーの方へフラフラと近寄り始める。
そして――
「ッ!? うおっ!?」
パトカー同士の衝突、そしてそのまま壁に激突し火柱が上がる。
爆風がバイクを押しやり、少年は一瞬制御が効かなくなったバイクを押さえつけるのに必死であった。
鋼鉄の馬が大人しくなったところで、少年は後ろの存在に疑問を投げかける。
「……お前何かした?」
「ううん、なーんにも☆」
問いに対して、彼女はただ機嫌よさげに答えるだけであった。
「――到着だ」
彼女が予定していた通り、最初の骨董品店の前でバイクは止められる。
彼女がバイクから降りると、既に東の空が紅くなり始め、一日の始まりを告げようとしている所であった。
「……朝、か」
少女が意味深に呟くのを、少年は聞き逃さなかった。
「悪ぃ、遅くに帰るのはまずかったか」
「ううん、いいんだ」
彼女は自然に微笑み、そして挑発的な目で少年の腕を取る。
またもや少年の鼓動は高鳴り、今度は何をされるのかとドキドキし始める。
「今回のお礼……今度、体で返すから……」
耳元でそうささやかれ、少年は恥ずかしさゆえに手を振りほどき、サッサとバイクにまたがり始める。
「はっ! ビッチに用はねーよ!」
少年がそう気前よく言う中、彼女はそれに異議アリといわんばかりに言い返す。
「知ってたー? 吸血鬼って処女じゃないと成れないんだよー!」
少年は彼女の言う言葉の意図を理解できずに、ただ首を傾げるだけ。
「……意味わかんねぇよ! バーカ!」
日が昇り始めるとともに、少年の姿はバイクとともに遠くへと消えて行った。
「……さてと……あらあら、お爺さんわざわざお迎えありがとうねー」
「ふ、ふざけおって……あんた一体何者だ!?」
「ワタシ達? ワタシ達はね――」
――唯の吸血鬼よ。