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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

THEトワイライト弥生

作者: デスシスタ

.トワイライト弥生

 シャレム。宵の明星の神。夕暮れの神――


どんな学校にでも基本的にはあるだろう廊下の床と言う物は、なんだかよくわからない緑の柔らかい何かで出来ていて、その上妙に冷たい。ネットで検索してみたらわかったことだが、どうやらリノリウムという材質でできているらしい。なんだかアクアリウムみたいで面白いと思ったし、金属元素じゃないのにイウムの名がついてるのもなんだか変な気がする。金属の妙なテカリもないし、こいつは本当に金属なのか、と疑ってしまう。とここまで語っておいてなんだが、緑色のはウレタン樹脂だった気がする。

私のクラス、3の2の教室の前。ドアを開けるのがなんだかむず痒い。何故ならもう、元3の2の教室になってしまったからだ。今日のお昼ごろに、私達は晴れてこの高校を卒業した。なんだか物悲しい気分でもあるけど、なんだかとっても嬉しくもある。こういう気持ちは高等学校を卒業した誰しもが経験することなのだろうか。それならいいけど、世の中あんまり高校生活に興味がなくて、三年間を気怠く過ごす人もいっぱいいるのだろう。時間の浪費はすごーくもったいない気がするけど、それ以上に人と接するのは難しいことなのかもしれない。

ドアをガラリと開けると、夕暮れの太陽の突き刺すような光が私の目を容赦なく焼いてきた。一面トマトの真っ赤に染まった教室は人っ子一人いない終末の荒野で、私はこの教室という小さな世界を席巻する王になった気分だ。それでも誰も居ないのだから寂しいといえば寂しい。闘う相手がいないというのはつまり喋り相手がいないということだ。全てのものを吸収して世界に一人取り残された時、君は一人だけの世界で生きていけるのか。ゴーデスはそう説得されて倒された。一人はやっぱり寂しいのである。

「まぁ最後の部活終わって物取りに来ただけなんだけどね」

 誰もいない夕方の教室での独り言は嫌に深く響いた。自分の席の引き出しに入っていた私物をバックの中にぽいぽいと入れていく。ゲーム機、トランプ、ドライヤー……違反物ばっかだね。ずぼらな人なら教科書とか入れっぱなしにしてていざ持ち帰るときに苦労するんだろうけどこれだけなら軽くていいものだ。掃除完了、立つ鳥跡を濁さず、あとは帰るだけ――

上げた視線の先にあるもの。普段使わないような色も混ざった、チョークで書かれた黒板の落書き。3の2は永遠に不滅、だなんてテレビドラマでよくあるような落書き。夕日でとても綺羅びやかに輝くそれは、この高校での三年間を無意味に過ごした私には無縁のもの。私にとっては面白くもなんともなかった、ただ来て、いて、帰るだけの毎日。それを嘲笑うかのような、煩わしさの塊。

「ふざけんな!」

 がしゃんっとカバンを投げ出したかと思うと即座に目に映る異物に近づき、黒板の下のでっぱりに乗せてあった黒板消しに手を伸ばした。が、そこにあったはずの物体に掴めない。ふっと振り向くと、黒板消しを手に持った、黒髪の長い女性。卯月――

「消しちゃうの。弥生」

 彼女の持つ黒板消しを奪い取ろうと手を伸ばすが、彼女のその細い腕にひょいひょいと避けられてしまう。卯月はこうやって私を手球に取るのが得意だ。力技じゃ勝てないので素直にたのみこむしかない。

「消させてよ」

 ぐすんっ、と鳴き真似しながら抱きついて縋ってみる。多分効果はない。

「なんでよ、今日だって別に、みんなと普通に教室にいられたじゃない」

「そうだけど」

「保健室登校じゃないんだから、いじめられっ子のふりすんな」

 そう彼女におでこを軽くトンっと小突かれる。そんなに強くなかったのに痛みがじわりと広がる。なんでか、頬の上をつーっと液体が通り抜ける。口にはいると塩辛い。どうやら涙が溢れてきたようだ。何故だろう、どうしてこんなに悲しいのだろうか。

「卯月」

「泣いていいよ、よしよし」

 彼女の胸の中で泣きじゃくる。そう言えば、彼女に最初に会った日も、こんな――


高校生活最後の雨季、放課後に担任である昴玲子に呼び出された午後。こう言ったのは慣れっ子だ。別に問題児というわけではない。ただ、進路を決めるのが遅いだけだ。まだ進学するかも決めていない。ただ、面倒くさい。歩くのも、進むのも、何もかも。

「弥生さん? 聞いてる?」

 急に意識に入り込んできた彼女の声に驚いて「ふぇ」と間抜けな声を漏らす。職員室には私の他にも進路で困っている輩がいっぱいいた。計画的じゃないんだな、自嘲混じりにそっと鼻で笑った。

「もう、心配して言ってるのに、今日はもういいからまた今度話しましょう」

 開放されると同時に私は一礼してから職員室を後にする。部活には入っていないので後は教室で鞄を回収して帰るだけ。だったのだが少し違った。卯月がいた。手には箒と塵取り。所謂教室掃除だ。でもその時の私達はまだ学年の始まりの自己紹介ぐらいの関係でしかなくて、彼女は美人で清楚な人気者で、私は垢抜けない日陰者だった。

 言葉は交わさなかった。話すこともなかったし、何より挨拶の仕方がわからなかった。朝教室入る時だって、私は口を開けないし、彼女は物静かに教室に入ってきていた。話しようがなかった。私は彼女の邪魔をしないように、音を立てずに机の中の物を鞄に入れていった。ゲーム機と、今日のお弁当箱。そして一番下のスケッチブックを取ろうとして、手が滑った。

 バサッと机の引き出しから滑り落ちて、ちょうどそれが掃除を終えた彼女、卯月の前に広がった。授業を聞き流しながら書いていた、アニメの女の子の絵。所謂萌え絵というやつで、普通の女の子なら描かないし、普通じゃないオタクの女の子、所謂腐女子でも描かない奴。その中でも女の子同士がキスしたりだとかのシーン。私の誰にも秘密の趣味。

「見ないで!」

 咄嗟に飛びついて開かれた秘密を閉じようとした。だけど彼女は私の手を遮りながら、片手でスケッチブックを拾ってまじまじと覗きこんだ。私は心の中で世界の終わりを知った。

「へぇ、上手いじゃん。百合でしょこれ、なんだっけタイトル」

「返してよ」涙目になりながら必死に奪い返そうとする。

「待って思い出してから返す。そうだ、『オレンジ』だ」

 そう言って彼女はパンッとスケッチブックを畳むと、そのまま私に突き返してきた。私はそれを胸に抱えてしゃがみ込む。誰にも知られたくないことを知られてしまった。恥ずかしさの余り、融けてしまいそうだ。

「泣くことじゃないでしょ。私も好きだよ月刊ガブリエル。雑誌派? 単行本派?」

「うぇっ、うぅん、うぁん、ぐすんっ……ざっし……」

「あー、本当? 私単行本派、月刊誌は刊行遅くて辛いよ……聞いてる?」

「うわぁあああん」

「先生来たらまずいよ。うーん、よし、確かこうだったよね」

 彼女がそうつぶやくと私をぎゅうっと抱きしめて、ふっくらした胸を顔に押し当ててくる。なんだか暖かくて心地がいい。涙が少しずつ収まって、優しい気持ちに溢れてくる。彼女の背中を擦る手がとても快い。ずっとこうしていたい。ずっと――

「そろそろ起きてよ、弥生」

 卯月の声が私の意識を揺り起こす。まばゆい陽の光が瞼を貫通して、オレンジの海を広がす。すっかり夕方のようだ。寝ぼけた頭のまま顔を上げる。卯月が見透すような澄んだ瞳でこちらを見つめていた。思わずびくっと身を引くが、抱き合ったままなので結局そこまで距離は開かない。そのまま、どうやって会話を始めるか迷う。

「なんかロマンチックじゃない?」先に口を開いたのは彼女だった。

「えっ?」

「だって素敵じゃない? 夕焼けの教室で抱きあうなんて」

 彼女の抱きしめる力が強くなる。夕日に煌めく瞳の上目遣いが宝石のように綺麗で、だからこそ目を逸らしたくなってしまう。

「で、でも女の子同士だし」

「何さ百合描いてるくせに。ときめかないの?」

「それは、うん、ときめく」

「んへへ、弥生が笑ってるの初めて見た気がする」

「君、そんな笑い方するんだ」

「卯月」

「ふぇ?」

「名前で呼んで、卯月。私も弥生って呼ぶから」

「うん、弥生」


 ――貴女にこの学校に入った時に会えていれば、もうちょっと楽しく過ごせたかもしれない。

「でも貴方、結局私以外とは付き合わなかったじゃん」

 そう言って彼女はまたおでこをトンッと小突く。今度は痛くない。あの時と同じように彼女の胸で泣いて、すっきりした。やっぱり卯月の抱擁力は高い。胸はないのにとっても暖かくて心地が良い。

「だってみんな趣味合わないんだもの」

 うちの学校と言えばどっちかって言うと頭空っぽのギャルは多いし、腐女子も割りと少なくはない。でもやっぱり私達みたいな百合女子は全然いない。と言うよりはバレるリスクが高いから探してないだけだけど。

「こんなリア充三セット、私以外とじゃ使わなかったでしょ」

「それも卯月じゃないとダメなの!」

「まぁでも、私とイチャイチャできて満足なら、それでいいじゃん。わざわざ消すことないでしょ」

「そりゃ、まぁ」

「うーん、あ、いや、そうだこれ、消しちゃいましょうこれ」

「えっ?」

 そう言って卯月は黒板消しを持つと、3の2の残骸を一気に掻き消す。綺麗さっぱりな緑に戻ったキャンパスには、今にでも新たな世界が作れそうな空間が広がっていた。

「よし、二人ですごいの描こう。その為に弥生を廃部寸前の私だけの美術部にいれたんだから」

「そういうことだったの?」

「うん、でも一年だけでも二人で過ごせて、本当楽しかったよ」

「……えへへ」

 そう言うと私達は向かい合う。今回のモチーフは、うん、これにしよう。二人で抱きしめ合うとそのまま気が済むキスを交わす。何度でも、何度でも、ただ、気が済むまで。


「まーたあいつらか……卒業前ならPTA会議ものだっツーのもう」

 日が沈んだ3の2最後の日の教室。昴玲子は照明のスイッチを押した後、一人そう呟いた。

『二人の愛は永遠に不滅です!』

 Fin


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