主人と下僕は動きだす
1.
コウは簡単に理解、あるいは納得することができた。
ああ、自分は他人の為に生きることに幸せを見出すタイプの人間であったのか、と。
沙村鉱は基本的に自分の為に生きていた。逆に言えば、ある特定の人物に身を捧げるという意思は一切浮かばなかった。沙村鉱自身そんなものに興味はなかったし、なによりそう思えるような人物と出会うことはなかった。
しかし、どうだろう。
人は自分の為ではなく、誰かのために生きる生物である。なんて、どこかで聞いたことのある様な言葉に、まさか納得させられる日がくるとは、コウはまったく予期しないことであった。
とはいえ、そう、とはいえ。
これではまだ認識に齟齬が生まれてしまう可能性がある。コウの内面の動きをより正確に表現するならば、『この少女に身を捧げる』という言葉と、『この少女以外は蔑ろにする』という言葉は二つで一つである、ということをきちんと把握しておくべきである。
やはり、コウという人物はどこまでも沙村鉱でしかない。言葉を言い換えれば、『沙村鉱/コウは自分がこの少女に身を捧げたいと思っているから、そうしている』という、やはり自己利益的な意識もまた、存在しているのだ。
まぁ、そんなことを言い出せば、キリがない話ではあるのだが。
なんにせよ。これは幸福な出来事であるのだ。
沙村鉱/コウは誰かに仕えることに幸福を感じる人物であって、その上で沙村鉱の悲劇はそんな人と巡り合えなかった事。コウの喜劇は、そんな人物と巡りあい、下僕となったことであるのだから。
2.
「エリザベート様、いえ、エリザ様とお呼びなさい」
「はい、エリザ様」
「ウフフ……フフ……オーッホッホッホ!!」
コウとエリザのいる路地の景色が変わった。いや、もちろん急に景色が変わるわけではない。正確に言えば雰囲気が変わった。それまでどこか儚く、透明感に溢れ、今にも崩れ落ちてしまいそうであった空気は一変し、夏の陽気が存分に溢れ、活気立ち、街の雑踏も風の流れもどこかざわついてきた。
エリザベートは幼いながらもその豊かな胸を張り、口元に手の甲を当てて高笑いを上げる。豪奢なドレスはそれと同時に揺れ、どんな奇跡だろうか、(あえて可能性を考えるなら、エリザの最近の生活において侍女の髪に対する手入れの怠慢や、もともとの髪質、脇目も振らずに走ったことによるのだろうか)本来ふわふわなロングの金髪は、どことなく縦の巻髪へと少しづつ形を変えていた。
「ねぇ、下僕っ!! お前の名前を教えなさいっ!!」
「はい、エリザ様。私の名前はコウと言います」
「わかったわ、コウ。あなたは今より私の下僕です。私の為に生まれ、私の為にその身を砕き、私の為に死ぬ。そうよね?」
そんなエリザの言葉に、コウは頭を垂れ傅きながら妙な興奮と情愛と敬意を覚えていた。
―――こんな人間が存在していたなんて、奇跡だっ!! こんな慢心と高慢に溢れ、相手をこんなに束縛し、自分のものとして扱えるなんて、なんて凄い人なんだっ!!
コウの純粋な内心である。沙村鉱という人物は、基本的に慢心も高慢も一切無い、無欲で潔癖な性格である。そのことにコウ自身は、人間らしくないつまらない人間であると考えていた。さらに、他人との関りを最小限に留めるようにし、まして他人の人生に自分を含めるということに根本的に恐怖を感じる性格である。そのせいで結婚はおろか恋愛もまともにすることが出来ず、一人であることに慣れ、そして一人であることが好きになったのだ。
それを、そんなのを一切気にせず、口に出し切ったエリザに、コウは感銘を受けたのだ。
―――この人についていけば、間違いない。何がどう間違いないのかはわからないが、ともかく間違いないはずだっ!!
「はい、エリザ様。コウは、あなたに全てを捧げます」
「オーホッホッホっ!! よろしい、では今より、私の家に参りましょう。そして、そこで私達の新たな一歩を踏み出しましょうっ!!」
「と、いうと、つまり?」
「あそこにいるくだらない者達を追い出し、私とあなたであそこに暮らすのですっ!! 主人と下僕、その二人でっ!!」
「おおっ、なんて良い考えでしょう。さすがは、エリザ様ですっ!!」
「そうでしょう、そうでしょう。オーホッホッホっ!!」
路地には少女の高笑いが響き、その様子に少年は敬服と畏敬の念を込め見つめる。数年後思い出せば赤面も良い所の状態だが、現在の少年と少女は間違いなく、この世界で無敵であった。
3.
もちろん、物事はそんな簡単には進むことは無い。
一人の老執事が、丁寧に、あるいは慇懃無礼に一礼して、丁寧に、あるいは慇懃無礼にコウとエリザに話しかける。
「いいからみんなここから出て行けばいいんですのっ!!」
「そういう訳にはいかないのですエリザベートお嬢様。この屋敷と使用人達はエリザベートお嬢様個人のものではないのです。あくまでロレーヌ家のもの。使用人も同様です。この屋敷でお嬢様は確かに身分はお高くありますし、凡その我侭も聞くでしょう。例えば、公爵家たるロレーヌ家の敷地に平民を入れるようなことも、多少は目を瞑りましょう」
「あなた、私の下僕を侮辱しますのっ!!」
「あくまで、事実です。さて、その上で、エリザベートお嬢様。宝石も、ドレスも、意味の分からない無駄な置物も、使用人を我が物の様に扱おうとすることも、この屋敷が自分のものであるかのように思うことも、それは自由です。あなたには、しようとする自由と、思う自由は与えられています。その上で、それしか与えられていないのです」
「回りくどいですわね、何がいいたいのっ!?」
「物事には何事も限度、というものがあるのです」
「~~~~~っ!!」
老執事の迂遠な言葉に苛立ちを隠せずにまさしく地団駄を踏むエリザ、そしてその様子にコウは乙女の様に目を輝かせる。
「身体全体で苛立ちを現すご様子は、実に愛らしいですねエリザ様」
「ええっ!! そうよ、私はこんなにも愛らしいというのにっ!!」
上手く会話にもなっていない二人の掛け合いに、思わずといった形で老執事は目を丸くする。老執事としては、エリザベートお嬢様が市井で相手の都合も考えずに無理やり連れて来た不運な少年だと認識していたが、その考えはどうやら間違いなのかもしれないと思った。
「あの、お嬢様。そちらの少年は……」
「貴女に答える事なんてもうないわっ!!」
先ほど自分の下僕だと声高々に宣言したことも忘れたのか、エリザはドレスを翻してそう言い放つとコウの手をとってずんずんと進んでいく。
「どこに行かれるのですか」
「一度外に出たんですもの、二度も三度も同じだわっ!!」
まさしく傍若無人たる主人の言葉に、老執事は頭を抱え、下僕たるコウは手を引かれ体制を崩しながらも憧憬すべきは我が主様と言った表情だ。
様子を遠巻きに見守っていた幾人かのメイドは、老執事に確認を取るように視線を向ける。それに対して老執事は一つ息を吐き出して、首を横に振る。
メイドが問うた。
「行かせても良いのですか?」
老執事が答える。
「エリザベートお嬢様は確かにロレーヌ家の令嬢ですが、この館の所有者でも主人でもありません。あくまで、客人としての扱いなのです。客人ならば、その行動には制限をつけることはできません」
「それは、つまり」
「エリザベートお嬢様の存在は、必要とされていないんですよ。貴族としてのヴァレンタイン家としても商家としてのロレーヌ家としても、いてもいなくても変わらないのです。少なからず、傲慢であれ優秀であれば……」
執事として仕えて幾星霜、己を殺し主人のために生きている者として、あの我侭なお嬢様は呆れもするがその分だけ眩しい存在だ。孫ほど年齢も離れていれば、可愛らしいという気持ちも浮かぶ。仮にその願いを聞き入れては、本当にお嬢様は見捨てられてしまう。
困惑を残したままのメイド達に、老執事は落ち着いて諭す。
「お前達はいつも通りの業務に戻りなさい。二度目となればエリザベートお嬢様もかなり遠くへ行く可能性があります。今度は私自らエリザベートお嬢様を追いましょう………っっ!!」
老執事は息を呑む。
冒険者の街フェスカ。荒れくれ者も、魔物も、あらゆる脅威に近い街にある公爵家ヴァレンタインの屋敷の管理を任されている長年の執事の動きが、一人の少年の眼光により、縫いとめられた。
大して興味を払わなかった存在。
屋敷の扉を大股で出て行くエリザベートに手を引かれていた少年は、その最後の瞬間、老執事を振り返った。
そこに込められた殺意と同等の感情。
瞬間、老執事はその視線に思考を巡らした。戦闘になるとも思えば、相手の状態や状況、それこそ視線からも情報を得て、対応策を考えねばならない。
それはすぐに回答を得る。
老執事の顔に、微笑みが現れた。
些か狂信的と言えるが、それは執事たる自分が一番よく理解している類のものと同質であると気付いて。