3
彼はベッドの中で目を覚ました。
体中痛いがいつもと変らない朝。何故だかとっても長く悪い夢を見ていた気がするが、気のせいだろう。
それよりも何だか久しぶりにいい気分の朝だ。
彼は大きく背伸びをして赤い鳥に餌をやった。王子の鳥はさえずり、寄り添うように王子の肩へと停まった。
「お前も来るか?」
尋ねると肯定するように鳥はさえずる。
王子は鳥を連れていつものように母親の肖像画のある部屋に足を向けた。
「おはようございます。王子」
「ああ、スター。おはよう」
「昨日はゆっくりお休みになれましたか?」
「ああ、今日はとっても気分がいい」
「それは何よりです」
変な夢を見てしまったせいで、スターと会話するのは妙な感じがした。変らない情景に何となくほっとした。
不意に見ると廊下の奥から父親がやってくる。
あんな夢を見てしまったのはきっと普段ちゃんと会話をしていないせいだろう。父親はカイアナイトにとって怖い存在だった。別に故意に無視をされる訳でも叱られる訳でもない。ただ、会話をしていると言葉に詰まる。
苦手なのだろうと思う。何を話して良いのか分からなかった。父親もカイアナイトと一緒の時は無口であり、話しかければ返事こそあるが、短くそこで終わってしまう。だから王子はむしろ父親以上に父親らしい大臣のアゲートの方に懐いていた。そしてまた親子の関係は遠ざかっていった。
あの夢はきっと自分の不安だろう。まともに会話をしていない父親とあんな形で分かれてしまうのは嫌だ。
カイアナイトは気を持ち直して父親に挨拶をする。
「お、おはようございます、父上」
声は緊張していた。
「ああ……おはよう」
アレキサンドライトは久しぶりに聞く「父上」という言葉に少し照れたように赤くなった。最近では「陛下」としか呼ばなくなった。
だからカイアナイト自信も気恥ずかしかった。
父親は少し迷って王子に笑いかける。
「……カイアナイト、久しぶりに三人で食事をしないか?」
「三人?」
「お前と、私と、マリーの三人でだ」
肖像画の部屋で食事をとろうと言うことなのだろうか。
返答に困っていると、肖像画の部屋の扉が開いた。
まぶしいような光を感じて目を細める。
扉の向こうには、明るい金の髪と深い碧の瞳をもつ少女。肖像画そのままの母の姿がそこにあった。
「……母上?」
「ああ、マリー。今三人で食事をしようと話していた所だ」
マリーは微笑む。
優しい笑み。いつも夢見ていた母親の姿。肖像画でしかあったことのない母親の姿。
ああ……間違いない、この人は母上だ。
カイ、と彼女は自分の愛称を呼んだ。
(そうだ、僕は呼んで欲しかったんだ。この人に自分の名前を、自分の愛称を呼んで欲しかった)
「さぁ、カイ、朝食にしよう」
父が言った。
ああ……夢のようだ。
母上がいて、父上もいる。三人で食事をすることをどんなに夢を見たことか。
とても心地のいい場所だった。けれどなんだろう? 心の中に何かぼんやりと穴が空いてしまったような感じがする。
これは一体なんなのだろう。
……………。
……………。
……………。
………?
……じ…………うじ…………カイ王子!
はっとして目を開いた。
目の前にルビーの姿がある。彼女は酷く疲れ、泣き出しそうな顔でカイアナイトを覗き込んでいる。
「……良かったぁ」
ルビーは心からほっとしたように息を吐いた。
涙が溢れ出たのか、彼女は静かに目元を拭った。
「……ルビー? 僕は一体……」
彼は周りを見回した。
自分の部屋ではなかった。ここは一体どこなのだろう。薄汚れた雰囲気のある場所で城のどこかの部屋でもなさそうだった。
腕が心臓が鼓動するたびに痛む。
「ずっと眠っていたんだよ。もう二度と起きないかと思った」
夢ではなかった。あの夜、『ネセセアの秘宝』でアレキサンドライト国王が殺されたのは夢ではなかったのだ。
認識してもなんの感慨もわかなかった。
それよりもどうして自分が生きているのかが不思議でならなかった。
「……どうして」
言葉に出すと、胃の中が熱くなり痛んだ。
「どうして僕は生きているんだ……」
父親が殺された。
殺したのはルビーとスターの父親であり、王が誰よりも信頼していたアゲートだった。アゲートは『ネセセアの秘宝』を操り、カイまでを殺そうとした。あの時、ルビーが自分をかばってくれなければ、スターが父親を止めてくれなければ今こうして生きていなかっただろう。
そうだ、スターは一体どうしたのだろう。
義理の息子とは言え、簡単に殺すとは考えられない。事実、彼は殺してないと言った。しかし、あの時見たアゲートは他のどんなときの彼とも違った。溺愛していたルビーを殺そうとまでした。ひょっとしたらもう、スターは生きていないのかもしれない。
ようやく涙が出てきた。
父が死んだというのに何もできず守られるだけだった。その上、自分の最期すら目を開けて見ている事すらできなかった。何が起こったのか分からないが、あの状況で生きていられたのはルビーが何かしてくれたのだろう。
何も出来なかった自分が情けなくて、生きているのが辛い。
「王子、あのね」
「……聞きたくない」
「………」
「聞きたくない! 出て行ってくれ」
情けない。
あの後何があったのかなんて聞きたくもない。
「ルビーの顔を見たくないんだ!」
見るたびに自分の無力さを思い知る。
「一人にしてくれ」
これ以上情けない姿なんて見せたくない。
言い終えると、自己嫌悪で吐きそうだった。
本当はそんなことを言いたかった訳じゃない。ルビーにそんな顔をさせたかった訳じゃない。なのに、情けなくて、自分が嫌で、傷つける言葉を平気で言ってしまった。
本当はそんなことを言いたかった訳ではない。
ルビーは何も言わずに部屋を出た。
取り残され一人になって押しつぶされそうな気分になる。
酷い吐き気がした。