第十九章 栗山との決着
王都ヴェルダンに戻った俺は、すぐに王宮ではなく、レオハルト第二王子の私邸に入った。私邸は王都の北の郊外、古い貴族街の隅にある、簡素な屋敷だった。
レオハルトが入口で俺を迎えた。
「シンジョウ殿、無事で何より」
「殿下、ご無事で」
「明日、王の緊急謁見がある」
「はい」
「兄上が、私を第一王子として暗殺しようとして、失敗した。証拠が出た」
「兄上、第一王子、ですか」
「兄は勇者と結託していた。勇者を利用して王位を奪うつもりだった、らしい」
「殿下、ご無事で何よりです」
「君のおかげだ。君が補給路を絶ったことで、勇者の武勲が消えた。武勲が消えると、彼の後ろ盾だった兄が焦った。焦った兄が、今度は私を直接、暗殺しようとした。直接動いたから、密偵団に捕まえられた」
「……」
「君の戦略が、すべてのピースを繋いだ」
「いえ、そんな」
「もう、よせ、と言ったろう、シンジョウ殿」
レオハルトはふっと笑った。
「私のところでそれを続けるのなら、私は君を勇者に任じてしまうぞ」
「……それは、勘弁してください」
「冗談だ」
レオハルトは俺の肩を軽く叩いた。
翌日。
王宮の謁見の間には、王、第一王子アルカド、第二王子レオハルト、宰相、大司教、補給路総監督・勇者クリヤマ・グレント、聖女ティアナ・フィンレイ、ガリア砦長ヴァロル・ハーズ、密偵団長ロウ・ベルケン、そして俺シンジョウ・ジュンが集まった。
貴族席にも、王宮の主要な貴族がほぼ全員、集まっていた。空気は硬かった。
「シンジョウ・ジュン卿、申し開きをせよ」
王の深く低い声が、謁見の間に響いた。
「卿は永久流刑の判決を受けた身。それを独断で王都に戻った。これは二重の罪である」
「は」
「申し開きを聞こう」
俺はゆっくりと頭を下げた。
「陛下、お聞き届けくださいませ」
俺は懐から、四つの書類の束のうち一つを取り出した。
「これに、すべての真相が書かれております」
書類が王の前に届けられた。王は書類を手に取った。謁見の間が、しん、となった。
しばらく、王は書類をゆっくり、ゆっくりとめくった。彼の眉が次第に寄っていった。王の息が、少し乱れた。
誰も動かなかった。第一王子アルカドの額に汗が浮かんだ。勇者クリヤマ・グレントの頬が、ひくり、と動いた。
王は書類の最後のページを読み終えた。書類を膝の上に置いた。
「シンジョウ卿」
「は」
「これは、卿の書か」
「はい」
「書かれている過去三ヶ月の補給路の不正、これは卿が毎日、点呼簿に書きとめていたメモから組み立てた、と書いてあるが」
「はい」
「卿は、これをふた月以上前から書きとめていた、と」
「はい」
「証拠は」
俺は点呼簿の原本を差し出した。
「ここに書きとめた、その日の日付と発言者と場所、すべて書いてあります。点呼簿は毎日書くものですから、後から書き換えることはできません」
王は点呼簿を受け取った。彼の指が、摩耗した黒い表紙の角をなぞった。王の目が、ふと止まった。
「卿、これは毎日、書いていたのか」
「はい。日本の配送ドライバーの義務、です」
「日本……」
「俺のいた世界です」
王はしばらく、点呼簿を握っていた。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「クリヤマ・グレント」
王の声が響いた。
「は、はい」
「卿、申し開きは」
勇者クリヤマ・グレントの頬が、明らかに固くなっていた。
「陛下、これはシンジョウ卿の捏造でございます。私は断じて、魔物と結託など」
「捏造、と言うか」
「は、はい」
「では、ティアナ・フィンレイ」
王は聖女を見た。
「は」
「卿の見抜く瞳に聞こう。クリヤマ・グレントは、今、嘘をついているか」
ティアナはゆっくりと立ち上がった。彼女はまっすぐに、勇者を見つめた。謁見の間が息を呑んだ。
しばらく、彼女は黙っていた。やがて、はっきり言った。
「陛下、クリヤマ・グレントは嘘をついております。それも、複数の層にわたって」
謁見の間にざわめきが走った。勇者クリヤマ・グレントの頬が白くなった。
「し、しかし、聖女様の瞳は絶対ではない」
「私の瞳は絶対ではありませんが、私は聖女として神に誓って申し上げます。彼の嘘は、わたくしの瞳にはっきりと見えます」
「捏造だ、捏造だ、聖女様もシンジョウ卿に騙されている!」
勇者は立ち上がり、叫んだ。
その時。
ロウ・ベルケンが、謁見の間の扉から、ある物を運び込ませた。それは大きな麻袋に入った、物品の山だった。
「陛下、これをご覧ください」
ロウは麻袋を、謁見の間の中央に置いた。
「廃村ザールの住居跡から、回収したものです」
麻袋を開けた。中から大量の米、塩漬け肉、武器、馬具が崩れ落ちた。そのすべてに、
「アイラスティア王国、補給路、台帳、第三号」
と刻印された封印が残っていた。王宮の補給隊の印だった。
謁見の間が静まり返った。第一王子アルカドの唇が震えた。
「クリヤマ・グレント」
王の声が冷えた。
「卿は、まだ、捏造と言うか」
「あ、あれは、そ、その、勇者として、調査のためにザールに貯めていた物資で」
「貯めていた、と認めるのだな」
「い、いえ、それは」
「卿、観念せよ」
王の声は、石よりも固かった。
その時、ティアナが謁見の間の中央に進み出た。彼女は胸の前で両手を組み、光属性の聖句を唱え始めた。
彼女の体から、淡い白い光が立ち上った。光は彼女の両手から、ふわりと謁見の間に広がった。その光が、勇者クリヤマ・グレントの体を包んだ。
彼の体から、黒い煤のようなものがゆっくりと剥がれていった。
謁見の間が、また、ざわめいた。
「ティアナ様、これは……」
「神より賜った、勇者の聖痕を剥がしております」
「剥がす、とは」
「彼が勇者として相応しくない、ということが明らかになりましたので、神の印をお返しいただいております」
その光がすべて剥がれ終わったとき、勇者クリヤマ・グレントは、ただのひとりの男に戻った。彼の剣は、腰から、ぼとり、と落ちた。
謁見の間が、完全に静まった。
王は立ち上がった。
「クリヤマ・グレントを捕らえよ。第一王子アルカドを、王宮謹慎とせよ。両名、調査の上、あらためて判決を下す」
兵士たちが動いた。
勇者クリヤマ・グレントは、ふらり、と立ち上がろうとして、膝をついた。彼の頬は灰色だった。
彼は俺の方を見た。俺は彼の目を、まっすぐに見返した。彼は何かを言いかけて、言葉にならず、顔を伏せた。
その瞬間、俺の頭の中で、日本での栗山さんの数えきれない、ふん、という鼻の音が、全部、ふっと消えた。
憎しみが消えたのではなかった。憎しみの相手が、もう俺の視界の中で、俺を潰せるほどの大きさを持たなくなった、というだけだった。
彼の灰色の頬は、ただのひとりの男の頬だった。もう、恐ろしくも、憎たらしくもなかった。ただ、悲しいような気持ちが、胸の奥にぽつ、と灯った。
たぶん、彼は日本でも、ここでも、誰かを踏みつけずには立っていられない人間なのだ。その立ち方しか、知らなかったから。
俺は誰かを踏みつけなくても立っていられることを、ここで、ようやく覚えた。そのたった、それだけの差が、俺と彼の今夜の立場の差だった。
その時、俺の手が、ふと、白く光った。
「……」
俺は自分の手を見た。手のひらが、うっすらと半透明になっていた。
ティアナが息を呑んだ。
「ジュン様」
「はい」
「これは、神のお力があなたをお呼び戻しなさろうとしている、と思われます」
「呼び戻し」
「あなたの世界に」
俺は手を見つめた。光はゆっくりと濃くなっていった。しかし、今すぐ消える、というほどではなかった。たぶん、あと数日は猶予がある。
俺はティアナを見た。彼女の頬が、わずかに緊張した。
俺はゆっくりと頷いた。
「分かりました」
「ジュン様」
「ティアナ様」
「私たちは、ジュン様を行かせなければならない、と思います」
「はい」
「最後のお別れの時間を、いただけますか」
俺は頷いた。頷きながら、胸の奥がぐっと痛んだ。




